line_job.gif

コンピュータと出会ったあの頃

今、私は1日の大半をPCの前で過ごす仕事をしている。

私がコンピュータに出会ったのは小学校2年生の時。それから、コンピュータとは10年以上顔を突き合わせる事はなかった。

私が小学生2年生の頃、雑誌に載っていたBASICのもぐらたたきゲームを電気屋さんのコンピュータに打ち込んでは「ゲームできたぞ!!」などと、友達に自慢していたりした。釣りに凝っている私がコンピュータに下した最初の命令はカタカナで「ここらへんで魚の一番釣れる場所はどこですか?」(RETURN)だった。その頃の私にとって電気屋にぽつんとおかれているコンピュータは膨大な情報蓄積機能で世界のありとあらゆる知識を持つ神のような存在だったのだ。誰にもいわずにいたクラスの好きな子すら知っている恐ろしい存在。だから、クラスの誰よりも早く私はそいつを手なずけようした。とんでもない勘違いだし、自分の臆病者さかげんが嫌になる記憶だ。

ちなみに、不思議な事にどのようにそんな勘違いが解消されたのかは全く覚えていない。おおかた、「こいつは●●ちゃんを知らない」と実感したとかそんな事だろう。それよりも、毎日のように打ち込みにくる小汚いガキに「うーんこのgotoが間違っているね」なんて教えてくれた電気屋さんはどういう気持ちだったのだろうか。私の父の顔を思い浮かべて、「見込み客」と思っていたのだろうか。そう思うと、いつのまにか行かなくなってしまったあの店のお兄さんに申し訳ない思いがする。私は曲がりなりにもコンピューターというものに触れる機会を作ってくれたのだから。

ところで、我ながら子供の頃の想像力は馬鹿に出来ないものだと思う。社会人となって、久しぶりに出会ったコンピュータは昔抱いた恐れを半ば実現しているではないか。Webという膨大な知識量でだ。しかも、初めて顔を合わせた時の何か秘密めいた無表情さはなくなって、良く訓練された愛想の良さすら身に付けていた。いやはや。

この話来週に続く。

コンピュータと出会ったあの頃 その2

ネットワーク化されたコンピューターに対し、ネットワーク化されていないコンピューターを「スタンドアローン」と呼ぶようですが、私はこの「スタンドアローン」という呼び方がすごく好きです。

悲しみに包まれながらも独りで立ち続ける。

こんなイメージがあるんです。そういえば、ネットワーク化が実現される前の10何年前のコンピューターって何かすごくさびしそうでした。電気屋さんの入り口の左側にぽつんとおかれて、時々キーボードを誰かに叩かれるだけ。

今じゃ、世界に一番近いコンピューターなのに、ついこの前まではそんなんだったんですよ。5年たったら何がどうなってるかってホントわからないですね。この分でいくと。

ところで、小学生時の電気屋での出会いの後、大学時代に再度コンピューターと相対する事がありました。この時は「インターネットはすごいらしい」なんて声が聞こえ始めた時。「なにがすごいのか」って聞いても「とにかくなんでもあるらしい」の一点張り。ってことは「あれは絶対にある!」と中学生時に深夜番組に抱いた幻想を再度抱えインターネットにアクセス!!お目当ての画像を発見するも、5分で飽きてしまう。「何やってんだろ」という虚無感と共に、私は再度コンピューターから離れていったのです。

さて、「神に失望し」その後、「悲哀も味わった」私が再度コンピューターに出会ったのはネットワーク化されたコンピューターの人間クササに気付いた時でした。でも、それは仕事でコンピューターを使わざるをえなくなって何ヶ月か後の話。

コンピュータと出会ったあの頃 その3

コンピュータってあまり好きじゃない。スペックとかメモリーとかもよく分からないし、プログラムはさっぱり。いやはや。20年前に生まれたかった。仕事選びを失敗したかしらん。コンピュータってスキルとか能力がはっきり出てしまうところもきついし。。。なんてついこの間まで思ってました。

でも、コンピュータの向うに人がいるって実感してからは、それほどコンピュータ嫌いではなくなった。こんな文章も書かせてもらっているし。前は、ネットワークとかインターネットっていうと、コンピュータが配列された図を思い浮かべてしまったが、最近は、人とのつながりを思い浮かべられるようになった。まだまだ電話の方が身体的に近いみたいだが、メールも電話で人と話すときのように相手を思い浮かべるようになった。コンピュータによるコミュニケーションがより濃密になって、より日常的になったら、もっともっと身近に感じるようになるのだろう。

この私のコンピュータも繋がっている「ネットワーク」では(あなたのコンピュータとも繋がっている。すごい!)ぴゅんぴゅんぴゅんぴゅん、うわさとかビジネス文書とかファイルとかデータとかプログラムとか罵詈雑言とかエッチな画像とかが飛び交っているのだ。これもすごい。きっと間違って課長にメール飛ばしちゃって社内恋愛発覚なんてことも起きているはず。口は災いの素的な突然の災難も起こっているはず。私にも経験ある。そんな時に誰もが思うことは


「時間よ戻れ!!」だと思う。


そんなトラブルの時って、コンピュータをすごく人間臭くって身近なものに感じたりする。あるいは単に、トラブルの時こそ人間臭さを強く感じるだけだとか。

それはそうと、もし時間が戻って私が初めてコンピュータに出会った小学生の頃に戻れたら、コンピュータを極めます。すごく実利的だ。私って。

夏休み、か・・・

住友商事が世界18カ国・地域の20都市で、現地のビジネスマン計100人を対象に、予定している夏休みの連続取得日数をアンケート調査した。それによると、平均は13.1日の夏休みを世界のビジネスマンはとっているという。これは実に東京都内の会社員の2倍の長さだという

この回答でおもしろいのが、ニューデリー、香港などの「夏休みの習慣がない」というもの。えー。そんなに働いているの?なんて思ってしまうが、よく考えてみれば、夏休みってどうして休みになるのかよく分からない不思議な習慣でもある。だから、ニューデリーとか香港の人からみると文句を言いながらも「夏休み」をとる日本人の方が、ものめずらしくおもえるんだろうなと思う。年間労働時間はきっと日本の方が断然長いだろし。

社会的な「夏休み」の存在理由って、子どもの頃は「暑い時期は効率が悪くなるから、長い休暇がある」ということだった。でも、私達ビジネスマンにとってはこれってあまり納得のできる理由ではない。夏はスーツをあまり着たくないからくらいの理由だろうか。しかし、「夏休み」の事を考えてもうきうきしなくなってから久しい。それよりも、むかむかするくらいになっている。うーん。これは悲しい。

私も夏休みは欲しいし、休暇はうれしいと思うが、どうも「夏休み」という響きになじめなくなったのだろう。というよりも、何日かの休暇ではなく、終わりのない休暇しか求めてないのだろうか。猶予的な休暇ではなく、終わりのない休暇にあこがれ続けている。休暇の長さはどうでもいいが、ある時期だけ働いて、バカンスして、また働くという生き方はできないものなのだろうか?そんな風に考えると夏休みより3日連続の終末の休みの方がうれしくなってくる。

今年の夏休みは自分の時間を有効に使うための働き方をよく考えようと思う。

好きなことを仕事にする

人類は様々な夢を実現してきた。ぺプシを飲んで宇宙に行ける時代だ。こんな時代だから、「好きな事をして暮らしたい」という人類の夢も、実は私の気づかないところで、着々と実現に向かっているのかもしれない。

例えば、終身雇用制の崩壊。一度入社した職場で働き続けるというスタイルが一般的だったが、最近ではそういう人の方が珍しいというイメージすらある。派遣社員として働く。SOHOを実現させる。好きな仕事がしやすくなり、キャリアを自ら構築していけるという点で幸福な時代になったと思う。

こんな事を思ったのは、最近転職をする友人が多いからだ。久しぶりに連絡をしてみると「そう言えば俺転職したんだ」なんて言われ驚く。転職というのは、大変な労力のいる作業だと思っていたが、実際に転職をした友人に聞くといまやそうでもないよう。彼らは実にあっさりと職場を変え、新しい職場と仕事に前よりもいきいきとしている。転職というものにどこか付きまとっているタブーは、彼らの中にはまったく存在しないようだ。そんな友人をみていると「好きな事をやれるんだな」と、気づく。

ででも、逆に、「好きな事をして暮らして行ける」時代になっていけばいくほど、問われるのは個人のビジョンがどうなっているか、ということ。そういったものがきちんと確立していなければ、無限にある選択肢の中で立ち往生してしまう。いままで、あまり問われることのなかった「どう生きたいのか」という問題の答えは、過去の価値観や習慣に漬かっていてはなかなか出てこない。ある日、「これからは好きな事をしてください」という風に言われた時、「えっと俺は何をしたいんだっけ」とか「何ができるんだっけ」となったら、悲しいですからね。

自己啓発書は恥ずかし

久しぶりに会った友人が私の本棚をまじまじと眺め、「お前読書の趣味変わったな」と幾分さみしそうにいった。「そうかな」とその時には思ったのだが、友人が帰った後、めがねをかけて、本棚をよーく見てみた(私は部屋では普段めがねをはずしているので部屋の状況をあまり把握していない)。その次の瞬間には、自分の読書傾向が激変していることに気付き、驚いた。

「売れる営業マンの3つの秘密」「仕事は段取り」「マーケティングセンスを磨く5つの方法」「口説き上手は売り上手」などという書籍のタイトルがところ狭しとならんでいるのだ。

いつ買ったのか、読んだのかすら不明な本達によって占領されている本棚。私の理想の本棚は「失われた時を求めて」や「ジャンクリストフ」が並ぶ本棚なのに、そこにあるのは「できる男の仕事術」、「お客さんに好かれる秘訣」。。。どんな内容なのかも、全く思いだせない本ばかり。

「そういえば、最近小説とかって読んでないな、これはさみしい事態だぞ」と思いながら、ぱらぱらと本棚を占領している本を手にとると、どんな状況で読んだのかが、ふと蘇る。

クライアントに伝えたいことが全く伝えられられなかった時、少しばかりの恥ずかしさを抱えて買った「説明上手になる方法」。これを読んだ次の日はなんでも説明してやろうという気持ちで会社に向かったな、とか。目標の数字をなんとか達成するために買った「売れる営業マンの秘密」。売れる営業はモテルらしい、いや、もてる奴だから売れるのだという議論の帰り道に買った「口説きの説得術」。。。恥ずかしい記憶ばかりだ。しかし、そう思いつつも、これが等身大の自分だなと、変な納得をしていたりする。

ただ、友人のうちでこういった本を発見した時のリアクションは思い付かない。自己啓発書はやはり少し恥ずかしいもののようだ。特に、本の間から「負けるな」なんてメモが出てきたら、それはそれは恥ずかしい。本当に。

流れる時間とビジネスマンの日常

時間の流れが速い。とにかく速い。この原稿の締め切りも後1時間を過ぎている。スケジューリングは苦手な私がこういったコラムを担当するという企画自体に無理があるのかもしれない。キャリアアップのメールマガジンのコラムなら、MBAを取得したウンタラ大学帰りの人とかにコラムを依頼すればいいのにと何度思った事だろうか。ただ、今のところは、「いやいや、キャリアアップや転職って事は資格とか、肩書きとかとは全然関係ないものだからこれがいいんですよ」という言葉を信じるとするか。

なんてことを考えているだけで、締め切りの時間は過ぎていく。しかし、皆さんはどんな状況でこの文章を読まれているのだろうか。昼休みの後だろうか?朝だろうか?こういったことを思うとき、他の会社の時間の流れ方ってゆっくりしているように思える。「隣の芝生は青く見えるものだよ」というが、隣の芝生ってやっぱり青いんじゃないだろうか。

ともかく、時間が過ぎる。この原稿に向かってから20分も過ぎている。しかし、こういった焦る時間もきらいではない。提出しなくてはならない企画書の時間が迫っている時。なんとか乗り切った時の一服はたまらない。「このミスがばれたら、まずい!どうして乗り切ろうか」という時に、完全犯罪を企む知能犯のように思考する時。上司との知能戦に敗北し味わう奇妙な倫理観(「正直になれて良かった!」)etc.etc.すすまない仕事。すすむ時間。とにかく時間が過ぎる。

楽しい時間はすぐ過ぎるという。ということは、仕事を楽しみ過ぎているのだろうか。あるいは、仕事の時間に楽しいことをしてしまっているからなのか。どちらにしても、とにかく時間が流れる。そして、私は時間が過ぎてしまうというスリルがビジネスマンの日常の醍醐味の一つだとすら思っている。

ともかく、こうして締め切りを過ぎた。

>他の人の迷惑になるのでスケジュール管理はしっかりしましょう(編)

時給を上げればキャリアも上がる

この不景気時、皆様、お仕事にハードな日々が続いているのではないでしょうか。

そんなおり、週間SPAで「こうなったら時給で勝負だ!」という特集が組まれました。私たちサラリーマンの収入を時給計算するというこの企画。給与が時給だといくらになるのかって興味のあるところです。

この特集によれば、給与を時給計算した時のベスト3とワースト3は、

ベスト3が
 1 スチュワーデス  4133円(! これでも下がっているとのこと)
 2 商社の営業    3750円(10時間で37、500円!)
 3 テレビ局管理部門 3741円(テレビ局ってどんな職場なんだ?)

ワースト3が
 1 外科医       633円(こんなに低いの?!)
 2 システム会社経営  740円(社長って大変な仕事です)
 3 旅行代理店営業   793円(こちらも大変なお仕事のようです)

調査の結果として、サラリーマンは、10年働いて、マックの時給の2倍が平均ということでした。ただし、この結果は調査対象者の自己申告制です。

「ふむふむ」と読んだのですが、考えて見ると、時間という単位で、給与を支払おうとする時給という考え方と、パフォーマンスに対して支払われるサラリーマンの給与の換算方法は全く別のもの。一般的に、短時間で高いパフォーマンスを出せる能力のある人は、それだけ時給が高くなるはずです。ですので、時給に換算された給与はその人の生産性の高さを表す指標になるのかもしれませんね。

ちなみに私の時給ですが、いや、やめておきましょう。生産性をもっと高めることができたらご報告することにします。

転勤に際して、転職のことを考える

一人の人が「転職」をする確率と「転勤」をする確率はどちらの方が高いのだろう。ある人は転職も転勤もせずにひとつの企業で一生を過ごすかと思えば、転勤も転職も何度も経験している、という人もいる。「転職」や「転勤」ってことを考えただけでも、「人生いろいろ」などと思ってしまう。

というのも、私は10月に転勤する(転職ではない)。今年の1月に転勤をして現在の職場へ。そして、この10月に再度転勤をし、昔いた職場に戻ることになった。しかし、元の職場に戻るといっても、さすがに9ヶ月も経つと、以前の職場のままであるはずがなく、何かタイムスリップしたような感覚にとらわれる。転勤する前には未知だったいまの場所が、既知の場所となり、昔既知だった場所が、今や未知の場所となる。住んでいる場所や、出会う人が変わるって不思議だ。転勤直後はあれだけ戻りたかった職場に戻る楽しみと、現在の職場を離れる淋しさが同じ分量になるのだから、人間の心は不思議なものだ。これだけ変化するのだから、転勤による遠距離恋愛で多くの人の心が変わってしまうのも、しょうがないな、などと妙に納得してしまった。とにかく、一年前には今の状況を全く想像しなかったのだから、人生とは面白いものだ。

転勤の準備をしていると、転勤と転職は非常に近い位置にあるんじゃないかと感じる。考えてみれば、社内での異動だって転職に該当することもある。ただ違うのは、転職をする友人が言っていたことだが、「明日、初出社なんだけどさ、おはようございます、って言う相手が誰だかわかんないんだぜ!」ということ。どこかで挨拶を交わしている同僚に挨拶するのとは緊張の度合いが全く違うのだろう。新しい職場は緊張しそうだが、こういった場数をたくさん踏めば、たくましさを身につけることができるのだろうか。転職を経験した人にはどこか逞しさを感じる。

転職活動をどのようにして進めるのかって知っている人は少ない。やった人だけがこっそりと知っている。そう思うと、転職ってすごく魅力的。転職に、人生の深みを感じるのは、きっと私だけじゃないはずだ。

古くて新しい人脈を

私たちビジネスマンにとって、「人脈を広げることが大切だ」といたるところで言われる。最近のインターネットをはじめとするコミュニケーションインフラの発達で、主張が強くなってきている気さえする。人とのつながりを深めたい、広げたいとは誰もが思うことだ。しかし、すべての人が実行できているわけではないはずだ。

ところで、私が営業職についていたころ、マーケティングの分野で既存顧客の見直しと、「顧客の満足度をあげる」ことに重点をおく理論が流行していた。新規の顧客よりも既存の顧客とのリレーションを強化していった方が、営業効率がいい、という話だ。私も共感し、そんな営業を目指していた。その結果、多くのクライアントから信頼をしてもらい、紹介も何度かいただいた。このスタンスは、営業効率、築くことのできた人脈ともに非常によいものだった。

人脈について考えるとき、私はその経験を思い出す。今知っている人とより密になることが豊かな関係を築くことになるということを。既存の知り合いとのつながりを深めれば、知り合いを紹介しあうことで人脈はどんどん広がる。それに、信頼の置ける人からの紹介であれば、初対面での様々なロスを省くこともできる。にも関わらず、私たちは、ついつい新しい出会いを求めてしまったりする。

私たちは、昔お世話になった人や、仲の良かった友人の近況を案外知らなかったりする。そんなときには、是非一通のメールを出してみたらいかがだろうか。アドレスを知らないときには、その人のアドレスを知っていそうな人に聞いてでも、何とかしたい。たった一通のメールで、古くて新しい人脈をつくれるのだから。人脈は今、知らない人だけで築くものではない。ネットワークが、きっと過去の人脈を新しくしてくれる。多くの人に過去の人脈を広げようという風が吹き、気がつけば桶屋が儲かるように、私にもいい人脈ができたていたらとてもうれしい。

管理について

今、転勤に伴って新しい住居探しをしているが、面白い物件を見つけた。「マンションの住人の10人分のごみのごみ捨て場への移動と、緊急時の大家さんからの連絡を引き受けてくれたら、家賃×××円を 2万円引きでお貸しします」というものだ。この物件は部屋の広さも値段も申し分のないものだったので、実際に部屋と問題のごみ捨て場までの距離を見せてもらった。これも申し分なかった。というより、気に入った。

よって、私が決定しなくてはならないのは、「毎朝のごみすて」をできるかどうか、という点だけになった。頭で考えると、ごみ捨てなんて、毎日するものだし、お得だ!とは思う。しかし、これはもうごみの「管理をする」ことになる。自分のごみであれば、「今日はいいや」と思うこともできるが、人の分を管理して2万円では、少々割に合わないかもしれない。。。

ところで、私たちの職場でも、色々な管理が行われているが、考えるまでもなく、「管理をする」というのは大変なことだ。最近、「管理すること」の大変さを見ていると、人って、「管理される」ことを嫌うけれど、本当は、「管理される」のが結構好きなのではないだろうか、と思ってしまう。責任もないし、パワーも少なくてすむ。

しかし、キャリアを重ねるにつれ、「管理をする」という能力は非常に重要になってくる。キャリアを重ねればそれだけ管理する範囲は広くなる。だが結局、自己管理ができる人でなければ、他者や、事業の管理をすることは出来ない。そう、自分の業務の管理に手間取っているようでは、他人の業務や、事業の管理をするなど、到底無理なのだ。自分のごみを毎日出さない人間に人の分までの管理はできない。ましてやそれで報酬を得る契約を交わすことは出来ない。。。

。。。と、脱線しながら考えた私は、「残念ですが、私には住むことができません」といわざるを得なかった。惜しいといえば惜しい。うーん。

でも、この物件、皆さんならどうしますか?

"できる人"と服装について

季節が秋めくにつれ、毎年、この時期だけは新しい服が欲しくなる。どうやら、今年もその季節がやってきたようだ。先日も書店で、「BRUTUS」に目を奪われた。ご覧になられた方も多いと思うが、小泉今日子の写真に「いいスーツ、着ていますか」とのコピー。「このBRUTUSを買って、いいスーツを着れば。小泉今日子が付いてくる」とでもいわんばかりのデザインだったので、即購入した。1年ぶりの服欲発情期にうってつけの内容だ。というわけで、最近、服について考えることが多い。

ところで、仕事上で出会う人の中で、仕事の出来る人は必ず、きちんとした身なりをしている(例外は刑事コロンボくらいだ)。だらしのない人はやはり、仕事もだらしないからなのだろうか?自分の身だしなみくらいきちんすることが出来ない人は、仕事もできないということなのだろうか。服装はその人の能力を表してしまうのだろうか?

おそらく・・・表現している。

きちんとした格好をした人は、自分がどいういう風に見えるのか、どのように見せたいのかという点がはっきりとしている。だから、仕事の出来る人はきちんとした格好をする。

イメージをして、それを実現するという能力は、仕事でもっとも大切になる能力だ。これを服装というもっとも身近なアピール方法で実現できる人が全く、能力のない人であることがあろうか(いや、あるまい)結局、自分にも仕事にもビジョンを持っているか、という点が分かれ目なのだ。自分のことをよく知り、どう見せたいのかをイメージできればこそ、服装からくるイメージも、実際の仕事も”できる”ものになるのだろう。

ということで、新しいスーツの購入だけですませない、全般的に人格を改善しようと思う私です。ワイシャツは前の部分だけでなく、きちんとアイロンをかける等。(時々、靴下色違いって時すらあるので・・・って誰にも知られていないことですが。。。)

ちなみに、奥さんにネクタイなどを選んでもらっている方に関しては、素敵なセンスの奥さんかどうかでその人の能力が解ったりするのでしょうか。疑問ですね。これは。

社内恋愛について 台風一過の秋空に想う

先日の夜半、友人が結婚をするという電話。相手は会社で出会った同期。2年越しの社内恋愛だという。別の友人は、入社して3ヶ月で付き合い出した相手と1年前から社内恋愛。でも、全く周囲にはばれていない。それ以上に、険悪な二人で通っているというのだから、たいしたものだ。(ちなみに彼の口癖は、「会社というのは使いようだよ。」これだけ聞くと、困ったものだ)

そう、今週私の中で(一人)盛り上がっていたのが「社内恋愛」だった。あまり好きではなかったこの言葉。必要以上に秘め事めいているし、こそこそしている感じがする。第一付き合っている人が社内ということだけで、「社内の人~、えー」なんていわれると思うと、非常に嫌な感じがしていたからだ。

だが、結婚をする友人の話を聞いたりすると、「案外いいものなのかな」などと、思ってしまう。同時に、私だって、新入社員の女の子や、いつもは全く気づかない同僚のふとした表情(かお)にドキットしたりしてもいいのに。。。などとも。

と台風一過の秋空にふと物思ったりしたのだが、別の先輩によれば、社内恋愛という奴は実に厄介なものだという。

というのも、自分の良い部分だけを見せるように努力できる社外恋愛と違い、社内恋愛では、仕事を通して、良いところも悪いところもすぐにあらわになってしまうという。

仕事はいやがおうでも、その人をさらけ出す。だから、もし社内でうまくやることができたとしたら、それは成功する恋愛だ。と彼は断言していた。

「ふむ」と私も納得をし、その後に続く彼の社内恋愛の終わりに関する話を聞いたのだが、私は、社内恋愛は実にいいものだ。という結論に達した。なぜなら、「こんなはずではなかった」というのが一番すくないのが、社内恋愛なのではないだろうか?懸命に仕事に取り組む姿を見ることからはじまる恋愛。仕事が、能力も、考え方も、魅力もあらわにするものであり、その人を形成する大きな要素であることを考えると、職場で見せるその人の顔は、その人自身に相当近いことだろう。そんなことを考えると、社内が一変してドラマチックな空間に変化する。

そう、社内とは仕事をするためだけの場所ではないのだ。

もちろん、誰にとっても、というわけでもない。今の私にとっての社内が仕事をするためだけの場所であるように(半泣)。。。

他の会社について

「会社」というテーマを取り扱った映画は驚くほど少ない。と、以前、映画好きの友人が言っていた。彼(27歳)は、映画を撮るという夢を追っていた。でも、最近の不景気のニュースと、ビール腹が急に気になりだし、27歳にして「転職」ならぬ「就職」を考えだしていた。ところが、アルバイトで生活をしてきた彼にとって、「会社」は全く未知の世界。焦りを感じた彼は、得意分野である映画から「会社」を知ろうとした。ところが、「会社モノ」の映画があまり見当たらない。彼はこのことに疑問を持って、「会社」は夢を持てない場所なのか?あるいは、会社の外で「会社」のことを観るのがイヤなのかのどちらかではないか、といぶかしがっていた。
会社って夢の無いところなのではないか?
会社の外で会社のことなんて考えたくないのでは?

皆さんは彼のこの疑問をどう思われるますか。

私は、「会社モノ」が少ない理由が、彼のいうように会社に夢がなかったり、考えるのもいやなような場所だからとは思いません。それに、もし他の会社の1日をつぶさに眺めることができたなら、その風景は凄く新鮮な風景でしょう。きっと、多くの人が「全く別の世界があった」という感覚に近いものを感じるのではないかと思う(少しおおげさか)。でも、とにかく他の会社は未知の世界。未知のものはそれだけで面白い。それなのに、会社モノが少ないのは、きっと企業で働いた経験のある監督が少ないからではないでしょうか?

それにしても、彼が疑問に思うように、会社って入ってみないとどんなところかは全く想像のつかないところですよね。(転職時だって、他の会社については、驚くことが多いといいます)

ちなみに、映画好きの彼は、現在「転職」活動。「次は自分のやりたいことの出来る会社を見つける!」と奮闘中ということです。いつか彼が撮る「会社モノ」がどんな映画になるのか非常に楽しみな私です。

企業が倒産するということ

倒産という出来事が身近な場所で起きた。昔、私が営業職に就いていた頃、最初のお客さんとなってくれた企業が倒産したのだ。その小さなソフトハウスは、家族的な雰囲気で、社長は、担当営業である私にも「お歳暮」をおくってくれるような人だった。取引の大小に関わらず、そんな社長がつくる会社の雰囲気が好きで、私は個人的にも、これからの成長を願っていた。しかし、そのオフィスはもうないという。

社長自身社長自身の人間的な魅力と、ビジネスの成長に関係はないかもしれない。人間的な力だけで、企業を維持することは困難なことだと思う。きっと、経営的にはマイナスな部分が多くあったのだろう。

ビジネスの世界には、成長する企業と低迷する企業が常に存在する。成長する企業には優秀な人材が集まり、さらに成長をし、低迷する企業からは人が去っていき低迷がすすむ。そして、低迷が行き着くところまでいった時、企業は倒産する。その時、社員はどこか別の就職先を探すが、社長は、その後どのようになるのだろうか?多大な借金に追われる事は必至だろう。もちろん、そんなことは「ビジネス環境のシビアさ」ということだけなのかもしれない。しかし、そうは言っても、魅力的な人物が築きあげた企業の崩壊は、今でも、私の胸に痛いものを残している。

路上の100円

路上に100円。「おっ100円だ」と思いつつ、足を止めるか否かを考える。スローモーションのように流れる風景。時は止まらない。私の視野から100円の鈍い輝きが消えたとき、私はあることに気づいた。

「100円か、拾うのを止めておこう」と考えている自分にだ。

2年前の自分なら必ず拾っていたであろう100円。たとえ通り過ぎてしまったとしても、戻っていただろうし、誰かがみているかどうかを気にしても拾っていたはずだ。でも、私は周囲のことなど考えずに、ただ100円か、いいや、と判断した。随分変わってしまったものだ。

営業職をしている人は、よく解かると思うが、大きな案件を抱えていくと、小さな案件をおざなりにしてしまいがちになる。中には、「100万円以上の仕事は俺は受けない」などと言い出す人もいる。かたや、小さな仕事をきちんとこなし、信じられないくらい大きな仕事に育て上げる人がいる。

先行きの不安な今こそ、後者の人のような着実さが今まで以上に求められているのではないだろうか。

100円を拾わなかった私。法的には正当だが、人として大事な何かを無くしてしまっているのでは、と不安に思ったりする。

固定概念について

5型の大画面テレビ。私の自慢のテレビジョンですが、半年以上の間、ほとんど観ることが出来ませんでした。1年前、東京から大阪に転勤したときから、画面が、サンドストームの状態できれいな画面でみることが出来なかったからです。「場所によって専用のアンテナが必要なのだろう」と思いつつも、結局そのまま約 1年間を過ごしてしまいました。「まあ、テレビそんなにみないしな」と思いつつ。

そんななか、先日東京への転勤に伴う引越し。一通り、搬入作業が終了してから何気な~く、テレビのスイッチを付けてみると、やはりサンドストーム状態。「おや、おかしいな?アンテナの調子ではないのかな?」とテレビの裏側をみてみました。 すると、アンテナとの接続が「なんとな~く旨くいっていない」雰囲気。「まさか!」と思いつつその接触部分を「くりくり」といじってみると、1年ぶりに鮮明な画像が!あまりに鮮明でクリアな画像に心底驚く私。まさか、こんな単純な理由だったなんて。。。 1年ぶりに鮮明な画像を見せたモニタには、そんな私を嘲笑うかの様に微笑む八木アナウンサー。。。1年前の引越しのとき、接触がずれていただけなんて。。。

誤った事実に基づく思い込み。これほど恐ろしいものはない。近年はやりのMBA路線のビジネス本などでも、「固定概念を外せ」と常に警告を与えているが、様々な場所で警告されているという事自体が人の考えがいかにたやすく固定化してしまうのか表している。その思い込みは、自分は売れないと思い込んでいる営業マンの頭にあるのかもしれないし、もうこの市場には、これ以上の発達は望めないと決め付けたマーケッターの頭の中に存在しているのかも知れない。私の場合には、「テレビが写らないのは、地域差によるアンテナが原因」という思い込みが頭にあった。「それは本当なのか」という視点を失った時、ロクでもない無駄や、遠回りをしてしまう。いやはやだ。

それにしてもテレビって面白いですね。インターネットもいいけれど、最近チャネルザッパーと化している筆者です。

営業的思考について

先日、大学時代からの友人(かなりかわいい女の子だが、友人関係が永く続きすぎて友達の関係。残念)と久しぶりに電話で話す。会話自体はなんでもない近況報告なのだが、私の会話の仕方が、「なにかを売ろうとしている」ようだと言われる。自分も突然音沙汰のなかった友人からの電話は、いぶかしがったりするが、直接言われ、いたくおちこんだ。

電話を切ってからしばらくし、「営業に関する本を一気に読んだ事が原因かも」と気付く。最近、営業事業部の人とのミーティングや他社から受ける営業、社内営業と業務に営業的なものが多い。「これは営業についてもっと勉強をせねば」ということで 20冊以上の本を買い込み、 3日くらいで読み切ったのだ。

それからというもの、生来の染まりやすい性格のせいで、様々な事を営業というフィルターを通して考える癖がついてしまったようだ。ニーズを聞き出し、課題を洗い出し、その解決策を提示する。このシンプルに抽象化されたプロセスが、様々な場面においても有効で、非常に面白いのだ。営業だけでなく、企画書を書いたり、製品開発をする時にだって、日常の単純な会話にだって使える思考方法だ。この考え方をすると、何をするにも利益がでるように考えるようになる。

そういうわけで、友人との電話を思い出してみると「どうなの最近、彼氏とうまくいってる?」などという質問ばかりしていた。自分を売り込む、という私の潜在的な目的があっただろう。「何を売ろうとしているの?」この言葉を聞いたときの、複雑な思いは、「売れなかった自分」の無念さだったろう。遠い昔、その子に抱いていたほのかな感情をふと思い出し、しばし、複雑な物思いに浸る。営業的な思考はビジネスの現場だけにしておいた方がよいのかもしれない。

タバコのポイ捨てについて

私は愛煙家。だが、タバコって嫌いな人からすると、とことん嫌なものなんだろうと想像する。煙たいし、臭い。特に、路上のポイ捨てに関しては、「見るだけでも殺意が起きる」という人が多い。私の同僚Hも、そんな、タバコが大嫌い、路上のポイ捨てに関しては「あれだけは、どんな奴でも許さない!」という男だ。

もともと一本筋の通ったHだが、このポイ捨てに対する信念ともいえる「怒り」にはすさまじいものがあった。彼は新入社員時、上司に同行をしてもらった場合ですら、上司のポイ捨てに対し「タバコのポイ捨てだけは止めてください!」と言い放ち、その勢いに負けた上司に、捨てたタバコを拾いなおさせていた。私は、彼のそんな態度を見て「こいつの前では決してポイ捨てをする」ことは止めよう、と心に誓っていた。

しかし、そんなHの前で、私もつい「ポイ捨て」をしてしまった時があった。それまで和やかだった彼の表情は一変し、「お前が捨てた<それ>をだれが掃除すると思ってんだ!!」と一喝。怒られることに慣れている私だが、同年代の友人に激しい剣幕でどやされることはあまりない。頭は真っ白になって「何がおこったんだ?」と思うと同時に、「そうだよな。おれが捨てたこれを誰かが掃除をしているから街ってきれいなんだよな」と頭の中に文字が流れる。そう言えば、こいつってコピー用紙は「常に補充」しているし、ゴミ箱は自分が常に捨てる。きれい好きだからと思っていた掃除も「この方がみんな気持ちいいだろ」って言ってたっけ。「あー」こういう人がいるから気分よく仕事できていたんだな~って思ったよな。こいつがタバコのポイ捨てをこんなに嫌うのは「タバコが嫌い」だからでなく、そういう人の「他の人の迷惑を考えない」その姿勢が大嫌いだったんだ。頭の高速回転が止まった時、Hは尊敬の対象になった。

すばやい仕事ぶりだけでなく、周囲からの信頼の高いH。彼のことを思うと、「仕事が出来るって、周りに心遣いが出来るかどうかってことが重要」なのだと実感する。それに加えて、上司に対しても自分のポリシーを貫く、姿勢もだろうか。といっても、私には、上司のポイ捨てを止めさせるまでは出来そうにないけれど。。。

散髪とコミュニケーション能力

1ヵ月に一度毎月25日前後、私は散髪に行く。散髪、それは、私にとってコミュニケーション能力の試験場だ。「もみ上げはどのように」とか「もうすこし、切りましょうか」といった曖昧な質問、あるいは具体的ではあるが、「あと5センチくらいきりましょうか」という4センチと、6センチの違いが良く分からない質問などの集積が、私の1ヵ月の髪型を決めるのだ。取り返しはつかない。いざとなったら坊主。坊主サラリーマン。

そんな訳で、私は今まで「これだ!」という髪型で床屋のドアから出られたことがない。毎回髪を切った後、「今回は何がいけなかったのだろう」と床屋さんへの依頼の仕方を反省してみるのだが、毎度、進歩がないようだ。私は床屋に行く25日前後、自分のコミュニケーション能力不足について悩む。

ところで、私達が関わっている仕事って、ディレクション能力を常に要求される。簡単な所で言えば、コピーのお願いだって、頼みかたを間違えれば、成功しない。それが、広告表現や、データ分析などとなった時には、自分の頭の中にあるイメージを人に伝え、それを形にする難易度は飛躍的に高くなる。ディレクションをするという行為が下手な私は、今日も「打ち合わせのときにそういったじゃないですか~」と怒られ、伸びかけて妙なバランスの頭を下げた。

いつかディレクション能力を高めて、私の頭の中にある理想の髪型で、さっそうと床屋を出るのだ。ディレクション能力の無さで、他の人の迷惑になるのに比べたら、髪型がしっくりこないなんて小さな問題ではあるけれど。

魅力的な女性と営業努力

先日、生まれて初めて女の人が水割りをつくってくれるお店にいく。私が転勤から戻って来たので、お世話になっている方がご馳走をしてくださったのだ。私、筆者25歳(クリスマスイブで26歳)にとって、そういう場所に行く機会はなかなかない。その日は、「大人になるって、こういう気分?」と嬉しい気持ちで、いつになくテキパキと仕事をこなした。

店に入るとさすがにきれいな人達が沢山いる。「こんにちは」などと間の抜けた挨拶の後、しばしの歓談。「高校時代に彼氏につくってあげたロールキャベツ」の話をする。なんでもない話が興味深く聞けるのは、なんでかな~、などと思いながらお酒をぐびり。タバコを吸おうとしたときのライターの着火速度には「さすがプロや」と驚く。

ところでところで、華やかな彼女達だが、一般の営業職と同じように、実は目標数字を持っている。夢を与える場所なので、あまりこういった話はしない方がいいのかも知れないが、あの世界、本質的に実力主義の世界だ。彼女たちは、その中で、笑顔を絶やさず、お客さんにひとときの夢を与えている。

私達ビジネスマンの世界でも、営業職の場合目標数字に常に前向きになることは、それほど簡単なことではない。でもだからこそ、営業の目標達成のために力を出しっている人の顔は必ず精悍さを増す。私は、彼女たちの魅力にその輝きを感じ、仕事への意欲を燃やした。もちろん、こう思った裏には、「そしてもてるぞ」という究極の理由があるのだろう。でも、どんな理由にせよモチベーションをアップ出来ることはすばらしいものだ、と私は思っている。

怒りと状況認識能力

金曜日。久しぶりに集まった同期のメンツで飲みに行く。最初の1時間くらいは、休日前の時間をいつものように過ごしていたのだが、隣で飲んでた男(彼女連れ・二人ともかなり酔っている)が、私の同期のF氏(有能な同僚、でも切れやすい)に何か絡み出してきた。仕事を終えた楽しき金曜の夜、酔っ払った人に絡まれる悲劇。私達の和やかな雰囲気は一変し、冷え切ったものになった。

温厚かつひ弱な私。いつもなら、「F氏が切れたらどうするんだ」という心配をするのだが、何故か少し強気なその日の私。にぎわう店内に、お店の人も「これはまずい」と思ったのだろう。「こちらのお客様、少々酔われているようで、申し訳ありません」と、彼を帰してくれ、ことなきを得た。でも、私は自分の中におこった怒り(金曜の夜。不条理な難癖。失礼な態度に対する怒り)を納めることが出来ず、「なんなんだよ、ああいう奴。」などと腹立ち紛れに口ばしる。しかし、一番被害を受けていた F氏が、会話に加わらない。こういう時のF氏は危険だ。「こいつ彼を追っかけてなにかやらかすんでは?」と不安に思う私にF氏がこう言った。

「彼のこと悪く言うのよそう。彼ってあのウエイターの兄さんだろ。顔そっくりだからな。弟の店に行こうなんて彼女さそって、来てみたら俺達が、えー焼きうどん終わっちゃったの?なんて言ってる。で、かちんと来たんじゃない?あの態度には問題あるけど、いい奴かもしれんぞ。」

はっとする私。あの状況の中でそこまで考えていたとは。確かに似ている。しかも、ウエイターは彼を送っていった。確実に兄弟だ。あの状況で、ここまで洞察が出来るとは。うーん、彼のそつない仕事ぶりはこうした状況把握能力があるからなせる業なのだ。最近あまり何かを欲しがらない私だが、そんな能力だけは、いつか手にいれたいと思う。本当に。

心変わりとコンタクト

私達の周りには、「人の気持ち」を変えることの出来る人がいる。そういう人って仕事の出来る人。どんな顧客の気持ちでも開くことのできる営業マン。一言で部下のやる気を出させる管理職。デザインで人を魅了するクリエーター。社内を明るくする事務職。そういう人に出会うと、私は「何が違うのかな」と注意して観察するのだけど、笑顔とかしゃべり方とか小さな理由だったりする。でも、そういう所ってなかなか真似できない。

ところで、今年も私の人生いろいろなことがあった。しかし、この年末に起きた6年越し恋愛の終焉が一番の出来事となった。「いつまでもこのまま」などと思っていた6年が終わった。人の気持ちは変わってしまうのだ。急に寒くなりだした風が冷たい。

そんなことで、最近の休日は、ベットに入ってリモコン片手に「ぼーっ」とTVを見る機会が多い。どこか上の空でチャンネルを変えて、お笑い芸人達に笑わせてもらったりしている。そんな時でも、初めて見たCMで全く欲しくなかった商品を「欲しいな、それ」と思っていたりする。そんな時「気持ちって変わりやすい」と痛感。それにしてもあの子の気持ちを変えたのは、誰?

人の心って複雑だけれど、もしかすると同時に単純だったりするのかもしれないな、とも思う。(「仕事が出来る」という印象が小さな部分の積み重ねであるように。)私も「気持ちの変化は小さな所から」と考え、気分転換とイメージチェンジを兼ねて、眼鏡からコンタクトレンズに代えてみた。しかし、周りの人いわく私の印象はあまり変わらないという。それよりも、PCを睨む目が恐くなったともっぱらの評判。それは、コンタクトにしたからなのか、それ以外の理由なのだろうか。慣れないコンタクトで、時々目が痛む。

バブル再来(超局所的)

最近、休日にすることがない。(一人ものは時間を持て余す。クリスマスネオンの光は淋しい光)ということで先々週の日曜日久しぶりにパチンコ。隣のおじさんとコミュニケーションしながら打つパチンコもおつなものだな、と 9万 5000円も出してしまった。粗利は7万円。やった!!かけた時間が約5時間なので、 1時間当たり1万4000円という非常に収益効率のよい稼ぎ。その日はほくほく顔で、いつもの3倍の豪華なディナー(1人で)。「たまにはいいことあるな」と食べる焼肉は美味だった。帰りには、suntory oldを買い込み、グラスを傾けた(1人で)。

しかし、その後がいけない。金銭感覚がおかしくなったために、仕事の帰りに本屋に行けば、「やはり、金よりも知性や、心のゆとりが大事」などと思い毎日のように5000円以上も本を買い込む。食事も「体が資本だからな」などと 1.5倍の食費プラス「今日は俺がおごろう」で3倍。などとしている内にたったの5日で7万円を消費。逆に給料までに必要金額よりマイナスという結果となった。

この波のある金銭感覚。これは私の仕事に関してもそういう傾向がある。時には「何でも出来る」という自信に溢れ、ばりばりと仕事をこなし、ある時には「俺には何も出来ない」と低下する効率。時間管理の面でもあるタスクに時間を使い過ぎ、残りのタスクをどうしたらいいんだ!と徹夜。この計画性の無さが私の根本的な問題として横たわっている。ところで、あのバブル経済の盛り上がりもそうだったのだろうか?だとしたら、私の行く先には今の不景気が待っているのだろうか。先行きが不安だ。何とかしなくては。

そう言えば昔学生時代に「一番の勝てるギャンブルは一所懸命働くことだ」と豪語していたおやじさんに出会ったことがあったが(パチンコ屋で)、その言葉を信じようと思う。そうだ、働こう、とにかく。この不景気時、計画性を持たなくてはいけないのに、確率の世界に飛び込んでどうするのだ。ということで、いろいろな所で確実な計画を持つ必要性を痛感した1週間だった。

つめについて

オフィス用品などのCMで、スーツ姿の女性がPCの前でキーボードを打つ姿が よくある。このイメージは私にとって凄く良いイメージとなっている。カタ カタとキーボードを打つリズミカルさ。特に指先の奇麗な人がキーボードを 操る姿っていいものだ。神経が爪の先に集中し、真摯な表情でモニタに向か う。何かに集中している姿って素敵なものだが、姿勢よくキーボードに向か い、仕事に集中している姿、知的に眼鏡なんてかけていたらキリッとした空 気が漂っていそうで、すごくかっこ良い。

ところで、最近私もモバイルのPCを使ってプレゼンテーションをする機会が 多くなった。「時代も変わったものだ」なんて思いながらたどたどしく、 カーソルを動かすのだが(あれはあれで緊張するものだ)、そういう時に限 って爪が奇麗に切れていない。こういうことに気がいってしまうと、説明す ることよりも、爪を切っておけば~、なんてことばかりが気になってしまう のだ。そんな訳でつめを切る頻度を1週間に一度から3日に一度に代えた(こ の頻度って多いのだろうか。少ないのだろうか)。

だからだろうか、「つめが甘い」なんてうまいことを言う。汚い爪で何をし てもうまくいかなそうなので、この言葉に妙な説得力を感じている。企画書 にせよ、プレゼンにせよ、例えば、 5%手を抜いただけで、クオリティーって 50%くらい下がる。逆に細かい部分にこだわると、それだけで、クオリティー って50%も上がって見える。奇麗な指先でPCを使ってプレしたら、それだけで、 説得力ありそう。

そういえば、「能ある鷹はつめ隠す」という言葉もある。単に同じ発音だか らというわけでなく、「爪」が能力を計る指標に思えてならず、昨日も爪を 奇麗に切った。そんな訳で、最近少し深爪気味。

タイムスリップ妄想、あるいは逃がした魚

年末年始。ボーッと出来る時間が沢山あった。私のいままでの年末年始を振り返ってみると、お風呂にゆっくりつかって、毎年タイムスリップ妄想をしてきた。(「もしあの時をもう一度やり直せたら・・・」という想像は誰もがする楽しみではないだろうか。)昨年が、仕事に忙しかったからだろうか、今年は、仕事に関する場面へのタイムスリップ妄想が多かった。

ひとしきり過去をさまようのだが、毎年「結局、今が一番じゃないか」という結論に達する。ある一時点で、企画が成功したとしても、そのことに浮かれて車にひかれてしまうことだってあるし、「あの時、あの企画を俺が出していれば・・・」と思っても、実は、その時点で私の頭の中にその企画なんて存在していなかったりするからだ。でも、それに気付くのはひとしきり悔しがった後だったりするのだから、困ったものだ。

結局タイムスリップ妄想が楽しいのはある一時点、選択肢が与えられている場合に限られる。最後は「どうせ想像力を使うのなら、未来に対して使った方が、よほど有意義だ。」という当たり前の結論に達して、私は風呂を上がる。昨年のアカを奇麗に落とし、新しい年を迎える準備が出来るころ、除夜の鐘が鳴る。

1999年だ。今年は、年末にタイムスリップ妄想をしなくて済むよう、常に最善の選択をしていこう。逃がした魚は食べられないが、とらぬ狸は食べられる(かもしれない)のだから。

という訳で、今年も頑張っていこうと思う。
今年度もコラムジョブをよろしくお願いいたします。

お世話になっております

年末年始、実家に戻った際に小学生の時に書いた作文集の中に「働くおじさん」の感想文を見つけました。「社会」という授業がそれほど好きでなかった私ですが、授業時間中にテレビを見れるということだけで、その番組は好きでした。だから、昔は「働くおじさん」という言葉に様々なおじさん(農業関係とか、牛乳配達屋さんとか、お豆腐屋さん。朝が早いものばかりだったのは、早起きの教育上から選ばれたのでしょうか。)を想像することができたのですが、今の私にとってこの言葉のイメージって、ラッシュアワーで電車に揺られるおじさんの姿でしかなくなっている。これはどこかまずいぞと思います。

普段あまり考えてみないことなのですが、周りを眺めてみたとき視界に入る電話も手帳もライターもポストイットも冷蔵庫も水も、家も、道路も、誰かの仕事によって完成されたもの。今の社会って、相当有名な人でないと、作成者の名前とかが出てこなかったりします。でも、あらゆる商品には開発の秘話があって、競合がいて、営業の苦労があって、様々な課題をクリアしてやっと今、私の手元に届いているものばかりなはず。なのに、その商品や、サービスの裏側に働く人の姿を一瞬でもイメージできず、単にラッシュのおじさんとしてしかイメージできなくなっているので、どこか残念だったのです。

そう言えば、社会人になったばかりの時、電話で初対面の人にでも「お世話になっております」と挨拶をするのが、異様に変な感じがしました。でも考えてみれば、どこかでお世話になっている可能性ってとんでもなく高いものです。という訳で読者の皆様にも「お世話になっております」とご挨拶をしておこうと思い、題名にしました。では、また来週。

時間管理について

私は毎朝、走る。仕事の前に体を動かし、全身をリフレッシュする。仕事の効率アップもできるし、気分もよい。交差点の信号が変わるのをユウウツそうに待つ人を尻目に、私はリズミカルに、時には全速力で駆け抜ける。事前準備のない状況で全力を出しつくしてしまい。筋肉が痙攣し、停車する駅毎にクールダウンのため、いちいち電車から下りて、別のドアまで、ゆっくり歩くなんて時もある。布団が、私を離してくれないのだ。

そう、私は朝が弱い。いや、もっと言えば、時間管理がへた。「あとちょっと」という誘惑に負け、私は、毎朝走る。あと五分早く起きれれば、ゆっくりと朝の空気を深呼吸し、ゆうゆうと会社に向かえるのに。

ところで、私だけでなく周囲を見てみても、遅刻が多かったりする人は、仕事も遅いし、段取りが悪い「可能性」が高い。仕事も納期になんとか間に合うとしても、朝の私のように、周囲が余裕をもって歩いているのに、一人だけ、全速力で、「後から痙攣」という仕事の進めかたをしているようだ。朝の時間と仕事ができる、できないは、凄く密接に関係があると思う。

私達の仕事がどんどん情報や、サービスといった目に見えないものになるにつれ、時間管理能力がより重要なものとなってきている。時間という限られた資源をどこに配分するのかが、アウトプット量を大きく変化させる。そんななか、時間を管理できないという状況は非常にまずい。考えてみれば、朝何時からはじまるのか、という会社の就業時間というのは、ビジネスマンとして必ず死守しなくてはならない自分のマネジメント。それに毎日遅れそうというのでは、さすがに不安になる。

ドアが閉まるとか、タイムカードとかいった、物理的なものに縛られなくてはならない状況。これではいかんと思っているだが、タイムマネジメント能力ではなく、筋力だけがついている今日この頃。滑り込みセーフのタイムカードの前で、なんとかしようと決心する毎日だ。

金曜の夜について

「サラリーマンは気楽な稼業ときたもんだ。」なんてセリフが完全に質の悪いジョークにしか聞こえなくなった昨今。でも、楽とは言えないまでも「サラリーマンで良かった~」と思う瞬間がある。それは、私の場合、金曜日の夜。

言うまでもないが、明日が休みだからといって、仕事自体が終わるわけではない。進行中のプロジェクトもあれば、チェックしかけの原稿もある。休日といえど、会社にいかなくてはならない時もあるし、金曜の夜のひとときを楽しむために、あえて土曜に仕事をまわす時もある。それでも、「あー明日はゆっくりできる」という気分は、なにものにもかえがたい。肩の力を抜いて飲むビールの味は格別だ。

ところで、何かの本で読んだのだが、人の精神は、「緊張」と「弛緩」をくり返すそうだ。そう言えば、私が好きなパチンコも「ここで負けたら、あと10日どうするんだ、俺は」という緊張と勝ちが見えた瞬間の「あぶなかった~(汗)」という弛緩の瞬間があればこそ好きなのだろう。

もちろん、仕事とギャンブルを同列に並べるつもりはさらさらないが、この緊張と弛緩の繰り返しは、私達の生活にメリハリを与える。緊張があればこそ、私達は実力以上の力を出せるのだし、弛緩するときがあるから、「さて、もういっちょやったるか」という気分になれる。

楽に仕事をこなしている(ように見える)人の方が実は生産性が高いということが多々ある。そういう人は一気に集中して仕事をして弛緩をするというリズムが明確になっているので、生産性が高いのだろう。私も最近、そういう仕事が出来る男を目指しているのだが・・・。残念ながら、常に緊張してばかりで、なかなかうまくいかない。あるいは弛緩している時が多すぎるのかもしれない。

さて、皆さんはいかがだろうか。仕事をする時の緊張と弛緩のリズムうまくいっていますか?私は、毎日の帰り道に金曜日の夜の開放感を得られるような仕事をしていきたい、と痛切に思っている毎日です。

ダンドリについて

家に帰るのもあわただしく、「お、ビデオをかえさなきゃ」と、近くのビデオ屋に行く。返却日から2日過ぎている。そういえば、最近延滞料を払うことが多い。再度、家に戻り、洗濯をする。しかし、洗濯機を回そうとすると、洗剤がない。コンビニに行く。戻ってきて、洗濯をする。その後、お風呂を掃除する。洗濯ものがまた出る。風呂あがり、ビールを飲もうと冷蔵庫をあける。からっぽだ。風呂上がり、コンビニまで行く気にならないので、ビールは我慢する。洗濯ものを干すのが面倒。

これが、先程の私の行動。こうして文章にしてみると、いかに無駄が多いかがわかり、嫌になってくる。ビデオは会社の帰りに返して、洗剤を買って帰ってきていたら、帰る→風呂の掃除→洗濯→ビール飲みながら洗濯もの干す。という風に、誰にみせてもはずかしくないくらい「スマート」なスタイルになるのにだ。

ところで、日常以上に、仕事において無駄のない動きをするのは、非常に重要だ。(当たり前だ!)朝、3分ですむ確認の電話を一本忘れた為に、お客さんと入れ違いになり、その案件がまったく進まない。そんなじれったい思いをしたことは、多くの人が経験していることだと思う。

くつろぎたい時、外に何度もでなくてはならないことや、ビデオの延滞料金などは、大した事じゃない。でも、仕事においても同じようなことをしているのだ。それも他の人との関わりの中で。小さな段取りの悪さは個人だけでなく、他の人の迷惑になる。「ああ、どうしたら段取りがうまくなるんだ。」そんなやるせなさを抱えながら、洗濯ものを干す。私もピシットしようと思いながら、シャツの形を整える。

シェフの料理と企画

先日、友人の就職祝いにレストランへ。私、今年で26歳なのだが、こういったシャレた行いをするのは初めて。そのため、なにをオーダーしたらいいやら、予算はどれくらなのやら全く分からず、もじもじ。「お客さんうまいもんを好きに頼めばいいんですよ。」というシェフの言葉が、なぜか居心地が悪い。

しかし、料理が運ばれだしたとたん、そんな居心地の悪さは、どこかへ消えていく。頼んだお酒とバッチリあった絶妙な前菜。前菜が何品くるのかわからないので、次はなんだろう。という期待がこれまた楽しい。メインももちろん絶品だったのだが、その後に、「でも、小腹がへっている」という私にパスタを出してくれる。今度はパスタでお腹一杯になったので、「デザート食べれないっす」と密かに思う私達に、「デザート」はいかがなさいましょうかというお言葉。「コーヒーだけでいいです」と一安心。デザートはなんだったのかなと気になりもしたが、お腹も気分もよく「ごちそうさま」と店を出る。さすがは、毎日のように、顧客満足を追求しているシェフ。と思わせる一連の流れだった。あっぱれ。

さて、この一連の流れだが、私達が企画をクライアントや上司に出すときに使えるテクが非常につまっていると思う。

企画はこうあらねばならないという固定概念よりも、「提出する企画が美味しいかかどうか」に気をつかうこと。また、次はどうなるのかという期待感を抱かせる流れをつくること。そして、もうちょっと何か欲しいなというところに、もう一つのアイデアをプラスすると効果的だということ。最後に、相手の腹具合によっては、用意してある企画も出さないことも効果的だということ。

うーん。こう考えると、シェフにはいろいろ学ぶべきところが多い。と言っても、シェフがいるレストランなんてそうそう行く機会がない私。他の人がつくった美味しい企画を沢山「食べる」ことで、味を学んでいくことにしよう。世の中、美味しい企画が沢山発明されているのだから。

佐藤さんの話

優秀な人のことを「彼は才能があるからな」なんてひとくくりにしてしまうことがある。私は、きっとそういう人って、予想もつかないくらいの努力をしていると思っているので、そういう言い方はあまりしたくない。でもそう言っても、「才能」という一言をどうしても使ってしまいたくなる人もいる。佐藤さんもそういう人だ。

「ポリンキー」のCMや、「バザールでござーる」のCMを手掛けた佐藤雅彦さんといえば、皆さんご存知だろう。同時に「IQ」という大ヒットゲームを手掛けたり、オザケンの事務所の社長さんでもある。そして今度は、慶応義塾で教授になるというのだから、すごい活躍ぶりだ。

さて、この佐藤さんがビジネスマンとして積み上げていったキャリアを辿っていくと、「自分の中にあるものを広げていってた」という印象を受ける。「ポリンキー」で発見したリズムを、「バザールでござーる」に適応したり。そのリズムに関する法則を、「IQ」のロジックに適応していったり(ここらへん想像がかなり入っています)。関わった一つの仕事が、次の仕事を生み出し、そこで得たアイデアが次の仕事で、新しいものとして生みだされている(ように思える)。

ところで、最近、佐藤さんは「KINO」という映画撮った。映画好きな友人筋の話では、すごくゆったりとした気分になる映画ということ。私など比べものにならない多忙さのなかで、人をホッとさせる作品を生み出す力。「お前を見ていると、こっちまで忙しい気分になる」なんて言われる私にとって、これは本当に奇跡に近い。きっと御自身の中にある、「人をホッとさせる才能」を形にしたから、そういう映画をつくることが出来たんじゃないのだろうか。こういう事って努力だけで出来るのだろうか、と思ってしまうのだ。

佐藤さんのような人、そういう人に私はなりたい。佐藤さんのように仕事をしていきたいと思う。

素敵な髪型になるために必要な能力

以前このコーナーで、散髪とコミュニケーション能力についてコラムを書いたことがある(バックナンバーNo.20)。思い通りの髪型になるためには、コミュニケーション能力や言語化能力が不可欠だ。という内容に、「わかるわかる」という数多くのご意見。「私だけではなかなったのだな」と密かに安心していました。しかし、昨日私はあることに気付いたのです。その気付きによると、私が素敵な髪型になれない原因は、コミュニケーション能力の不足ではなかったのです。

今日こそは、イメージ通りの髪型に。と意気込んで散髪に。「今日はどのようにいたしましょうか?」きたきた、私の意思伝達能力を試す最初の質問。ここでしくじっては、先が思いやられる、と頭の中を探る。「さて今日はどういうスタイルをお願いするんだっけ」と。しかし、答えが見つからない。何かを答えなきゃ。何か答えなきゃ。と焦る私。鏡の中の私も焦っている。無言のまま、時間が過ぎる。考えに考え私の発言した一言は、次のような一言だった。

「短くお願いします」

この時、私は気付いた。コミュニケーション能力の不足だと思っていた私の散髪における失敗の数々の原因を。「どのように伝えるか」という能力の不足よりも「何を」伝えるのか、というビジョン構築能力の不足であったことを。

ところで、仕事の中で、皆さんも経験があるのではないだろうか。きちんと伝えたのに、思うようなものが上がってこない。どうして、あの人は私の伝えた通りに仕事を進めてくれないのか。などというもどかしい気持ちをもったことが。

しかし、そういった時には、再度考え直して欲しい。その仕事を依頼した時の貴方の頭の中に、仕上がった時のイメージがハッキリと存在していたかどうかを。私が思い通りの髪型にならない原因は、こんなところにあったのだ。

それにしても。。。上記の気付きと共に、ある疑問が私の中に湧く。何故この床屋さんは、従業員が全員(3人とも)金髪なのだろうか。。。そして、何故流れている音楽は、演歌だけなのだろうか。。。。

私はある決心をし、床屋を後にした。ビジョンを構築してから散髪屋さんにいくこと。そして、床屋さんを替えることの2つだ。この2つを実現することで、次に「散髪」をテーマにする時には、きっといいお話が出来るはずだ。<<>>「散髪シリーズ」第3弾に乞うご期待です。

携帯電話で変わったこと

一昔前は、気になる女の子に電話するのも一苦労だった。お父さんが出たりしたらどうしよう、なんて考え込んだりして。でも、今は携帯電話の番号を知っていれば、「お父さん」が出た時のことを気にすることもなく、自由に電話ができる。すごい変化だな、とあらためて思う。そう言えば、駅で見かける若い子達の別れの言葉は「じゃあ、電話するね」という言葉が多いようだ。

ところで、そんな「連絡」に関して、先日ある人に怒られたことがあった。「連絡をするといったのに、どうしてなんの連絡も下さらないのですか」。どうしても連絡をしなくてはならない訳ではなかったのだが、先方にとってみれば、私からの連絡がこなくては、その仕事が進められなかったのだ。確かに私は別れ際に「ではご連絡させていただきます」と言っていた。その言葉を先方は待っていてくれたのだ。

最初の話しを持ち出すまでもなく、携帯電話の普及により、誰かへの連絡が簡単になった。ビジネスにおいても、同様だ。でも、それゆえに私たちは、「では御連絡させていただきます」という一言を簡単に言ってしまっているのではないだろうか。約束ではなく、別れの際の慣用句として。ビジネスにおいて約束はなによりも大切なのに。。。

便利になればなるほど、こういった大事なことが見えにくくなる。道具はきちんと使わないと、そういう感覚が退化してしまう。連絡がいつでもできるようになった今だからこそ、きちんとしなくては、と思う出来事だった。

ふと今の若い子は、電話をする時の「どきどき」感を知っているのだろうか、なんて思った。そんな自分に「ジジ臭くなったな」と独り笑ってみる。

表現、あるいは理想と現実について

このコラムでは、なんどか散髪とコミュニケーション能力、ビジョン構築能力に関して取り上げている。そのコラムを読んで、私の友人が、「お前、絵を描いて、これにして下さい」って言えばいいんじゃないか?とアドバイスをしてくれた。なるほど。確かにその手があったな、と思う私。うまく表現できなかったことも絵で描けば伝わりそうだ、ということで早速絵に描いてみることにする。

さて、何度も言うようだが、人に何かを伝えるということは難しい。仕事を依頼するとき、会議で自分の考えを発表するとき、etc,etc。このことに関して、私は「人に自分の考えを伝えるのが難しい」と思い込んでいた。しかし、私の顔を描こうとした時、実は自分で考えていることが、自分でわかっていないのでは?という疑念が生まれてきた。

というのも、絵に書いてみようとしたとたん、「おい俺はどんな髪型にしようとしているのだ?その前に、俺の顔ってどんな顔なんだ?その理想の髪型は、俺の顔に似合うのか?。。。」という疑念が浮んでしょうがないのだ。絵に描こうとした時、初めて自分が何を考えていたのかが明らかになった。そう、私は、自分の顔を理想化し、その理想の顔に理想の髪型を「載せて」いたのだ。そのため、いつになっても、私の理想とする髪型になることが出来なかったのだ。

このことは仕事の上で、何度もいわれていたことだ。企画や、アイデアはある程度まとまったら、紙に書いて自分の考えを整理すること。そうやって草案を作成した時、初めて自分の考えはまとまり、問題点が明らかになるのだと。その時、自分が考えていたことが自分でわかるのだと。

そう言えば「30を超えたら自分の顔に責任をもて」っておやじがいっていたけど、 30までは誰が責任もつのだろう、なんて煙草を吸いながら考える。その日、私はフォトジェニックな生き方を諦め、仕事に生きようと決心した。もう理想の髪型は追求しない。これが、「次に「散髪」をテーマにする時には、きっといいお話が出来るはずだ。」という希望に満ちたコラムジョブ散髪シリーズの結論だとは。。。これが大人になるということなのだろうか。。。

自分をリストラする

「あれ、また、修正ペンがない。」

最近、3日に1回くらい紛失しているんじゃなにかって思うくらいだ。それにしても、どこにいったのか不思議でならない。修正ペンは、私の前から姿を消していく。私の机の上からは、同時にホッチキスも、ボールペンもよく姿を消す。不思議だ。そして、「あれ、どこいったのかな、修正ペン」なんて、なくなった修正ペンを探すのに、時間がかかる。結局見つからないので、同僚に「コロコロ貸して(私の部署での修正ペンの呼び名)」と言っては、「お前に貸すと帰ってこないからな」と、すこしずつ信頼もなくしていっている。我ながら本当に困ったものだ。

ところで話しは変わるのだけれど、人、もの、金、情報が経営に必要な資源だと言われる。あまりにも有名な言葉だが、最近私は、これって個人にも言えることだよな~と考えている。自分自身を自分の経営者と考えてみれば、私の同僚をはじめとする「人」や、ボールペンなどの物は、大事な資源ということになる。そう考えるとその資源がもととなる私の経営状態はあまりに良くない。もしかすると、倒産まぎわにあるのかもしれない。
ということで、先日、自分の経営状態を刷新する計画を立てた。その手始めに机の回りの整理をとおしてリストラ。そうすると、机と机の間から修正ペンや、ボールペンが続々と出てくる。「こんなところに穴があったのか」と驚くのだが、他にも時間を吸い込むブラックホールなどが、私の回りには数多く存在するに違いない。今後こういった穴を一つ一つ探しだし、優良経営に改善していこうと思う。そう自分の経営方針や、経営戦略の方向修正をはかるのだ。

とりあえず手始めに、手許にいつも修正ペンがある机は実現した。小さな一歩だが、自分自身ののリストラを始めようと思う。小さいながらもかならず大きな成果を生み出すに違いないと睨んでいる。と意気込んでから、

「それって出来ていて当たり前のことだ。。。」と気付く。

空缶と業務と目標管理

私は缶コーヒを1日に5本くらい飲む。だから、私は缶コーヒーが大好きなのだとばかり思っていた。しかし、最近、私は缶コーヒーが好きだから飲んでいるというわけでいということに気がついた。

というのも業務がタイトになると、空缶が増えるのだ。例えば、今私の机には6本の空缶が並んでいる。たかだか7時間くらいの間にこれは飲み過ぎだ。喉が渇いたからとか、飲みたくなったからというわけではないようだ。机からはなれ、自動販売機までいくことが目的なのだろうか。

そんな風に仕事がタイトな時、私は自動販売機の前で「管理能力とは自己管理そのものだ」と何度も悟る。業務管理にしろ、時間管理にしろ、すべては私という個人の持っている知識や、時間、力がどれくらいなのか認識していなければ、不可能だ。自分の能力を見積もり、何にどれくらい時間をかければその仕事を終わらすことができるのか、この見極めができていなければ、あらゆる管理は砂上の楼閣に過ぎない。私の楼閣には沢山の缶コーヒが積まれている。そう思っても自動販売機の前の悟りはなかなか私を変革しない。

仕事を終え業務の確認をしながら何本もの空缶を見る。そして、こう思う、「明日は1.5倍の速度で業務をこなそう」と。「缶コーヒーを飲む間もないくらい、業務をさくさくこなそう」と。そうして、帰りに喫茶店で本を読みながらコーヒをゆっくり飲もう、と。

しかし翌日の夜には、私は目標管理も苦手だったということに気付く。机の上に乱立した空缶が悲しい。

温度調節機能と依頼の仕方

最近暖かくなってきた。春の訪れは何かこころがわくわくする。なんとなくほんわりとした陽気の夕暮れ、ちょっと早めにお風呂を沸かしゆっくりとお湯に浸るととても気持ちがよい。雑誌を持ち込んで読んだり(但し出る時雑誌はシワシワ)、冷えたビールとタバコをもって風呂に浸かっていると最高にジェントルメンな気持ちになる。

私の家の風呂だが、湯沸かし器機能が装備されている。これは、温度調節を依頼しておけば、適温にしてくれるという便利な機能だ。基本的に私は、この時間、インターネットに接続してメールのチェックをする。

あの日も、メールのチェックをしたり、友達のサイトを訪ねたりしていたのだが、友人の友人のサイトが非常に面白く、かなりの時間、サイトを見ていた。そうしていると、何か風呂の方でゴボゴボ不信な音がする。「何?何?泥棒?」とおそるおそる風呂のドアを開ける。もくもくと上がっている湯気でまわりが見えない。しかし、目を細め湯船を見てみると穏やかなはずの風呂にあぶくが!沸騰している。凄い風景だ。沸騰する風呂。

急きょ温度調節機能をストップさせ、水で温度を調節する。それにしても、いつものように素っ裸になって「いやっほー」と風呂に飛び込んでいたら。と想像し青くなる。裸で救急車で運ばれる姿はさすがに避けたい。(まあ、いくらなんでも沸騰しあぶくがぼごぼごしている風呂には飛び込まないだろうが。)温度調節機能にセーフティー機能がついている、という思い込みがあったようだが、そんな機能は存在していなかったのだ。

私達はビジネスの現場でいろいろな人に様々なことを依頼しているが、依頼の仕方が間違っていたり、どこかで間違っていた時、確認するチェック機能がない場合大変なことになる。それに、大抵の場合悪いことというのは、結果として始めて表れる。だからこそ、「報告連絡相談」ということがビジネスで最も重要なことにあげられているのだ。しかし、お風呂の沸騰をさせてしまう私のありかたには、この何かが欠如しているに違いない。本当に恐ろしいことだ。依頼の仕方をしっかりしないと、痛い目を見るぞ、と思う私だった。

新入社員だったころ

春のおとずれと共に新入社員がやってきた。彼らの緊張と野望(?)が入り交じった自己紹介を聞いていると、入社当時のことを思い出す。そのころ私は、「アグレッシブな亀で勝つ!」と思っていた。今となってはなんのことだかよくわからないが、当時の私は、昔話にある「休んだうさぎに勝つ亀」のイメージで、業務に慣れているためちょっと気を抜いている先輩に勝ちキャリアアップするのだ!という野望をいだいていたのだ。(先輩は気を抜いているものだという思い込みが恐い。)

しかし、とその頃を振り返る。私達は実は、誰かと競争をしているわけではない。気を抜いた先輩なんてどこにもいなかったし、ハンデも付かなかった。職場という場所にあったのは、仕事に全ての力をかけている先輩の姿だった。テレビで観るぐうたら社員なんてどこにもいなかったのだ。今では、(社内的には)競争原理より、協同原理での総体的な競争力を重視するようになった私。昔に比べ、自分を知ったし、着実さを学んだ。

うさぎの速さを上司から求められながらも、亀のように歩んでしまっている私。でも、ふとある感覚がよぎる。「追いかけようとしていたのは、理想の自分の姿だったのかも」と。だとすると、今、私は何を追いかけているのだろうか?目標?あれ、なんだ?。これはヤバイぞ、下手をすると後退している。。。

競争すべき相手は、理想の自分なんだからな、と一人目をきりっとさせる私。新入社員のように、新しい気持ちで仕事に取り組もうと思う。

努力?、運?、お金?

「成功している人に共通している要素を分析した研究があってさ、知識は15%でした。では残りの85%はなんでしょうか?」上司がこんなクイズを出した。

知識って、それほど重要じゃないんだ。と思いつつ頭をフル回転させる。成功に必要な要素、能力・・・(クイズには弱いのだ。)ひらめく言葉を口にする。「努力でしょう!」「違う」「運!」「違う!」「じゃあなんやかんや言っても最後はお金!」

「君は成功しないね。。。ちょっと考えてみなさい。」と私を生殺しの状態で去っていく上司。生殺し状態が大きらいな私はすがるように答えを聞いた。

ちなみに、なんだ思いますか?ちょっと考えてみてください。

答えは、ずばり「人格」。ビジネスや職業の種類に関わりなく、「成功」において必要な要素の85%は人柄と人を扱う能力だというのだ。なんと人格の方が、知識などよりも6倍も重要。人間的な魅力で、知識を持っている人を引きつければいいということか。

さてこのクイズ。答えも興味深かったのだが、それよりも私には自分の答え自体が面白かった。というのも、こういった質問をされた時、人は、「自分が成功するのに必要だと思う能力」を答えるはずだからだ。

私は、「努力をして、運があって、お金があれば」成功する、と考えていることになるようだ。これは自分でも意外な発見だった。努力だけじゃな~、やっぱり人格だよ、と思う。でも、どうやって磨くんだ?人格って???と知識を探る私。しかし、私の知識にこの方法論は記されていなかった。。。

ところで、貴方はなんだと思いましたか?

仕事と健康。手術台の上にて

先週、仕事の合間に手術をする。手術といっても、そう大したものでなく、1時間程度のカジュアルな手術だ。それでも、初めての手術台は緊張した。あのUFOの下部分のようなランプで照射されると、「これから手術なのだ」という実感が迫る。しかし、耳を澄ますと「スティング」の曲。先生の趣味なのだろうが、手術室に音楽が流れていることを初めて知った。何でもそうだが、世の中やってみないと解らないことばかりだ。

私は手術台の上に横たわる。普段仕事をしているこの時間に、手術台の上に横たわっているというのは不思議だ。子供のころ、学校を休んだ時もこんな感じだった。麻酔のせいもあるのだろう。なんとなく、うつらうつらしてくる。メスが入る。自分の体にメスが入っているという現実を直視すると「痛い」ので、別のことを考えるように努力する。そうしていたら、3日前に集まった大学時代の友人のことを思い出した。

何年かぶりに集まった10数人の友人達。その中に大学時代に恋人同士だった2人がいた。バカ騒ぎの2次会の別れ際、彼らは「とにかく体だけには気をつけろよ。」という言葉をかわし、友人(男の方)は「明日仕事だから」と、帰って行った。彼は友人の中でも一番の出世株。女の子も順調にキャリアを重ねている。そんな2人を見て、大学時代から流れた時間と、体を気遣い合う二人への羨ましさを感じた。

そういえば、私も実家に帰ると、母親は常に「体には気を付けなさい」と言って私を送りだす。大事な人に別れ際に言う言葉は、仕事が順調かどうかや、昇進に関することではなく、体と健康に関することなのだ。

「体には気を付けて」というこの思いやりの言葉、大学の友人達が交わしていたそれと、母親に言われる時のそれって、なにかが違う。いや全く別ものだ。まあ、どうでもいいことだが。。。母親には申し訳ないが、女の子に言われた方がいい。

などと思っていると手術が終わった。音楽は、「ドラゴンアッシュ」に変わっていた。さて、仕事に戻ろう。会社までは、20分。その間は、健康管理について考えることにする。それにしても手術のせいで、首の回りが悪い。

中華料理屋のおやじ

その店は、近所の商店街の一画にある。7人も入れば満員の小さな店だ。深夜12時すぎまで開いているため、仕事で遅くなってもここの「卵とブタの炒め物」や「チンジャオロース」を食べられる。料理は600円前後。いつものようにほぼ満席だが、今日は運のいいことにすぐに席が空いた。ここのおやじの作る中華はとてつもなく旨い。とにかくプロの料理人なのだ。

店はカウンター形式なのでおやじの仕事ぶりを眺めながらビールを飲む。中華鍋で炎と格闘するおやじを眺めながら飲むビールは格別。料理が完成する過程が全て見えるので、いやがおうでも私の食欲は急激に刺激される。「あいよ」という声とともに「肉のうまに」が出来上がる。「いくぞ!」という感じで箸を割る。口福な瞬間がおとずれる。

料理のあまりのうまさに、私は「このおやじは、元高級ホテルの中華部門の料理長だったのでは。。。しかしなにかのきっかけ(社長と喧嘩とか、店が有名になりすぎたなど)でそこをやめ、お客さんの顔の見える小さな店を始めたのではないだろうか。。。」とにらんでいる。それを確めるためにいつもこの店をはじめた経歴を聞こうとするのだが、「黙って食え」と言っているような雰囲気にいつもたじろいでしまって未だ聞くことができない。

こってりとしたコクがあるのに飽きのこないここの中華。量も十分なのでおなかはいっぱいなのだが、何故か次に来た時に頼むメニューを考えてる。残りのビールを飲み干し「ごちそう様!」と味を堪能したことを暗に伝える。満足そうに微笑むおやじ。うまい中華とこの笑顔をみるために私はまたこの店に通うのだ。こんな幸福感を多くの人に与えているこのおやじ。やはりただものではない。

嗚呼、こういう仕事のできる人に私はなりたい。

最強の男、そして最強のチームについて

頭が良く、発想が斬新で、仕事は一流。仲間からの信頼は厚く、「あいつなら必ずなんとかしてくれる」と言われるがどこか3枚目な男。男性女性を問わず、誰かれも慕い、憧れ、頼られる男。そんな男を私は知っている。

的確な状況分析と、高い課題解決能力を兼ね備え、リスクを背負い込むかの様に仕事がらタブーと思われる赤いジャケットを着こなす男。その男はルパン。あのアニメのルパン三世だ。

次元や、五右衛門という有能なチームを率い、困難なプロジェクトを苦もなく成し遂げる彼。私はその姿に仕事のプロとしての理想をみる。常に先を読む先見性。そしてユーモア(ピンチに陥った時の彼の余裕はユーモアがあればこそだ)。彼の保持している能力は、今リーダーに求められている能力そのものだと思う。そして生っ粋のポジティブシンカーな彼。

「ピンチになればなるほど、俺は燃えるんだよね。」

こんな台詞を仕事の上で口に出せる男になりたい。そしてそんな私をうっとりと見つめる不二子のような同僚。うーん。ルパンはやはり男のロマン。味方にすれば心強く、敵にだけはまわしたくない男。チームメンバーには次元や五右衛門がいる。そんなビジネスマンがいたら、彼らの成功は確実だろう。

そうルパンは彼のみならず、彼を取り巻く人々がすべてプロなのだ。最強のビジネスマンのチーム、それはルパンのチームであると私は思う。彼をめざし、私は日々奮闘を重ねている。3枚目な点だけはうまくなったようだ。。。

仕事をする、その一つの理由

帰りの電車。今日の大きな失敗と小さな成功に想いをはせながら、私はボケ~ッとする。どこか安堵と倦怠の混じったような11時過ぎの電車のリズムはそんな時とても心地よいものだ。大抵、私は前に座っている人の仕事ぶりや、キャリアや、性格を想像して15分を過ごすのだが、その日は、あるコピーの1文に心を奪われた。

「強がっているのは、甘えたいから」

女性向けの煙草の広告だ。「うむむ」と思い、この言葉を反芻する。いい言葉だな~と思う。なにかすごく優しい言葉だ。確かに仕事をしているとどうしても強がることが多くなる。これは女性だけでなく、男性でもそうだろう。それはそれで大事なことなのだけれど、私もどこか、強がりの背後に、「甘えたい」という希望のかげを感じるときがあるものだ。

「仕事をするのは、休みたいから。。。」

そんないんちきコピーを浮かべながら電車を降りる。目指すは、コンビニ。ビールと日本酒と自作のつまみでリラックスをしようと考える。しかし、先程のコピーがどこかに残っているからだろうか、ふと、今日は近所に住む同僚でも家に呼んで、新しい企画を酒の肴に飲むことにしようかなと思う。最近、同僚とゆっくり飲む機会がなくなったからな。。。すると、

「仕事をするのは、同僚がいるから」

などという言葉が頭に浮ぶ。こっちのコピーの方が、コラムジョブっぽいぞ、仕事という時間を一緒に過ごす同僚と飲む酒は他の友人とは飲めない酒だからな、と思い一人ニヤつく。隣のおじさんに変な顔で見られたので、私は最上級の笑顔で挨拶をした。

才能、あるいは思い込みについて

最近、楽しみにしているインタービューの企画がある。「ぴあ」で現在連載されている『世紀末才人列伝』という企画だ。基本的に取り上げる人はアーチストなのだが、使われている言葉や、語られている内容が、あまりアーチスト、アーチストしたものでなく、ビジネスマンである私にも響く言葉で構成されているので、非常に楽しみにしている。

今回は、ウルフルズのトータス松本さんへのインタビューたった。音楽を創造する時の姿勢や、今にいたる経緯を語った内容だったのだが、音楽を作るということを、仕事をするということに置きかえれば、誰でもがうなずき、そして、勇気付けられる内容だった。

音楽を作るということは、非常に難しいことなんだろう。作り手の才能や、運だけでなく、ちょっとしたタイミングも重要な要素なのだろう。それでいて結果が全てとも言えるシビアな業界だ。果たして音楽だけで食べていける人はどれくらいなのだろうか。。。

しかし、私達ビジネスマンをめぐる状況だって実は同じ様にシビアなのではないだろうか。ビジネスマンとアーティストという区別をする人も多くいると思うが、私は限られた時間をどのように使っていくのか、自分の人生をどうやってプロデュースしていくのかという点で、ミュージシャンもアーティストもビジネスマンも、それほどの違いがあるとは思えない。だから、以下の松本氏の言葉にうなずくビジネスマンも多いことだと思う。

「自分には才能がある、そう思わないとなにも始まらない。(略)サッカーや野球の選手とかも、最初は勘違いから始まっていると思うんですよ。(略)ただ、最高のタイミングで誉められているかいないか。それで人生はまるでちがうもんになってくると思うんですよね。」

私はこの言葉を肝に銘じておきたいと思う。自分のキャリアだけでなく、部下の育成にだってこのことを知っているか否かでは、きっとかける言葉の重さが変わってくるはずだからだ。

同時に、どんな場所、立場で仕事をしていたとしても、誰かに語る言葉を持っていたい、そう強く思う筆者だった。

今更ファイナルファンタジー

というわけで世の流れから大変遅れ、超大作ゲームのFF、つまりファイナルファンタジーをやっている。画像は異常に奇麗だし、面白いゲームだと思うのだけれど、どうも「やらされている」という感覚が付きまとっている。

最近ゲームは映画に近づいたと言われる。けれども映画を観ても、こういった「観せられている」という感じは受けない。つまらなければ寝てもいいし、席を立てばいいのだ。それに対してこのFFをはじめとして最近のロールプレイングゲームには何故か、「最後までやり遂げなくては。」という使命感がつきまとう。なぜなのだろうか?

さて、ゲームに比べると実際の仕事は、終わりがないし大変なものだ。強力な魔法を手に入れることもない。困難を必ずクリアできるという保証も、攻略本もない。現実の仕事の目的は自分で決めることができるが、その目的を間違うこともある。現実はすべて不確定、という風にも言える。ただ、自分というプレイヤーのシナリオを自分で決めていけるという自由度の高さにおいては、ゲームより仕事の方が面白い。

あまりに時間を食うゲームにうんざりしたこともあって、FFは2枚目のCDでペンディングにした。次々にやってくるイベントをクリアしなくてはならないのだとしたら、毎日の小さな仕事を進めていく方が面白いからだ。それに日常のイベントは、ゲームのように「GAMEOVER」とすることは出来ない分、緊張感がある。

敵を倒すことは、もう私の仕事ではないのかもしれない。ゲーム中、宿屋でとる休息の短さに妙なリアリティーを感じる今では、時間だけは沢山あり、仕事がなかった頃が少しだけ懐かしくなった。ただ、ゲームと違い仕事を「やらされている」と思っていないことに安心をした私だった。

前略、窓の向こうの貴方へ

はじめまして。

私の窓から、ふとそらを見上げると、夜の景色が広がっています。仕事が深夜に及ぶと、そんな時間が増えるものです。デイタイムであれば、アイドルタイムと呼ばれる時間でしょうか。しかし、静まり返ったオフィスでこうしてパソコンのキーを叩いていると、仕事をしているのだな~という実感がふつふつと涌いてきて非常に嬉しいものです。そんなわけで向いのビルに1つだけ明かりのついている窓の向こうの貴方にこのメールを書いています。

ところで、ランナーズハイという言葉がありますが、最近ワーカーズハイという状態もあるのではないか、と一人思ったりする私です。仕事ってそういう魅力があるから多くの人が辞められないのではないか、というのが最近の私の持論です。でも、誰も賛同してくれません(笑)。

視線をビルの下に映すと、仕事を終え、家に帰ろうとする人達の姿が見えます。いい仕事をして帰ろうとする人も、ボーッとした一日を過ごした人も、そして仕事をしてきた中で最良の一日を過ごしたかもしれない人も(会社始まって以来の受注とか、プロジェクトを大成功に納めた等、等)みんな駅に向かっています。

私はもう少しだけまとめたい案件がありますので、あと少しだけ帰りが遅くなりそうです。貴方のいるオフィスの明かりが消えると窓ひとつ分だけ街は、静かになりますね。。。

・・・・・

なんてメールを書いて、向いの窓の向こうにいる「誰か」に送ってみたくなる程、今のオフィスは静かだ(ちなみにメールなんてもちろん送りません。送れません。)

夏の訪れを感じビジネス街の季節の6月。キーをたたく音だけが響く。その音に静かな充実感を感じながらキーをたたく。

死んだキーボード、無くした「i」について

先週のことだ。やや早めに出社した私は、コーヒを飲みながらメールを処理していた。手前の書類をとろうとした私の腕がコーヒーカップに触れた瞬間、机の上は、コーヒー色に染る。コーヒー色の書類。そして、キーボードから滴るコーヒー。。。

急いで、キーボードを拭く。拭く。拭く。「これで、、、大丈夫?」99%の不安とかすかな希望で、キーを打つ。全く反応なしだ。キーボードが死んだ。

業務は全く機能しなくなってしまった。たまたま風邪で休んでいた同僚のキーボードを発見し、なんとか緊急対処(もちろん内緒だ)。その日の業務が終了した後、私は一人、キーをひとつひとつ取り外し、内部を奇麗に拭いた後、祈るように組み立てる。

組み立て終わったキーボードに入力をする。反応が!打てる?!入力が出来る?!。しかし、「i」のキーが反応をしてくれない。「k」もしてくれないのだが、日本語にとり非常に重要な母音「i」が打てない。ローマ字入力が出来ない。。。

普段存在していることが当たり前の「i」。「u」と「o]の間に存在していたことすら気がつかなかったそんな「i」。。。

最終的に、私は、上司に泣き付き、決済を頂き、近くのパソコンショップで新しいキーボードを購入することで事無きを得た。

キーボードで好きな文字が入力できる。この当たり前のことは、病から回復した後の快適さに匹敵するほど私に喜びを与えてくれた。そう、日頃は気付くことのない、さまざまなパーツから私の仕事は成り立っているのだ。毎日の業務がスムーズに進んでいるということ。そのこと自体のありがたさをかみしめた一件であった。

夏服と私の3年間について

「夏に向けて新しい服でも買うか」と考え、休日私は街に。道行く女性の夏めいた服装が眩しい。そう言えば、考えてみると仕事を始めてからはシーズン毎にシャツとネクタイ、ボーナス時に時々スーツを買うというスケジュールで回っている私のワードローブ。スーツ以外の服を買おうと思ったのは、久しぶりのことだ。

というわけで、渋谷に出て、昔よく服を買っていたショップを何軒か回る。しかし、どうも店内に置かれている服を着ている自分がイメージできない。しばらくうろうろしていたのだが、最後には服を買おうとしている行為自体がしっくりこなくなった。で、買い物を中断し路上でたばこをふかす。するとある疑問が頭に浮かんだ。

「あれ、俺はどんな服が欲しいんだ?。。。」

昔ならこんなことはなかった。街に行けば欲しいものだらけで、雑誌を開けば目に飛び込んでくるすべての服が自分に語りかけてきているようだったのに。。。なんかつかれてしまったので、服を買うことを諦め、本屋に行く。企画書の書き方の本を手にとると、「自分の目指す方向が決っていない時、その企画は失敗する」などと耳のたこが痛くなるほど上司に言われる言葉が書いてある。

私の夏服は、どんな服が欲しいのか、着たいのか、という方向が決っていないために失敗しているのだ。そう、3年間もだ。「服装は変わらずとも、仕事に関する本と、仕事での失敗が随分増えた3年間だったな」と思いながら仕事に使う本を3冊購入し、家に帰る。

次の朝、スーツに着替える時には、私服のことはどうでも良くなっている。毎回のことだが、不思議だ。

子育てという仕事

「赤ちゃんは授乳をした後、げっぷをさせるために背中をたたく必要がある」ということを皆さんは御存じだろうか?私は昨日知った。また、生まれたばかりの子供には「首がない」ということなども私は全くしらなかった。

その日は、生まれたばかりの子供に会いに3人の男(独身)が、友人夫婦の家に遊びに行ったのだった。子供を育てるという重要な「仕事」のことをあまり知らなかった独身男性3人にとって、生まれたばかりの子供をあやす友人夫婦の姿に衝撃を受けたのだった。

帰り道、仕事のことや、これからのことを一通り話した後、一人が呟いた。「うちらの両親達は偉い、俺らを育てたんだからな」。

私達の間にひとしきり沈黙が流れる。それぞれが父親のこと、母親のことを考えているのだろう。私も、母にげっぷをさせられている小さな自分のことからはじまり、なにかでぶん殴られて悔しがっている高校生の自分を思い出す。私には、子供を育てるという重要な「仕事」が出来るとは到底思えない。知識も無ければ、経験もない(当たり前だが)。

その日。なんとなく、実家に電話をした。仕事のことを話している時、コラムが50回目になったという話をすると、「またばかな事書いてるんでしょ、もう少ししっかり仕事しなさい!」と何故か怒られる。その後、全く連絡をしないことから始まり、そろそろ身を固めなさい、まで小言を言われ続ける。電話の最期、「まあ、がんばりなさい。あんたあきっぽいんだから、」と言われると、母に背中をたたかれた気がした。

坊主

ということで、坊主にしてみた。「なんでか」と聞かれると「夏だから」としか答えようがない。

ところで、散髪屋さんのおばさんの仕事の進め方から私は何点かを学んだ。

彼女(年齢不明。何故か奇妙なパーマ。光物好き。散髪の前には不安が走る。)は、私の髪を少しずつ少しずつ短くしていった。初めは、私の髪を半分くらいに切り、更に半分。そして半分。私が依頼をした5ミリという長さになるまでに、全体を短くするという時間と手間の掛かる工程を経て、私は坊主になった。

髪を切っているとき私はこう思っていた。「も~。ザクっとスパッと短くしてくれよ!こっちは坊主でいいって言ってるんだから!」と。しかし、切り終わった後私は、自分の頭をまじまじと眺め、彼女の仕事の進め方に感心をしたのだ。「こりゃ、いきなりこれになったらびっくりするよな。少しづつ、少しづつだったから良かったのだ」と。くせっ毛なのでウエーブなんぞかかっていた髪が、いきなり修行僧のようになったのだから。

髪を切っているとき、私がしきりに「ずばっと」いっちゃってください。とか「ざくっと」いってしまってください。といっていたので、私が進行の遅さにいらいらしていたことを気付いていたに違いない。しかし、私のその瞬間的な意向を汲み取らず、コンセンサスをとりながら仕事を進めてくれた散髪屋のおばさんの仕事の進め方、に私は感心した。リスクヘッジをきちんととらなくては大変な仕事だもんな。坊主にするのって。後で聞いた話によれば、こんなに短くしやがってというクレームを入れる人って結構いるということだ。

こういう仕事をしていたら、中小企業のかみなりおやじのような社長さんにどやされるようなこともなかったのだろうな。「おう!君の好きにやってくれてかまわないよ」と言ったのに、好きにやらせてもらった試しなどなかったものな。そうか、こうやって少しづつ少しづつコンセンサスをとっていけばいいのか、と直球勝負しか出来なかった昔を懐かしんだ。この日、私は坊主頭が似合わないということも学んだ。店を出るときのBGMはサザンオールスターズの「夏をあきらめて」だった。

振り返るコラムジョブ

先日なんとなしにこの「コラムジョブ」のバックナンバーを通読してみた。気がつけば、50数回もこのコラムを書いている。「おお、こんな事書いたんだ。」とか「そんなことあったっけ?」と昔の日記を読むような気分で、時間をかけて通読をした。全ての文章を読み終わり、最期のページをそっと閉じた時(といってもメールですので、今の表現は雰囲気です。)私はこう思った。

「こいつ、毎回なんか失敗して、気付いておる!馬鹿や。。。」と。

コラムジョブの中の「私」のみならず、この文章を書いている「この私」もやはり、学習能力が低かったりする。先日読んだコンサルタント育成講座のような本には「ゼロベース」で思考することの重要さが説かれていたが、私は、学びがすくないために「お前の思考は常にゼロベースだよね(笑)」と同僚に揶揄されている始末だ。これは大変由々しき事態だ。本当に。

しかし、最近の私は「人間そんなもんだ」という諦めの境地を得ている。ビジネス書に書かれたようなロジックで人間は捕らえることは出来ない。失敗をし、そこから少しでも何かを学んでいくところに血の通った人の姿があり、そこにこそ仕事の姿があるのではないか。しかし、コラムの通読という形でここまで失敗と気付きの軌跡を目の当たりにするとは。

「コラムを書く」というミッションを震えながら受けた、ありし日の私はコラムを読みかえし、こんな風に思う日が来ることを予想だにしなかった。しかし、これも私の仕事なのだ。「コラムジョブ」。これはこれで因果な仕事だ。本当に。

コインランドリーの30分について

梅雨時は洗濯ものが乾かなくて困る。

ポケットに小銭を、そして洗濯し終わった衣類を2つのカバンにつめ(洗濯機は家にあるのだ)コインランドリーにいく。家から少し距離があるのだが、学生時代にもどったようで気分がよい。

100円玉を2枚投入し終わると、30分の空白の時間が生まれる。一度家に戻っても良いのだが、再度乾燥した洗濯ものを取りにくるのが面倒に思えたので、本を読むことにする。喉が渇いたので、近くのコンビニでビールを買う。

コインランドリーには私一人。そんな深夜1時、乾燥機が私の衣類を乾かしてくれている間、私はぼーっとしたり、ビールを飲んだり本を読んだりする。

普段も、私の家の家具達は、スイッチひとつでお湯を沸かしたり、洗濯機をまわしたり、と同時にいくつもの仕事をしてくれている。しかし、今日のように一つの作業が終わるのをじっと待っていることはあまりない。

30分はどちらかといえば細切れの時間だ。だから仕事をしている昼間、30分という時間単位を私はあまり意識することがない。しかし、今日解ったのだが、30分という時間は、以外に沢山のことが出来るものだ。いつもなら10時間もかかる乾燥が30分で終了出来るだけでなく、本も読めるし、ビールも飲めるのだ。乾燥機は非常に良い仕事をしてくれる。

ビールを飲み終わるころ、乾燥機が止まった。「うむ。乾燥機が私に与えてくれたような価値を誰かに与えられるよう、私も仕事をしたいものだ。」などと思いつつ本を閉じ、私は家に向かう。

インスタントラーメン的幸福について

先日、友人の家で飲む。小腹が減った深夜時、友人がインスタントラーメンを作ってくれる。友人がラーメンを作ってくれる姿をながめながら、「昔のようだ」と過去を忍ぶ。「はいよ」と湯気を立てて私の前に現われるインスタントラーメンは、パッケージの調理例に劣らずおいしそうだ。ほのかに酔いが回っている時のインスタントラーメン。誰かに作ってもらったとなるとその味は別格なものだった。

ところで、ラーメン屋にいって「ラーメン」を頼めば、ものの数分でラーメンが出てくる。(当たりまえだ。スパゲティーが出てきたらびっくりする)その時、私は「おいしい」とか「麺が細すぎ」とか、「チャーシュが薄い」とかいろいろな評価をする。「味」という点は抜きにしても、友達が作ってくれるインスタントラーメン的幸福はそこにはない。

さて、私達が働く会社というのは、仕事を遂行するためにある場所だ。だから「何々をしてください。」と仕事を依頼すれば、それを遂行するのは当たり前だし、「何々をしてください」という依頼をあたりまえのようにする。そんな風に、仕事で何かをしてもらったりした時、「ありがとう」とか「喜んでもらえたかな」と考えることは、こなしている業務量に比べるとあまりにも少ないように思えてしまう。

でも、仕事がタイトな時に誰かがいれてくれるコーヒー。仕事がタイトな時「ちょっと手伝いましょうか」という一言を言ってもらった時、私はそのありがたさを噛み締める。

私にとって、インスタントラーメン的な幸福は、こういったふとした時に感じるものだ。

では、仕事においてこういう幸福を感じることはないのかというとそんなことはない。どちらかというと、こういう心遣いに私は包囲されているはずなのだ。でも、それに慣れ過ぎていたり、仕事に混乱しているためににその有り難さをなかなか実感することができなくなってしまっているのではないだろうか?

一人、自分で作ったインスタントラーメンを食べながら思う。

私の自転車とあいつのプジョー

自転車を買った。

これで何台目になるだろうか、白いシンプルな無印の自転車だ。私は、このタイプの自転車が好きで、盗まれても盗まれても買い続けている。久ぶりに購入した自転車を週末私は乗り回し、サイクリング×2ヤッホー×2な週末を過ごしている。

そんなおり、大学の友人と飲む。社会人になって3年~5年目の友人たちの近況を聞いていると、人生も仕事も様々なのだ。と妙に達観した感情になる。キャンパスで裸になっていたような男が、超大手有名広告代理店に入社が決っていたり、先日大学を卒業したばかりの友人が、もう転職活動をしていたり、かたや結婚して素敵な夫婦での出席をする友人夫婦がいたりと時間の流れを痛感する。

私達の会話としては珍しく車の話しをする。「そう言えば、あいつ、プジョー買ったんだってな」「おお、聞いた聞いた。あいつも買ったらしいぜ、プジョー。」「えーかっこいい!!」という声。私の自転車もかっこいいのだが、何故かいごごちが悪い。27歳ともなれば、乗り物は車なのかもしれない。。。それに、「プジョー」。時々、コンビニで立ち読みする時目にするハイソサエティーな暮らしを垣間見た気がする。「おいおい、俺のお気に入りの自転車は2万円だぞ。。。」と思ってしまう。

会話はその流れで、それぞれの給与の話しになっている。人事評価に関しては、やはり誰もが、納得をするということは難しいようだ。「これだけ、仕事をしているのに十分な評価がなされない。」etc,etc。これは、人材関連ビジネスを生業としているので、良く分かる。公正な評価をすることも、されているという納得感を持つことも双方とも非常に難しいことなのだ。

しかし。。。それにしても、評価は本当に難しいものなのだな、とその時の私は切に思った。自分が、これだ!という評価をしていても、今回の自転車とプジョーのように、周囲の評価が私の評価を左右するのだ。周囲に流されないということは、口で言うほど簡単なことではないのだ。

その夜は少々飲みすぎ、自転車の運転もままならない私だった。

将棋とマネジメント

夏期休暇が過ぎていった。海でも泳いだし、花火も打ち上げた。パチンコでは多いに負けたが、夕立のあと散歩をするのは気分が良かった。というわけで、非常に有意義に過ごすことのできた夏休みだったのだが、今年の夏休みの最大の収穫は意外にも将棋の面白さを再認識したことだった。

駒と盤とルールのみで構成され、9×9マスの中で繰り広げられる将棋というゲーム。何度やっても複雑で意外な展開を見せる局面。とられた駒を張ることが出来るというシステムがその展開をさらに複雑にする。(とられた駒を張ることが出来る点が何とも日本人が考え出したゲームらしく非常に面白いと私は思っている。)

ちなみに、私は角を使うのが苦手だ。というか、どこか角という駒が好きになれないのだ。香車の一本槍なところや、桂馬のトリッキーなところも、銀と金の見事なコンビネーションも、飛車も不器用そうな王という駒も好きだ。それらの駒は彼らのキャラクターにあった動かし方が出来るのだが、どうも角の使いかたが苦手でしょうがない。2大戦力の一つである角の使い方が下手なので、言うまでもなく、私は将棋が弱い。

まったく同じ駒を使いながらも勝負がつく。これは駒をいかにマネジメントしていくのかを競うゲームにも思える。嫌いだから使うのが下手なのか、使うのが下手だから嫌いなのだがわからないが、企業でのマネジメントと同じように将棋の駒にでも合う合わないがあるようだ。かたや、将棋の強い人の駒の使い方を見ているとそれぞれの駒が持つ能力を最大限に活かした打ち方をしている。こういったことから将棋の強い人はマネジメント能力が高いに違いないと私は睨んでいる。

そんなわけで私のなかではまだまだ将棋が熱い。このゲームは仕事にも役立つに違いないと思いつつ、時に深夜にまで及ぶゲームに熱中している。そのせいだろうか本業ですすめている企画に「待った」をかけることが最近多い。

セミの一生、仕事の時間

先日「セミの一生」を描いたドキュメンタリーを見た。もうセミの季節ではないだろうと思いながらも、ボーッと見てしまった。そう言えば、最近すっかり忘れてしまっていたのだが、セミは、7年間も地中で生活をし、羽化してから7日で死んでしまうのだった。夏場、うるさくてしょうがないと感じたあの声は雄の声。雄は、7日という短い期間、雌に自分の存在をPRするために、精一杯鳴き続ける。これは考えてみれば、非常に大変なことだ。

夏の短い時間だけ求愛のためになくセミ。今年、鳴き続け土に返った彼らは、7年間という時間をどのように過ごしていたのだろうか。来年鳴こうとしているセミは今地中で何を考えているのだろう。以外と楽しい長い夢を見ているのかもしれない。彼らが地上で達成しなくてはならないタスクにかけられる時間はあまりにも短い。そんなことを思うと夏のセミの声は、セミ同士だけで通じる地上に出ての苦労話だったりするのかもしれない

仕事は短い時間でテキパキとスマートにと思いつつも、なかなかスマートに進めることが出来ない私。最近この傾向が強くなってきたからだろうか、こんな意味不明なことを考えてしまう。夏は終わった、秋は仕事に集中することにしよう。セミの地上にいることのできる時間に比べれば私の時間は沢山あるのだから。

営業と恋愛の類似点について

最近、営業の人と話しをすることが多い。営業をしていた自分が営業をされるというのは非常に面白い経験だ。妙な言い方ではあるが、どこか性別が入れ替わったような感じがするものなのだ。

というのも、私が営業をしていた時、「営業って恋愛に似ているな」とよく思っていた。熱くアプローチをし、約束を取り付け、何度かのアポイントの間に信頼関係を構築し、ビジネスの成功に結び付ける。このプロセスは恋愛においても行われているそれと非常に近い。立場としては、営業をかける側が男性で、射止めようとしているお客さんが、素敵な女の子、そんな感じだ。良い取引をしようとし、様々な形でアプローチを重ねていた当時の私は非常に男っぽかった(と私は自負している)。

で、最近の私は営業の現場から外れてしまい、逆に営業をされる側に立場が変わった。私の考えからすると、今の私は女性の立場にあることになる。で、どうなったかというと、面白いことに非常に女性的になった(ような気がする)。

例えば、商談場面。「ああ、そこをもっと聞いてくれたらいいのに」というもどかしさや、「もっと強くクロージングしなくちゃはいって言えないよ~」という「奪って欲しい」(?)という感覚。根拠はなくとも「私を信じてください」という言葉が欲しいという気持ち。。。これはきっと、恋愛における女性心理に近いのではないだろか。「どこかに凄い営業マンがいて、この課題を解決してくれないかな~」などという、上司が聞いたら激怒しそうなことを思ったり。。。

ものの本によれば、「もてる秘訣は女性心理に詳しいこと。」とある。こういった経験を積んでいる私だ。今年の冬はいつになく熱い冬になりそうな予感を抱いている。そんな私も、もうすぐ27歳。こんな能天気でいいのだろうかという不安も少しあるけれど。。。

壊れる船、あるいはビルを建てることについて

子供の頃、繰り返し見ていた夢に「船の夢」がある。私は小さな子供で、かくれんぼをしている。そして、巨大な船(戦艦のような巨大さだ)のかげに隠れる。見つからないように、じっとしている。しかし、だんだん退屈してくる。ふと、船の壁を見ると、一本のネジが見える。なんとなしにそのネジをくるくると回す。すると「ガガガーン」という音とともに壊れる巨大な船。ただ、途方に暮れる私。そんな夢だ。

今、私のオフィスからは、沢山の高いビルが見える。それらのあまりに高いビルを眺めるたびに「よくこんなもの立ちあげるよな」と私は思う。同時に設計段階でミスがなかったのだろうかという余計な心配をしてしまう。

設計図に間違いがあって、ビルが最終的に建ちあがった後、「ドアを付け忘れて中に入れない。」とか、「エレベーターの出口がない。」とかいった大きなトラブルはなかったのだろうか、とか。てっぺんの屋根なんてどんな風にして取り付けたのだろうか?それより高いビルがなかったら屋根を乗せられないじゃないか!?と妙な不安に襲われてしまうのだ。

もちろん、ビルを建てるなどという壮大なビジネスにおいて、上記のようなミスはありえないとは思う。しかし、なんといっても、人が計画し、実行することだ、そういったミスがないとは限らない。建築業界にいかなくて良かった~といつも思う。

といっても、どんな仕事でも子供の頃の夢のような取り返しのつかないことが起きる可能性はある。テクノロジーや技術が現在のように発達し、今まででは考えられなかったサービスを手にすることができるようになった現在。でもこれはサービスを提供する側とすれば今まででは考えられなかったようなミスが発生することでもあるのだ。そんなわけで子供のころの悪夢が現実のものとならないよう、私はいつになく慎重なのである

アダルトサイトと仕事への熱意

私は男だ。

というわけでアダルトなサイトを時々(良く)見る。インターネットに接続し、このジャンルにアクセスしていない男性は皆無であろうアダルトサイト。広告収入が主な収益源だからだろうか?バナーが無意味に「ボインボイン」出てきて、急にフリーズさせられるのは、現実世界で、繁華街の夜の町に迷い込みおっかない目に合うのとどこか似ている。

さて、こういった本能直結系のサイトでも、「いい仕事をしているな~」とユーザー(私)をうならせるサイトが少なからずあったりする。管理者が「この女性はかわいい!」とか「こういう人が私は好きだ」という信念(?)のようなものを持ち、それを多くの人に見せたいという熱意の下に運営されているサイトは非常にクオリティーが高く、何度も訪れてしまものが多い。

ところで、こういったサービス精神というか、自分の作品、仕事に対する「愛」はどんな仕事をしていても必要なことだと最近強く思う。例えば、依頼をした仕事がこちらの予想をはるかに凌駕した形で上がってきた時には、非常に感動をする。私は思うのだが、こういった感動を与える仕事をする人は、「プロだからとか」「料金をもらっているから」とかいう理由を超えたところで、何かを実現させようとしている人なのではないだろうか。その仕事に対する想いが、仕事の結果に命を吹き込み、「おお」という感動を与えるのではないのだろうか。

何かを成そうとした時、その行為に「愛」や「思い入れ」があるか否かで、出来上がるもののレベルはきっと決る。さて、私の仕事に対する「愛」と「思い入れ」は本物なのだろうか?偽者ではないだろうか。自分を偽っていないだろうか。。。

ある日の深夜。私は、アダルトサイトの向こうにいる見ず知らずの誰かのサイトに対する熱意にうたれながら、そんな風に自問自答した。

ルーティンワークとコンビニのお兄さんについて

仕事が終わる。電車に乗る。見なれた風景が通り過ぎる。駅につく。自転車のカギをはずし、私はペダルを漕ぐ。そして、いつものコンビニに寄る。

仕事をするというビジネスマンとして当たり前の仕事に加え、この「コンビニへの寄り道」という作業を私は、ほとんど欠かさず毎日くり返している。しかし、よくよく考えるとこれは凄いことだ。作業内容は、雑誌のチェック、お腹が減っている時のおにぎり選定。そして、「今、俺はいったいなにが飲みたいのだ?」という自問自答の後に購入するドリンク類。この3点の作業を、私は誰の命令もなく、なんの責任もないのに、毎日毎日飽きもせず繰り返している。

さて、こういったルーティンの業務は、無意識でこなせるようになるのに、日常業務では非常にパワーがかかる。「めんどくさい」、とか「他の業務が忙しい」とかさまざまな理由により、時として忘れてしまいがちだったりもする。しかしそれに対し、このコンビニに寄るという一日の最後の業務を私は欠かした事がない。いったいどんな「力」が働いているのだろうか。コンビニに毎日寄るようになったのは何故なのだろうか?このメカニズムを業務に利用できたら、業務の効率がアップしそうなのだが。。。

というわけで、今日も先ほど、コンビニで買ってきた「おでん」を食べながらこの文章を書いている。「おでん」の湯気に冬の到来を感じながら。。。ルーティンという変わらなさの中にある季節の到来という小さな変化?もしかするとこのことを確かめに私は深夜のコンビニに足を運んでいるのかもしれない。考えすぎ、あるいは考えがずれているかもしれないが。。。

ところで、いつも気になることがある。コンビニでバイトをしている人は私のような常連を認識しているのだろうか?まあ「今日もお疲れ様!」などと言われたら次の日には行きにくくなってしまう。しかし、私のような常連としては、例えば、今日久ぶりにレジにたったお兄さんのヒゲがのびているのが気になってしょうがないのである。同僚が髪型を変えた時、タイミングを逃し、何と言ったらよいのかわからない時のもどかしさに、この気持ちはどこか似ているのだ。イメージチェンジなのだろうか?

バス釣り、あるいは仕事について

「バスを釣る秘訣は、バスのいるところにバスが食いつくようにルアーを動かすことですよ」と後輩の言葉に、ふむふむとうなずく私。

というわけで、はじめてバス釣りに行った。海の近くで生まれた私にとって、釣りとはウキをたれ、浮世のことを忘れる手段であったのだが、後輩のの言葉やバス釣りに関する書物によれば、バス釣りは実にアクティブなスポーツなようだ。

はじける水しぶき。バスとの一瞬とも気を許すことの出来ない fight。跳ねるバス。体全身の筋肉を引き締め、ロッドでバスの動きを追う。それは、まさに「SPORTS」そのものだ。

さて、そんなイメージを抱きつつルアーをちょこちょこ動かしていたのだが、あたりはもちろんまったくなし。アクティブな「浮き」釣りを実践する私の中に、後輩の言葉が浮かぶ。

「バスを釣る秘訣は、バスのいるところにバスが食いつくようにルアーを動かすことですよ」

おい!そうだよ。そもそもこの湖にバスっているのか?という大人げない言葉を後輩にはけるわけはなく、私は何かに集中するように、水面を眺める。

ところで、この後輩の言葉って仕事にそのまま言えることだ。例えば、広告業界の人は、是非バス釣りをしてみてほしい。広告ターゲットがどこにいるかを探り、ターゲットの心理状況からコピーを練り出す広告の仕事は釣りに非常に近いものがある。特にインターネットの広告業界の人なんてやったら凄く面白いはずだ。リーチが足りないのかな?とかクリエイティブが甘いなんて言っている人こそ是非おすすめだ。そうでなくとも、自分がやりたい何かは本当にそこで実現することができるのか、と考えるときもこの釣りの鉄則は有効だろう。

そんな風に思いながら、もしかするとただの大きな水たまりかもしれない湖にルアーを投げ続けた。その瞬間、水の中のバスと私のルアーはどれくらいの距離があったのだろうか?いやそもそもバスはその湖にいたのだろうか?

そんな疑問を湖に残し、私達は、家路についたのだが、今でも思う。

そもそも本当に、あの湖にバスはいたのだろうか、と。

栄養ドリンク、あるいは「気合い」について

いつからだろうか、ビタミンCとかEという単語が気になり出したのは。そして、「ちょっと疲れたな」と思うと何のためらいもなく、栄養ドリンクを「グビッ」と行くようになったのは。確か、コンビニに栄養ドリンクが陳列されるようになるちょっと前のことだったと思う。そう言えば、コンビニで栄養ドリンクが購入できるようになった時、「やった。これで好きなだけ飲めるぞ!」なんてことを思ったことを覚えている。そう思った次の瞬間、急に年をとったように思ったことも覚えている。

といっても、栄養ドリンクは効くのか、という点に関して、私は直接的な効果を期待しているわけではない。どちらかと言えば「ローヤルゼリー配合」とか、「滋養強壮」とか、「ニンニクエキス」といった言葉の力、それ以上にドリンクを飲むという儀式が元気をもたらしてくれている(あるいは元気になった気になる)のだと思っている。

さて、私はこういった一人で行う「気合い」のための儀式が凄く重要なのではないかと常々思っているだ。ラグビーの試合の前のスクラムのように(やったことないが)、またプロレスの試合(もちろん未経験)の前に選手がほほを両手でたたくように、勝負には、直接関係しないそんな儀式が当事者に与える力の大きさを信じているのだ。

ところで、このやる気だが、何だかんだと言っても、仕事にとって一番重要なのではないかと思う。提案を通そうとする時や、クライアントに最終的な結論をとろうとする時。企画内容はもちろんなのだが、担当の目にやる気があるかとうかが重要だということを痛感しているだからだ。こういう考えは理想論というか、奇麗ごとなのかもしれない。しかし、私は「気合い」の重要性を信じ、今日もドリンクを飲み干すのであった。

ごはんの食べ方は仕事に関係するのか?

何かのおりに聞いたことがあるのだが、戦国時代のある武将は、出陣の前に戦の主将を誰にするかを決定する時、3人の候補者を呼び、一緒に食事をした。1人は、ご飯を残し、もう一人は、ご飯をお代わりし、最期の一人は、出された食事で満足をした。そこで、武将は、3番目の候補者を、主将に決定したという。「みずからの腹のヘリ具合と、食べる量を見積もれないようで、戦が出来るか」ということだ。

こんにちは、コラムジョブ執筆担当の26歳男性通称[Y]です。先の戦国時代の人事評価制度で言えば、私はご飯をお代わりし、しかも残してしまうという食事の仕方をする男。時代が時代なら一発で、足軽に降格でもされてしまいそうだ。

ところで、この食事と仕事って本当に関係があるのだろうか?

少し考えてみたのだが、確かに強い関係があるようだ。例えば、私の仕事の進め方を観察してみると、「それ、やりましょか?」「おお、頼んだ」と景気はいいものの、何日かたつと、「すいません、あの仕事なのですが、もうすこし待っていただけないでしょうか?」とこちらからお願いする始末。基本的にこの構図は、「お代わり!!」「もう食べれない~」という構図と等しい!

うーん。ということは、仕事も食事も、「程よい」くらいがベストということか。確かに仕事もキャパシティーぎりぎりの時よりも、少しだけ余裕がある時の方が、よい成果に結びつくような気がする。お腹も仕事も適度なキャパシティーを残すようにして、ご飯と仕事を残さないようにしていくことにしよう。

今回のコラム、どうやら「食」と「職」は関係があるようだ、としめるのには、ちょっと苦しいか。(笑)

スケジュール管理とクリスマス

「気がつけば、クリスマスが近い。もう少ししたら雑誌はこぞって、「彼女が欲しがるプレゼント特集!」だとか、「今年のクリスマスは、ここで決める!」(何をだ!!)などどいった人の神経を逆なでする企画を立て始めることだろう。

いやはやこのクリスマスという代物。なにが嫌かって、何と私の誕生日。クリスマス(12月24日)になんて生まれるものではない。子供の頃は、誕生日プレゼントとクリスマスプレゼントがあわせて1つだったし、大人になったら一人で過ごす寂しさは2倍。どうにもわりにあわない。そういえば、昨年は、一人で仕事をしていたので、誕生日が来たことをすっかり忘れ、しばらく、年を計算し忘れていてしまった。今年は今から確認しておこう。私は今年で、27。

さて、今年もクリスマスは一人で仕事かな~などと、ジングルベルな街を一人で、歩く姿なんて思い浮かべているのだが、皆さんスケジュールはいかがでしょうか?私のスケジュールは、空白のままだ。そして、クリスマスを誰かと過ごすための手配も、工程の洗い出し(?)も全く、出来ていない。

ところで例えば、毎月の数字を追いかけている営業マン。月末になって慌てて飛び込みで新規のクライアントを開拓するような人と、月初で月末の数字が完全に読めている人。どちらがクリスマスを一人で過ごす確率が高いだろうか。どうも前者のような気がしてならない。

仕事の出来る奴はもてるという事実も確かなのだが、スケジュール管理能力や、業務工程管理能力の高さは、幸福なクリスマスを過ごすために重要なのではないだろうか、と思ったりするのだ。

など言っている間もなく、クリスマスはやってくる。その時寒~い思いをしないように、せめて気持ちだけは、今から暖かい気持ちでいることにしよう。今年のクリスマスが皆さんにとって幸せなものであるように、誰よりも早く「メリークリスマス!」

ランチAorB、あるいは意思決定について

同僚4人とランチに行く。私達は席につく。オーダーをとりに来る女性。「お、かわいいなこの人」などと思っていたら、意思決定に遅れが出てしまう。だから私はメニューを詳細に眺める。ランチはAにすべきか、Bにすべきなのか?肉か魚か?今日の魚は?決定のための情報を私は収集する。「あの人が食べているのは魚か。なかなかうまそうだな。」等。そんな私の意思決定をよそに時間は流れる。即決する同僚達。

「Aランチ~」「私も」「じゃ俺もAランチ」

「おい、なんでそんなに早く決めれらるのだ!君たちは?」と思う私を置き去りにし同僚は雑談をはじめた。決定を迫られる私。「おい!早くしろよ」と無言のプレッシャーがかかる。ウエイトレスのお姉さんの眼差しが厳しい(ように思える)。会議で発言を求められているのに何も言う事が無い時のような圧迫感。場が私の決定を待つ。そして私はプレッシャーに負ける。

「俺もAランチ。。。」

肉か魚かという意思決定が出来ぬまま、流されてしまった私。その瞬間「食べたかったのは魚!」胃が私にメッセージを告げた。しかし、時既に遅し。

「何を食べるのか」この意思決定をきちんとし、かつ、満足というパフォーマンスを出せるか否かは重要なことだ。与えられた条件において最大の価値を出せるかどうかが問われていると言い換えても良い。そして、ここで求められている能力は仕事において必要とされているそれとあまりに近い。

食事をスマートにこなせることが、もてる秘訣であるというのは、女性がくいしんぼうであるとか、レストランの売上向上の戦略などでは決してない。仕事が出来るか否かをはかる一つの重要な指標なのだ。そして、意思決定能力は、こんなところで培われるに違いないと私はにらんでいる。

隣のおじいさんがおいしそうに食べているBランチの魚のソテーを眺め、明日こそは、自分の求めるランチをオーダーするのだ、と心に決め店を出る。「魚、食べたかったな」と、店頭に飾られたBランチのサンプルを背にして。

スケジュール帳と2000年問題

書店や、ステーショナリー売り場にスケジュール帳が並び出した。「来年のスケジュール帳は今使っているシステム手帳で良いのか、それともノート型にするのか、あるいは、モバイル?ファイルの形式はどうしたら良いのか?」など、例年のように頭を悩ませる。というわけで、そろそろ年末。

ところで、私の友人が、人生でやりたいことをピックアップしスケジューリングをしてみたという。すると、とてつもなく忙しい毎日をおくらなくてはならないことが解ったらしい。「仕事なんてしている場合じゃない!」と息巻いていた彼が一体何をしようとしているのかは全くわからないが、彼はその日から自分のための勉強をはじめた。何かやらかそうとしているようだ。

私も「よーし!」と思い手帳を開き、5年先や10年先のことを考えようとしたのだが、既に手帳に記入されている1週間の「やることリスト」に圧倒され、睡魔に負ける。目覚めると来年が6時間ほど近づいている。未来に対してのやる気がないわけではないのだが、1週間先のことや、睡眠時間の優先順位が非常に高く、5年先を考えるキャパシティーがない。

さて、私達は仕事で様々なことを学ぶのだけれど、「予定をたてなきゃ始まらない」ということはその中でももっとも重要な学びだと思う。偶然に起きたように思える出来事も、ぼけっと壁を眺めているだけでは何も起きない。PLAN&DO&SEEは仕事だけでなく、人生にとっても重要だ。こうして考えてみると、私は「ONLYDO」な人。

いきなり話は変わるのだが、最近「そろそろ結婚しなさい!」という母親や「貯金はちゃんとしておけ!」という父親の電話を強制終了しつづける私だが、いい年になったものだと思うとシミジミもしたりもする。そんなわけで来年のスケジュール帳は、予定を記入するスペースの大きいものにしよう。

私達は、毎日スケジュール帳にいろいろなものを刻む。仕事の予定や様々な期待や後悔、etc。来年はなんと2000年。2000年の自分はどうなっていくのか、これが大きな問題だ。

サウナと結婚願望

最近、友人がよく結婚する。この前も、数年ぶりに電話があったと思ったら、「明日私結婚するから2次会来てね」なんて言われた。その娘と、別になにかあったわけでもないのだが、「あの子が結婚か~」と一人頭の中に、長渕剛の「乾杯」が流れてる。それにしても明日結婚はないだろう、明日は、とも思う。私にだって休日の予定があるのに。。。

そんなこんなで、ふと気が付くと周囲がどんどん進んでいて、自分だけが同じ所にいるのではないか、という不安を感じることがある(時々)。あるいは、山積みの仕事を(積んでしまった自分の責任なのだが)目の前にし、途方にくれるような時(ほぼ毎日)。そんな時、最近の私は仕事の帰りにサウナに行くことにしている。

スーツからいきなり裸になるという爽快感や、空(くう)を見つめながら、ただただ汗をかくことは非常に気持ちがよい。こんな時、仕事のアイデアが浮んだりする。パソコンで言えば、「最適化」か。しかし、まさかサウナというキーワードが私の人生に加わるとは思ってもみなかった。これもまた年をとることの醍醐味なのだろうか。

サウナから上がり、夜の町を一人歩く。冷やとした空気と裏腹に、結婚願望が私の中で過熱する。方や、友人達の急な結婚への「お祝い」により、給料日まで寒い私の財布。心もどっか寒いのは、単に冬が来るからなのだろう。

ところで、サウナと言えば、その筋の幹部の人が汗をかいているイメージが強かったのだが、問題を抱えている時のサウナはかなり効くのでこれにはうなずけた(なんか抱えている問題多そうだからな)。そんな訳で、サウナは仕事にとても効く。これは間違いない。サウナと結婚が、私の中で今熱い。

紺屋の白袴

病院で働いている友人が、風邪をひいた。今年の風邪は長引くようで、なかなか直らないとぼやく。「ちゃんと寝とけよ。ハードな仕事なんだから。病院で働いているんだから、先生に薬でももらえ」という私に彼女は「薬なんかもらってもだめだめ」と言い放った

自らの仕事の存在意義を根底から覆そうとする彼女の発言に驚き、「そんな気持ちで仕事に取り組んでよいのだろうか?」と自問自答をする私に、彼女はこう言った。

「だって、会う人会う人みんな風邪ひいているんだから。直る暇ないよ。」と。ちなみに聞けば先生も風邪をひいているという。

「日本で一番風邪のウイルスが充満しているのは、病院なんだ!」この事実に気が付いた時の私の驚きは恐らく文章にすることは不可能。医者の不養生とはいうけれど、風邪をひいてごほごほしている人たちがいるなかに毎日いたらそりゃ風邪ひくわ。と私は深く深く納得した。

さて、この私の中で起ったパラダイムチェンジ(大袈裟か?)。しかし、意外とこういう認識の齟齬(現実と認識との違い)は数多くあることなのではないか?例えば、製品開発時、自社の人の話やニーズを聞かず、マーケティングの調査会社に調査を依頼することなんていうのもあるかもしれない。

そんな訳で、「紺屋の白袴」という言葉がありますが、昔の紺屋さんの袴の色はかなりの確率で白かったのではないかと思う私です。読者の皆さんのお仕事周り、こういうことってありませんか?それとも、私の周りだけなのだろうか?医者の不養生というか、灯台元暗しというか。。。(灯台元暗しはちょっと意味が違いますが。。。)

以前の同僚に怒られ、意気消沈

というわけで先日友人にとっぴどく怒られた。ぐうの音もでないほどにだ。もうすぐ27歳になる私だが、この年になって怒られると、立ち直りが遅い。そんな訳で少し元気がない。しかし、この話は非常にコラムジョブ的なので、気を取り直して原稿を書くことにする。題名にもあるように友人とは、私の以前の同僚だ。

その日私達は、飲み会の約束をしていた。数日前から、友人より「何時に待ち合わせするんだ?」というメールが来ていたのだが、仕事の忙しさにかまけ、「9時くらいに仕事が終わる」というメールを返信。そのメールで私は、「9時に会社の近くで待ち合わせ」という約束をしたつもりになっていた。その時、運悪く、私の家の電話も、携帯電話も料金の振り込みを忘れて停止状態だった。(この点だけで普通の状態ではないが、それはまた別の話)

で、当日。一緒に飲むことになっていた別の友人宛に7時30分頃「連絡が全然こないから帰る」という連絡が入る。「えー!なんで帰るんだ?」と思い、彼に連絡したところ、冒頭で述べたようにこっぴどく怒られる。「この日のためにどれほどスケジュールを調整するのが大変だったのか解っているのか?!」etc。私だけが怒られるのならばよいのだが、他の飲む予定だった友人まで「だらしない」という評価を受ける。私の連絡ミスが原因。。。

こういった意思疎通や連絡ミスは仕事上ではあってはならないものだし、仕事上では「さすがに」こういったことが起こらない。が、それが「友人」となると、どこか「甘え」てしまっていたようだ。しかも、私が忙しいように「友人」だって忙しい仕事をしている人なのだ。(あたり前!と今更突っ込む。)でも、その忙しさが他の会社ということになると、どれほど忙しいのかを想像できなくなってしまう。

人との意思疎通の大切さや、思いやりを忘れてしまうようでは、ビジネスマンということの前に、人として先が思いやられる!と私は思う。ビジネスでも、友人関係でも人とのかかわりにおいて大切なことは常に同じだと思う。

「以前の同僚」という会社で得た縁。これは、本当に大切だ。いつも隣にいる同僚のように、「今日飲みいくか!」という風には行かないのだから、「約束」が本当に大切だ。約束をしなくとも毎朝会える(会わざるを得ないとも言う)同僚とは違うのだから。

待ち合わせとディレクション能力

大都会。ちょっと大きめの駅ならばいくつもの出口や改札がある。私は待ち合わせをしている時、「ここで良いのだろうか」という不安と戦いながら相手が来るのを待つ。待ち合わせの5分前になってもその人が現わないと私は、「もしかすると、この場所ではないのではないか」と思いはじめる。しかし、困ったとこに大抵、私は待ち合わせの場所を間違えている。そして怒られる。そんなわけで、私は待ち合わせが苦手だ。

さて、待ち合わせの時にさらに苦手なのが、手書きの地図を渡されることだ。この手書きの地図は、書いた人の中にある小宇宙を表現したものである。だから非常に多様性に富む。ある人の地図は、駅を出発点にして描かれたものなのに、駅をおりた瞬間「おい、この駅で良いのか?」という疑問を持ってしまう程、シュールレアリスティック。

またある人が書いた地図は、テキサスの荒野を思わせる程、目印が全くない地図で、ただ、駅を出て左に進むという情報しか得ることが出来ない(彼は一体何を目印にして歩いているのだろう?)。そんな訳で、地図を渡されても、途方に暮れてしまうことが多い。

そんな時に思う。こういう人達と仕事をする時には、しっかりしないと、とんでもないところに仕事がいってしまうぞ、と。しかし、彼等に言わせれば、私の書く地図もとんでもないものだという。

そんなわけで、多くの企業で優秀なディレクターやマネージャーが必要とされるのにもうなずける。ともかく、仕事のできる人はえてして地図をかくのも上手いようである。すくなくとも、そういう人と仕事をするとその人も私も待ち合わせに遅れることはない。私の理解力の問題はさておき、待ち合わせは、スマートにしたいものだ。

ラーメンとベンチャー熱について

夕方になると、「今日は何を食べようか」と考えながら仕事をする。その日は最近気に入っている家の近くのラーメン屋で「大盛り」を食べようと思い、仕事のラストスパートを決め込む。が、そんな時に限り、「ちょっと時間もらえないかな」という同僚の声。まさか、ラーメン屋が終わってしまう、とは断れず、ミーティング開始。仕事を終わらせラーメン屋さんの前に辿りつくと、既に「ラーメン屋」も仕事を終わらせていた。

その瞬間、私は「自分の希望とラーメン屋の断絶」を感じる。一言でいえば、「世界は私の意志とは無関係に回っている」という気持ちだ。「私は世界の中心ではない」という当たり前だが、時として忘れてしまう重要な真理。待って欲しいと思う電車のドアほど早く締まることに似ている。ラーメン屋さんにも、電車の運転手さんにも、果たすべき責務と生活があるのだ。

ところで、急に話しは変わるのだが、最近のネットベンチャーの盛り上がりは凄い。あまりベンチャー意識のない私でも、「何かやったろうか」という気になる。なんどか有名なベンチャー経営者の方に御会いすることがあるのだが、これは凄いことだ。果たして今、ホンダやソニーの社長に私が会えるだろうか、いやあるまい(反語)。今ならば、有名な経営者のそばで仕事をすることも、あるいは(勢いあまれば)私が経営者になることすら可能だ。

で、私は考える。「ベンチャーの盛り上がり」と「ラーメン」の双方に言えることが一つあるのではないか、と。自分が何をしたいのかをきちんと認識し、かつ計画を立てなければ、希望はかなわないということだ。つまり、計画を立てられない者は、今日の夕飯すらままならない。そんな私に、このベンチャーの盛り上がりに加わることが出来るのだろうか?いや出来まい。

では、どうするのか。ともかく明日は、今日食べ損ねたラーメンを食べるのだ。この問題はその時に考える。いや、もちろん、ラーメンを食べながらではない。この食べ物はちんたら食べるとのびてしまうのだ。

ボーナス、正月、クリスマス

年末だ。以前から年末への心の準備(?)はしていたのだが、なんだか、いきなり年末になった気がする。ところで、この年末という時期、とかく自分を振り返る機会が多い。冬のボーナスで、今年一年の仕事と会社からの評価を。正月の年賀状書きで交友関係を。そして、クリスマスに愛を。

そう、今週は待ちに待ったクリスマス!世界中が私達を祝福し、暖かな光の中、大事なあの人とのひとときを過ごすミレニアムなその瞬間。でも、実はプレゼントが決っていない。どの指輪にしようか、今日こそ決めなくちゃ。それにしてもあいつどんな顔して受け取るのかな?喜んでくれるかな?

なんていう幸せな方も沢山いると思いますが、私は仕事。クリスマスを彩どる町は、雪降る寒い夜に暖か~いシチューを食べている人達を、窓の外から見ているような気持ちにしてくれます。ほんとに羨ましいです。はい。

という訳で、楽しいことも楽しくないこともあるこの年末だが、自分の様々なことを振り返る機会が年に一度あるというのは非常に良いことだ。走っている時には、周りの風景も走っているように見える。でも、どこかある地点で、一旦振り返り、走ってきた道を眺めるのは、これからの進む方向を考えるのにどうしても必要だからだ。この年末はコタツの中で、ぼけ~っと、「今まで」と「これから」を考えてみたい。仕事はもちろん色々なことを。

というわけで今年も後わずかですが、次回でコラムジョブは最終回。来年からは新コーナー「COLUMN★JOB2000」が始まります!というのは編集長に怒られそうな大嘘ですが、そんな風に新しい気分で2000年を迎えられるようにしたいもの。というのも、昨年のコラムジョブでも私、同じようなこと書いてましたので。ネタに困っているわけじゃありません。変わらない私が困りものなんです。(バックナンバーも読んでみてくださいませ)

2000年と想像力

子供のころ2000年といえば、ハロ(ガンダム)のようなデジタルペットに、ロボットお手伝いさんが私の身の回りの整理。服はもちろん銀色。車はビュンビュン空を飛びまわる。恋人達は、テレビ電話で愛を語りあい、いつもよりちょっとオシャレな銀色の服で空中庭園をデート。中には、自我をもったコンピュータもいたりする。そんな世界を想像していた。

そんな2000年がもうすぐ来るが、デジタルなお手伝いさんはいないし、私のスーツは紺色。そしてテレビ電話で愛を語りあう恋人はいない。しかし、私の生活には、パソコンが存在している。が、彼らは、今のところ自我を持とうとはしていない。私にはイメージする力があるが、彼らにはイメージする力はない。

さて、イメージといえば、最近私は同僚のFと共にビリヤードにはまっている。このゲームは、イメージする力が勝敗をきめる(等といってもめちゃくちゃ下手くそです)。「あそこに入って当たりまえ」と思って玉を打つのと、「どっか入るかな~」と思って打つのでは、入る確率が全く違うのだ。そんなわけで、このゲーム、仕事帰りにすると頭がすっきりするしお薦め。

ところで、ビジネスマンにとって2000年は生き残りが激しくなる一方だと「週間現代」などの社内広告で見かけるのだが、私は「想像する力があればなんとかなるんじゃないかな」と思っている。色々な仕事はパソコン等によって合理化されていくのだろうが、想像することは人にしか出来ないことだからだ。それに最近よく思うのだけれど、想像したことってその通りになる。だから出来るだけ良い方向に物事は考えた方が良い。

というわけで今年度最後のコラムジョブですが、このコーナーを応援してくださった方々ありがとうございました。うん?応援してくれた方はいるのか?いや、いるとイメージ。イメージ。そんなわけで、2000年が皆さんにとって幸福な年であるように!強くイメージ!

終身雇用とお見合い、あるいは幸福な人生について

というわけで2000年ですね。年末年始はなんだかんだで忙しく、気がついたら年があけていたという感じでした。良く食べ良く寝ましたね本当に。でも、今年って私にとっては、例年に増して一緒に過ごしてくれる誰かが欲しいな~と思う年明けだったのですが、皆さんはいかが過ごされたのでしょうか。

さて、そんなわけで、年末年始に独り身の寂しさを感じていたのですが、私が就職をする時、「就職は企業とのお見合いなのだからきちんと判断しなくてはいけないぞ」と言われたことがありました。「うん分かったよおじさん!」なんて返事をする素直な学生だった私ですが、27歳になり下手をしたら、お見合いの話しもありかねない年になってみると、お見合いをしたことのない学生にこの助言は実は意味がないのではと思ったりしています。だって両方とも未経験なものなのですから。

ところで、この結婚と就職の関係、果たして今後も有効なメタファーになるのでしょうか?というのも、転職することで自分の価値をあげることも、やりたいことを発見することも出来るようになっている昨今。この状況は、「結婚相手よりも良い人がいたら、どんどん再婚すべし」という非常にアナーキーな主張になるわけですからね。そんなわけで終身雇用が廃れてくるにつれ、それと同じ論理で結婚との対比もされなくなるのだと思います。

いや、ひょっとすると今後は、結婚自体が一度きりのものではなくなるのだろうか?そうだとすると話しは別なのだが。。。まあともかく、幸福な人生には魅力的な仕事と、魅力的な相手が必要、と私は思っている。食べると寝るの間に、自分をかけることの出来る仕事と誰かなのではと思うのです。

なお、インターネットで就職、転職情報や出会い系のサイトが沢山あるのもこんな理由からなのではないかと私はにらんでいるのですが、どうでしょうか?というわけで今年度も宜しくお願いいたします。礼。

1週間、あるいはコラムのネタについて

友人に「お前毎週よくあんな文章かけるよな」とよく言われる。あんな文書とはもちろんこのコラムジョブのことなのだが、日記とかすらマトモに書き続けることの出来ない自分が、何週間にも渡って文章を書き続けているのだ。確かにそう言われると私もびっくりする。

でも、実は、その一方で「来週は一体なにを書いたらいいのだろう。書く事がなかったらどうしよう」と不安になることもある。これは営業をしていた時にそんな目標達成できるのだろうか?とか、企画を立てようとした時に、「こんな企画出来るのだろうか」という不安を持つことに似ている。でもそんなことも、気がつくと、何とかなっているものだ。不思議。

ところで、私は、コラムを書こうとする時、その1週間に起きた、同僚との口げんかや、渡された地図が変だったりしたこと。お客さんとの会話でちょっと気がついたこと。そして、最近調子が良いなと思っていたら、小さな失敗があったりしたこと。でも、その失敗をクリアしたらもっと調子が良くなって一安心したこと。そんなことを思い出して、文章を書き始めることにしている。具体的な事実に面白いことが眠ってることが多いと思うからだ。

そして、こうして 1週間という単位で日々の仕事を見ていると、私達の毎日は、小さな小さなフラグメントによって構成されていることに気がつく。それらは、もちろん大きなドラマではなく、取るにたらないものばかりで、気をつけなくてはすぐに忘れてしまうものばかりだ。でも、それぞれの断片をよ~く目をこらしてみてみると、意外や意外。それは、小さなドラマによって形作られている。

そう、私達の 1週間という時間には、凄く沢山のことがつまっている。先ほどのコラムのネタや営業、企画などの「始まる段階」では出来ないように思えたことが「終わる段階」になってみると出来るようになっているのは、このためだと思う。小さなドラマで、私達自身が少しだけ変化するからだ。きっと。

私達の日常とは、それほどまでに特異なものではないけれども、それゆえにすごくユニークなのだと思う。だから私はなんとかこのコラムを書き続けることが出来る。来週のここに書く事は全く予想がついていない。でも、そんな真っ白な1週間がまた始まる。

会社の設立。変わる何か、変わらない何か

私の所属するデジタルメディア事業部が、エン・ジャパン株式会社という会社になった。

なにぶんこういったことは初めてだったので、どたばたとした1週間だった。でも、妙なパワーが沸き、あまり疲れを感じない日々だった。といっても、まだまだ設立に伴ってやることが沢山ある。会社のロゴもこれから決めなくてはならないし、再度、業務分担もみなおす必要もあるだろう。でも、そんなどたばたが凄く楽しいのだ。

そんな気分で同僚Fに「やっぱ良いね。新しいことって」と話かけてみた。「そうか?」と答える彼。「エッ?楽しくないのか?」と思う私に彼はこう言った。「結局気の持ちようなんじゃないか?今までだって同じような気持ちで仕事することも出来たはずだろ」と。

「えー。俺は今と同じような気持ちでやってたぜ!」と意気込むが、彼の言う通りだと、私の心がささやいた。そう、こういったことって気の持ちようなのだ。

だから、「はい、エン・ジャパン株式会社です!」なんて電話に出る時の新しいことをしているという気分もいずれ当たり前のことになってしまうのだろう。どんな状況だって気がつけば、慣れていってしまうのだ。だからその「慣れ」に慣れないよう新しいことを自分で創り出していくことが大事。

そう思うと、何か気分が良くなり「今日は飲みにいくか、もうちょいで仕事終わるからちょっと待っててくれ」と言うFに告げる私に、「いや、俺はもう終わったから帰るわ。じゃ」とコートを着るF。会社が新しくなっても、彼はいつも通りだ。ベンチャー熱が私にも伝播してきている。でも、その熱に飲み込まれるのではなく、熱の中で気づいたことを大切にしていきたいなと思う。先週感じた気持ちは、どこでも、そしてある意味いつでも、持つことが出来る気持ちだからだ。

合コンとメールとコミュニケ―ションについて

仕事の帰りに同僚と飲む。隣の席では、合コンをしているとおぼしき盛り上がりの一団。そういった「楽しそう」なことにはあまり縁がない私達は、うらやましそうに、彼らの盛り上がりを眺める。落語か何かの話で、うなぎのにおいをおかずにご飯を食べるという話があったが、ちょうどそんな感じだ。

そんな折、彼らから「メールアドレス教えて♪」言う声が飛び込んで来る。ざわめく私達。「聞いたか?聞いたか?メールアドレス教えてって言ってぞ。あるんだな、こういう会話!」と。「おまえら、他の会話に耳とられているなよ」と思う私だが、その意見に全く同意する(私も彼らの会話の方が面白かった)。カルチャーショック。そうやって使うんだ、メールって!

「いいね~。俺達の時代が来たってこと?」と、輝く私達のひとみ。一日の大半をメールを書いたり読んだりしている私達だ。メールアドレスを教えてもらえれば、何通でもメール書くぜ!と盛り上がる。その姿は、どこか思春期の田舎の高校生の様。でも、はっきり断言する、そんなことはないと。

たとえば、私宛てにもよく電子メールをつかった営業メールがくる。でも、よっぽどのことがない限りそれらは、私のハートをキャッチしない。電子メールが便利だから、といって営業自体や、コミュニケーション自体が簡単になるわけではない。つまり、メールのつかい方や、書き方だけうまくともしょうがないのだ。

もちろん、電子メールというツールは凄い。ビジネスにおいて、これほど、連絡がとりやすいツールはないのではないかと思う。電話とメールを組み合わせてれば大抵のことを伝えることが出来る。でも、ツールはツール。その中にいったいどんな内容を入れ込むかの方が重要だ。だから、合コンでメールアドレスを聞けたとしても、私達にアドバンテージがある訳ではない。

そんなわけで、次の日も私達は、いつもと同じように、何通ものメールを書く。営業や、取材の依頼や、原稿の確認を、きちんと相手に伝わるように、丁寧にメールの形にして。デジタル化が発達すればするほど見えてくるのは人のアナログさなのではないだろうか、これが最近の私の持論であり、あの日以来、誰かのために書いた特別なメールが、誰かの元に届く日の来ることが私の希望だ。

1.89kgの重さについて

私は朝が弱い。

今日も5分早く起きる事が出来ずに、全力で走った。しかし、私の予想タイムより1分遅れの遅刻。毎朝全力疾走することももちろん、遅刻は、社会人として恥ずかしい。いつもと同じ電車、別に体力が衰えた訳ではない。1分遅れの理由は、鞄の中の1.89kgのノートパソコン。この重さが、私の体を重くしているのだ。

ついこの間、私は、パソコンをノートに変えた。会社から支給された時には、仕事がそれほど好きとは言いがたい私なのに、「お、これで仕事がいつでもできる」と喜んでしまった。喫茶店や、電車の中でスマートに仕事をこなす自分、ノートPCにはそんな風景をイメージさせる何かがある。

しかし、使ってみると、これが思ったほど便利でもないのだ。電車の中でメールを書こうと思って外出をしても、電車が込んでいれば、1.89kgの物体を私はもって移動するだけ。それに、頭の中で想像した程、家での仕事は進まない。会社では編集者のように、仕事をすすめようとするのだが、家に帰ると遅筆な作家になる私。

そんな訳で、今日も持ち帰ってしまったノートでこのコラムを書く(締め切りは間近)。ノートPCの利用方法に関して考えるよりも、家で仕事をしなくても良いよう仕事をすすめる方が重要なのではないだろうか。。。と思いながら。。。

今は、午前2時、あと6時間もすれば、私はこの物体を抱えて、朝の町を疾走するのだろう。朝5分早く起きれば、仕事はスムーズに進むのだが、困ったことに夜には強い私。1.89kgの重さは、私の仕事にプラスになっているのか、マイナスになっているのか今のところ不明。でも、どうやら脚力と体力の増強にはなっているようだ。

そして明日も私は走る。

バレンタイン、営業努力と約束について

小学校4年生のある日、バレンタインデーというものがこの世に存在するこということを知った。「チョコレートの数は、自分の人気を示すバロメータである」と、鋭く認識したお調子者の私は、その日から数日をチョコ獲得の営業に費やした。俗にいうお願い営業。

十数年前の2月14日、私が獲得したチョコの数は、クラスの女子のシェア80%を占めた。(一番人気という虚栄に私は酔いしれた。)しかし、愚かな私は3月14日のホワイトデーというものがどういう日なのかを知らなかった。「ありがとう」 という手紙を書く程度だと認識していたのだ。正に無知。

ホワイトデーという日の意味を知った私には、言うまでもなくマシュマロ購入のためのお金はなかった。『ジャンプ』や『コロコロ』を買うためにお小遣いが必要だったのだ。そう私は昔からけちだった。

そこで私は、一人当たり100円というどうしょうもなくみみっちい金額を母から頂戴し、なんとか3月14日をしのいだ。しかし、大抵300円を超えるチョコのお返しに100円のマシュマロ。私のみみっちさは、クラスの女子に対し効果的すぎる影響を与えた。女子は私の冗談に笑ってくれなくなったようだった。なんとも短すぎる輝かしき日々。

さて、みなさんバレンタインデーはいかがお過ごしだったでしょうか?私の会社では、そういう世の中的なイベントはあまり関係なく仕事が進み、プライベートでもそういう幸せなイベントに関係なく日々が進んでいます。

ところで、先の小学校のエピソードですが、「もらった相手にはきちんとしたお返しをしないとろくなことはない。」ということを学んだ出来事でした。「人生に大切なものは幼稚園の砂場ですべて学んだ」なんていう本がありましたが、そんな感じですね。また、コンセンサスが得れていない時、約束をしてはいけないということを学んだのも、あの時だったのかもしれません。これは今の営業や仕事でも全く同じですものね。

そんなわけで、記憶の一ページの4年3組の麗しい少女(当時)の皆さん、お元気でしょうか?当時いただいたチョコレートが、皆さんのお小遣いの中から出されたものだと思うのと、なんとも申し訳ない気持ちになります。そんな私も27歳。出来ない約束が出来ない年になりましたが、めっぽう元気です。

散髪、タクシー、サラリーマン

四次発情期という内的な理由と家から近いという外的な理由からだ。それにこのコラムジョブで理想の髪型になるには、コミュニケ―ション能力が必要だ。というテーマを取り上げたところ、好評をいただいたので、新しいネタを求めていろいろ試しているのかもしれない。で、今回も「私と散髪」がテーマ。

床屋さんと美容院の違いはまだよくわからない。頭を洗うときに空を向くか下を向くかという違いや、ヒゲをそってくれるかどうかという違いくらいか。でも、美容師さんの方が、コミュニケーション能力はなんとなく高い感じがある。といっても、今までは50歳くらいのおやじさんにズバッと刈ってもらっていたので、単純に同年代の人に切ってもらって話が合うかどうかという違いなのかもしれない。

散髪の工程がクライマックスに近づいたある時、「美容師さんとタクシーの運転手さんて、会話に困ることがあるっていう点で似てますね」となんとなく私は言ったのだが、私はその答えにかなり驚くことになった。「話かけてくる運転手さんて困るよね。こっちは疲れたからタクシー乗っているのにね」というのだ。うーん。確かに。考えたこともなかった。鋭い意見だ!確かに疲れたときに話しかけられるのは困る!

しかし、と私は思う。本業だけでなく話術が重要という点で床屋さんとタクシーの運転手さんてやはり似ている。会話がとびきりうまい美容師さんや運転手さんて良い。これって付加価値ってやつと私はにらんでいる。でも逆に、話が合わなくてこまるという点でも床屋さんと運転手さんは非常に似ている。運転手さんは寝たふりが出来るが、床屋さんではそれは出来ないので、実はなおさらリスキーだ。

ちなみに、私は床屋さんのマッサージが大好き。あれってほんと気持ちいい。そんなわけでマッサージがとんでもなくうまい床屋さんないかな、と願う。「料理とマッサージがうまい奥さんは幸せになる」なんて言葉があるが、マッサージのうまい床屋さんがあったら、絶対通い通しますね!私!

でも、この付加価値が重要なのってどんな仕事でも同じだよな~、と若干サラリーマン風になって頭を気にしながら私は店を出たのであった。

AIBOと犬と私の仕事

AIBOが凄く欲しい。あれはかわいい。食事とか排泄物の始末も楽だ。家に帰って「くーん」なんてAIBOがいたら凄く嬉しい。一人暮しも楽しくなりそうだし、女の子を家に呼ぶ口実にもなる。いろんな意味で凄く欲しい。

私は子供のころ、コリーを飼っていた。最初私のうちに来たときは、凄く小さな犬だったのに、気がついたら私より大きな犬になっていた。ラッキーと名づけた彼と、私は遊んだり、散歩につれていったり(行かざるを得なかったり)した。この散歩は私の仕事だったが、私は中学生、高校生となるにつれさぼるようになった。そして、ある日、彼は死んでしまった。高校生になっていた私は凄く泣いた。

なんて話を同僚にすると、彼女はこう言った。「でも、動物って死んじゃうからいとおしくなるんじゃない?」と。えっ!と私。おい!なんとも感傷的なことばだな、でもちょっと待てよ、と私は考える。確かに、限られた時間だからこそいとおしさも、大切さもわくのかもしれん。と。死なないAIBOだから、雨の日にダンボールの中捨てられるなんてことが、これからはあるのかもしれんと。

打ち合わせが終わっても、この「限りがあるから大切」という言葉は私の頭に残る。ペットとの付き合いもも限りあるからいとおしい。確かに、確かに。と思うのだ。そう考えて、机の前に座ると、私を追いかけている仕事やプロジェクトやミーティングの予定や、取材のアポイント等が非常に限りあるいとおしいものになってくる。時間に追われるのも、限りがあるからだ。

あまり考えないことではあるが、いろいろなことは時間は限りあるからこそ、重要なのだ。仕事において時間が一番重要な資源だというが、これは視点を変えれば、そういうことなのだろう。今しか手がけられない仕事とか相棒との会話とかそんな今しかできない様々のこと。きっと、私が思っている以上に「今」という時間は短い、最近そう思うのだ。

昔犬を飼っていた私が散歩をさぼりがちだったのは、その時間に限りがあるということを良く知らなかったからだとも。

時計とスニーカー、あるいは合理化について

同僚が新しい手巻きの時計を買った。私はあまりものを欲しがらない性質なのだが、何故か人の持っているものはすぐに欲しくなる。手巻きの時計って、自分の時間は自分で作るって感じがして良い。夜寝る前に、明日の仕事の段取りを考えながらネジを巻くのだろうか?ちなみに彼は時間管理がなかなか上手い。

そんなある朝、起きてみると、私の時計が壊れていた。寝る前に「ちょっと遅れぎみなんじゃない?」と感じてたのだが、その時計は、4時30分を指したまま完全に停止していた。その日は、野生の勘でいつもより3分遅れというさらにぎりぎりの時間に飛び起きた私。毎日履いている革靴を鞄につめ、スニーカーを履いた。家から会社まで革靴でいく必要はないと判断したのだ。(といっても、これ実は前からやってみたかったことだ)

ところが、意外なことにその日から私は、スニーカーで通勤をするようになった。単に「走るため」だけに履いたスニーカーだったのだが、朝スニーカーを履いて歩くことが気持ちよくなり、早起きするようになったのだ。また、早朝のオフィスは静かだし、頭は冴えているので、仕事が進む。そんなわけで最近、好調だ。ふと時計に意味なく頼っていた自分を発見した。おきるためだけに私は目覚まし時計をセットしていたのだ。

そんなわけで、時計が直った今でも、私はスニーカで会社に行っている。仕事ははかどり、満員電車に乗ることもほとんどなくなった。雑誌も読める。ちなみに、雑誌を読むクセと雑誌となると湯水のようにお金を使ってしまうという癖を先の合理化ブームで「もう読まない!買わない!」と決めたのだが、これは「好き」の分野のことなので、やはり止めるのを止めにした。

何でもかんでも合理化が良いというわけではない。同僚の手巻きの時計だって、合理的ではない。でも、私はその時計が凄く欲しい。合理化と遊びの部分のバランスが大事なのってきっと仕事でも同じだと思う。そんなわけで、今日もやる気のねじを巻くとしよう。

『ジャンプ』あるいは元気な月曜日

また『少年ジャンプ』を読み始めてしまった。高校生の頃、「もう子供向けの漫画を読むのはよそう」と決心したのに、またこの世界に戻ってきてしまった。なお、私をこの世界に戻したのは、「ONE PIECE」と「ナルト」と「HUNTER× HUNTER」。「ジョジョ」も気になる存在。

でも、「最近『ジャンプ』が面白いぞ」と同僚に言うと、なんとなく白い目で見られる。少年誌を読むという行為は、ビジネスマンとしてあまり好ましくないようだ。が、私は、幅広い読書の趣味を持つことで、「あの人、大人なのに、どことなく少年ぽいのよね。」なんて言われることを期待する。そんなことはおそらくないだろうが、奇跡にかけるのも少年ぽさの秘訣。

ところで、久しぶりにこの触れた『ジャンプ』の世界は、ビジネスマンにとって面白い世界だった。多くの主人公は、常に戦っており、一つの戦いが終了しても、「。。。これで終わったと思うなよ」という敵の言葉とともに、さらなる強敵が出現する。この構造は、常に競合が存在するビジネスマンのそれと良く似ている。これは、子供の頃には解らなかった味わいだ。

きっと、毎週読者に向けて、新しい物語を創造している作者の方や、編集者の方の気持ちが、少しは投影されているのだろう。沢山の競合誌がある少年漫画の世界。その中で手にとってもらえるのはきっと数誌。ともかく毎週のように面白い話を作り、期待に応えるというのは並大抵のことではない。

『ジャンプ』一誌をとってみても、様々な漫画があり、まったく異なる状況で各々の主人公が戦っている(両さんはあまり戦わない)。そして人気投票があり、人気のない漫画は、3ヶ月くらいで終了してしまう。この事実から、私は「各々が主人公で、各々ががんばっている」ということを知る。ちなみに、ジャンプの後に日経新聞を読むと、様々な記事の裏に競合に負けじと日々がんばる多くの人の姿が想像される。

発売日が月曜日という心意気(?)も、「今週もがんばらねば」という気合を入れたいビジネスマン向けのものと想像する。なお、私は日曜に『ジャンプ』を買うことの出来る酒屋が近所にあるので、日曜日の夜からやる気。そんなわけで最近、私の1週間は『ジャンプ』で始まるのだ。

カラオケと仕事と会社について

新入社員がやってきたので、飲みにいく。若いパワーに社員が共鳴し、代表ともども「歌おう」ということになる。「何故人は歌うのだろうか?」という疑問に答えを出す間もなく、私達一同は、カラオケ屋にいた。今や年に2回行けばよいほどになったカラオケなので楽しみだ。

カラオケというのは、歌うことよりも、その空間が面白いと思う。最初に歌う人が決まっていたり、場の雰囲気を考えずにノリのいい歌や、バラードを歌いだす人がいたり、会社で行くと上下関係を気にしたりすることがだ。(ところで、デュエットを強要する社長って本当にいるのだろうか。)

また、歌い方と仕事のすすめ方って似ていると私は思う。周りにきちんと気を使って選曲する人。好きな曲しか歌わなない人。なんらかの基準があるのだろうが、その基準がさっぱり解らないためシュールな世界に突入している人。場を一気に盛り上げて盛り上がったところで、一気に寝てしまう人。歌が嫌いなのにつれてこられ踊りだけやらされる人もいる。

だから、カラオケって行ったメンバーによって独自の雰囲気が出来る。カラオケには随分といっているが、「もう飽きた」ということにはならないのはこのせいだろう。人の数だけ歌い方があり、そこには思いや歴史がある。「何故人は歌うのか」という問いにもそれぞれの答えがあるはずだ。きっとそれは私達の日々の仕事でも同じ。

カラオケに一緒に行って楽しめる会社は、その人に合っている会社なんではないかと思う。だからこそ私は転職をするのなら、カラオケでの歓迎会がない会社がいい。入社そうそう「こいつ好きな仕事しかしないな」と思われたら仕事がやりにくそうだからだ。実際の仕事において、そんなことは決してないのだが、私はどうやらそういう歌い方をするようなのだ。

あいまいな記憶と経歴書

記憶というのは曖昧だ。記憶を信じると裏切られることは沢山ある。日々の仕事で、「おい、あの件どうなった?」と聞かれて「あっ!忘れてた。。。」となることはもちろん、待ち合わせ場所が王子だったのか八王子だったのかに悩んだり(ローカルな話題ですが)。また、自分ではしっかりと覚えているつもりでも、何かのきっかけで「忘れていたこと」を思い出すこともある。

ところで、先日アルバイトをテーマにしたミーティングがあった。私は高校から大学時代にかけてほとんど、飲食店でアルバイトをしてきたと記憶していた。しかし、話している過程で、引越し屋さんのバイトや、解体作業のアルバイト、お弁当の配達の仕事や、出版社でのバイトもしていたことを思い出した。意外と働き者だったようだ。

当時、今年1年間にやろうと決めたテーマのためにお金を稼ぐ必要があったことや、借金の返済に困っていたこと等を聞かれもしないのに話し、「おまえ意外といろいろやってたんだな」と驚かれ、ちょっと自慢げな私(何もしていないと思われていたらしい)。でも、ミーティングが終わるといろいろなことをすっかりと忘れていた自分に驚いた。

27歳という年齢でこうなのだから、先が思いやられる。それに、今までの私の記憶力への他人の評価を総合すると私はかなり忘れっぽいほうなようだ。でも、私のみならず多くの人の記憶力には限界がある。だから、人は、やらなくてはいけない仕事や、待ち合わせ場所、アイデアはメモをするように習慣づけている。でも、今までしたことってメモをとることってほとんどない。

転職があたり前になる(というかなっている)これからは、自分が何をしてきたのかは記しておいたほうが良いと思う。いや、転職するしないに関わらず、自分のためにそれを書いておいたほうが良い。そんなわけで、今週末ははじめて「職務経歴書」を書いてみる予定だが、このコラムも経歴書に入れるべきなのだろうか。

5月病

4月だ。4月と言えば新入社員。新入社員とくれば5月病。この病、存在は知られているが、そのなおし方は意外と知られていない。また、伝染病にカテゴライズされるものということも知られていない。

よく覚えているのが、私にとって会社に入った時のインパクトはすさまじかった。毎朝定時に起きなくてはならないこと。そして、組織に自分が属しているということ。また、目標や目的のある毎日がこれから続くということ。そんな驚きの連続で、私はきちんと5月病になった。

5月病にかかった同期や友人は何人もいた。なんとなくやる気がなかったり、何をしているのかがよくわからなくなったり、中にはいきなり転職を考えていたりするやつもいた。新入社員達がそんな話しをする風景は、毎年5月に良くある風景なのだと思う。

ところで、私の場合、この病から立ち直ったのは研修中のちょっとした空き時間にした同僚の女の子との会話だった。どんな話しをしたのかはさっぱり覚えていないのだが、「ああそうか、大変なのは俺だけじゃないんだな」とほっとしたことだけは覚えている。それで、5月病は消えた。昼下がりの喫茶店でのことだ。

今だから思うのだが、そのころの私はきっとこれから何をしようとしているのかも、何が出来るのかがさっぱりわからなかったんだと思う。もちろん今だって、そういったことは基本的に変わっていない。でも、沢山の失敗とちょっとした成功で自分というものが見えてきて、病気にならない耐久力がついたのだろう。

そんな話しを、飲みながら同僚とした帰り道。やや千鳥足の彼女が、「桜だ」と言う。ふと上を見上げると夜の空に桜が満開。ふと、新入社員のころに感じた戸惑いとともに、新入社員のころやろうとしていたことを忘れてしまってはいけないな、と思う。社会人4年目の春がやってきた。

わからないことについて

日々仕事をしていると、わからないことにぶつかる。というより、わからないことだらけ。

日本経済の行方をはじめ、効果的なプロモーションの方法や、企画立案やプロジェクトのうまい管理方法、そしてワードの操作まで、わからないことがとにかく多い。

ところで、書店にいくと、「よくわかる日本経済」とか「よくわかるワード」といった本がならんでいる。書店の人に話しを聞くと、ビジネスマンが結構買っていくらしい。「へー、わかってないのは私だけじゃないんだな」と思うとどこか安心したりする。

そんな今日この頃なのだが、先日ある本を読んでいたら、「人生がなんだったのかとわかるのに、私達の人生はちょっとだけ短い」という言葉を見つけた。この言葉に私は「ふむ~」となった。(なお前後の文脈がないので補足しておくと、死が来てはじめて人生とは何だったのかがわかるのだけど、その瞬間には死んでしまっているので、ちょっとだけ短いという意味)

これは仕事でも同じだ、と私は思う。きっと人生って望む全てを手にいれるには短い。だから、やりたいことに優先順位をつける必要がある。全てをするには人生って短いけれど、何かをするのには、人生って十分な長さがあるはずだと私は思ったりする。

そんなわけで最近仕事の帰り道や、寝る前、絶対になしとげたいことって何なのだろうか?と考える。しかし、これが一番わからない。答えが出る前に家や眠りについてしまうのだ。でも、この問いの答えは自分しか出すことができない。だから自分で考えるしかない。そんなわけで、自分のことでもわからないことが沢山あるのだ、仕事や他のことでわからないことがあるのはしょうがないか、とも思う。

ホッチキス

先日ホッチキスの芯が無くなったので、町にショッピングに。その時ふと思った。「ホッチキスの芯ていくらくらいなの?」と。値段を知らないものは多い。クリップの値段も、会社のオフィスの家賃も私は知らない。

そんなある日。会社の上司、同僚と飲みにいった。仕事の話をした時、「おまえ、自分がいくらかわかるか?」と聞かれた。「そんなのわかんないですよ。第一気にしていませんし」と答えると、上司に「そういうところにこだわらないといい仕事できないぞ」と言われた。

「何~!」と思いつつも、私は「自分の値段をしらなくても全然問題ない。」と思っていた。でも良く考える自分の給与くらいは知っている。これってある意味私の値段だ。だから全く知らないわけではない。でも、何故か私は「自分の値段」に興味がなかった。

驚いたことにホッチキスの芯は予想より(ちょっと)安かった。私は文房具の中でホッチキスをかなり溺愛しているのだが(理由はまたいつか)その大好きなホッチキスの値段が、私の予想より安かったのだ。自分の値段に対する不安が出たことは言うまでもない。それに値段が安かったら、もっと高くしていけばいいのだ!近い内に人材紹介会社に一度行ってみよう。

ところで、安くても良い仕事をしてくれるホッチキスは私の中の「好きなものランキング」でさらに上位になった。ばらばらになりがちな紙を一気に綴じてくれるホッチキス、もっともっと評価されても良いと思う今日この頃だ。

徹夜の明けの朝に

高校時代はアルバイトや、恋に恋することに忙しく、勉強をする気がなかった。だから「大学に行く予定です」といった時、両親や先生はかなり驚いた。3年生の始めだか終りに受けた模試の偏差値は20とかだったから、先生がびっくりしたのも無理はない。

しかし、私はその数字に一念発起。徹夜をしたり、その分昼間に寝たりして何とか大学に入学した。受験時や大学で学んだことはすっかり忘れてしまったが、「データは意外と信用ならない」「物事は気合いでなんとかなる」という2つは私の重要な基盤となった。

このことを先日、仕事がつまった時、思い出した。が、仕事は、受験と違って、答がどこかにあるものではない。暗記すれば30点上がるなんていうものでもない。頑張ればなんとかなるという私のポリシーが、データが重要なビジネスの前に敗退することが最近多い。かなり多い。

しかし、そうは言っても一度基盤にしたこの考え。これで、なんとか頑張るしかない。そんな訳で徹夜。だが、物事はなかなかすすまず、予定の30%もいかないところで朝がやってきた。繰り返しになるが、物事はなかなか思い通りに進まないものだ。

そんな中、がんばっても何とかならないことがあるからこそ、がんばる意味があるのだ!と思いながら夜明けのコーヒーを飲む。徹夜明けの朝は妙にパワフルで、「じたばたしていれば、うまくいく仕事の方法がいつか見つかるはず!」と希望的観測。そう、私はずっとこうしてじたばたしてきたのだ。これからもじたばたするしかない。そして、そんな自分と世界にいる沢山のがんばる人にエールを送った。

パチンコ師匠

私は月に1回から2回パチンコをする。そんなアマチュアな私には、パチンコの師匠がいる。彼は(お互いに名前もしらない)私がとんでもなく負けていたりすると、「あの台がでるぞ!」と小さな声で教えてくれる優しい兄貴分。師匠は、この業界ではかなり有名で、師匠がうつ台がフィーバーすると、店長が悔しがる顔をする。しかし、これは師匠から聞いた話なので真偽は定かではない。

師匠はとにかく強い。ほとんど100発100中で勝つ。しかし、私にくれるアドバイスは、常に100発100中というわけでもなく、おそらく30:70くらいの成功率(70がハズレ)。だから、私はいつもこの師匠の言葉の見極めに悩む。

で、この見極めのポイントを聞くため、「なんでそんな勝てるのですか?」と質問した。師匠は、私をお店のすみっこに呼んで、「いいかこれから教えることは10万円を払ってもいいくらいの情報なんだぞ!」と言ってから、理論を教えてくれた。それは「パチンコ屋の経営者になったつもりで打て!」というものだった。パチンコ屋さんの原価計算や、客のフロー等からはじき出された予測を元に師匠は日々パチンコをしているのだ。ただ、肝心の具体論は、あまりに複雑でさっぱり理解できなかった。

師匠はパチプロではないと言う。しかし、私がパチンコ屋にいくと、いつも居て、そして勝っている師匠。独自の理論を編み出す精密で複雑な思考をする男。私からみるととにかく優秀だ。私に教えてくれたロジック(あるいはノウハウ)をあみ出したのは、以前仕事でSEをしていた時だという。SEの仕事は、凄く論理的な思考を必要とする仕事だから、師匠は、そこで得た能力をここでフルに活かしている。自分の能力をいかす方法ってほんと色々あるのだな、と思う。

そんなわけで、このコラムも師匠のとなりでパチンコをしながら、メモをとりとり考えたもの。書いている間、師匠は、「何やってんの?」と私のノートを興味深そうに覗き込む。(あー、もう、今は話しかけないで!と思う私だがそこは、弟子。)「教えていただいた理論の検証をしています」と言うと、師匠は満足そうにうなずいた。

夢見る27歳

枕元にメモをおくことにした。というのも、先日、目が覚めてしまう程面白い夢をみたのに、どんな内容だったのかをすっかり忘れてしまったからだ。凄くもったいない。だから面白い夢をみたら、すぐにシナリオをメモをしようと思い立ったのだ。

ところで、私は仕事柄いろいろな経営者の人にインタビューをする機会が多い。その際、良くする質問に「夢やビジョンてなんですか」というものがある。経営者がビジョンを語れるか、夢を持っているかって凄く重要だ。私は企業って夢を実現する場所だと考えている。だから、夢をもった経営者の下で働きたいと思う。

では、と翻って考える。私には夢があるのだろうか?残念だが、私はすぐに、夢を語ることはできない。「これがしたい」というコンセプトがまだまだ不明確なのだ。にも関わらず、私は夢のある経営者の下で働きたいと思っている。ないものねだり。

夢は若いころみるものだと思っていたが、それは間違いなのかもしれない。多くの経営者に会うにつれて、私はそう思うようになった。そして今、17歳のころよりも強く自分のための夢をみようと思う27歳の私がいる。

メモを枕元においてから数日たったある朝、起きてしたことは、「今日することの」のメモだった。夢は寝ていも起きていてもみることも出来る。仕事のメモが夢のメモでありたいな、と思う。

Love or Job

「ILove You」。知らずにいたら、私の場合開封率100%なサブジェクトのウイルスが流行。これは、この言葉が誰にとっても嬉しい言葉という証拠だと私は思う。ちなみに、私にとって、同じような響きを持つ言葉に「仕事と私、どっちが大切なの?」というのがある。しかし幸いにも言われたことも、言われる予定もない。そんなわけで今週のテーマはこの台詞。

さて、この台詞の背景には、仕事ができるやつはモテルということがある。仕事を全くしない人は絶対にこの台詞は言われないし、自分の仕事は定時できっかり終了させ、相手の仕事が終わるのをいまかいまかと待っているような人も言われる可能性は低い。それに、いつ電話をしても「おう、空のアポイントいれっから、会おうぜ!」という人も言われる可能性は低いだろう。

また、最近の私独自のサーベイ(調査)の結果からは、女性は、「仕事が出来る人が好き」という顕著な回答が出ている。まあ当たり前と言えば当たり前のなのだが、多くの女性が口々にこの台詞を言うところをみるとこれは疑いようのない事実なのだろう。そう言えば、私はいまだ「仕事のできない人が好き」という女性に出会ったことがない。

そんなわけで、仕事のできる男になるべく、熱心に仕事に励む私なのだが、不思議なもので、仕事に励めば励む程。女性と出会う機会はなくなっていく。まあ、せっかく運命が仕事に熱中出来る環境を整えていてくれているのだ。この機会に仕事が出来るやつになっておこう。そして、「仕事と私、どっちが大切なの?」なんて台詞を言われないようなパワーを手にしておこう!と思う。

そう言えば、以前、新しい企画で「コラムラブ」を書かせて欲しいといったことがあったが、その企画が通らなくて良かったとふと安心する私がいた。仕事と恋は安易に始めると大変、という点で似ている!と発見し、ちょっと得意げになる

風邪と薬とサービスと

ひどい風邪をひいた。今年の風邪はつらいと毎年言っているように思うが、(つらくない風邪はひいたことがない)年をとってきたのだろう。昔であれば、お酒を飲んで、Tシャツを5枚くらいきて寝れば、2晩でなおったような風邪に1週間も手こずるようになってしまった。そんなわけで、ひどく頭がもうろうとし寒気がする。が、まだ会社を一度も休んだことがないということが自慢な私(ちなみに4年間)。風邪薬と栄養ドリンクと気合でのり切ることにする。

もうろうとした頭で、薬屋さんに。伝えることは簡単だ。「咳がひどくて、熱っぽくて、頭がいたくて、寒気がして節々が痛い。」これだけ。そして、私は、「どうして薬ってあんなに高いのだろう?」と思いながらも、薬屋さんが提案してくれる薬を何の文句も言わずかっていく良いお客だ。基本は。

ある店は、私にせきどめの薬を提案してくれた。「風邪薬ではないの?」と思う私に感づいたのか、ちょっと藤原ノリカ似のかわいい店員さんは言った。

「この薬を飲んだ後で、風邪薬を飲むといいんですよ~。特にこの○○なんてお勧めです。そうそう。これにあわせて、△なんてドリンクも飲むと凄い良いですよ~。というのもですね。。。(以下略)」と言う。頭が痛い。値段を聞く。咳止めだけで2000円。高い。が、めんどくさくなって、その薬を買って家に帰る。

当たり前のことだが、重度な風邪の私に必要なのは、咳止めではなく、総合感冒薬。次の日。給料日前の虎の子をもって、別の薬屋さんへ。まったく同じ言葉をくり返すのだが、その店員さんは、最初に風邪薬を、更に私の症状を詳細に聞いた後には、子供用のシロップを提案してくれた。「子供は、これをちょっとづつ飲むけどね、いっきに飲んでください!」と。しかも、「ちゃんと食べて良く寝る。これが一番の薬だよ!兄ちゃん!」とビタミン剤もくれた。気前の良い人だ。さらに薬は安かった。

こうやって、両者を並べると、あまりにも教科書的な正しい営業と正しくない営業をくらべているみたいで拍子抜けするのだが、後の店員さんの方が優秀なサービスマン。弱った私にはサービスの質が痛いほど伝わったのだ。ところで、日々の仕事の中で、私達は先のノリカさんと同じようなことをしていないと言い切れるだろうか。売り上げをあげようとする店と、風邪をなおそうとする店。同僚にあの薬屋さんは良いぞ。と言ったのは彼に風邪をうつしたのが私だからではない。

就職活動と今の私

今の大学4年生の就職活動は、もう後半戦だという。早い。今「青田刈り」なんて言葉あるのだろうか?ところで先日、自社の採用活動の一環として就職活動中の学生と話す機会があった。彼らから、「なんで今いる会社に決めたのか?」「今の仕事のやりがいは何か?」といった質問をしたいと事前に聞いていた。でも、自分がどんな答えをするのか楽しみだったので、あまり深く考えず約束の場所に向かった。

インタビューは、冗談も織りまぜつつ和気あいあいと進んだのだが、(私の冗談があんなに受けたのは珍しい。彼らは気をつかってくれたのだろう)びっくりしたことがあった。それは、「私は今の仕事がかなり好きだ」というもの。彼等の質問に答えているうちに、「気分が乗った」ということもある。そして、「良い印象をもって欲しい」という下心もあった。しかし、話しているうちに「あー俺は今の仕事が結構好きなんだな~」という実感がふつふつと湧いた。

しかしよく良く考えてみれば、私が自分の仕事を好きだという状況はある意味偶然なのだ。何故なら入社時に今のような仕事をするなんて全く予想していなかったから。インターネットなんて私は触ったこともほとんど無かった。コンピューターもしかり。そう思うと、「意外と適当なもんだな」と思う。

でもその反面、その時その時の自分に素直に行動するって凄く大事だなとも思う。なぜなら、こんな私でも、今までも何度かの岐路があって、私はその時の勘を信じて今の自分に辿り着いているからだ。そんなわけで自分の判断を大事にしていけば、以外と物事は進むのでは、とも思うが、これを自信と呼ぶにはいささか頼り無い。

それにしても、彼らの質問。たまたま良い答えができたからいいのだが、よく考えるとかなりシビアな質問だ。「なんで今いる会社にきめたのか?」

「今の仕事のやりがいは何か?」なんて、好奇心丸出しのきらきらした表情で聞かれたら、皆さんどう答えます?

サラリーマン金太郎的営業部長

私の上司が先日遅刻をした。そういった事はめったにない人なので、どうしたんだろう?と思っていると、1本の電話が入り彼は言った。「目の前で交通事故になった人がいるので助けてから会社にいく」と。その瞬間、私は彼に惚れた。私は、基本的に弟魂というか、「兄貴!ついてきまっせ!」という心を持つ男。やられた。

この上司は、営業部長。仕事に関しては凄くうるさい。また、遅刻なんてしようものなら、こっぴどく怒る人だ(当たり前か)。だからこそ私は凄く感動した。なんというか「企業人である前に一人の人間であれ」ということを教わったからだ。

もちろん、目の前に交通事故にあっている人がいたら私だって助けると思う。でも、そういったことが本当に目の前で起きたら、「まあ、俺じゃ無くても他の誰かが助けるに違いない」とか、「今日遅れるわけにはいかないんだ。」なんて考えて、私はきっと躊躇すると思うのだ。

しかし、仕事って「誰かを助ける」ことだ。だから、本当は、どんなに重要な仕事が待っていても、私は目の前の事故にあった人を置いてけぼりにするようでは仕事人として失格なんだと思う。ちなみに、この営業部長の件だって何人かは事故にあった人の前を通りすぎていたに違いない。そんなわけで、私はこの出来事に「仕事人としての有るべき姿」を見た気がしたのだ。

ところで、こういう話って、サラリーマン金太郎かうちの営業部長しか聞いたことない。さらに、私は部長が助けたのが男の子だったということを知り2度驚いた。私がイメージしていた助けた人は(若い素敵な)女性だったからだ。私はそんな自分にちょっと幻滅した。

さて、この話に一人感銘を受けている私に、「お前は朝全速力で走っているから、そういう人見つけてもピョ-ンて飛び越えていきそうだよな。」と笑った福田!もしも、お前が交通事故になっていても俺は助けないぞ。だから気をつけて出勤してくれ。

誉め上手と上司とカーネギー

「そのシャツ良いね」と部下に物欲しげに言ったら、「先輩、誉め上手ですよね」と言われひどく驚く。「口が悪い」あるいは「一言余計」が私の代名詞だったからだ。でもちょっと考え、最近思い当たる節に当たった(変な言い方だな)。それは、上司の影響だ。私の上司は誉めるのがとても上手い。

私は、仕事をしていて、多くのミスをする。その時に、真っ向から怒るのではなく、ちょっとしたことを誉められ、ミスをやんわりと指摘されると

「うん!がんばろう」となる。方や、悪い点を指摘されるだけだと私は「ちっ」となる。そんなわけで、私は上手に使ってもらっている。

なお、これはカーネギーの『人を動かす』に書いてあったことではあるが、私は自分の経験からこれを知っていた。ただ、言うまでもないが、私は、動かす方ではなく、常に動かされる方でだ。しかし、動かされる側から言うと、動かす側に必要なことは、感受性にあると睨んでいる。ちょっとしたことを見つけることが出来るかどうかが重要なのだと。たとえば、私が新しい時計をしていることに気がつくかどうかといった程度のことだ。

そんな話を(誉めるとけなすと感受性の話)先の上司としていたら、「私は悪口ばかり言っているでしょ。君には」と言われた。誉め上手かと思っていた上司が私を怒っていることの方が多い?一体どういうことだ?私は驚いた。そして、「いいえ、誉め上手ですよ。ほんと人の良いところ見つけるのがうまい!」と言った。

でも上司は怪訝そうだった。それはそうだろう。私だって、自分の感受性に疑問を持ったくらいなのだから。感受性の鈍いやつに誉められたって嬉しくもなんともない。最後に、「そんなお世辞言ってもボーナス変わらないよ」と言われ、映画で見た昭和初期のサラリーマンのような気分になった。

涙とコミュニケ-ション

あるミーティングで、どうしても自分の考えを伝えることが出来ず、泣きそうになる。その時ふと思う。「子供だったら泣いているな」と。子供は、おなかが減ったとか、おしっこしたいとか、寂しいとか、いろいろ伝えたいことがあるのだろうが、上手い伝え方がわからないので、泣くのだと思う。

そんな例を持ち出すまでもなく、自分の考えが伝わらないことはいやだ。しかし、同時に考えを伝えるのはとても難しいことだ。長くなったり、相手を退屈させたり。。そして、時には、自分で何がいいたいのかがわからないこともある。

なお、私は学生時代、付き合っていた女の子から、「あなたは考えていること全てを口にするよね。」と言われた時、「えっ!他の人は違うの?」という天変地異的な驚きをもったほどのお喋り。しかし、口数の多さと伝達精度は比例しない。だから、最近私は、口数を減らし、その分言いたいことを考えてみたりしている。

ところで、仕事においては、常にコミュニケ-ションが発生する。私一人で出来ることだけで仕事が完結しているのならば、その必要はないだろう。けれども、私はそんなに仕事ができない。また、仕事に対しては、自分一人で出来ないことを、私は望む。自分の仕事に人が必要だったら、そして、自分に会社という場所が必要だったら、コミュニケーションはとにかく重要だ。

会議も、指示も、メールも、メモも、全て仕事はコミュニケーションで成り立っている。そんなわけで、仕事が出来る人とは、自分の言葉で自分のやりたいことをきちんと伝えることの出来る人なんだと思う。私達は子供の様に仕事で泣いたり、涙を流したりすることはあまりない。しかし、私は泣いたり、涙を流せるくらい仕事にコミットしたい。が、求める涙は、言いようのない感動から流す涙であって、言いたいことが言えないという理由からの涙じゃない。

エンさん、あるいは会社のキャラクター

随分前のことになるが、あるミーティングで私は初めて会った営業の方に「エンさん」「エンさん」と呼ばれたことがあった。なんか変な呼び方だな?とずっと思っていたのだが、最近は特に気にならなくなった。というのも近頃は、仕事上で人に会う時も、サイトのサ-ビスに関してお電話をいただく時も、「エンさん」と呼ばれるのが普通になっているからだ。

で、この頃なんとなくその理由が解ってきたのだが、どうも[en] というサイトではなく、そのサイトを運営している私達に対して、「さん付け」をしてくれているよう。特に、[en] =エンというようにサイト名と企業名が同じ場合は特にこの傾向が強いみたいだ。

企業というのは、法律でも「法人」として比喩的に人として扱われている。だから、言ってみれば、企業はキャラクターを持っているのだ。そのため、そのキャラが「明るい」のか、「お調子もの」なのか、とか考えることもできる。「お調子ものでおっちょこちょいな銀行」ってあまり聞かないのは、このキャラクターのイメージが大事であることの例だと思う。

ところで、人と人の相性が大事なように私は法人と個人の相性も大事だと思う。人って出来るだけ自分が好きなキャラクターの企業で働いた方が楽しいはずだ。例えば、ピーマンがどうしても食べることのできない人が「ピーマンコ-ポレ-ション」でばりばり活躍出来るとはどうしても思えない。これは偏見なのだろうか?

そんなわけで、最近は「エンさんてサイト名、良いですよね。人と人との縁からつけたんでしょ。」なんて言われると凄く嬉しい。なお、今私が所属する会社=エンさんってどんなキャラクターの会社なのだろうか?色々な意見を統合すると、「クールで知的でお金持ち」、という私の期待とは程遠いようだ。しかし、社内を見渡すとそれはしょうがないか、と思う。

仕事、好きですか?

このコラムを書き出した時、私は転勤で大阪にいた。その後、東京に戻ってきて会社が事業部から会社になったり、オフィスの引っ越しをしたりしてきた。そんな風に2年という時間が流れ、私はその中で毎週コラムを書いてきた。いつも、「こんなこと書いて良いのかな?」とか「役に立つのかこのコーナー?」とか悩みながら私は週末(大体土日に書いています)を過ごしてきた。眠くて書くのがしんどいこともあったし、ネタがなくてどうしようもない夜もあった。でも最近気がついたのだが私はこのコラムを書くことが結構好きなようだ。

仕事を好きになる。これって大事なことだと思う。何故かというと、私は、仕事を通して、友達が出来るように仕事をしていきたいと思っているから。仕事が好きだったら、凄く仲の良いともだちが出来ると思う。しかし、仕事が好きになれなかったら、あまり良い友達が出来ないだろう。それに、単純に仕事を好きだって言える人ってカッコイイ。

だから、最近、私はこのコラムを読んでくださる読者の方とどこかで御会いした時、「あ、あの文章を書いている人ですか。たまには面白い事書いてますよね」なんて言ってもらえ、その人と仲良くなれるような文章を書いていきたい、と思う。また、コラムを書くことが仕事ではない普通の一人の男性サラリーマンだから書くことの出来る「何か」を書けたら良いな、とも思う。

ところで、この[en] Career Newsというメールマガジンは、「[en] 」という求人求職情報サイトが出しているのですが、私は、転職をしたことがない。でも、もしも今の仕事をどうしても好きになることができなかったら、あるいはもっと好きな仕事を見つけてしまったら、私は転職をすると思う。だから、そういう時のために、良い転職をする土壌をつくるために、私は仕事をしているのかもしれないと思う。

さて、このコラムジョブも無事(?)100回目を迎えることが出来ました。凄く嬉しいです。これからも毎週ちゃんと皆さんに文章を読んでいただけるように、文章を書いていきたいと思っています。コラムというにはまとまりのないこの文章ですが、どうぞこれからもよろしくお願いいたします。なお、「仕事が好きだ」といいきれる人生って、幸せな人生なんじゃないかな、と思う今日この頃です。

はじめてのマッサージ、あるいは「働くおじさん」的な温かさ

小学生の頃、社会科の授業中に見た「働くおじさん」は朝から晩まで良く働いていた。お豆腐屋さんや、牛乳配達屋さん、農家の方といった、今となってはなかなか接する機会の少ない方が多かった気がするが、私もその「働くおじさん」な年齢になった。だからだろうか、最近肩がこってしょうがない。

そんなある日、慢性疲労な私の視野に「マッサージ30分3000円」の文字。人間は自分の欲しい情報しかキャッチしないと言うがそれって真実。私は何度もこの道を通っていたが、この看板を見たのは今日が初めてだった。

生まれてはじめての有料マッサージ。ちょっとしたどきどき感(綺麗なおねえさんが?)というのがあったのは言うまでもない。ビルの2階にあるその店の入り口に近付くにつれお香のリラクゼーショナルなかほりで、まともな店にちょっとがっかり。店は意外にも込んでいて、1時間後に予約をする。「では、そこに横になってください」の言葉の後30分の夢現の時間を過ごす。ほんと体って軽くなるのですね。父さん!という感じ。

サービスを受けている間、私は気持ちよくて半分寝てたのだが、ふと気になることがあり、店主に質問をしてみる。「一日マッサージばかりしていると肩こりませんか?」と、すると店主は答える。「腕動かしていると、肩こらないんですよ」。「逆にお客さんみたいな座ってばかりの仕事の方がこるんですよね。ほら、ここかたいでしょう。」痛っ。

私は、仕事は人と人をつなげる一つの蝶番のようなものだと常々思っている。だから想像する。きっと店主は家に帰ったら、コンピューターを使ってメールを書いたりする(のだろうと)。そして、お店では、コンピューター関連の仕事をする人の肩をほぐす。世界は働くこという行為によって繋がっている。だから、私達は出会う人に「お世話になっています」と言い合い、日々を過ごす。シビアなこのビジネスの世界にも、「働くおじさん」的な温かさは、常に存在している、と思うマッサージの帰り道。

転職とは何ぞや?!

いきなりだが、転職の職は「職業」なのだろうか「職場」なのだろうか?転職というと、会社を変わるという意識が強い。でも、社内で職種が変わるのだって転職なのではないのだろうか?先日、こんな疑問に私は捕らわれた。

私は営業も経験したし、コピーを書いたりした。他にも色々なことをしてきたし、実は、会社だって変わっている。(エン・ジャパンは事業部から会社になった会社です)でも、「まだ転職はしていない」という表現をする。これってどっか変なのではないだろか?

辞書を引いても、転職とは「職業を変えること」とある。でも、この定義は、私の求めている答えではない。で、隣の席の同僚にこの話をしてみる。すると彼は言う。「大手企業ではしょっちゅう配置変えとかしているよな。でも、それを転職とは言わないだろ」と。だから、会社を変わって初めて転職と言うのではないか?と。

確かにそうだ。でも、私は配置変えも転職って言って良いのではないのだろうか?と思う。また、企業に所属している人に対して転職という表現をすることが多いが、喫茶店のマスターが小説家になることだって、やはり転職なのではないだろか、と思うのだ。

同僚との話にあるように、転職という言葉に対しては、年が近い同僚と私でもとらえかたが違う。これはきっと、今までは転職という行為自体がそんなに普通のことではなかったからだと思う。もちろん仕事柄ということもあるが、最近、色々なところで、転職とか人材流動化時代とかいう言葉を良くみるようになった。だから、私はこの言葉がすごーく気になる。

転職(業)と転職(場)の間で悩む私。だって、どちらになるかによって私は転職をしたことがあるか、ないかが変わってくるのだ。

さて、どっちなのだろう?

どなたか答えを知っている方がいらっしゃいましたらお教えください。何もあげられませんが、私はとても感謝します。

写真とコミュニケーション能力

夏だ!

だからというわけではないが、水着の(かわいい)女の子のグラビアをよく見る。雑誌に出ているくらいなのだ、可愛い女の子ばかりだ。が、その写真の中にも「ググッ」とくるそれと「あんまりググッ」とこないものがある。きっと、被写体うんぬんではなく、良い写真を撮るということは、難しいことなのだろう。

ところで、私は仕事柄、写真を撮ること(残念ながらグラビアはない)や撮られることが意外と多い。そんな中思うことは、写真をとられる時に必要なのは、コミュニケーション能力なのではないかということだ。

同僚の女の子は、写真に写ることが非常に上手い。私は想像するのだが、シャッターが下りるその瞬間、きっとその子は自分の素敵パワーを全開にするのだろう、と。何故って、毎回、毎回、写真の中のその女の子はキュンとなるくらい素敵なのだ。普段もまあ素敵なのだが、写真には勝、いやここで止めておこう。私は社内の人間と上手くやっていくタイプなのだ。

が、意外なことなのだが、どうやら、この私も写真うつりが良いらしい(グラビアではない)。周囲の人に言わせると、「お前って写真うつり良いよな」と言われる。これもまた失礼というか面白くない意見なのだが、彼らの言う理由はわかる気がする。

写真を撮られるということは、写真を撮ろうとしている人がどんな表情を欲しがっているかを察知して、自分をプレゼンするという行為なのだ。だから、先に話に出した女の子が、非常に優秀な営業マンであることとそれは無関係ではない。相手が欲しがっているものを的確に与えること。それが、コミュニケーションにおいて大事なことだと私は最近思う。

叶姉妹。あるいは演出について

それにしても叶姉妹は凄い。

雑誌などで言っていた「ゴージャス」ってこういうことだったのか、と私は3ヶ月ぶりに付けたテレビの中、あのスタイルを見て驚愕した。が、凄いと言えば、テレビが持つ吸引力も凄い。一旦スイッチを付けたら最後。目が離せなくなって、何も手につかなくなる。先日もなんとなく付けたテレビを夜中3時過ぎまで見てしまった。

ところで、叶姉妹に代表される(のか?)俳優さんやタレントの仕事って何なのだろうか、と考える。演技によってドラマや、番組を成立させることなど様々あるのだろうが、そのうちの一つは、きっと自分を輝かせることだと思う。芸能界ってそういう部分がある。

だから、彼らは画面に映る瞬間に、人を引き付けることに対し、凄い努力をしているのだと想像する。そして、テレビに映るその瞬間に自分の魅力を最大化するためにそれ意外の時間も注意と自己研鑚を重ねているのだろう。

そういうショービジネスの見えざる部分を想像すると、「普通のビジネスマンで良かったかも」などと日和って見るのだが、自分を魅力的にする必要があるのは、私達だって同じことなのだ。会社や職場は、自分が主人公。そういった場所でも、私達は、魅力や輝きを身につけることがきっと出来るはず。

なんてことを思い、今日のスーツ姿をトイレで見てみる。が、シャツはしわくちゃ。そんな自分の姿を見て、自己演出の必要性を痛感した。くたびれたスーツと貧相な体、そして睡眠不足のはれぼったい目は、叶姉妹の隣はもとより、職場にだって似合わないのだ。

6年ぶりのアルバイト

皿洗いのバイトをした。といってもお金をもらうわけではない。友達が小さなフランス料理屋さんを開いたので、手伝いに行ったのだ。頼まれもしないのに手伝ったのは、この先、こういったことでもないと、自分の業務範囲と全く違うことって経験できないだろうという気持ちからだった。

友達の店はなかなか繁盛していた。高校時代(もう10年も前のことだ!)に、一緒に学校に行ったり、授業つまんないな、って言ってぶうたれていたり、何をしたら良いのか良くわからないままパチンコをしたりしていた友達。その彼が、一生懸命自分の店にきてくれたお客さんに「ありがとうございます」と言っているのをみるのは凄く嬉しかった。

そんなシェフとなった友人にも「何もしない」時期があった。「そんなんじゃ一緒に酒飲んでも楽しくないぜ」なんてことを私に言わせる程、気力がなかった時期もあった。でも、そんな彼も今はフランス料理店のシェフだ。3時間程度しか皿洗いをしていないのに足がパンパンだよ、とこぼす私に、彼は「だらしねーな」と言って笑う。

店を閉じ、明日のための準備をしている時、私は今日のお礼のサーモンとビールを楽しんでいた(いいきなんものだ)。床のブラシがけに余念のない彼に「大変だな、店やるって」と言うと、彼はこう言った。「まあね。でも、おれの作った料理を食べに来てくれて、お金を払ってくれるんだよ!これほど嬉しいことないよ!」。

ほとんど一人で仕入れをし、仕込みをし、お客さんを迎え、料理をし、料理を運び、皿を洗い、片づけをし、そしてまた明日の仕込みをし、会計をし、明日にそなえる。店を開いてからの彼の生活はそんな毎日。しかし、原価ぎりぎりで料理を提供しているため、「全然もうからない」と言う。

私はそんな彼を見て思った。誰だって日頃何かサービスをし、お金を手にしている。でも、店での数時間ほど、お金を稼ぐことの重みを感じたことは最近なかったな、と。サービスを出す側と、とサービスを受ける側が、地続きな小さなレストランだから、私はそれを痛切に感じたのだと思う。そして、一日の仕事を終え、厨房を一生懸命掃除する彼を見て思った。「働くって凄く良いもんなんだ」と。

夏の終わりと、愛される資格について

「いいな」と思っていた女の子に「私にはあなたに愛される資格がないの」なんて言われる(若干ロマンチックな脚色あり)。なるほど。こういう言葉が世の中には存在するのか、でも愛されるのに資格なんてあるかい!と私は悲しく思ったものだが、企業が人を求める時には、必ずといって良いほど、経験何年といった「資格」の項目がある。

そんなわけで、私達は、「あーこの募集には私は資格が足りないや。。」なんて思ったり、「やったー私ばっちりだ!」なんて喜んだりしているが、この資格という項目はどうも誤解を招きやすい名前なのではないかと、一人身の土曜の昼下がりふと思う。

というのは、この資格という「言葉」が、また別の意味を持ってもいることが原因。それは、MBAとか、なんとか2級といったような<資格>のこと。仕事がら、資格とかキャリアアップをテーマにした本とかはできるだけ目にするようにしているのだが、どうも、この前者の「資格」と後者の<資格>が、入りまじって解釈されているに思えるのだ。

企業の人事の人や、社長に話をきくと、後者の<資格>を求めている会社って実はあまりない。もちろん、凄い有名なコンサルタント会社とか、お医者さんといった専門性が異常に高い職種では、応募資格として、<資格>を求めている企業もある。(医師の資格=免許のない人には、さすがに手術をしてほしくない)が、おおかたの企業では、<資格>ってあまり重視していない。それより求めているのは実務の経験があるかだ。

だから、転職のために<資格>を取得するという人がいると聞くが、私は、それより応募して見た方がはやいのにな。。と思ったりする。どんなスペシャリストの人だって、数年前は未経験だったのだ。それは、「どんなプレイボーイだって、最初は。。」という良く言われる例に明らかだ。つまり、「考えるまえにやる」という根性が求めれらていると私は思うし、結果としてその方がロスが少ないのでは?と思うのだ。

で、いきなり冒頭の話に戻ると、「愛される資格」なんてやつもどこにもなくて、求めている人がいるのであればそれで良いのではないか、と思う私。が、これは経験不足からくる甘い考えかもしれない。それに彼女なりの言い訳なのかもしれない。そんなわけで、今の私にとって、愛というものは、仕事以上に難易度が高いもののように思える。そして、仕事もままならない私は、自分が幸福になる資格を求め日々業務に励む。

携帯電話の購入、あるいは結婚式の段取りについて

携帯電話を買うことが出来ない。

どの機種にしたら良いのか悩んだり、複雑な料金システムを理解しようとしているうちに、はや数カ月。友人には、連絡をとれないと良く怒られる私。が、特に怒られるのが結婚式の2次会のお誘いといった冠婚葬祭の時。

何ヶ月も連絡をしていないため、連絡先のわからない私の住所と電話番号をどこからか探し出し、「2次会があるので、ぜひ出席してください。」と告げてくれる友人達。そのたびに「なんてきちんとした人達なのだろうか」と私は感心する。そして、いつもその後連絡先が不明なことを怒られる。

という話とはあまり関係はないのだが、最近妙に結婚する友人が多い。で、ふと考えてみると、結婚するという連絡をくれる人は大抵が段取り上手な人。

(逆に段取り下手な人がやむを得ない事情で結婚ということもあるよう。。)そんなわけで、計画性と結婚には運命をこえた関係性があるように思える。

というのは、私なんて結婚よりも、結婚式をあげることを考えただけでパニック。式場を決めること。出席者を決めること。気の利いた挨拶をすること。。なんてことを考え始めると、「結婚はやめよう」と「一人」で思ってしまうくらいだからだ。携帯電話を購入できないような優柔不断の私に、結婚式の段取りをうまく進めることなんてできるのだろうか、いやできまい。

さて、そんな毎日を過ごす私の同僚が、昨日結婚をした。ハードな仕事をこなしながら式の段取りをしていた同僚をみると、「こいつにはかなわん」と思ってしまう。今の私には仕事をしながら別のことをする余裕はないに等しいからだ。

で、また全然話しはかわるのだが、「最近、お前のコラム色気づいているな。お前さみしいんだろ」と言われることが多い。でも、それは真実だ。携帯電話がなくとも問題なく過ぎる日々ってどこか寂しいもの。結婚も仕事も携帯電話の購入もすべて段取り下手が原因でうまくいかないのではないか、と思う27歳の初秋は今日も残業。。(最後に若!おめでとう!幸せにね!)

食欲、あるいは職について

三度のメシより○○が好き」という言葉があるが、仕事に関しては、それは危険だ。死んでしまう。まあ、そんな危険を冒す人はいないと思うが、最近私は「食べるために働く」という意識が、実は凄く大事なんじゃないかと思う。

ところで、先日こんなことがあった。

残業が長くなると近くのコンビニに夕食の買出しにいく私達エン・ジャパン。その日も、いつものように買い出しに行った。スパゲティーや紅茶の入った袋を持って信号待ち。赤が青に変わる瞬間をボケ~と眺める私の口から、想像だにしない一言が出た。

「福田、実は俺、俳優になりたかったんだ。劇とか出てさ。」

同僚の福田は、私の突然の意味不明な発言に目を大きくした。(何故突然こいつはそんな告白をするのだ?)福田は、私が俳優になりたかったことなんて今の今まで知らない。それはそうだ。私だってその時初めて知ったのだから。

この一言は彼の「お前ばか?」といういなせな態度であしらわれたのだが、私はこの言葉がどこか気に入った。あまりにもとっぴょうしもない考えだが、私は自分がまだ俳優になる途も残っているということに気づいたのだ。もちろん俳優になる気なんて全然ないのだが、どこか世界が開けた。

転職という行為が特別のことじゃなくなり、最初に入社した会社にずっといつづけることがなくなった今、私達は常に「何をしたいのか?」と問われている。そして、何をして仕事をしていくのかという問題も煎じ詰めれば、何をして食べていくのか、という問題になる。でも、これは逆にいえば、食べていければ、自分の好きなことを仕事にしてよい、ということにもなるのだ。

「何を食べるか。その食べ物を買うお金をどうやって手にしていくのか。」

私はこの問題をよく考える。食(職)欲の秋。

Job or Life あるいは、汚れた部屋

小学生の頃、私は器用だった。図工でも、音楽でも、国語でもある程度こな しつつも「いたずらっこ」というポジションを保つ生意気なガキだった。で も、最近自分は不器用になったと思う。仕事に力をそそぐと、生活が乱れる。 20代後半の独身男性の生活の乱れというと、女性関係を想起させてしまいそ うだがそちらは一寸の乱れもない。私の場合は単に部屋が汚れる。 さて、私がそんな自分の不器用さを痛感したのは先日部屋に泊まりにきた友 人の言った一言だった。 「気持ち悪くなった」 彼は私の部屋にきてそう言った。友人は明け方の4時くらいに「タクシーで 帰るわ」といって私の部屋を出ていった。そっちの気はないのだが、なぜか ふられた気分に浸る私。私の部屋は友人を帰してしまうほど乱れていたのか。 そう、日々の掃除。毎日の切り抜き。情報収集。といったルーティンワーク が仕事で大事なことと同様、日々の生活でのルーチンも大事だ。掃除、洗濯 などなどを日常的に、定期的に行うこと。これは、人が基本的に「めんどう くさがりや」であるため、とても重要なことだ。 言うまでもないが、このルーチンをきちんとこなしていかないと、私の部屋 の様にひどいことになる。そして、友人の気分を悪くする部屋が出来上がる。 「めんどうくさい。」人生にとってこのネガティブな気持ちは想像を超えた 強敵なのではないだろうか。 というのも、私達が日々仕事をしたり生活を営んでいくには想像以上のパ ワーがかかることだ。でも、そのパワーをきちんと放出できるような環境を 整備しておかないと必要とされる力を発揮することは出来ない。そして、日 々の仕事もその土台となる生活を確実にしてこそ成り立つものなのだ。 と「転職の法則」風に一旦まとめてみるが、仕事と生活の両立は今の私にと ってほんと大変。今の私に器用だった昔の面影はもうどこにもない。 でも、仕事と生活を両立させることって他の人は大変ではないのだろうか? 私はそれが知りたい。

弟の就職、あるいはガスの故障

私の弟は、学校を卒業してから仕事もせずに家でぶらぶらしていた。

ワーカーホリカルに働く私からすると、そんな彼をみるとなんかおさまりが悪かった。が、そんな彼が先日就職をした。彼と電話で話すと、「仕事を覚えるのが楽しくてしょうがない」という。仕事柄だろうか、こういうことを聞くのは嬉しい。自分の身内ならなおさらだ。ちなみに仕事はガス関連の仕事だという。

なんて話しを彼と電話で話しをした数日後、私の家のガスが壊れた。「これから寒くなるぞ」という時にお湯がつかえなくなるのは本当に不便。数日の間、私は同僚に「風呂を貸してくれ」と頼んだり(あっけなく断られる)サウナを利用したり(好きだから良いのだが)水のシャワーをあびたり(かなりきつい)せざるを得なくなった。

そんなふうに4日程をなんとか過ごし、やってきた休日、私はガス会社に修理の依頼の電話をした。電話に出た人は「それは不便でしょ」といって、深夜(寝過ごした)にも関わらず直しに我が家まで来てくれる。雨がしとしとと降る夜中12時頃、修理にきてくれた人はてきぱきと私のガスメーターを取り替えてくれた。夜中に直しに来てくれたという事実が私は嬉しかった。

だからか、ひさしぶりの自宅の暖かいシャワーはいつになく爽快だった。
「あって当たり前と思っていることこそ大事なものなんだな」と痛感した。

この話を、次に弟と会ったら、酒でも飲みながら話しをしようと思う。きっとそんな風に酒を飲む私達を見たら、父も母も喜ぶに違いない。というわけで、弟と仕事の話をする日が待ち遠しくてしょうがない。

彼が、先日私が受けたような喜びを多くの人に与えるような仕事をしていると良いなと思う。

メールでのやり取りあるいは仕事上での友人

仕事の関係である飲み会に出席した。

出席者の多くは、何度か飲み会で会ったことがあるらしく非常に和気あいあいとした雰囲気。私は初めてということもあり「借りてきたネコ」のように刺し身をツマミに一人ちびちび。その時に思った。仕事上でも友達って出来るのだよな、と。ともかく、盛りあがる飲み会で一人飲むのは寂しいものだ。

さて、私は仕事で沢山の人と会っている。が、その内の何人と「出会え」ているのだろか?と考えるとちょっと不安。アドレス帳に登録されている名前や名刺の数よりも、一緒に飲んだ人や、どれだけお互いにとってプラスになる話しが出来たかで、交際範囲を広げられたらよいのにな。と思う。

私がメールを仕事で使うのが当たり前になって数年が経つ。もともと人と話したり会ったりするのは好きな方なのだが、最近なかなかこうした時間がとれないのだ。どうしても「じゃ詳細はメールで」となってしまう。そして口々に「近いちにお酒でも呑みたいですね」というのだが、最近この一言が期せずして社交辞令のようになってしまっている。

メールが私と誰かを繋ぐ良いツールであることは間違いないのだが、そのやり取りする人の数が増えれば増えるほど、一人一人と話す時間が少しずつ少なくなってしまっているように思えて仕方ない。今私が出会っている人の中に、もっともっと時間をとって様々な話をしたらお互い(いや少なくとも私には)プラスになる大きな可能性が存在しているように思えるのだ。

さて、この数年の間、私は仕事を通して友人と呼べる人に何人と出会えたのかと考えると、自分の友人を作る能力にけちをつけたくなる。

みなさんはどうなのでしょうか?仕事で良い出会い見つけてますか?それともこういうことを仕事に望むのはオカド違いなのでしょうか?良くわかりませんが、仕事での出会いはできるだけ豊なものでありたいと思う今日この頃。

仕事で友達の出来る人はきっと仕事の出来る人だと私は思う。って寂しいんだよな。飲み会で一人って。。

第一印象の大事さ、撤回される前言

今まで生きてきて、「人付き合いは大変だ」と言う人と結構会ってきた。が、私はそう思ったことはない。人との付き合いが、思い通りにいかなくて、

「こんにゃろ!」と思ったことは何度もあるが、基本的に私はプライベートであれ、仕事であれ人付き合いが好きだ。

さて、私の所属する会社、エン・ジャパンにも、新しく数人の方が転職してきた。新しく入った方は年齢が上の人も下の人もいたり、男性も女性もいたり、ひげの人がいたり、とバラエティーに富んでいてなかなか刺激的。彼らとこれからどんな絡みをしていくのかな?と考えるとわくわくする。

そう言えば、私は営業をしていたとき、初回訪問の最初の5分間が一番苦手だった。しかし、新しく入社した人と「はじめまして!よろしくです!」なんて自己紹介をすると、第一印象、そして広い意味でのコミュニケーション能力って凄く大事ということを再認識する。きっと最初の5分間をもっと上手に演出できていたらもっと多くのお客さんを獲得できていたはずだ。。

そんなわけで、私は今まで、転職した時の自己紹介って大変だよな~と思っていた。が、相手ときちんとコミュニケーションがとれて良い関係が築けるかが大事なことは、転職に限らず、営業で初回訪問した時や仕事上で人と会う時も、同じ。それに、これからは1つの会社に入って知った顔だけどずっと付き合い続けると状況ではなくなる(と思う)から、人と良い関係を築ける能力は、今まで以上に大事になるのではないかと思う。

ちなみに、以前このコラムで、「社会人になると、新しい出会いが少なくなる。」と嘆いていた私ですが、この言葉、撤回することにしました。会社にいても新しい出会いがあったのですからね。てなわけで、毎年秋はちょっとしんみりするのですが、最近は新しい人との出会いで、妙にハイテンションな私です。

ひげ、あるいは、ワンランク上の仕事

会社幻想が崩壊し、必要なのは個人の能力と言われるようになって久しい。自分だけのオリジナルな能力を身につけることや、現在保有している能力に加えた新しいスキルを身につけ、伸ばすことが大事だと言われる昨今、私が所属する会社は、ひげの人が二人いる。

「今私の会社は30名程度ですので、弊社のひげ率は、今現在、7%です。このままの伸び率で100人になった場合、実に7人ものひげが存在するとになります。」となんとなく報告口調で言ってみるのだが、これは日本企業の平均値より高い数値だと私は想像する。

ところで、全てのことには原因があると考えるなら、このヒゲ率が示すものも存在するはず。それは何なのかな~?とヒゲの理由が気になる私は、「どうしてひげにしたのですか?」とヒゲの早川さんに聞く。すると早川さんは、「若い時分に大きめの仕事をまかされた時って、年上の人と仕事することが多いでしょ。その時、若造という印象でなめられることがあってさ、それが癪だったからヒゲ生やしたんだ。そしたら、この顔が当たり前になった」と言う。

なるほどね~。そう言えば最近このコラムに頻出するもう一人のヒゲ福田(同期)もそんなようなことを言っていたような気がする。少ないサンプルだが、ヒゲは自分の年齢や立場よりもちょっと上の仕事をしようとした時に生えやすいようだ。そう考えると、ヒゲ率の高い会社は社員にちょっと高めのことが要求される会社と言えるかもしれない。

そう言えば昔、私もひげには興味があったのだが、(実は大学の時一時生やしていた)ひげの社員があんまり増えるのはどうかと思い、今のところヒゲの予定はない。で、また坊主にしようかな、と考えるが、冬にそれは厳しいだろ、それに、内面や能力で差別化をしていけよ、と冷静な私が言う。

しかし差別化の方向性、今だみえず。

食事の決定力。あるいは、影響力について

同僚と食事に。でも、何を食べるかが決まっていない。「今日は何にする?」という同僚の一言の後に続く沈黙。私もとり立てて食べたいものがあるわけでもない。しかし、今日のところは食べたくないものもある。カレーは昨日食べた。中華もちょっと重い。ファーストフードは気分ではないし、和食といっても、お蕎麦関連は今日のところはNG。

で、「カレーは昨日たべたから嫌だ」ということをまっ先に言う私。が、毎度余計なことを言うSが、「カレーか、カレーもいいですね」と言う。「そうだな、カレーいいな」「カレーだったら最近できた店が評判良いみたいだから行ってみよう」とカレーな雰囲気に勢いがつく。

おいおい、ちょっと待てよ、という祈りは誰にも届かない。私の主張は逆効果。こういった時、自分の影響力を思い知らされ、私は日頃の行いを悔やむ。そして、「本当はスパゲティーが食べたかった」と気がつくのはメニューを見てから。毎度のことだ。

二日目となったカレーを食べながら「どうしてこんなことになるのかな?」と考えてみる。すると、あることに気がつく。なんだかんだ言って、最終的には自分の食べたいものに周りを引き連れていく人間は、必ずといって(いいのだろうか?)良いほど、情報が豊富なのだ。新しいお店が出来た!美味しいと評判!雑誌 に載っていた!彼等はそんな情報を武器に食べたいものを食べるのだ。(多分)

そんなお昼を過ぎた午後1時の会議。上司から「この件、お前はどう思う?」と言われる。私は3分ほど前から考えていたとっておきの意見を披露するのだが「本当にそう思うのか?」と突っ込まれ、反対意見に花が咲く。「どっかのレポートで読んだのですが違うみたいですよ。」etc.気がつけば自分の意見とは、全くことなる解決方法が選択される。毎度。。

ふう。食事に引き続き、こんな風に会議でも同じことが繰り広げられるとブルーな気持ち。自分のせいだからしょうがないんだけれどな、と歯をくいしばる私の口にはかすかなカレーの味。

天国と地獄。あるいは「いっぱいいっぱい」

今私は「いっぱいいっぱい」だ。

「仕事が天国だったら、人生は天国だ。」たしかゴーリキという力の強そうな人が言ったこの言葉を、私はコラムを書くとき良く思い浮かべる。仕事というのは、よくよく奥が深いテーマで、深すぎて、時々このコラムがかけなくて困ることがある。そんなわけで、今日も、かなりの時間PCの前でうんうん唸っている。時計を見たら6時間くらい経っていた。

ネタ切れ。数カ月に一度、このようなことが私に訪れるの。この状況は結構あせる。さっき、テーマを求めて、このコラムのバックナンバーを100数十回分読み返した時も、数十回に何回か、このネタなしの危機の回があった。どんな営業マンだってゆとりがある時はすらすらとセールストークが出てくる。企画マンだって、新しい企画が頭に浮かぶ。しかし、「いっぱいいっぱい」だとコラムのテーマは全くでてこない。

コラムを毎週書くというのは、こんな風に、時として地獄を私に垣間見させる。「いいこと書けたな~」という天国を感じることがあるのだが、毎週私は、仕事と人生の天国と地獄の間をいったりきたりする。それでも、このコラムを面白いと言ってくださる読者の方がいる。ほんとうに有り難い。。やはりお客さん(読者の皆様)は神様だというのは本当だと思う。

ちなみに、最近、私はこの「いっぱいいっぱい」という表現がなにかしっくりきている。誰かが流行らしている言葉なのだろうか?御存知の方がいたら是非教えていただきたい。だって、この言葉が流行っているのが、私のいる会社の中だけだったら、ちょっと嫌な感じのする言葉なのです

祝祭、あるいは職場の雰囲気について

最近、私の回りではめでたいことがめじろ押しだ。

先週末は、大学時代の友人の結婚式で仮装パーティー。なかなか集まりに顔を出せない私なので、仮装パーティという特殊な雰囲気でも、近況トークに花が咲く。「お前仕事何してんの?」と言われるも、自分の仕事を人に説明するのが下手な私。いろいろ説明するのだが、「なかなか楽しく働いているのね」という一言で会話が終わる。「これは転職の時が思い遣られるな」と思う私。面接官は私のことを単なるおめでたいやつと思うに違いない。。

ところで、普通は「楽しそうな会社とか仕事」って言われるところだ。「楽しく働いている」という友人の言葉がひっかかる。確かに私の会社は、派閥争いとか、社内遊泳術とか、 ごますりとか、人の悪口とか、楽しくない(と私が思う)ことがあんまりない。(あるのかもしれないが私は知らない)だから、友人の言葉は間違ってはいない。でも、社会人4年目にもなって、そんな風に言われると気になってしまう。あまりに頭が弱そうだ。

そんな訳で、女装した男や男装した女、そして、覆面レスラー達が酒を呑みかわす中、私は一人「楽しさ」の理由を考える。すると、私は、仕事を祝祭と考えていることに思い当たる。プロジェクトや商品という御輿 や出し物を同僚と担いだり、準備しているのが会社、つまりそれは祭り、と私は考えているのだ。

まあ、結婚したり子供が出来たりしたら(こういった切実なテーマに直面するのが友人の結婚だったりする。。)こんなような「祝祭」なノリだけでは仕事はできないのかもしれない。責任が重くなればなるほど、胃がきりきりし、そんなことを思う余裕もなくなるかもしれない。

でも、たとえば、文化祭の前の日はヤンキーも優等生もイケテイル人もイケテイナイ人も一緒になって何かを作れる。祭りにはそんな力があり、そういった時だからできることがある。職場が、結果を求められるプロの集まりで、シビアな場所ならばこそ、こういう気持を大切にしていきたいと思う。

困惑、あるいは正しいだけの言葉について

そう言われても。。と困る時がある。

次のバスを待つまでの10分間。私はタバコに火をつけ、一服をする。灰皿は?と探すも、10メートル四方探してもどこにもない。が、その代わりに大きな張り紙。

「ポイ捨て禁止」

私達は、時々、こういう「どうしたら良いのだ」という中ぶらりんな空間に紛れ込む。「世界が平和であるように」という標語を目の前にした時や、やや暗がりにある「痴漢に注意」等もそうだろう。一体どのようにして世界平和を実現したら良いのか、そしてどう痴漢に注意したら良いのかが全然わからないのだ。

こういった空間は、もちろん社内にもある。「顧客満足を高めよう」や「社会貢献を目指す」という言葉。私はこれらの言葉にその臭いを感じる。言っていることは正しい。が、どうしたら良いのか?という解答がそこにはない。

売り上げがのびず悩む部下に「こうしたら良い」という解答を与えることのできる上司と、「もっとがんばれ」ということしか言えない上司が二人いたとした時。どちらが有効に売り上げをのばせるか。もちろん、解答内容にもよるのだろうが、解決方法を知っている上司の可能性が大きいと私は思う。

さて、こういった宙ぶらりんさを無くすには、どうしたら良いのか?残念ながら今回のコラムの中にこの解答は(もちろん)ない。つまり、私もこういった空間を作り出す一人だ。その力不足のせいなのだろうか。深夜の帰宅時、トイレに行きたくて早足で家に向かう途中、「痴漢に注意」という標語が目に入る。5メートル前には一人のうら若き乙女。「俺のことを注意しているのだろうか」とトイレにかけこみたいくらいの気持ちを押し殺し、ゆっくりと歩かざるを得ない私がいる。

そんなわけで、こういう言葉は困るのだ。

客観視の大事さ、あるいは単なる反省

自分を客観視することは大事だ、と思う。

企画立案の時も、営業の時も、日々仕事をしていく上で、この自己の客観化って凄く大切だ。これを忘れると、主観の塊の私は、思い込みと、独り善がりで手痛い失敗をする。

自分を客観視すること、それが出来れば、商品に思い入れをするあまり、買う人のことを無視してしまうことや(良く上司に怒られた)、人のことよりも自分がどう思うかを優先させてしまうこと(良く上司に怒られる)は少なくなるだろう。はあ。いままでこういった過ちを何度くりかえしてきただろうか。が、そんな過ちを私はまたやってしまった。それも、このコラムで。

前回、煙草の「ポイ捨て禁止」をさわりとして、コラムを書いた私。自分や自分の回りの人間が、かなりヘビーな喫煙者であるため、こういうことってあるよね、と納得をしてコラムを書いた。が、発行後、煙草を吸わない読者の方から、「携帯灰皿を持っていれば済むこと」、そして、「捨てるところを確認してから吸うのが当たり前」というメールをいただいた。

確かに!「私は捨てない、というCM、あれは当たり前です」という意見もいただいたが、良く考えてみたら本当にそうだ。前回、「正しいだけの言葉」なんて題名でコラム書いてしまいましたが、すいませんでした。全然正しい「だけ」じゃなかったです。私が間違っていました。。

なお、この件でうんうんうなっている私に「そんなことお前今知ったの?バカじゃ~ん」くらいのことを言う同期の福田=非喫煙者は、[en] のプロデューサー。そこまで酷評するのであれば、内容を事前に彼に良く見せようと思うのだが、今回はいつもに増して内容がないような気がする。大丈夫だろうか?そんなことを思う私だが、今回のコラム書き終えた後、転職の法則を読むと、「俺って駄目かも」と思わせる何かがあのコラムにはあるような気がしてならない。転職の法則は人気が高いと聞くが、私にはレベルが高い。

キムタク、あるいは、親近感

コラムジョブ。「毎週楽しみにしています」という感想を下さったみなさん、ほんとありがとうございます。毎週コラムを書くという数奇な運命を私は愛せるようになりました!

さて、今、愛といえば、キムタクの結婚。歳が同じ。小学生の頃のライバルが木村君。そして、多感な中学生の時には「セーラー服を脱がさないで、って言われても嬉しくなるぞ、俺は!」だった元おにゃン子ファンの私としては、「やられたよ。拓哉。でも幸せに!」という感じだ。なお私は工藤静香さんファンではなく、新田、ってやめましょうねこういう話題は(笑)

ところで、キムタク、ひいては「SMAP」って私から見て芸能人で唯一一緒に遊んでみたいと思う人達だ。この感じは、シブがきな人達にも、もちろん光ゲンジな人たちには感じなかった。あ、TOKIOのリーダーとは飲んだら面白そうだけど。。でも、全体的にそう思うのってSMAPだけだ。

で、この親近感の理由を、久しぶりに沸かしたお風呂の中で考えたのですが、これって彼らが「仕事している」という感じがするからかなって思います。がんばりやさん、あるいは、なんと言うか素(す)。だから、この1点で、話してみたいな、と思うのです。仕事しているという点では芸能人もサラリーマンも全く同じですからね。

な~んて考えると、彼らの人気って、社内で仕事がんばる人が人気者というのと同じ気がしませんか。(あのルックスがあるのはもちろんですがね)だから私が木村君に感じるライバルな感じだって、この点で納得がいくのです。仕事頑張るという1点においては、私だって負けませんからね!

私、彼らを見ると「よーし俺もがんばろ!」って思うのです。そう言えば、「頑張りましょう」なんて、いう歌もありましたしね。というわけで、今週は、さっき買ってきたライオンハートをリピートしながら書いたので、こんなコラムジョブ。今度カラオケ言ったら、絶対SMAP歌う予定です。

怒られること、あるいは、どこでも通用する人材

私は、おこられるのが嫌いだ。そしてほめられるのが好きだ。

社会人4年目の終わりにもなって子供じゃあるまいし、とも思う。が、私の行動原理は、相変わらず、いかにおこられずに、ほめられるかというところにある。

さて、仕事がタイトになると時間にルーズになったり、一つ一つの精度が落ちこむ私。「最近タイト?]という気持ちは、不安で不吉な占い師の囁き。そんな「いっぱいいっぱい(使ってますよ!この言葉)」な私はやっぱり上司に怒らた。

「君の仕事の進め方は、他にいったら通用しない!」そして、「生活のルーズさを仕事にもちこんではいけない!」と。

ぐぐ。。「前半」→もっともです。「後半」→「そんな切り口で来ますか!」と驚く私。が、上司の言っていることは正しい。ルーズさと言えば、休日は24時間寝続けたり、逆に24時間起きっぱなしで遊んだり。先日衣替えで取り出したセーターは管理不足のため、5着が虫にくわれる始末(虫は赤いセーターが好きみたい。お気をつけを)。

なんて話しは置いておいても、上司の言った言葉は自己啓発書100冊よりも私のハートを掴み、心を入れかえようという決心をさせた。ちなみに、私の心はしょっちゅう入れかわるのだが、これは2000年最後の入れかえだ。(ちなみに、生活の方も改善の予定)

ところで、最近、「どこでも通用する人材になることが大事だ」とかいろいろ言うけれど、私はそういう人材って、きっと仕事であんまり怒られない人なんだろうな、と思う。まあ、この「あんまり」のもつニュアンスはかなり微妙なのだけど。。そんな訳で、心を入れかえた私だが、きっとこれからも誰かにおこられていくのだろう。このことは、21世紀になっても続くのかもしれない。と思うと逆にやる気が出てくる。私ってばマゾなのだろうか?

ハイテク&デジタルVSアナログ戦争

で、今、私の手元には、パームと、システム手帳と、普通の手帳と、「超」整理手帳がある。で、今はどれを使ったら良いのか判断がつかないので、全てを併用するというそもそも管理が出来ていない状況にある。

年の瀬が近づくにつれ、頭を悩ます私に教訓を与える話を知った。たしか

(いきなり記憶不鮮明)宇宙開発競争の話。NASAの科学者達は大きな悩みを抱えていた。無重力状態では、ペンが使えないため、何も記録ができなかったというのだ。NASAはこの難題に、巨額の資金を投入、「宇宙飛行士ペン」を開発した。方やソビエトは、この問題を独自で解決した。どうしたか?

鉛筆を使ったのだ。

凄い知恵!自分で書いていても「なるほど~、と」納得するこの話(しますよね。しますよね。)まあ、ともかく、私この話なんか凄い好きなのです。いろんなことがどんどんデジタル&ハイテクになっていく最近だからこそ大事な目的は何なのかということです。このことは、ふと忘れられてしまいがちなので、私はこの話を思い出すようにしています。

そんなわけで、21世紀の時間管理は、パーム&デジタルで!なんて思っている私は気がつくといつも使っているのは手帳。でも、ITとか技術とかがどんどん進んでいく昨今、必要なのは、テクニカルな技術より考える技術なのかな?な~んてうがってみたりしています。

ふう。21世紀、来るのですね。子供の頃みたあのきらびやかでハイテクな21世紀が。だからかな、本当はデジタルでやりたいのです。管理。でも、きっと来年も手帳と鉛筆になるのだろうな。。私の場合、鉛筆なめなめして。

忘年会、お酒、コラムジョブ

「ボーナス出るし、年末だし、いくか今日も一杯!」なんて勢いがあるこの年末ってやつは、とかくお酒を飲む機会が増える。そして、これに伴い、私の体内のアルコール度数も急激に増加する。で、二日酔い。なんて書いたら、いきなり漫画に出てくるサラリーマンみたい。いるのか?最近こういう人?

ところで、「お酒」と「サラリーマン」いう観点に立つと、仕事のできる 人って、やっぱりお酒も上手に飲む。そもそもお酒の飲み方ってタイムスケジュールを作成する力なんだよな、と最近思う。

私も2時くらいまで飲むと、次の日が心配になって、「えーとあと6時間で仕事だから、かなりがんばってアルコール分解しなくてはならないな。」なんて考えること自体が酔っぱらっている証拠。6時間でアルコールを消化できるほど私の体は後腐れなく出来てない。普通出来てない。

そして、翌日は頭ガンガン。実は仕事のペースちょっと遅め。ということになる。(もちろん上司には内緒)でも、これって全然ダメ。転職する時の面接だったら絶対に落とされる。

そんなわけで、このコラムの表題になっている「すべてのことはジョブに通ずる」というのは意外と正しいと思う今日この頃なのだ。

でも、仕事と楽しいお酒、どっちをとるかっていったら、10回のうち2回はお酒だなと思ったりする。

まあともかく、21世紀に向けて、美味しいお酒、飲みたいですね。

行く年、来る年、コラムジョブ

年末だ。以前から年末への心の準備(?)はしていたのだが、なんだか、いきなり年末になった気がする。ところで、この年末という時期、とかく自分を振り返る機会が多い。冬のボーナスで、今年一年の仕事と会社からの評価を。正月の年賀状書きで交友関係を。そして、クリスマスに愛を。

というわけで、また年末がやってきた。今年の年末は、世紀末ということもあって、なんだいつもより10%くらい腰のすわりがわるい。どうも浮き足だってしまう。

2001年。新しい世紀。イベントに弱い私は、いつもにも増して何かをしなくてはいけないような気持ちになる。でも、方や、「世紀が変わったって全然たいしたことないじゃん」という気もする。でも、 この焦りというか座りの悪さは一体なんなのだろうか?

ところで、このコラム★ジョブ!もなんと3回目の年末を迎えることになった。で、「昨年は何書いてんのかな~?」と思って昨年のコラムを読んでみたのだが、私は、「ボーナス、正月、クリスマス」という題名でコラムを書いていた。冒頭に引用したのは、その文章の一部だ。

この文章を書いた昨年の私に比較し、ボーナスはおかげさまで何とか増えた。仕事を通じ、交友関係もかなり広がった。愛は。。。相変わらず探している。ここで私はふと考える、「おいおい。俺、1年前とそんなに変わってないっすよ!」と。人って、1年もあれば結構変わったりするはずだ。でも、昨年の私に比較し、今年の私はそんなに変わっていない。だって、下手をしたら引用した昨年の文章と同じようなものを書いてしまいそうだった。。

そんなわけで今年の終わりは、座りの悪い腰を温かいこたつでぬっくりさせ、みかんを食べながら来たる新しい時間に想いを馳せたいと思う。そう、2001年という年が、私にとって、一体どんな年になるのだろうか、と。

が、そんな疑問の答えを、来年の今ごろ書く、コラムジョブが知っているのかと思うと、「やっぱり変な仕事しているな」と変な気持ちになる。まあ、もちろん続いていればの話だが。。。

というわけで来年もコラムジョブよろしくお願いいたします!

製造中止、あるいは意思決定について

物事にはどうしてもその時ではなければならないという時がある。最近そんなことを痛感する。

さて、年始には何故か買い物をしたくなる私。この2001年のはじめも、21世紀を迎えるべく新年のお買い物に出かけた。なお、メインを新しい自転車(盗まれたので持ってなかった)と携帯電話(必要なかったので解約していた)とした購入計画を立てた。

久しぶりに行った携帯電話屋さん。その電話の凄い数におどろく。しかし、その膨大な数の携帯電話の中に私が買おうと思っていた「ビールに入れても大丈夫なごついモデル」がない。店員さんに聞いてみると「数ヶ月前に製造中止」になってしまったという。いくつかの店を回ってみたが、どこも同じ回答。しょうがないので、適当なやつを購入した。

気を取りなおし、自転車を買いに無印良品へ。(ここの自転車大好きなんですよね)。赤色のやつが、前から欲しかったので、その場で購入して、乗って帰る予定を立てていた。しかし、店頭にそのモデルはない。店員さんに聞いてみると、そのモデルはどうやら限定モデルで、今は買えないということだった。

「製造中止」に「限定モデル」。これらは、私はどんなに切望しても、もう手に入らない。数ヶ月前に店頭やカタログ、広告で見かけたときに買っていれば、と残念でしょうがない。

でも、ふりかえってみると、私はこういったことが多いのだ。そう、もちろん仕事でも。やらなくてはならないと思いつつも、先延ばしにしてしまい痛手を受けたことが一体どれほどあっただろうか?物事には決心をすべき時があり、その時に意思決定をしておかないと何かを手にすることはできないのだ。

そんなわけで、これからは、そういうことがないよう「早い意思決定と行動」を重点目標とする。が、そうすると、欲しいと思ったら買うという状況になってしまい、私の部屋には、着るはずのない服と履くはずのない靴がある。これはこれで困ったものだが、ともかく新しい年が始まった。

今年もコラムジョブ、よろしくお願いいたします。

整理された部屋、あるいは出来る人間

今、私の部屋は信じられないほどきれいだ。

ついこの前までは、家に帰るのがブルーなくらい汚かった私の部屋。しかし、最近は自宅にいるだけでも、安らげるくらいきれいなのだ。(「あいつの家で見たこともない虫をみた」だとか「新しい生態系が発生しているようだ」と言った福田(同僚)!是非来て欲しい)

というのは、「彼女が出来たのです!」

なんてわけはなく、単に年末大掃除をしたため。段ボールに10箱をこえる本を古本屋さんに売りはらい、使うことのなかったステレオは、たまたま営業にきたケーブルテレビのお兄さんにあげ、いらないものはすべて捨てた。そんなわけで今私の部屋は信じられない程きれいなのである。

さて、そんな中、先日、会社に初出社。私は、机の上の混雑さに愕然とした。ブランドうんたらかんたら、マーケティングうんたらという読むはずのない本。ワンピース、ナルト、といった「使うはず」のない漫画。。あとなぜか、ザク(モビルスーツ)も立っている。机の中はもっとひどい。靴下。漫画。お酒。エトセトラ。これで良く仕事しているな、と思う。

で、目の毒である自分の机にうんざりして、ふと周りを見渡す。私の上司の机、綺麗。同僚の机、整理されている。部下、凄い綺麗。。なお私から見て周囲の人は結構仕事出来る人。そんなわけで、机の上がきれいな人は仕事のできる人だと思う。今やっている仕事だけに集中できる机の上になっているものだ。(一体どんな仕事でザクが必要となるのだ!)

必要のないものを必要な場所においてしまうことはよくない。これは日々のレベルだけでなく、キャリアとか将来とかいろんなことにも関係する(気がする)。今の世の中、無駄があるのは基本的に良くない(気がする)。だって、「こいつ絶対成功するのだろうな」という人は大抵の確率で無駄がない。情報がたくさんあふれかえっている中だから、自分に必要なものとそうでないものをきちんとわける能力が必要なのだ。

「できない生徒の机は汚ない」という小学生の法則は今でも生きている。私はこの鼻水たれ~な状況を改善しようと思う

はじめてのスノボ、あるいは基本の大事さ

「腰ひけてっぞ、腰!そんなんじゃ上手にならないぞ!」

28歳にしてはじめてスノーボード(略してスノボ)をする私は、同僚福田からそんな風にコーチを受ける。今回は今年になって2回目のスノボ。4半世紀を生きている体には堪えるが、それはそれで気持ちが良い。ひさしぶりに熱くなった私は、ブーツもボードも購入した。年甲斐もなくかなり乗り気。

ところで、このスノボって奴は最初、結構怖い。怖いと思うと腰が引ける。腰が引けるとスピードが出る。するともっと怖い。このように「悪循環」という概念を見事に具現化してくれる(私だけだろうが)。頭の中ではかなり華麗に格好良く、滑っているのだが、現実は厳しい。なかなか上手くいかないものだ。

「腰だよ腰!」と福田が言う。昨日寝る前に熟読した「スノボ入門」にも「基本は腰」と書いてあったっけ。なんでも、基本が大事なのだ。そう言えば最近、仕事が上手くいかないと、入社時に上司に教えてもらったことを妙に思いだす。

「仕事の洗い出しをきちんとせよ」「仕事の期限は常に確認しろ」とか、

「優先順位をきちんとつけろ」とか。あと「お前は思いこみが激しいから気をつけろ」とか覚えきれない程沢山のことを私は教わった。

仕事はスノボと違って、「そのフォームはオカシイ」とか、なかなか見えにくい。矯正するのが結構厄介だ。だからこそ、自分でチェックしないといけない。そんなわけで、あなたの仕事も「基本が守られているか」を時々チェックをすることをお勧めしたい。

ってえらそうな終わり方、すいません。来週も「ご好評につき」なんて形(笑)でスノボネタでいかせていただきます。そう、私、乗り気なんです。

転倒、あるいは上を目指すということ

「おいおい、こんな斜面、俺滑れるのかよ!」

と、頭の中で冷静な私が叫んだことを覚えている。

今、私は机の前に座り、愛用のiMacでこの文章を打っているわけだが、先日のある時間、私はスキー場の中級者用のリフトを降りたっていた。その時は、生まれてはじめてのスノボ。ゲレンデに立った瞬間、「私はスノボの天才ではなかった」ということが明白になる。『週間少年ジャンプ』を読んでいるからか、ついつい「実は天才」という希望的観測を持つ私だが、現実と同僚(福田)は許さない。そんなわけで、いきなり中級者コース。

さて、最近、頻繁に話題にするこのスノボネタだが、決して、面白いことばかりではない。足は痛いは、腰は痛いは、そして怖いはで結構大変だ。おしっこちびりそうなんていう子供じみた言葉すら浮かんでくる。というより実際ちびっていたりもするが、私はすべりだす。like a rolling stone.

同僚に遅れること、数十分。待ち合わせ場所に。「もう1本行こう!」と元気な振りをする(足がくがく)。「もしこれが、誰かに命令されてやっていたら俺泣いているかも」なんて思いながら、またリフトに乗り、頭の中でさっきのすべりを復習する。そんなことを何度か繰り返すと、「あ、ここら辺で曲がったら良いのだな」とわかる。

スノボは、痛いし、怖い。でも、やったらやっただけ上達が出来る。これは本当に面白い。自分の力量より、上を目指した方が上達は早いという状況はわくわくする。転んだ数だけ上手くなれるのだ。

ちょっと長くなってしまったが、この転んだ数だけ上手くなれるって仕事でも同じだ。そして、上を目指して沢山転んだ人が成功するということも。だから私は、痛くても、怖くても、自分の力量のちょっと上を目指したいと思う。なお、今の私の希望は、もっとスピーディーにコラムの結論までいけるような文章を書けるようになることだ。

勘について

朝起きる段階で、今日は何か起きるぞ、という勘が働く。

それは例えば1月12日の朝、財布に20円しかなくて駅員さんに140円を借りなくてはならなくなった朝(会社いけないかと思った)。

あるいは、仕事上でのメールのミス。取引先とのちょっとしたトラブルの際、なんとか先方を安心させるために書いた長文メールの最後の最後で「ですので、ご心配にはおよびます」という意味不明な決め台詞。

こうした様々なそして小さなミスで私の日常は成り立っているわけだ。が、こうしたミスがあるから、私は大きなミスやトラブルに巻きこまれるちょっと前に「おい!ミスっぽいぞ」という勘を働かせることが出来るのだ。

そう考えると、初仕事をする新人とベテランの違いは私はミスをしたことがあるかないかという点にある。失敗の数だけ私達は勘が働くようになるのだ。勘とは、数多くの失敗によってこそ磨かれるものなのだ。

そんなわけで話は全く変わるがもうすぐバレンタイン。気がつくと、来週のコラムも昨年と同じネタを書いてしまいそうな私。仕事は大きく変わったのだが他があんまり変わらない。。

何故なのだ?この点に関しては全然勘が働かない。

どうやら私は、こっちの方面の予勘(予感)が全く備わっていないようだ。

引越し、あるいは見積もる力について

同僚の引っ越しを手伝う。のみ屋で事前のミーティング。自称引っ越し慣れしている私は、「距離も近いんだから、車なんていらないよほんと。台車で十分だって。」と豪語していた。だって歩いて10分程度のところに引越しなのだ。それくらいで良いだろう。

彼の荷物が、それほどないことは事前に知っていた。だから、私はこの考えに自信が あった。また、引っ越しのコストを下げ、終了後の焼肉のグレードアップをもはかれるという自分の計算も気に入っていた。が、彼は引っ越しのプランに「車」を入れていた。「やっぱ必要かな?と思ってさ」と彼は言った。

さて、日はかわって引っ越し当日。数時間寝坊をし彼の新しい家に。すぐさま、近所のお店に「今度近所に引っ越してきたものなのですが、台車かしてください」と言って台車を借りる。そして、「車はいらん。台車だけで、引っ越してやるぜ」なんて意気込みで私は荷物をがんがん運ぼうとした。が、数分後。切実に「車、あって良かった」と私は思う。

台車だけだったら、一体何十回往復をしなくてはならなかったのだろうか?階段の上り下りや荷物の上げ下げだけでもあんなに疲れると。。荷物の量だけでなく、私は自分の力も過大評価していたようだ。もし、私の意見で台車だけの引っ越しをしていたら、きっと今頃は筋肉痛でひいひい言っていたはずだ。ほんと、作業量と自分の力を見積もる力は大事だ。

そんなわけで、お疲れのビールを飲んだ時、「いや~、台車があって助かったよ。あれは良いアイデアだった」と言われても喜べない私がいたのだった。

「義理」について

仕事をしていく上で義理は大切だ。私達は沢山の方達と仕事をしていく上で様々なしがらみや付合いをしていくが、どの付合いも義理を欠いては上手くいかないと思う。

先週はバレンタインデーだった。私はこういう恋愛系イベントが(最近特に)嫌い(逆恨み)なのだが、今年は、義理チョコを何個かもらった。義理チョコは毎年いただいているのだが、今年ほどその重みを感じたことはなかった(何故?)くらい何だか嬉しかった。

「義理チョコだろ。それ!」と思った方達もいるだろうが、その考え方は間違っている。義理と人情はどこの世界でも大切だ。普段社内の人との「義理」を考えることはあまりない。だからこそ「義理」の大切さを教えてくれるこのバレンタインというのはなかなか粋な企画だと思う。

それに、日々、一緒に仕事をしている女性から贈り物をされるって、予想以上に嬉しいものだ。だって、その証拠にやんちゃな部下も、頑固な上司もみんなチョコもらうときはにんまりしていましたから(笑)普段、あんまりニコリともしない人が、「えっ!いいの?」なんて喜んでいる姿は見てみてなかなか良いものだ。だから、女性の皆さん!「義理チョコなんて面倒くさい」なんていわないでください。そして、来年も周りの男性の方に、チョコをあげてください。ホワイトデーのお返しはきちんとします。これをきちんとしないことが本当に義理を欠くことですので。。

そんなわけで、来年は、もっと多くのそして、もっと大きな義理チョコをもらえるように、日々の仕事を頑張ろうと思う私だった。うん。仕事がんばろ!

5年ぶりの入社試験

転職が当たり前の時代になったというが、私が転職活動をしたらどうなる?そんな疑問に突き動かされ、自社で実施している中途入社用のテストを(自主的に)受けてみた。

テストは5年前の入社時に受けたテストと同一なもの。満点も夢ではないはず!満点だったら周りに自慢できるぞ!なんて思いながらテスト開始。最初は意外とすらすら進む。が、後半になるにしたがって、、、難しい。数式や図形と格闘しているとあっという間に時間が切れた。

「おい、こんなテストみんな受けて入ってきているのか?」と周りの人に対しちょっと引け目を持つ私。(あのぼけっとしているあいつもこのテストを受かったのか?!)。しかし、持ち前のポジティブシンキングで、「まあ、7割出来たから良いだろう」なんて自信とともに、テスト用紙をもって人事担当のところへ行く。

ざっと目を通した彼は一言つぶやいた。「この問題、回答の仕方間違えているよ。」と。「えっ!」急いで問題用紙を確認する。典型的なケアレスミス。崩れる自信。「バカ?」というあふれる不安。しかし、言い訳しようとするも、「そういうことまでをはかるのがテストなんだよ」と同僚福田。

がっくりする私を見て、5年前私を面接し入社をさせてくれた上司が言った。「またミスか。。お前。。全然進歩していないな、ほんと」と。また営業部長が「お前、落第点だったら処遇考えるからな」とつぶやいた。冗談だろうが、そう言われるとつらい。でも、その日はなんだか仕事に身が入った。「やばい」という危機意識は仕事に対して集中力をあげるのだ。

2日後テストの結果が出た。結果は、「ぎりぎり入社可能」。

私は上司に「入社できました!」と報告。そんな私を見て、営業部長が

「首繋がったな。お前」と言った。あの人本気だったのかもしれない、と思うとちょっと怖い。。

休日の早朝のオレンジジュース

休日は、朝いつもより早く目覚め、絞りたてのオレンジジュースを飲みながら、いつもよりゆっくりと新聞を読む。スポーツクラブで汗を流した後、30分だけオフィスでメールのチェック。午後は彼女と待ち合わせ、以前から気になっていた映画を見た後、ゆっくりと食事をする。彼女の笑顔の余韻に浸りつつも、少し早めに切り上げ、明日の仕事にそなえる。

私はつねづねそんな休日をすごしたいと考えている。

しかし、昼過ぎまでベットの上でだらだらとするのは非常に気持ちがよい。でも、その快楽を享受した後、とても大切なものを失う気がするのも確か。特にそれが3時過ぎに目覚めたとき、時間を失ってしまったことに気がつく。

さて、今週の休日も、そんな夢と現実の狭間にある私は、「しまった!今日は先週残した仕事を片付ける予定だったのに」と午後3時に目覚める。休日に仕事を残している時点で本当はアウトなのだが、自分で立てた予定をきちんと守れないことに私は問題を感じつつ、布団の上で考える。

時間にも、将来価値を生む時間の使い方と、現在の価値を低下させる時間の使い方がある。この休日の時間の使い方に私はそれが顕著に表れているのだと最近思う。休日の時間の使い方が上手い人って仕事できる人な可能性が高い。自分の時間の使い方が上手な人は、会社という場所でも時間の使い方が上手に違いない、と。

そんなわけで、私は生まれてから、休日の早朝のオレンジジュースのおいしさを味わったことがない。そして、午後3時に目覚めた私は、やるせなさとともに、午後3時からの睡眠へと向かった。

「本当」について

先日、上司に出した企画。上司は一言「この企画本当に上手くいくと思っているの?」といった。こういう場合、私は非常に困る。「本当に思っているか?」という質問に答えることは大抵難しい。

さて、この「本当」という言葉は、意外にも友達と話していると良く出てくる。「仕事は結構好き。でも、本当にしたいことなのかわからない」なんて形で。私の友人は20代後半から30代前半で、それほど変わった奴ではない。だから、結構多くの人がそう思っているのかな?って思う。

友人は大抵その後で「だから転職を考えている」という。でも、と私は思う。

「本当にやりたい」ことって、今やっていることをどんどん突き詰めていったら、「本当にやりたい」ことだったとわかることなのではないか?と。あるいは「本当にやりたいことではなかった」とわかるのではないか?と。とにかく今のことを突き詰めてみないと何もわからないのではないか、って。

転職。これはある部分、「本当にやりたいこと」を見つけようとすること。でも、本当にやりたいことってどこか自分の外にあるのではなく、とことん頑張ってみた後にやっとこさ見つかるものだ。それは、自分の中にある(と思う)。ただ、職場や職種を変えただけでは見つかるものではない(のでは?)。何かの行動の先に自分の中にある原石のような「何か」を感じることが重要だ(よね?)。

そんな風に考えると、一時期はやった(ですよね)「自分探し」ってやつも、探そうとして見つかるようなものではなくて、何かを夢中でやっていて、ふと一休みをした時、後ろを振り向いたらそこにあった。そんな感じで見つけられる、あるいは見つかるものなのではないだろうか?そう思える(のだ)。

こんなことあえて言うのは、私自身が「本当にやりたいこと探し」にかなりパワーをつかったから。でも、最近私は、そういうことをあまり考えなくなった。そういったことを考える暇がないほど、やらなきゃいけないことや、考えなきゃいけないことが沢山あるからなのだろうかな?と思う。そして今は「いまいま」のことを、とにかく突き詰めたいと考えている(ようだ)。

ところで、冒頭で例に出した「この企画、本当に良いと思っているのか?」と聞かれた企画。「うーん」と一人よくよく考えてみたら、もっと良い企画になった。最初に出した時に、本当に良いと思っていなかったわけではないのだけど、企画が良くなったので私はとっても喜んだのだった。なんだか主旨が明確でない原稿だけれど、「本当」のことって「本当」難しい(マル)。

パチンコとゲームと仕事について

2万5000円パチンコで負けた。

私のような普通のビジネスマンにとってこの金額は結構大きい。日頃は、3000円のシャツをけちり。800円のランチを横目にして、600円のランチを選ぶ私。その私が何故そんなにもつぎ込めてしまうのか?パチンコおそるべし。

私はパチンコをしている間、「リーチこい!スーパーリーチこい!」と思っている時以外は、不思議と仕事のことを考えている。すすめているプロジェクトのコンセプトとか、電話する人のリストアップとか。そうしているとお金はどんどんなくなっていく。仕事のことを考えながらお金が減るというのはある意味不思議だが、それが現実。

ところで、お金といえば、最近私の周りで密かにブームになっているゲームがある。「キャッシュフローゲーム」ってやつだ。ベストセラーになった「金持ち父さん、貧乏父さん」に出てくるゲームだ。いろいろなメーリングリストとかでも話題になっているから、もっとブームになるよう気がする。

このゲームは一言で言うと「いかに上手なお金の使い方をするか」を競うもの(私の理解)。仕事のスキルっていろいろなところで学ぶことができるが、個人的なお金の使い方を学ぶことってなかったので、凄い面白い。ゲームといってもなかなか頭を使うし、終わったあとには「なるほどこうしてお金は使うのか」という知恵も残る。そして、知恵は意外と仕事に役立つ。

てなわけで、最近良く思うのは「お金に関する程良いバランスを見つけたい」ということ。投資とリターンに対するバランス感覚は、仕事の多くに役立つはずだしね。こうした能力って、これからのビジネスマンにとって必要な能力なんだと思う。まあ、そんなことを考えずともとにかく2万5000円は「痛い」。だから余計こんな薀蓄が言いたい気分なのかもしれません。。(挨拶に書いてあったが景気良いのか?このコラム?

春到来。外みて思う内勤の憂鬱?

学生の頃、そんな言葉を聞いた。

数年後。通勤時間は日経新聞を読むので外は見ない。まあ、地下鉄通勤なので、外を見てもかわり映えがしないということもあるが。。それに最近は内勤なので、ずっとPCに向かう。帰宅時間には、外は真っ暗。これでは、人生の幅はひろがらない。。

そんな毎日を過ごす私だが、先日仕事でひさしぶりに外出。地下鉄ではない地上を走る電車に乗って、何を見るでもなく、外を眺める。平日の街を電車の中から眺める。心地良い春の日差しの中、休日とは違う平日の街。

建物の屋上に並ぶバナー広告のように様々な看板。ついこの間まで何もなかった場所に新しい庭園。下を見ると、新しく店が出来たのだろうか、人が行列を作っている。買い物する人達。スーツで歩く二人組。工事をしている人達。駅には様々な広告。フレッシャーズフェア(もうそんな季節か)、新しいCD。新しい雑誌。。すれ違うビジネスマンのシャツもなんだかカラフルになった気がする。

広告も、庭園も、新しい店も、シャツの流行もすべては、誰かの仕事。誰かのいろいろな仕事の1つ1つが、街の風景を形づくる。ぼけっと頭をからっぽにして外を見ると、日経新聞の数字からは見ることのできない「経済」がそこにはある。学生の頃に聞いた言葉は、仕事の幅にも言えるかもしれない。

そんなわけで「もっと風景見ないとな」と思う3月下旬の昼下がり。

まあそんなこと言わずとも、春の陽気って、外に出たくなるもの。桜も咲いてきているようです。今週末は、花見なんてどうでしょうか?

お茶の間と仕事の違い、あるいは同僚との間

お茶の間の風景。

お父さんが、お母さんに向かって「おいあれ」という。お母さんは、「はいはい」なんて言いながら、新聞を渡す。数分後。またお父さんが、「おい、あれ」。母は、たんすの中から、焼きのりを出す。父さん、「うむ」と答える。そんな風景は、お茶の間だとほのぼのとしていて、良いものものだ。が、これと同じことを仕事でしたら、大抵の仕事は失敗する(と思う)。

さて、このメールマガジンでも何度も広報をしているが、先週はサイトの大リニューアルだった。私達スタッフは、宇宙ロケットの打ち上げの航路に近い緻密さと、007の大胆さで、プロジェクトを進行させていたというのは、時期遅れのエイプリルフール(かつイマイチ)。でも、私達は、かなり綿密に打ち合わせをしてプロジェクトを進めていた(つもりだった)。

が、やはりそこは仕事。最後の方になればなるほど、「あれ?ここはこうじゃないの?」から始まり、「おい!ここはリンクさせないっていっただろ」となり、最後は、「お前のそういうところ3年前から全く変わってないんだよ!」という話になる私達(涙)。日頃、ツーカーであると思い込んでいたメンバー。しかし、私は仕事を通し、私達チームが、実は「別々の存在である」という当たり前の事実を学ぶ。このことは、非常に寂しいことだ。しかし、私達はこの事実を受け止めた上で、お互いの情報をやり取りし、確認して行かなければならない。

などと私は仕事の途中に思った。

が、やはりこのプロジェクトが終了した時、「寂しい」という表現は間違いだったと思った。だって、そのお互いの間にある、距離があったのに、いやあったからこそ仕事が終了した時のビールが、あんなに美味しかったはずなのだから。

なんだか良くわからない勢いだけの文章(毎回)ではあるが、社会人5年目の私は、再度「コミュニケーションって難しい」と思うのでした。まる。

かゆいところはどこだ?!

駅の切符売り場。切符を買おうとする私。長い列。私の前に疲れたビジネスマンをはさんで、おばあさん。JRのパネルを困った顔で眺めている。おばあさんは、恐る恐るパネルを押そうとしている。どうやったら切符を買えるのかがわからない模様。

そんななか、いつものことながらアポイントぎりぎりの私。

「なんで前の人、使い方を教えてあげないのだろう!」とイライラ。意を決して、英語で言ったら、「May I help you?」。つまり「お困りですか?」と声をかけようとした矢先、前の人が言った。

「どこまでいくのですか?」

私は「ハッ」とした。そう、おばあさんが、知りたかったのは、パネルの使いかたではなくて、自分がいきたい駅にどうしたら行けるなのだから。。

おばあさんは、彼に駅名を告げた。彼は、料金表を見上げ、料金のパネルを押した。おばあさんは「ありがとう」といって、改札に向かった。きっと次に切符を買うときは、もう困らないはずだ。

相手が欲しがっているものを察知し、それを与える。それが良いサービスなんだと思う。私は、「やるな、この人」と思いつつも、正直、敗北感で一杯だった。目的場までいくらかかるかがわからないかもしれないおばあさんに「このボタンを押せばよいのですよ」というのって、かゆいところがわかっていないからな。。きっと彼は出来るビジネスマンなのだろう!

というわけで、どんな仕事をするにせよ、かゆいところに手が届く仕事をしたい!と思いながら、アポイントに遅れた。

英語と仕事と叔父さんと

英語でメールを書かざるをえない事態に陥る。

といっても、私は学生時代英語は大得意。卒業旅行だって一人でインドにいき、インドのメニーフレンズとトークした男だ。それに、交渉力は、結構自信がある。Noと言える日本人だという自負もある(日本人はNoっていわない。いいえって言う。)だから、2時間くらいかけて30行くらいのメールをせこせこ書いた。

が、メールが出来たとき、「これは文章になっていないのでは?」と第6感が働く。しかし、同僚にチェックを依頼すのは癪なので、海外で社長を勤めたことのある親戚のおじさんにメールで添削を依頼。この人は、今は別の会社部長をやっている結構えらい人だ。

次の日、叔父からメールが返信された。 「君の英語力は中学生2年程度だ」という一文と共に。また、「君のメールは私が知りたいことが抜けている」というきつーい評価が付け加わっていた。

社内だと、「ツーカー」とか「キャラクター」とか「なれ合い」とかいろいろな要素が絡まり合う。そして、本来ならあってはならない能力不足を上司や部下が補ってくれている。でも、ビジネス経験豊かな叔父は、そんなこと全然関係ない。そして、だからこそ正確に私を評価した。「中学2年生程度の英語で」「不充分なメールをかく」男であると(涙)。正直それは悲しかった。でも、せめてお礼の筋はきちんとしようと、「近いうちにごちそうします」とメール。すると、「ビジネスで近いうちという言葉を使う人を私は信用しない。いつ、どこでかを明確にするように」というメールが数分後返信された。

そんなわけで、私は叔父にフランス料理をごちそうする。英文のメールに、返信はまだ届いていないけれども(再度、涙。。)

私的ブランド論。あるいは遅刻について

朝、電話のベルが鳴る。ぼやけた頭の中で「えっ?何故?今?」と心が叫ぶ。時計を見る。8時35分。私の会社の出社時間は8時30分だ。時既に遅し。一寸の光陰軽んずべからず。覆水盆に帰らず。そんな言葉が頭に浮かぶ。私は遅刻をした。「おい何やってんだよ」という同僚(福田)の声が聞こえる。

遅刻。どんなビジネス書にも書いていない時間管理の基本中の基本である朝の起き方。それゆえに遅刻したときのパワーは凄い。今日はどんなことがあってもえらそうなことは言わないようにしようと心に誓う。それにしても社会人5年目の遅刻は小学5年生の「おねしょ」並に恥ずかしい。

会社にいくと「またやったのか?お前~」と上司に怒られる。そう、私は「また」遅刻をしたのだ。。昨年も1度した。私はコンスタントに年に1度くらい遅刻をしてしまう。だから、通算5回(6回?)くらい遅刻している。

最近ブランド論が盛んだが、こういう遅刻やミスをした時の「また」という言葉に私はブランドを感じてしまう。もちろん負の刻印。しかし、これはこれでブランドだ。最近中途で入社した同僚も、「遅刻したのはじめて見たのに、何故かまたやったのか~って思ったんだよね。」と言っていた。やはりこれぞ負のブランドだ(そんな言葉があるのかは不明だが。。)

「○○ならあいつに聞けとか、○○ならあいつの右にでるものはいない」そんな「正のブランド」は日々の小さな小さな積み重ねで構築される。地道な努力がいつか、輝かしいブランドになるのだ。それに比べ、負のブランド構築のたやすいことったら。。人はマイナスのことはすぐ覚えてくれるのだ。。

遅刻しておいてえらそうなこと言える立場じゃないが、「私達は日々の業務を通じ、少しずつ少しずつブランド構築をしていかなければならない!」とこころから思う。社会人5年目になったらいろいろなこと言える。でも、遅刻から学べることがあることを知る人はあまりいない。だからこそ今回私は声を大にして言いたい。何故なら、これからこのことを言う機会はないのだから。「もう絶対遅刻しません!」と私は上司に約束したのだ。(レベル低。)

ドリフターズ、あるいは、仕事について

私はドリフ世代だ。小学生の頃、どれほど「8時だョ!全員集合」を楽しみにしていたことか。どれだけ志村さんの早口言葉を楽しみにしていたことか。そう、私の少年時代は、ドリフターズと共にあった。

ところで、小学校の私はドリフターズを本当にばかな人達だと思っていた。志村さんは、いかりやさんに怒られてばかりだし。高木さんはいつもぼけーっとしているし。。でも、本当に面白い人達だな。。と思い笑い転げていた。

そんなドリフから遠く離れ数年がたった先日。いかりやさんが出版された『だめだこりゃ(新潮社)』を読んだ。

感動で私は泣いた。12歳の私が全く想像だにしなかった様々なトラブルと苦労がそこには綴られていたからだ。子供の私は、そんなことをつゆしらず、毎週土曜日の8時から9時という至福の時間を過ごさせてもらっていた。

裏番組の脅威。メンバーの脱退。時代の推移。そんな状況はまさしく私達ビジネスマンが日々置かれている状況の縮図だったのではないかと思う。

ドリフターズというグループで起きたことは、実は、会社という場所で起きていることと似ている。異なる個性を持った人間が、一つの目的のために一緒に何かを作る。ドリフターズが持っていた熱と時代性はそんなところから発生していたと私は思うのだ。

16年間。いかりやさんは、毎週土曜日を「8時だョ!全員集合」に注ぎ込んだという。その歴史が、いかりやさんのその後の役者としての活躍を、志村さんをはじめとするみなさんの活躍を用意したのだろう。

芸能界という場所で、これだけ長く活躍されることは大変なことだ。きっとそれも、ドリフの16年間があったからなのかな、と若輩者の私は思ったのだ。

いや、この本、本当に良いです。ドリフ好きだったあなたも、下品だからとあまり好きではなかった方にもオススメな1冊。私にとって、この本は、「仕事」を深く考えさせる1冊でした。(ってブックレビューっぽい?)

古本屋でお酒を飲んで、仕事について考えた

酒盛りが行なわれていた。「どう?のんでいく?」という言葉に誘われ、私もお酒をいただく。馴染みのお客さんの口から「明日から会社やだな~」という言葉が出る。好きな古本に囲まれて地酒を飲んでいると私もそんな気分になる。私も「やだな~」と言う。

酒が盛りあがってきたところで、私はずっと前から思っていたことを主人に言ってみた。「いつか古本屋さんやってみたいんです~。でご主人みたいな生活したいんです」と。すると「大変だよ~あこがれちゃいけないよ。」と言う。そして「自由と孤独は背中あわせだからね。」とも。 「なんてね」とシリアスな言動をうちけしたが、その表情が仕事の大変さを物語っていた。

多くの経営者の方もきっと自由と孤独を抱えている。でも、町の小さな古本屋さんのそれは従業員がいない分大変なのかもしれない。だからだろうか

「こうして酒飲んでいるときが一番楽しいんだよね~」と言う。

私のように、会社という場所にいると、たしかに孤独を感じることはない。同僚がいる。上司がいる。部下もいる。仕事を通して共有できることがたくさんある。しかし、ご主人のような仕事はすべてを自分で背負っていく。それは、どこか自由だけれど、やはり孤独なことなんだと思う。

G.W最後の一時を、好きな本に囲まれてお酒を飲む。そんな幸福な時間だが、私は突然コインランドリーで洗濯物を回ししていたことに気がついた。「帰ります」という私に、「リラックスした?明日仕事がんばれよ!」とご主人。「孤独だよ」と言っても、どうしても幸福に思える彼を見て、自分もいつか孤独を顧みずとも、やりたい仕事を見つけたいなと思った。

バザールでござーる

私の家の近くには、なかなか良い感じの古本屋がある。

私はお金のある時は、そこで本を買ったり、パチンコで負けると本を売ったりしている。そこの主人は、早稲田の政経を出て後、ずっと旅行したりして、50歳の今、古本屋さんを経営している。彼は、私が朝会社にいく途中の道で酔っ払って寝ていたりする元気なおじさんだ。

この古本屋さんは、時々商売そっちのけで、馴染みの客と酒盛りをする。昨日もふらっと店に顔を出すと、既に近所でバザー。祭り好きの私はわくわくしながら、路上で古くなった自分の服やガンダム人形や初めて見たアイドルのCDを売っている人達と会話する。

「これいくら?」「500円」「高いね~」「じゃあ200円」「いきなりかい(笑)もらいます!」な~んて。そんなやりとりをしていると、「商売」ってコミュニケーションだよね。って思う。「そこのおしゃれなお兄さん!そのジーンズにはこのシャツがお似合いよ」なんて話しかけられると「ナイストーク!買いましょう!」ってなる。気がつけば両手一杯の袋(笑)

そんな買い物の途中、お店を出していた26歳の兄さんと話しをする。最近この街に越してきたので、地元情報が欲しいと言う。話しの中で、仕事何してるの?と聞くと、「実は、今仕事探してるですよ。」と言う。俺仕事探しのサイトの運営してるから、使ってみて。いいサイトだから」と言うも、彼はパソコンを持っていなかった。残念。私達は「良い仕事見つかるとよいね」と言って別れる。

その帰り、福田(同僚)のうちに酒を飲みにった。先の話を福田に伝えると、PCを買い換えたので今まで使っていたマックがいらなくなったという。だから格安で譲れるよ、と言うではないか。ナイスタイミング!早速彼に電話をする。何かあったら連絡してと番号教えあっていて良かった。電話をすると彼はこの幸福な偶然に大喜びだった。

そんなわけで、今日は早く帰って、彼にパソコンを渡すことにした。そして、一緒にちょっとビールを飲む予定。ちなみに、場所は福田の家だ。

ところで、私は福田の家だと妙にくつろげる。彼の部屋で彼が選んだ音楽を聴きながら、ビールを飲んでいると、時々、「職場も出会いの場なんだ」よなと思う。だって、仕事で彼と出会わなかったら、彼の部屋でビールを飲むことはなかったのだから。

そう言えば、バザールとは古来から出会いの場だったらしい。人は、商品を交換すると同時に人と出会う。私は気が付けないけれど、毎日バザールの中にいる。職場というバザールで、いろいろなコミュニケーションをし沢山の人と出会うのだから。

というわけで、今週のコラムジョブは、職場はバザールでござーる、とまとめたいと思います。以上!

「やれば出来るかも」と思った日

上司と同僚と4人で居酒屋で酒を飲んだ。毎週飲んでいるようなものなので、ありふれた出来事なんだけれども、その日は私達にとってとても記念すべき日だった。

私達は5年前からあるプロジェクトを進めていた。それはインターネットを利用して、「人材を求めている企業」と「適した仕事を発見したい人」が出会えるための最適な場所をつくろう!」というものだった。

数多くの失敗と少しばかりの成功の中、そのプロジェクトは事業部になり、そして、法人化まで達成した。。会社となってからは、このプロジェクトに賛同する人がどんどん増えていった。同僚が増えていった。お客サンも増えていった。

なお、その日は、私達の会社の上場が承認された日だった。それはその事業部で目指していたある1つの目標だった。もちろん、それが本当に出来るなんて最初、思っていたわけではない。でも、どっかで出来ると信じていたような気もする。。

次の日、上司も同僚も私もなんか二日酔いだった。同僚が年食ったね。言った。上司もそう言った。私もそう思った。そして、年をとった分、やれば出来るということへの確信は強くなったように感じた。

そして、そう感じたことが、承認されたと言う事実よりも、私個人にしてみると大事なことなんじゃないかな、と思った。

プロジェクトは、エン・ジャパンと名前を代え今も続いている。だから、こういう美味しいお酒が、これからも飲めるのだと思う。それに、きっと大変なのはこれからなのだから。

愚痴、あるいは課題の抽出について

サラリーマンにとって会社の愚痴ほど酒の肴になるものは無いと私は思う。

さて、ある日の深夜、喫茶店でのこと。私は、終わらなかった仕事を抱えて、小粋にノートパソコンで企画書作成をしていた。その後ろの席では、二人組がビールを飲みながら仕事の話し。「どんな話ししているんだろう?」って聞き耳を立てる。内容は会社に対する愚痴だった。私は、他の会社のことも興味大有り。

話しを聞いていて、最初は「私も酔って会社の悪口を言うことはあるけど、端で聞いているとあんまり格好の良いものではないな」なんて思っていた。が、途中から「愚痴って現状の課題の抽出作業?」と思い出した。
というのも、彼らの話しは、その会社が抱えている課題をズバット抽出している様だったから。上層部と現場のコミュニケーションが上手く行っていない、ということや、営業と企画の連動がうまく行っていないこと。最後には、俺だったら、こうするね!」というソリューションまで用意されていた。すげー!!

まあ、実際のところはわからないのだが、きちんとした企画書にまとめたら、会社を変革する良いプロジェクトにまでなるのではないかな?と思った。

ところで、一般的にクレームは、サービス向上のカギである、って言われる。だから、会社に対する不満も、きっと会社の組織形態や組織風土を向上させるカギが詰まっている。また、会社を変えられないから職場を変える、なんて考えをするにせよ、愚痴の中は、ビジネスパーソンにとって大事な情報が詰まっている。本音に近い言葉なのだからかな。

彼らは、30分ほど盛りあがるとスッキリとした顔で帰っていった。その表情を見るとなかなか良い酒だったに違いない。そんなわけで、私は、愚痴の存在意義をあらためて痛感したのだが、彼らの話しに気をとられ、仕事は全く進まなかった。マル。

8万2500円と3単現のエス

次の日、叔父からメールが返信された。 「君の英語力は中学生2年程度だ」という一文と共に。 (第138号 英語と仕事と叔父さんと より)

なんてことがあったので、思い切って英会話のスクールに通うことにした。通常、私は思い立っても、わいわい騒ぐだけなのだが、 「また君、口ばかりで、きっとやらないんだよね」という上司の言葉にかちんときてその足で申し込んだ。ふふん。

なお、このスクールは、入会前に私の英語力を知るためにテストをする。その結果で、カリキュラムが決定するのだが、渡されたテキストは、中学生の英語だった。高校・大学受験・大学といった英語との時間は一体なんだったのだろうか?叔父の言う通りじゃないか>俺。

まあ、それはともかくとして、眠っていた知識を掘り返すのは非常に面白い。「マイク!そこにあるカップにコーヒーを入れてくれ!」なんて私は、英語じゃうまく話せないのだ。こんな私が、英語で商談なんてできるのだろうか?いやできまい。

でも、こんなレベルから何かをはじめることはなかなか面白い。わくわくする。なんだか新人になったような気分。今では社歴も長くなってしまってなかなか初心者レベルで教えをもらうということが少なくなってしまった私。が、何かを習得することは良いものだ。自分がリフレッシュする気がする。

そんなわけで、最近ちょっと英語づいてる私。入会金もきちんと払ったし、テキストももらった。予習もちょっとした。でも、開始時間のちょっと前になるとなぜか電話がかかってきてあと1時間でやらなくてはいけない仕事が入る。開始日程は、木曜日から金曜日になり最終的には来週になった。

私は今のところ、8万2500円の受講料で、「3単現のS」という言葉を思い出しただけ。でも、このスクール入会で最近だらけがちな業務管理と英語力が身につくのだと思えば、安いものなのかもしれないな、と思う今日この頃。

「さよなら」と「ありがとう」の間

私達は仕事を通じて様々な人と出会う。社内の同僚や先輩や部下だけではない。他社の営業担当の方だったり、仕事をお願いしている方もそうだ。それに同業他社さんで自分と同じ仕事をしている方なんて、一度会ってみたいって思う。そんな視点からしたら、同じ会社かどうかなんてことはあんまり関係ない。仕事は、そんな風に特別な形で人と人を近づける力がある。

ところで、最近、私の周囲で転職する人が多い。これが、大学時代の友人だったりすると、付き合いにあまり影響はないのだが、取引先の方だったりすると、毎日電話やメールで連絡をとっていたような人と急に疎遠になるので、結構動揺する。転職をするということは、ある意味、今仕事上で会っている人たちの大半と別れるということだ。

先日も私は、ある社外のパートナーの方が転職をするので、飲みに行った。私は仕事をしている時は、あまり飲むことはない。でも、こういう時は別。

その日は、彼と深夜まで飲んだ(といっても彼はあまりお酒を飲めないので、私ばかり飲んだ)。私たちは、1年間にあったいろいろな出来事をはじめて話した。私自身も忘れてしまっている小さな出来事等も。1年くらい、ほぼ毎日のように、やりとりをしたのだが、私達はお互いの業務のこと以外ほとんど何もしらなかった。不思議なものだ。

そんなことがあって、私は思った。今、やりとりをしている多くの人と、いつか別れる時がくるのかもしれない。そんな時が来た時、仕事をしている時にはできなかった色々な話ができるようにきちんと仕事をしていこうと。私達が仕事をする時間は結構長いが、その中で人と触れ合える時間は結構短い。

私達は多くの時間を仕事に費やす。仕事で得られるものは、こうした密度の濃い時間だったりもする。誰かが転職をするとき、単に「さよなら」といわれるかそれとも「ありがとう」と言われるかはすべて今の仕事にかかってる。

会社とはなんだ?の巻

ある本で、「適切な場所に、適切なビルがあって、適切な上司がいたら、そこは良い会社だ」っていう言葉があった。そうだなって、私はうなずいた。

ところで、私は先日から、自主的なプロジェクトで、社内の数名に「どんな会社にしていきたか」をインタビューしている。今している仕事はどんな仕事で、これからどんな仕事をしていきたいか?そんなことを聞き回ってる。

回答は本当に様々で、「あ~なんとなく毎日を過ごしている私に比べて、他の人はなんてきちんと日々を生きているのだろうか~」なんて私は感動すらした。そして、同じ会社にいても、そこで流れている時間の密度や濃度というのは人によって全然違うのだな、とも。

しかし、私たちビジネスパーソンにとって会社ってどんな存在なんだろ?会社という場所には、喜びも悲しみも怒りも、おそらく喜怒哀楽のすべてが詰まっている。それはそうだ。私たちは人生の中でずいぶんと長い時間を会社という場所ですごすのだからだ。

でも、その事実に比較して、会社と自分の付き合い方のスタンダードって私はこの年になっても知らない。酒によった時に隣の席から聞こえてくる言葉の端々からはたまに聞こえてきたりはする。あるいは、数十年前の、会社という場所に一旦就職したらずっとそこにいることが当たり前だった時代の言葉は聞いたことがある。が、それは今の時代にあってないところが多い。

そんな風に、私がうんうんうなっていたら、同僚が「会社はね~仕事をするプラットフォームなんじゃない?仕事を通して人と人が出会う場所だと思う」と言う。私はその言葉になるほど~と冒頭のせりふより3センチくらい深くうなずく。仕事を通して人と出会う場所。なかなか良い定義だ。

その同僚(福田)は、最近では、『何故か「仕事ができる人」の習慣』なんて本にも出るようになった。だからだかわからないが含蓄のあることを言う。こういう奴に負けられんな、と思えるのも会社の良いところなのかもしれないと思ってみたのだった。

銭湯に持っていくもの。あるいは計画性について

さてクイズです。


「銭湯に持っていくべきものは何でしょうか?」


こんな風にクイズを出されたら、「手ぬぐい、石鹸、シャンプー、バスタオル、歯磨きセット、洗顔料」と冷静な回答を出せると思います。

が、先日私は歯磨きセットとバスタオルだけで、銭湯に行ってしまいました。

この日、私は別に夕暮れのひと時をゆっくりと湯船につかって贅沢にすごそうと思ったわけではありません。ある理由によって、ただお湯につかって体を綺麗にしたかったのです。

入り口でお金を払い、素っ裸になった瞬間「あっ!手ぬぐいとか石鹸忘れた!俺は何しに来たのだ?」となったのです。

家を出る時に、数分後に自分が何をしているかを考えたら、手ぬぐいや石鹸が必要になることはわかったはずです。何やってんだか・・・俺は、と結構悩みました。歯ブラシだけ持った裸の私はいつになく貧相だったと思います。

でも、このようなことって、日々の仕事の中でも結構あるのでは、と私は思いました。「目的は何なのか?」ということをきちんと考えず、手段だけが先走りしてしまう瞬間。それが、何のためにお風呂屋さんに行くのかをきちんと考えず、ほぼ手ぶらで暖簾をくぐり、歯ブラシ1本を持つ私の哀れな姿を導いてしまったのです。

まあ、今回の件って一番の失敗は、ガス料金の支払いを忘れ、元栓を閉められてしまったことが原因。かすかに夏の気配を感じる今日この頃ですが、水のシャワーはまだ、時期尚早です。

あらためて仕事

これが自分の天職だ。と言い切れる仕事を見つけることは大変なことだ。「適職B探しをサポートする」ことを仕事にしている私でも、自分の仕事探しをすることがある。

たとえば、つい先日、知り合いの編集者の人と飲んだ時にもそんなことを思った。私は大の本好きで、仕事をしていない時間の大半と、給与の大半はほとんど書籍に消える。だから出版関係の人と話しをするのは非常に楽しい。

夜がふけ、酒がまわってくると、私が読者の立場で日々思っていることをいろいろ話した。最近の雑誌ラッシュに思っていることや、日々読んでいる雑誌や本の色々なことが言葉になる。気遣いもあるのだろうけれど、「そういう意見が役に立つよ」と言ってもらえるだけで嬉しい。

私が「いつか出版関連のことを仕事にしたいな」と思っていたからだろうか?彼は「出版を仕事にするのは大変だよ」と諭すように言う。でも「面白いんでしょ?」と聞けば「まあね」と少し照れくさそうに答える。そんな彼を見るとちょっとうらやましくなった。私も仕事は好きだし、楽しいと思っているのに。

でも、私は今の仕事以外にもやりたい仕事があることを幸せなことだと思う。いますぐ出来ることではない。また、出来たとしても成功するかどうかもわからなくても。それは自分が何を好きなのかを知る一つのヒントになると思うからだ。

「人の適職探しをサポートする」ことを仕事にしている私でも、時として自分の仕事探しをすることがある。そして、やっぱり仕事って、とてもとても奥深いものなのだな~とあらためて思う。

物語とブランド、あるいはかっこいい男について

「仕事をしてると良い上司や出来る人に会うことはあるが、かっこいい男にはなかなか出会う機会がない!」なんて先日女友達と飲んでいた時に何人かがぼやいていた。

が、私は年上の人とお酒を飲むと、大抵の場合、彼らの仕事にかける哲学などに「うむ。かっこいい男ではないか!」と思う。じっくり話しをするとそう思うことが多いので、女友達はそういう話をする機会がないのかな?と予想する。もったいない話だ。

さて、話は変わるが最近私にとって、「ブランド」というのがテーマだ。世の中的にも、エルメスの銀座店や、マーケティング分野でも話題になっているので、小耳にはさんだことのある方も多いだろう。

この「ブランド」って奴はなかなか得体の知れないもので、どのようにしたら構築できるのかとか、どうやって強化するのかという部分は非常に難しい。いくら本を読んでも何が何だかさっぱりわからない。

でも、例えばヤフーなんて非常に強いブランドは、いろいろ調べてみると立ち上げ時に様々な趣向や工夫を凝らしてという。強いブランドには物語りがあるということを良く耳にする。

かたや弱いブランドって、この物語がない。細かい部分部分ではきっと良いところがあるのだが、トータルで見たときのそのブランドはぼんやりとしてしまっているのだ。だからどんなにCMを打ったりしてもそのブランドは記憶にも残らず、より多くの人にぼんやりとした印象を与えるだけなのだ。

さて、この流れでもうお分かりだと思うが、私は、かっこいい男って物語のある人だと思う。「将来、何をしようとしていて、今までに何をしてきたのか、そして、今何をしているのか」そんな物語があるかどうかって大事だ。

またこのコラムはコラム「ジョブ」なので仕事に結びつけるのだが、仕事は、その人を物語るものだと思う。だから、仕事を通じて、その人全体の力というかパワーを感じさせるような人になりたいし、そんな風に仕事をしていきたいと思う。

ちなみに、文章中でかっこいい男と男性に限って話をしてきたが、物語があると素敵なのは、女性も同じだと思う。ブランド物を身に付けていなくても、「その人である」というブランドが輝くように生きていきたいものである。

共同プロジェクト、あるいは、楽しい買い物

バーゲンなので、スーツを購入しに行った。ついでにネクタイも買おうかな?とぷらぷらしていると、「何をお探しですか?」と店員さん。あまり干渉をされたくない私は、「ネクタイをちょっとね」なんてぶっきら棒に答える。

しかしその数分後、 「どうもありがとうございました!」ってお店を送りだされた私の手元には、シャツとネクタイが「2セット」。わずか数十分の間に私を変化させた彼のセールスキルには舌を巻いた。

その間のプロセスはこんなだ。店員さん「どんなスーツですか?」と聞く。私が手元にスーツを持っていたので、「もし良かったらそのスーツ見せてください」と言い「他のお店で」購入したスーツを店内で広げる。私は「へ~ここまでやるんだ」って思う。

彼は「スーツを買ったなら、それに合うシャツとタイを購入しておかないともったいないですよ」と言う。まあそうだよな、と思う私に「残りの予算はおいくらくらいですか?バーゲンって、うまく買い物すれば実にお得な機会ですよね」と。うん。そのとおりだ!って思う。

様々なネクタイとシャツを組み合わせ、いろいろ試行錯誤する彼。最終的に

「この組み合わせなんてどうすか?」と2パターンを並べる。そして、彼はそれぞれの組み合わせのメリットとデメリット(これは使いまわしがきかない、これは高い。等)を提示した。個別に見たときは全然欲しくなかったのに、気が付けば私は組み合わさったシャツとネクタイが欲しくて欲しくてしょうがなくなっていたのだ。

今から思い出すと、彼とのやりとりって、仕事上でやる「いくつかのプランから一番よいプランを選びだす作業」に似ている。いろいろなパターンを考え、その中で一番良いと思われるものを決定する作業は、とても楽しい。だから、お客さんという立場だけれど、「参加した」という感じもした。平日やっているような仕事を休日受ける。こういう立場交代も楽しいものだ。

「なんかさすがですね。随分お金を使ってしまった(笑)」という私に「まあこれで食ってますからね。」と彼は言った。プロが提供してくれる気持ちの良い買い物ってすごく楽しいものだな、と思った。

辞めたいと辞めるの間。

夏だ!

というイントロは去年のコラムでも使った。が、夏だ!コンビニでは、胸騒ぎな曲が流れ、街行くレディーの肌の露出度も気温とともに日に日にアップ。そんなわけで夏!夏といえば、恋。まだ20代なのに「恋は遠い日の花火ではない」なんていうコピーが心に染みる私にもまた夏がやってきた。イエイ!

が、恋は不思議と私の周囲には発生しない(このコラムでずっとこう書きつづけている)。つまらない。だから私は、周囲の連中を観察したり、疑似体験を求め、状況を聞くのだが、この恋ってやつは10代だろうと20代だろうと、30代だろうと基本的には変わらないようだ。別れる別れると言っている二人ほど長く続くなんてことがあるみたいだし、かたや表面上、うまくいっていた二人なのに、ある日突然わかれてしまうということもある。うむ~。

ところで、全然話は変わるのだが、この前上司とラーメンを食べていて、自分の同期の話になった。で、驚いたことがあった。「辞たい辞めたいと言っていた奴ほど、今会社で活躍をしている」のだ。でも、これってよく考えてみると、そうなるべくしてなっている気もする。その理由は以下だ。

私も「辞めたい辞めたい派」だったのだが、私はそういう気持ちを、その時々の上司に毎回毎回相談していた。そのたび、上司は私の将来と現在の力を鑑み、一番良いソリューションを出してくれていた。新しい配置を提示してくれたこともあったし、仕事に対するアドバイスもあったし、単なる叱咤もあった。そのアドバイスが私にとって良いものだったから、今なんとかこの場所で仕事をしているのだと思う。他の同僚達もきっと同じだったのだろう。

そんなわけで思うのだが、きちんと相手と対話することって大事だ。 転職が当たり前なこの昨今、自分のことや今後のことで思うことは、周囲の人(特に上司)ときちんとコミュニケーションした方が良いと思う。これからの良い上司って、社内のことだけでなくて、その人がどんなキャリアを積んだら良いのかまでを視野に入れてくれる人なんじゃないだろうか。

だから、もしも今何か不満をかかえている人は上司に相談してみると良いと思う。また、上司の方、優秀な部下が最近ちょっとやる気ないかな?って思ったら、飲みにでもさそってみましょう。こういうことが普通に言えてしまう私の周囲って普通な状況じゃないのかもしれないですが、こういうところから、会社を超えた関係を築くことが出来るように思えるのだ。

あれ?夏の話題はどうしたの?というコラムだな、しかし。でも書くことないのです!ああいう話題(また涙)。。

コラム ジョブ イン ロックフェスティバル!

「青空の下で、ビールを飲みながら昼寝なんてどうだ?」と同僚の福田に誘われフジロックフェスティバルに。朝5時起き。目覚ましは現地まで一緒にいく約束をした増川(新入社員)に依頼。こういう時、「後輩っていいな」と思う。そんなわけで音楽に疎い私がロックの祭典であるフジロックに行った。

何本かのビールを飲みながら、新幹線に揺られ数時間。現地には既に沢山の人・人・人。会場では、テント張って泊り込みの人達も大勢いる。お祭り好きなので、こういう雰囲気は大好きのだが、私はいきなり睡魔に襲われ、熟睡体制に入る。福田がいくつものライブを見に行く間、私は五時間くらい昼寝。夕方になりもぞもぞ起き出してやっとこさ行動開始した。

ライブ会場には沢山の人。ライブが始まると「ちょっと恥ずかしいな」と思い最初はおっかなびっくりリズムに合わせて体をゆすっていた私も、気が付けば、踊りまくり。目の前でミュージシャンに高いサービス精神を見せ付けられたら、乗らないわけにはいかないでしょう!とばかり、私も久しぶりに体を動かした。(しかし、何故人の踊りは格好良く見えるのだろうか?)

それにしてもミュージシャンはすごい。2時間くらいぶっ続けで踊り、そして、歌い続ける。私なんてカラオケで2曲を続けるだけで、のどがガラガラになるのに。それに、全国ツアーなんてなったら長距離の移動に加えてあのステージをこなすのだ。ほんと凄い。

そして結構おどろいたことがある。観客が自分達のことを知っているか、知らないかによって選曲や盛り上げ方が全然違ってくるようなのだ。私が気に入った『渋さしらずオーケストラ』は、「俺達は一部だけで有名なので、知らないでしょうね!」と言って、彼らを初めて知った私を魅了するステージを披露してくれた。(もちろんその世界ではかなり有名な人達)知らない人でも楽しめるステージをしようという心遣いがうれしい。

音楽とフェスティバルな雰囲気に私はすっかりリラックスし、帰る頃には、体全体に力が溢れていた。誰かが自分達のために持てる限りの力を出している姿は、見ている人にも力を宿らせるのだろう。会社や仕事というステージで私もノリの良いリズムを奏でたいものだと思った。LOVE&PEACE!!

占いと経済予測と業務リスト

コンビニで雑誌をぱらぱら立ち読みをする。そんな時、「見ないよう見ないように」していても、気がつくと読んでしまっているものがある。それは、エッチ本(エロ本)!ではない。山羊座の運勢、そう占いだ。

「今週は仕事運が急上昇!ラブ運も金銭運も今までにないくらい激しく脅威的に上昇中!」なんてポジティブなものばかりなら大歓迎なのだが、もちろんそんなことはない。

「仕事運は対人関係に注意!あなたのちょっとした一言がトラブルの引き金に」なんて必ずありそうなことばかり書いてある。私は、それを読んだ瞬間から、ちょっとした一言に注意をしている、これではいつもの私の持ち味が出せない。占い、それは、要注意なコーナーだ。

ところでテレビでは今、経済評論家の方達が、株価や景気変動について議論をしている。自分の生活がその流れの中にあることは知っているのだが、どうもその実感が乏しいこれらの話題。それに「先のことはわからないっす」という自信がある(自信か?!)のだが、偉い先生が「これからは未曾有の不景気を迎えます」なんて言われると、気が付くと私も困った困ったとなっている。私の業務は今のままで良いのか?なんて意味なくあせったりする。

そんな風に占いにも権威に対しても、とっても弱気な私なのだが、先週ちょっと雑多になった業務の整理をした。その時一番役に立ったのは毎日メールで流している一日の業務リスト。これを整理して、エクセルで処理して、分類をまとめたら、あれ、これおれが今やってることそのものじゃん!となった。数カ月でみてみると、意外と色々な事をしていることに気がつく。そのリストは3ヶ月後の私を予言していたのだ。

先のことは、日々の積み重ねで決まってくる。山積みの今日の仕事をある線で結んでいくと未来がある。そう思うと今日の仕事運も、経済の行方もわからないけど、自分のことはコントロールしよう!って思う。私は占いと経済予測と業務リストの間で当たり前のことに気が付いた。

「忙しくなりがちな最近、自分の仕事の整理が幸運をもたらします」これはいつでも誰にでも言えることなので、ほんとお勧めです。

経営者とサラリーマンと経営者意識

御盆休みは随分ゆっくりした。

バーベキューをした。実家に帰り海も見た。花火もしたし、焚き火もした。高校時代の友人と酒を飲んだ。徹夜で遊び、そのまま『千と千尋の神隠し』も見た。ビデオも3本ほど一気に観たし、たまっていたCDも一気に聞いた。

そんなまったりとした日々を過ごし、「さあ、明日から仕事だ!」ということでコラムを書き出したのだが、遊んだことしか頭にない。遊びながら、これはコラムのネタになるよな、なんて思ってはいたのだが。。私は、リフレッシュの秘訣である「頭から仕事のことを抜く」ことが完全に出来てしまったようだ(で今困っている。。)

しかし、そんな風に一気に仕事のことを頭から抜くことができない人もいる。

例えば友人の経営者。私と同じ時期に1週間の休みをとったにも関わらずに、彼は休み中、仕事のことばかり話しをしていた。彼は、「何してても仕事のことが頭から離れない」と言っていた。何をしていても何を見ても、自分の会社(レストラン)の経営に結びついてしまうというのだ。

「たまには仕事から解放された方が良い仕事できるんじゃない?」と、のん気に言う私に彼は、「サラリーマンは良いよな」と言った。私は、何か言い返したかったのだが、何も言い返せなかった。自分で結構仕事をする方なのでは?という風に思っていたのだが、そんなことは全然ないのだ。

持っていると思っていた「経営者意識」。私は、今回の件で、本当の経営者が持っているそれと、持とうとして持っているものの違いを見せつけられた気がしたのだった。

仕事に対する熱意で、誰かに負けるというのは悔しい。特に、高校時代同じように時間を過ごした友人であるならなおさらだ。オンもオフもない彼の仕事に対する姿勢を見て、私はなんだか本当に悔しかった。そして、休み前より、もっとがんばろうと思った。

不味い突き出し、あるいはサービスについて

世の中には沢山の美味なるものが存在している。例えば、私が美味と感じる、カルビ、穴子のすし、茹で立てのパスタ、真っ赤なトマト。それはそれは様々な分野に美味なるものがある。

しかし、光のあるところ闇が存在するように、世の中には、不味いものたちが存在する。個人的な経験では、間違えてヌカみそで作ってしまった味噌汁(本当に不味い)や、小麦粉と間違えて、洗剤で作ってしまったスイトン(体に悪い)があげられる。これらは自分で造ったものばかりだ。が、こともあろうに、私は営利集団によってこの不味いものランクのベスト1に輝く料理を提供された。

その料理は「豆腐とインゲンの煮物」だった。

ある居酒屋で出されたその突き出しを私はなんの疑問ももたず口にいれた。2秒後、私はそれを小鉢にはきださずにはいられなかった。とにかく不味い。そしてその異様な臭い。大人の配慮で、この臭いの具体的な名前を、私は数万人が読んでいる場所で発言できない。それくらい、その臭いはすさまじい。

私は、心理的にも物理的にもこの料理をどう処理したらよいのか全くわからず途方にくれた。あまりのことに「これって、こういうものなのか?」という疑問すら浮かんだ。だから我々は、周囲の人たちがそれを食べているかどうかの調査も行った。その結果は、店長を呼んで、この状況を伝えることで我々の意見は合致した。怒って店を出てしまうには、その味はあまりに衝撃的だったのだ。

数分後店長がやって来た。私達は、状況を伝え、店長に実際にその料理を食べてもらった。そして、店長は言った。

「これは。。。不味いですね。。」と。

どんなにチラシにお金をかけても、どんなに内装に力を入れても、肝心のサービスがだ めだったら、すべては水の泡に消える。が、もしかしたらこうしたことって日々の仕事でもおきているのかもしれない。味という形をとっていなくても、不味いサービスを提供してしまうことは結構あるのかもしれない。だから、私達は自分達のサービスの質を常にチェックをすることに力を注がないといけないのだ。そんなことを私達は思いながら店を出た。

でも、数時間前に店長がちょっと味見をし、「これは不味い。」と気づいてたら、こんなことは起きなかっただろうに。。

星に願いを

エレベーターテストというものがある。これは、ある取り引き先に対して、自分がもっているプランを的確に売り込めるかを試すものだ。

具体的にはこんなテストだ。あなたは今ある事業プランを持っている。ある時、偶然そのプランを売り込もうとしている取引先の人と一緒のエレベーターに乗ることになる。そのエレベーターには、あなたとその相手二人だけだ。目的の階までの到着時間は、わずか15秒。あなたは自分のプランを目的の階に到着するまでに売り込めるか?話が終わった時、「その話し詳しく聞かせてくれないかね。君」って言われたら大成功だ。このテスト、実際にやってみると実に面白い。営業の方はもちろんだが、それ以外の職種の方も自分の会社、あるいは自己PRなどに置き換えて試してみることをおすすめする。ちなみに、私は営業チームと試してみたのだが、一言目からしどろもどろになりエレベーターの中の奇妙な人となった。

ところで、私はこの話を聞いた時、全然関係がないのだが、「流れ星に願いをかける」あの話しを思い出していた。流れ星が流れている間に願いを三回唱えるとその願いは叶うというが、それは本当なんじゃないだろうか?って。

星が流れる刹那に、思い浮かべることの出来るような願いは、きっと常に念頭にある想いだ。そんな願いは、きっとどこかで実現のチャンスをつかむと私は思う。

エレベータの中でも星の下でも、ふとした時、自分の願いをきちんと言葉に出来るくらいに何か一つを追いたいと思う。だってその方が格好良いですよね。

そう考えると、星に願いをかけるのって、昔の人が願いをかなえるために開発した素敵な手法なのかもしれないですね。実は。

落ちて来た本で額流血。寝ぼけたままで考えた

つい先程安らかな眠りについた私の頭に「がつん!」と何かが落ちてきて、私は飛び起きた。目をさますと額から血が出ている。ひりひりする。訳が解らず周囲を見ると、単行本が散らばっている。ベットの近くにある棚から、積み重なった本達が落ちてきて私の額を傷つけた。そして、流血。

私はベットに座ったまま、ぼけっと部屋を眺めた。いたるところに本が散らばっている。その本の山の中に、コピーを集めた1冊の本があった。糸井重里さんら時代を捕らえたコピーを集めた本だ。まだ夢から覚めやらぬ頭で、その本の内容を思い出す。その中には確か「ほしいものが、ほしい」という広告コピーが収録されていた。

本くらいしかない、殺風景な部屋の中を見ながら、私は欲しい「もの」ってあんまり無いのかもしれないな、と思った。本は形はあるが、お金を払っているのは、本自体ではなくて、分かった気になる経験や物語りの主人公になったりする体験や感動という形にならないものだ。

「いつから、ものを欲しがらなくなったのだろうか?」と思い出すのだが、でも実は、随分と前からそういう風になったのかもしれない。服を買うのも、

「格好良い自分になる(あるいはなった気になる)」ことや買い物の楽しみ自体にお金を払っていたように思う。

ものが売れなくなったという。でも、そのものの先にある経験はまだまだ満たされていないのではないだろうか?ものは満たされても、その先に、まだまだ未体験の場所が、残されているはずなのだ。

そんなわけで、私はものにお金をつかっていない。

散らばった本の中には、1冊『経験経済』という本がある。ビジネスはものやサービスの提供から、経験自体を売るというものシフトしてきているという本だ。テーマパークの楽しさや、映画での感動なんていうのが、この部類になるのだろう。

そんなわけで、私は、このメールマガジンを読んでくれる方に何らかの経験を提供できていたら良いな、と思うのだった。流血は、まだ止まらない。

図画工作と仕事

小学生の頃、私は図画工作の時間が好きだった。そして絵を描く時間が特に好きだった。

「何故か」覚えている絵具の味。一生懸命色を塗ると毛羽立つ画用紙。そして、絵の具を洗う雰囲気。他の授業に比べて、自由な時間が多いのも良い。隣の生徒と話をしても良かったし、遠足気分でどこかにいって、写生をすることもあった。

しかし、そんな私も中学生になる頃には「すねた生意気な子供」になった。そして美術の時間はさぼれる時間に変わった。だから、何かを作るのが好きだったという記憶は小学生の頃で終わってしまった。

そんな私だが、先日久しぶりに「絵」を書いた。仕事とは別件なのだが、会社の同僚と進めている共同プロジェクトだ。ある絵を描くため私達は休日に同僚の部屋に集まった。テーブルなどを全て片付けて大きな紙を床に置く。

真っ白な紙に、頭の中にある大きな構図を想像し線を描く。何を表現するのか、表現すべきものは何なのかを考え太い線を描く。全体像が見えてきたら細かい部分に着手する。

下書きがあがった段階で、色を塗る。仕上がりを考え、おくべき色を想像する。思い切りよく色を塗る。そしてその次に細かい部分に色を加える。広いスペースにおいた色が目立つように、息をこらして細かい部分に色を塗る。

数時間後、私達の仕事の成果が形になる。その時一人で描くより、誰かと描く絵の方が達成感が大きいことを知った。

ところで、私達は仕事で様々なプランを立てるが、プランを練ることを、「絵を描く」という。先日久しぶりに絵を描き、これはその通りだと思った。絵を描くこととプランを練ること、そして仕事で何かを作りだすことはどこか、いや、凄く似ていた。

さらに仕事では、描きたい対象を自分で見つけることもできる。誰かと見つけにいっても良い。時には、誰かの絵を手伝うこともある。小学生の頃は週に1回だけだった「何かを作る時間」が今では毎日ある。しかも、一人ではなく共同製作でだ。そう考えると毎日とはとても幸福な時間だと思える。

なお、小学生の図画工作では毎回「君は色を塗るのが雑だから、だめ!!!」と毎回のように先生に怒られていた私。でも、こういう基本的なとこって全然変わらないものですね。だって、私上司に毎日のように同じようなことで怒られていますので(涙)。

秋は別れと風邪の季節

以前もここで書いたことがあるが、私の周囲では転職をする人が多い。

正確に言うと、比較検討したわけではないので、多いのではないかと思う。具体的には、付き合いのある外部の方は、月に2人~3人は別の会社に移っている。計算したら、年間で24人から36人が転職をする。それほど知り合いが多くない私だからだろうか。結構な人数に思える。

さて、転職の報告はこんな感じで訪れる。知り合いの人から久しぶりにメールが来たと思ったら、「追伸、実は私、転職をすることになりました」という一文。仕事柄なのだろうか、すぐに電話して、「え~どうしたんですか??次はなにするのですか?」と聞く。そういう時、私は、会社にいながらほとんど素、つまり普段の自分になってしまう。

というのも、今言ったようなメールが来た瞬間、その人との関係は、過去に取り引きがあったというだけで、その後の関係が一旦空白になるからだ。そして私は気がつくのだ。「私が知っているのは、この人の本当に一部分なんだよな」という事実に。

日々仕事している時、仮に私はその人に興味があっても、あんまり個人的な話はしない。年齢だとか、どこに住んでるのとか、あと結婚してるかとか、趣味はなんなのかとか。。。言ってみれば、私は相手の仕事に関したことしか知らない。もちろん、日々のやりとりはそれだけで十分だ。しかし、先の転職の報告のように仕事の繋がりがなくなった瞬間、私はその人との接点が失われたことに気がつく。

人とのつきあい方や関係の作り方は人によって上手い下手や癖がある。だから、仕事の関係の前に人と人の関係を作ってから仕事をするという人もいるだろう。方や、仕事上だけの関係に終止する人もいると思う。

でも、私は、それほど人付き合いが上手いわけではなく、ビジネスライクでもない。だから、こういうことがあるたびに、一度はゆっくりと普通の話しをしかったな、といつも後悔をする。そして、この後悔を回避するために、今つきあいのある方に、「今度ゆっくり時間を作って飲みたいですね」と言ってみる。でも、毎回時間に追われて、それははできずに終わる。だから私はいつも「転職の報告」で残念な気持ちになる。

秋がきてちょっと肌寒くなってきた今日この頃。だから、よけいにそんな刹那さを感じるのかもしれない。でも、別れというのは常に淋しいものですよね。淋しがりやな私は、転職という場面をきかっけとして、より深い付き合いが出来たらよいなと願うのです。

ところで、季節のかわり目といえば、みなさん風邪には注意して下さい。私はすでに風邪気味。だからかちょっとセンチなのかもしれません。

職場と演技、あるいは役作り

あなたは会社という劇場でどんな役柄を与えられてますか?

熱血営業マンですか?それともクールな事務系スペシャリストですか?あるいは、ステレオタイプではない独特な役柄でしょうか?

さて、先週末は(愛する)上司の結婚式でした。この式において私と同僚は「余興」をやらせていただきました。いろいろ考えた結果、私達は「顔芝居」を出し物に選出。これは、簡単に言うと、志村さんのあの「赤ちゃんコント」。顔だけリアルな「あれ」です。役員から部下まで約80名の前で「あれ」を演ずるのは結構スリリングな経験でした。

演劇的なことに疎かった私なので、この経験は非常に勉強になりました。そして、思ったことがあります。「日々の仕事場を一つの舞台と捕らえると面白いのでは」と。 だって、15分足らずの劇でも打ち合わせや練習が結構必要だったのです。普段は日常的に行っている行為を、演劇とみたら面白い。そう、日常は複雑な行為で成り立っています。

ちなみに、演出という観点で考えてみると、朝の挨拶は大きな声で「おはようございます!!」とすれば、実は昨日パチンコで3万円負けていたとしても、元気という印象を与えることができます。5万円負けていても、テキパキと歩き、はきはきと話せば「それなりに」しっかりとした人という印象を与えることができます。それに会社という場所では、そういう演出をした方が良いですよね。

考えてみれば、様々な演劇や映画という分野で、役者の演技に説得力やリアリティーがあるのは、役者の方たちが劇中の人の人生を生き抜いているからです。ならば、私達だって職場や仕事という場所で自分の役柄を演じきるために、その役になりきり演じきる必要があるのではないでしょうか?

そんなわけで、明日の職場や商談ではあなたが、劇作家兼演出兼主役な舞台をやってみてください。普段無意識に行っている動作や言動が意識化するって面白いですよ。普段気が付かないことを発見できるかもしれません。

でも、演じるって面白い。癖になりそうですよ。私

メガネとネットとお仕事ツール

眼鏡がない。

部屋の中にあることは間違いないのだが、起伏の激しい(つまり散らかっている)私の部屋を裸眼で探すのは至難の業だ。

さて、「眼鏡」と言って思い浮かぶのは、横山のやっさん。両手を左右に不自然に動かしながら「めがねめがね」と呟くあの姿(もちろん眼鏡は額)多くの人の記憶に深く刻まれているだろうし、持ちネタとしている人も多いことだろう。しかし、今の私は、ネタではなくまさに「めがねめがね」。

一人部屋で「めがねめがね」な自分。これはなんともアイロニー。というのも眼鏡をかけている私からすると、眼鏡がなくて一番困ることは、「眼鏡がさがせない」ということ。なんという皮肉。やるせない。

ところでこの最近やるせなさを、眼鏡以外でも感じるようになった。それはインターネットで。

実は、昨日も自宅のパソコンが原因不明の爆弾マーク。立ち上げた瞬間に

「腰に抱えていた爆弾が彼に激痛を走らせたかのように」いきなりストップ。エラーメッセージはロシア語!という状況だ。

「コラムがかけない!どうしよう!」ということで、ネットで対処法を調べようとする馬鹿な私。ネットがそもそも繋がらないのに!!思い切って初期化をし、新しく設定をしなおしたのだが、今度は今度でプロバイダの番号がわからない。もちろんネットで調べることもできない。かれこれ3時間を修復に使い、気が付けば疲れて寝てしまっていた。

で、今度は起きたら起きたで眼鏡がない。そんなHard Days。

今はなんとこさ、修復が完了したパソコンでこれを書いているのだが、どうも目が疲れるし、調子が悪い。

あまりにも近い存在はそれがなくなった時にはじめて価値がわかるものだ。そして、当然ながらなくなった時の衝撃は大きい。PCにしても、ウイルス対策にしても、大事なお仕事ツール達のメンテナンスをした方が良いと思った。

しかし、メガネどこに行ったのだろうか。。私の「めがね」。

テンパリ、あるいはコラムという仕事

ここ2週間くらい新しいミッションでテンパッている私。そんな時、必ず思い出す言葉がある。

「火事場のクソ力」

「追い詰められたら誰もがヒーロー!」そんなメッセージを少年期に吸収していたからだろうか。その気になればいつも以上の力を出せると思っている。そして、現実的に見て普段はぼけっとしている私が、ある環境下においては、いつも以上の(といってもたいしたことはない)力を出すことがある。

なお、最近私は、過去の経験から、それにはどうやらある環境がそろうことが必要だとわかってきた。それは以下の3点がそろった時だ。

「人に頼れず」「時間の制限があり」「絶対に失敗できない」

この3つがそろったとき、私は普段以上のがんばりを発揮することが出来るのだ。この時に人間の(というか私の)能力開発が行われることは「キン肉マン」を始めとするマンガで予言されていたことなのだが・・・

と、ここまで書いてみて私は思った。いや、思ってしまった。

「これって仕事人としての普通の状況なのではないだろうか?!」と。「プロとして仕事を遂行する以上、常にそのテンションで仕事を行っていなくてはならないのではないか」と。

とするなら、今回のコラムは期せずして、「私が普段はあんまり本気を出していないということを証明することになってしまうのではないか・・・」と。

本当は、今回のコラムで、「仕事でテンパッてる状況って私本当は好きなんです」ということが伝えたかったのに。「何か新しいスキルを身に付ける時ってそういう時が多くありませんか?皆さん?」と聞きたかっただけなのに。

コラムは、私にとって、上記3点をきちんと満たしている仕事だ。しかし、この仕事において、私は普段以上の力を出せているのだろうか?そんな疑問を持ちながら、今週も私は最後の句読点を打つのだった。まる。

歯磨き、習慣、朝プロジェクト

歯を磨き忘れた。

その日は、私にしては珍しく、早朝に目が覚めた日だった。だから、ずっと前からやりたかったプロジェクトに着手。普段よりもゆったりと朝食を取りながら(平日に家で朝食なんて数年ぶり!)いろいろ考えていた。予想よりもそれが進んだので、「これを習慣化したら×××も夢ではない!」なんて意気揚揚とした。一通りの仕事を終了して、さて、会社に行こうとしたら、どうも口の中がさっぱりしない。で歯磨き忘れた!と気が付いたのだ。

で、私は歯を磨きながら考えた。 「日々の行為のうち一体何パーセントが習慣によるものなのだろうか?」と。私は子供のころ、歯を磨くのが大嫌いだったのだが、今は目覚めて、気がつけば歯を磨いている。思い返すと、母がなんとかして歯を磨かせようとして買ってきたいちご味の歯磨きの味がある。母の努力は実り、私は歯を磨くようになった。

そんなわけで、その日は、いつもより習慣化された行動に注意を払って会社に行った。歯を磨き終わって、会社に行くまで私はかなりの行動をしている。がそれらのほとんどは、習慣だ。日経新聞を読むこと。痴漢に間違われないように電車では隅っこに立つこと。タイムカードをぎりぎりで押すこと。

また、会社に来てからもそうだ。全てがそうだったら、思考停止をしていることになるが、考えないですむ仕事は出来るだけ習慣化してしまった方が良い。日々の仕事ってやつも高度に習慣化されたルーチン作業の集積だ。全ての行為を考えながらやっていたら頭が疲れてしまう。

で、朝の話に戻るのだが、この考えからすると、仕事がらみで、何かをしたくなったら、まずは1日1時間、それをすることを習慣にしてみたら良いと思う。1ヶ月で30時間。1年では、なんと360時間だ。これだけの時間があれば、ちょっとしたことなら出来るはず。

というわけで、朝の時間を習慣化させようと、日々がんばっている毎日。だた、何をしようとしているのかは内緒です。

脳天気、あるいは、ポジティブシンキング

私は、「あんたは脳天気でよいね」といわれる。それを喜んでよいものか悲しんでよいものなのかはわからないのだが、基本的には「そうっすか!」とその評価を受けいれている。だからきっと脳天気なのだろう。

しかし、こんな私もちょっと前までは、脳天気の対極とも言える(?)、「否定的」とか「ネガティブな考え」と言われることが多かったのだ。だから、冒頭のように言われるようになったのは理由がある。

昔、私は周囲に対しネガティブなことしか言っていなかった。でも、そんな態度を突き詰めていったら、途中から否定的なコメントをする対象がなくなってしまったのだ。だから今度は、ノーといっている「自分自身」に対し、ノーを言うようになった。すると、多くを否定していた自分を否定したら色んなことがひっくり返り多くを肯定するようになったのだ。ほんと単純(笑)。

こんな話を思い出したのは、最近全体的に、ネガティブな空気が流れてる気がするためだ。肯定的な話と否定的な話、どっちが多いかっていったら、どうも後者のように思う。「景気悪いし、商品売れないし」みたいな空気がかなり色濃いように思える。

もちろん、いろいろな数字とかを見るとそんな空気は否めないと思う。でも、私はそんな中だからこそ、肯定的でポジティブな観点で周囲を見たいと思う。否定的な見解を述べるのは結構簡単だし、八方塞がりな状況の中でこそ、起死回生のアイデアを出せることにクリエイティビティーがあると思っている。それに、実はネガティブな方向で考えるのは結構しんどい。そして、多くの人もそう思っているのだと思う。だから、どうしてもネガティブな空気が流れてしまうなら、「自分の周囲3メートルは明るく!」そんな考え方も大事なのではないだろうか?と私は考える。

たまに上司が心配そうな顔をしている原因が、どんな失敗をしてもへらへらしている私にあるかと想像するとちと寂しいのだが、私はポジティブに仕事をしていこうと思うのだ。

鍋、あるいは同僚との飲み

寒くなった。鍋の季節である。

鍋といえば、酒。酒といえば、最近私は会社の同僚とお酒を飲むようにしている。その理由は、社内でのモチベーション調査のためでも、次回昇進時の根回しでもなく、単に楽しいから。「忙しいな~」と思っている毎日の中だからだろうか?同僚と飲みに行くというシンプルな行為がとにかく楽しい。飲みに行くと、仕事上でどんなに話をしていても、その人に関する情報をわずかしか持っていないことに気が付く。同僚がどんなことが好きでどんなことが嫌いで、どんなことに興味がある人なのかって実は意外と知らない領域なのではないだろうか?

そして、仕事を離れてのみいくことって仕事にも生きてくるような気がする。一度飲んだだけで随分と仕事が依頼しやすくなったりする。数時間話をしただけで人と人の距離って近くなるものだ。根まわしではないが、根っこで繋がるような感覚。

こういうことって、きっと実力主義とかとは全く違う方向なのだろう。でも、仕事以外での繋がりってやつも大事なんじゃないかって私は思う。

いろいろな人とあたかも初めて会うように酒を飲んでいると、「会社って面白い場所だな」と思う。偶然出会った人と人が、時間を共有し、目的を一つにして、がんばっているのだ。「会社、それは社会と出会う場所」そんな言葉に最近私はしみじみする。

寒くなってきた。鍋の季節だ。

色々な人がいて、いろいろな味がある。様々な具がぐつぐつ煮込まれ、美味しい出汁が出ている。そんな鍋のような会社が私は良い会社だと思う。

私は○○である

ちょっと前の話しになるのだが、友人の友人で、小説を書きたいという子とこんな話しをしたことがあった。

「私、小説家の他、仕事ってできないと思うのです」
「ふーん。で今何か書いてるの?」
「いいえ。」

ありゃりゃだ。

何かになろうとすることは良いことだ。多くの人が「何者か」になろうとすらできない自分にがっかりする今、目標があるだけでもすばらしいことだと思う。しかしだからこそ、その意識だけがあって、それに向かっていないという状況はもったいない。

こんなことを思い出したのは、先日同僚と飲みにいった時、「何になりたいかという話し」をしたから。今年1年目の部下が「何かになりたいとは思うが、どうしたらなれるかがわからない」というようなことを言っていた(酔ってたので良く覚えてない)。そこで、酔った同僚(福田・久しぶりの登場)がこう言ったのだ。「何かになりたかったら、その瞬間からそう名乗ってしまえ!」って。

「そうだ~そうだ~!!」って酔った私は、はやし立てていたのだが、酔いが覚めた今でもそう思う。だって、「自分が何か」って定義は、他の人から与えられる前に、私は○○であると言い切ってしまう方が全然速いのだから。

で、話しは冒頭に戻る。今から思えば、私はその子に「今から君は小説家だって言いつづけな」って言えば良かったのだ。そう5年くらい言い続けたら本当に小説家になれる可能性はかなり高いと思う。多分。

私は何かを10年言い続けてたらそれは実現すると思っている。そして何かを成し遂げる人って、そういう風に自分で自分を定義する瞬間があるのではないかな?と思っている。きっと人って、自分で言い出したことって結構やり切ってしまうのだろう。そして、言葉にはそれだけの力がある。

ちなみに、私はまだ何も成し遂げてない。だからそろそろ「私は○○だ」って言い出さないとな、と思うのだ。

11回裏の逆転は期待しない

ポジティブシンキングは大事というが怒られる時にはあまりしない方が良い。

以前上司に、「お前の仕事ぶりは、9回で終わったゲームを11回で逆転しようとしているようなものだ」と言われたことがあった。私は、「ゲームが終わってもあきらめないような」仕事っぷりが評価されたのかと思い、にんまりとした。が、彼は「とほほ」という顔をし、その意味は、「限りがある仕事なのに、その期限をまもらない」と怒っていると「説明」してくれた。

話は変わるが、新しく会社に人が入ってきて、仕事を依頼するたびに、「常に仕事の期限を確認して仕事はうけること」なんて話しをしたり顔にする。

うちの会社は毎月のように新しい中途入社の仲間が入ってくる。大企業といってもよい企業からも来れば、5人くらいの会社からも転職をしてくる。だから、仕事のやり方はまちまちだ。

でも、うちの会社は、いろいろな仕事を複数進行させる。だから、常に仕事の期限を認識していかないとすぐにイッパイイッパイになってしまうのだ。

しかし、毎日仕事をしていて思うことは、限られた時間の中だけで何かを終えようとすることは難しいということだ。120%の力を注ごうとすればするほど「ああしておけば良かった」とか「あんなふうにするのではなかった」とかいろいろな後悔が残ったりする。

そう、何ごとにも終わりがある。それをきちんと認識するのは実は難しい。

冒頭の話ではないが、 「時間があればもっとできた」という一言がどうしょうもない言い訳だとわかるまで私は結構時間がかかった。

ただ、そういった悔しさが次の仕事への力にもなったりするのでは?と思う今日この頃。これもまた「ポジティブシンキング」なのかもしれないです。

コンテンツリッチ

ネットの世界ではコンテンツが大事だ。

人気のあるサイトやメールマガジンは、コンテンツが豊富だし情報のクオリティーが高い。

人はそういったサイトを「コンテンツリッチ」と呼ぶ。方や、コンテンツに乏しいサイトは「あそこのコンテンツはプアーだからな」とか言われる。

ところで、プアーと言えば、今日は給料日の前日。お金がない。今の私の財布ほどプアーな財布はないだろう。私は想像力と数百円で今日を乗り切る。

ちなみに、お金のない理由は、最近会社の同僚との飲みや食事をする機会を増やしてるから。そして、困ったことに、最近酔うと「おごるよ!おごる!」と言って、妙に兄貴ぶる(オヤジなのか?)癖もついてしまったからだ。

しかし、この悪癖(相手にとっては結構ラッキー)を差し引いても、同僚と帰りがけにちょっとお酒を飲むことは面白い。社内ではもしかすると「クリスマスを前にして嫌ね~」なんて言われてるかもしれないが、これは全然性別抜きだ。

さて、先に話した「コンテンツ」という視点で見るなら、個人の持っている歴史、発想、そして想いというコンテンツは凄い。

時には「うそ~!」というくらい驚きの事実などが飛び出すし、ただただ話に感動することもある。そして、誰かとの話は、その人に対する発見だけでなく、自分自身が忘れてしまっていた過去のことや、ある日思ったことを思い出させてくれる。だから面白い。

そんなわけで、しばらくこのプアーライフが続きそうなのだが、こうしたお金や時間の使い方はこれはこれで豊かかな?と思う今日この頃。それに、ふとした会話や、情報のやりとりが、仕事で大きなプラスになることも結構あったりするというものだ。

しかし、コンテンツリッチな人と話しをすることは単純に楽しい。 そんな訳で、私自身も「コンテンツリッチな人になりたいな~」と切に願うのだ。

ジェラシー

石の上にも3年というが、気がついたら、コラムを書き出して4回目の年末になっていた。

4年。

この年月があれば、私がこのコラムを担当した当時、まだ新入社員だった人も、数名の部下がいるはずだ。もし当時生まれたばかりの子供がいたらもう「お腹減った」くらい言うだろう。漫画の「ドラゴンボール」だったら、悟空は大人になっているのかもしれない。

ところで、「転職の法則」が12月の中旬に本になるという。しかも、事前に何社からかオファーがあったという。が、「転職の法則」と同時期に開始をし、「転職の法則」よりも長く続いているコーナーには、一度たりともそんな(嬉しい)話がきたことがない。

不遇の存在、コラムジョブ。

私は、どんどん昇進していく同期を眺めるような目で、あのコラムが本になる様子を眺める。そこにはある種類の切なさがある。しかし、毎週毎週の努力の積み重ねが形になるのは見ていて気持ちの良いものである。

そう、普段の業務だって、同僚が頑張っていたらジェラシーな眼差しで眺めつつも賞賛するというのがビジネスパーソンのあるべき姿なのだから。

誰にでも、与えられた時間は同じである。しかし、努力によって結果が変わってくるだけなのだ。そんなわけで、私はあらゆる評価や結果を「笑って」受け入れたいと思うのだ。

でも羨ましいぞ!書籍化なんて!

聞かれたくないこと

私はこういった仕事(転職支援)の会社にいることや、単なる好奇心もあって、「ねえ、年収いくら?」と結構人に聞いてみるのだが、毎回「えっ!何聞くねん」という顔をされる。

普段の日常会話の中で、人に年収を聞くという行為は結構タブーに近い行為だと思う。

そんな時、毎回私が思い出す風景がある。

それは、小学生の時の通信簿を渡される時のことだ。私はあけっぴろげな方だったので、周囲の人に自分の成績表を見せてから(最初は自己開示)他の人の成績を見てまわったものだが、やはりその時も「えっ!何聞くの!!」という顔で見られたものだ。小学生の成績表と年収を同列に並べるつもりは全然ないのだけど、その時の人の対応は結構近いものがある。

その理由を考えてみると、やはり両方とも凄い大事なもので、その人のある部分を指し示す重要な指標である。という認識があるからなのだろう。

でも、本当にそうなのだろうか?

それは年収は高い方が良い。しかし、自分の得意な分野で高いかどうかの方が大事なんじゃないかな?と思うのだ。その仕事が好きかとか今後のキャリアをどうしていきたいのか?ということが全く語られていないのが気になるのだ。

そう、多分私は年収という数字を隠す風潮に風通しの悪さを感じてしまうのだ。年収はどんどんオープンにしてしまったら良いのではないか?って思う。

「私は年収400万円!仕事が面白くてしょうがない!」とか「私は年収900万円!でも仕事はそれほど面白いというわけではない」とか「私は年収1200万円!仕事の内容にも満足しています!」

なんて沢山の声が聞ける方が私たちの仕事人生はもっと豊かになるような気がしてならないのだ。だって、「えっ!あいつって俺よりも●●円も年収高いの?!悔しいな~。仕事がんばろう!」ってなったら凄くポジティブだと思いますので。

といっても、「じゃあお前はここで自分の年収を発表するか?」と言われるとなかなかそう出来ないのですが。。何でなのですかね?これ。不思議です。

外出、あるいは仕事の進め方

先日会社が取材を受けたので、ビデオチェックのために東京タワー近くのスタジオに行くことになった。初めて行く場所なので駅スパートで所要時間を調べる。

でがけに緊急の電話があり、出発予定時間がちょっと遅れる。「余裕を持ってスケジュールを立てておいて良かった」と思いながら駅に到着。しかし、路線図を確認した瞬間に私の思考は停止した。

私が調べた駅は「神保町」。行くべきところは「神谷町」。

路線を急遽変更しなんとか数分の遅れで予定地に。駅を降りて最初に目についた人に「東京タワーはどっちですか?!」と聞いたのだが、目の前にある「東京タワー」の場所を聞く私のことをあのおじさんはどう思ったのだろう?

そんな感じでどたばたとスタジオでの仕事は終わり、次の予定地に向かう。次のアポイントまで1時間程あったので、同じ轍を踏まないため、駅員さんに事前に情報収集。所要時間は20分と言うことなので、40分前に行動を開始。大事なアポイントだ、これくらいのゆとりは大切。早めに行ってコーヒーでも飲もうと電車に乗った。

が、電車に乗って10分しても乗り換えする駅につかない。。不思議に思い、駅名を確認すると、見たこともない駅。頭をフル回転させ、原因を究明すると、数秒後に解答が出た。

「乗った電車は逆方向」

インド旅行で、全く違う電車にのってしまい、帰ることが出来ないかも、となった瞬間の心細さが思い出される。身体という物理的な存在を恨む私。瞬間移動かタイムスリップしたいと思うが、もちろん無理。嫌な汗を押さえつつ、すぐに乗り換えるが、10分逆にいったら、目的地には、20分かかる。私の行中はいきなりハード&タイトに。あほである。

その時、ふと強い恐怖が襲ってきた。

こうした行為をいつも仕事の中でもしてる?と思ったのだ。きちんとした事前準備をしていない。確認作業をしていない。全く逆の方向に行っていることもあるかもしれない。

私は自分という存在に結構本気で恐怖し、嫌な汗をかきながら走った。

働くあなたにMerry Christmas!!

いつもの休日と同じように、いつものパスタ屋にいく。いつもと同じようにビールを頼んで、いつもと同じように読みかけの小説を開くのだが、いつもとはちょっと雰囲気が違う。店員さんがいつもよりも大声をあげてるのだ。で、まわりを見渡すと確かにいつもよりもお客さんが多い。

「今日はクリスマスイブだもんな」と私は思う。

クリスマスというのは世界中のすべての人が休日のような雰囲気がある。だが、そんなことはない。サービスを受ける人がいるところには必ずサービスを提供する人がいる。

私は、学生の頃、飲食店で仕事をしていた。クリスマスとなると毎年マネージャーはシフトが組めなくて頭を悩ませていた。そんなマネージャーを見て、私たちは「クリスマス?関係ないですよ(笑)」なんて言いながら仕事をしていた。仮に予定があっても、午前中だけ仕事をしたような記憶がある。

そう、クリスマスの仕事って、いつもよりも大変なのだ。お客さんが多いし、特別なメニューだし。それに心のどこかで、「いいな~お客さん。楽しそうで」という気持ちもあったりする。

そんな記憶があるからだろうか?ネオンの輝きを見たり、ジングルベルの音を耳にすると、私はいつも以上にサービスを提供している人達のがんばりに思いを馳せてしまうのだ。

さて、今日はクリスマスだ。

恋人と過ごす人はもちろん、お仕事をしている人にもMerry Christmas!!コンビニでケーキを売っているお兄さんお姉さん、いつもよりもサービスに力を入れているレストランの方!そしてクリスマスを盛り上げて下さっている沢山の皆さん!仕事が終わったらゆっくりと良い時間を過ごしてください♪

ところで、イブが誕生日の私は、昨日をもって29になりました。このコラム25の時から書いてるので、4年目です。どうやら、まだこのコーナーは続く予定(予定)なので、どうぞ来年もよろしくお願いいたします!

では、来年が貴方にとってより良い年でありますように!!

2002年のたった一つの抱負

あけましておめでとうございます!皆さん年末年始はどのようにお過ごしになられたでしょうか?

私は、この期間は、「とにかく」やりたいことが沢山ありました。あまりの多さに、事前にリストアップしてはいたのですが、休暇が終わってみると終えることができたのはほんのわずか。年始にいきなり自分のふがいなさに涙した私です。

が、それも当たり前。なぜなら、「大掃除」と「買い物」と「映画鑑賞」というタスクが1日に盛り込まれているのです。これは時間的にも無理です。だから、逆に思ったものです。「俺、本気でこれらのことをやろうとしてたのかな?」って。

なお、私はその「果たされなかったことリスト」を見て、ふと新入社員当時のタスクリストを思い出しました。時間感覚が全くなく、自分の仕事の処理速度を考慮していない、そんなリストをです。

今や仕事になると、周囲との関係もあるので、そういった出来ない目標やスケジュールを立てることはなくなった社会人6年目の私。でも、自分ひとりのことになるとこうもいいかげんな予定を立てるものなのか。。と悲しくなり私は1日寝込みました。(というのは言い訳で、もうどうにでもなれ!と開き直ったのです。)

しかし。。こうした予定の立て方、大きな観点で見てみるとまだまだ私の根底に横たわっています。例えば私は、未だに「カフェもやりたい!」「書店もやりたい!」「小説も書きたい!」というそれは無数のやりたいを持っているのです。

これらの一つでも実現することだってままならないのに、複数の理想を持つのはほんと大変、いや、実現は絶対無理です。

だから、今私は、「そろそろ自分のやりたいことは一つにしぼらないといけないかな?」と、大掃除をしないまま年を越してしまった雑多な部屋の中で思っています。そう、私は同時に一つのことしか出来ない。ということに気が付いたです。「選択と集中」という経営で必須のことは私個人にとってもやはり言えることだと思うのです。そんなこともあり、私は今年の目標に「今年はやりたいことを絞ろう!」という目標を立てました。29歳男性として、こんな目標はちょっと弱気な気もしているのですが、こればかりはしょうがないです。

さて、皆さんは今年どんな目標を立てましたか?

と、どこかキャリアコーチングっぽく終わってみるコラムジョブ。今年もどうぞよろしくお願いいたします!!

お金と金券、あるいは満足度について

私は牛肉が大好きだ。狂牛病の話題なんて全然気にならず、牛丼も焼肉もモリモリ食べている。

だから、先日同僚が「これ見てください!」と持ってきた「1周年記念!焼肉半額キャンペーン」のチラシは、私の「焼肉食べたい欲」を最大にした。

その日は同僚達の都合がつかなかったので(ひとりで焼肉はまだ食べたことがない)、次の日、私達はその焼肉屋に向かった。自宅からは結構離れていたのだが、私達は半額につられて遠出をしたのだ。

チラシの地図に導かれ、私達はその焼肉屋についた。が、オーダーのちょっと前、壁に張られたチラシの拡大コピーを見てある重大な事実に気が付いた。「半額」の下に小さく書かれていた「分の金券払い戻し」という文字にだ。

いつものように注意力のなさを反省した私。しかし、この文字が小さいということはどうかと思うのだ。今持っている5000円分の金券はもちろん使うのだが、その後、その店に行くか?と言われたら私は行かないと答えるだろう。

「文字の大きさ」は偶然そうなってしまっただけなのかもしれない。でも、サービスを提供する者はつねに誤解を与えるかもしれないという可能性をできるだけ排除しなくてはならな、と思うのだ。そうしないと不満だけを持たせてしまう。本来なら顧客に満足を提供すべきキャンペーンが全く逆の効果を出してしまうのだ。

皆さんもこういうことってありませんか?誇大広告とはまた違うのですが、がっかりした経験。

でも、もしかしたら自分もどこかで同じようなことをしてしまってるかもしれないと思うと結構怖いものです。そんな訳で、一度日々の仕事におけるコミュニケーションを見直してみようと思った私でした。

血液型と仕事について、あるいはB型の憂鬱

血液型と仕事って関係があるのだろうか?

ある仕事で失敗をして上司にひとしきり怒られた時のこと。「血液型何型?」と聞かれた。「B型です」と答えたら、「やっぱりな」と言われる。

その失敗とは、格好良く言えばデザインのディレクションでのこと。デザイナーに指示したラインがくねくねと曲がっていたというどうしょうもないミス(涙)である。仕事のミスを怒られるのは、しょうがないのだが、その原因が血にあるとなると今後の対応が難しいので、困ってしまう私。

だから、その夜、「血液型って仕事と関係あると思う?」と友人に質問して見た。すると、彼も「俺も血液型と仕事って関係があると思う」と言う。私は、様々な屁理屈をこねてその意見に反論をしたのだが、彼は最後まで、「でも関係あると思うけど?」と言っていた。彼が今まで仕事をしてきた中で、A型はしっかりした仕事をしていて、B型は雑な仕事をしていたと言う。

友人があまりに自信を持って語るので、私もちょっとだけ「関係あるのかな?」なんて思ってしまう。で、次の日、その問題のラインを引いたデザイナーに「血液型何型?」って聞いてみる。

するとその答えは、「B型」。やはり血液型と仕事って関係があるのだろか。。。

でも、最後は、「じゃあ、その裏をいきますよ、俺は」と思った。A型と思われるようなきちんとした行動をし、A型と思われるような緻密な仕事をする。そして、いつか「君何型?」って聞かれたら「B型ですが?何か?」って答えるのだ。きっとその人は「へ~血液型って関係ないんだな」って思うに違いない。

それにB型的(といわれる)適当な性格ってマイナスになることが多いので直した方が良いかな?と思っていたところだ。ちょうど良いかもしれない。

と、まとめの段階になって思った。この適当でアバウトなところがB型たる所以なのかもしれないと。。


※文中での血液型による仕事(性格)診断は、私の周囲の人間によるもので、 客観的な事実ではありません。また、私は全然信じてないです。

部長、できますか?

en] Career Newsが、本になった『就職・転職の法則』を読んでいたら、面接で「何ができますか?」と聞かれて「部長ができます」と答えた人の話しが載っていた。いろいろなところで聞く有名な話なので、知っている方も多いと思う。

が、私はこの話しには、大きな疑問がある。

それは、この話が「笑い話し」であるという点だ。私には全然面白さがわからない。部長ができるというのは凄いことだからだ。

年功序列で気がついたら部長になってしまった人が、他社に行っても部長ができると思い込んでいた、という類いの話しなのだろう。でも、それだったら笑うに笑えない悲しい話になる。

そんなことよりもだ。部長という立場をきちんとやっている人は凄い。

私の業務経験から言えば、部なり課といったチームをまとめあげるのは必ず能力が必要だ。もっと言うなら、自分ができないことを他の人にやらせるのがマネジメントだと思うし、それにはいろいろな能力が必要だと思う。

だから、私は冒頭で言った、「部長ができます」と自信を持って答えた人を尊敬する。サラリーマンの、「人間関係力(そんなのあるのか?)」や、「調整スキル(あるのか?)」は低く見られがちだが、こうしたものがそれほどない私は「凄い重要なことだ」と思えてならないのだ。

IT化とか中間管理職不要論とかいろいろあるみたいが、私はそんな今だからこそ、格好の良い部長に活躍してもらいたいと思う。

って、『就職・転職の法則』に文句言ってやれ!って思ったら、何だかまじめな内容になってしまって困っています。本当は、「コインランドリーの占領、あるいはワークシェアリング」って題名で書こうと思ってたのですが。。

だから、来週書きます。でも、内容が完全にわかる題名ですね(苦笑)

コインランドリーの占領あるいはワークシェアリング

私の休日の大きなタスクは、洗濯である。

1週間分の洗濯をしないと次の週のシャツは何故かアバンギャルド。毎週金曜日となると、一人カジュアルフライデーとなり、普段着のシャツにネクタイを締める。比較的ゆるいドレスコードの会社なので問題はないのだが、外部の方と初対面のミーティングがあるとさすがの私も気にする。その週は毎日のようにミーティングなので気合を入れて洗濯をしようと思っていた。。

しかし、その週末は土日とぶっとおしで眠りつづけ、起きたのは、日曜日午後7時。コラムはかかなきゃならないし、洗濯はしなきゃいけないし、食事はしなきゃいけないし、近所の酒屋で一日早く買える週刊誌(ジャンプ、ヤンマガetc)読みた~い!、でいきなりパニック。

数分後、パニックにすら飽きっぽい私は、机に足を投げ出し「どうでもいいや~」とボケッとする。しかし、さすがはビジネスマン。頭の中では全ての業務にかかる時間を考える。そしてその日一番のネックが洗濯だと結論する。

私の洗濯機は、家庭用としては大きい。が、前週もその前週も、スノボにいったり、飲み明かしたりで、3週間分の洗濯物が残っている。Too much。全て洗濯機でまわそうとすると、所要時間5時間。洗濯機に入れたり出したりする時間を私は側でみていなくてはならない。おそらく今日は眠れない。

そこで、ふと頭に浮かんだのが、サーバーの分散処理の図だった。さすがはネットベンチャー社員。負荷が大きいなら分散処理すれば良い(大げさ)。
そう考えた私は早速ごみ袋に3週間分の洗濯物を詰めコインランドリーに。普段は乾燥だけだが、今日は5台の洗濯機を使って一気に洗濯予定。コインランドリーは幸運にもガラガラだ。私は5台の洗濯機に「ぶつ」を放り込む。

すると、普通では、5時間かかると思われた仕事がわずか1時間ですんだ!その出費わずか数百円。一台だったら時間がかかることも数台でシェアしたら短時間。

が、悲しいことに私はその創出された分の睡眠時間を手にいれただけだったのだ。仕事のシェアで出来た時間、一人わびしく部屋にいるようなことにならないよう、私は「人生」がんばろうと思った。

不思議なリング、あるいは会話の難しさ

コラムを読んでくださってる方はご存知のことだが、私はよく怒られる。そして、最近では社内だけにとどまらず社外までフィールドを広げつつある。

つい先日も飲み屋で怒られた。小さなお店だったので、先に飲んでいた人達の会話に加わったのだが、その時の私の対応がよくなかったのだ。

その相手はマスコミ関係の有名な人。詳細は省くが結構おこられた。もちろん今から考えると、悪かったのは私だ。そして、その時彼が言った一言を私は今も鮮明に覚えている。なお、怒られた原因は会話の仕方に関してだ。

「会話というのは、特殊なバスケットのリングにボールを投げるようなものなんだ。そのリングはボールが入ったら下がり、入らなかったらどんどん上にあがるリングだ。だから入ると思う玉だけを投げないと会話はどんどん難しくなるんだよ。」

会話の難しさをここまで的確に表現した言葉に出会ったことはなかった。(なんでこんな言葉がでてきたのかは御想像におまかせします)彼はたくさんの人といろいろな会話をするプロ。だからこうした含蓄のある言葉を言えるのだと思う。

沈黙にたえられず、予想外のことを口走ってしまい、マイナスな状況になることが沢山ある私。今後は、そんな時、この言葉を思い出そうと思う。むやみにリングをあげるのなら黙っている方が良い。

ちなみに、この言葉って、営業職の方やプレゼンテーションをする機会のある人、あるいは経営者の方にだって意味深い言葉なんじゃないだろうか?

冒頭でも言ったように、いろいろなところで怒られている私だが、あまりにも心の奥深くに染み入る言葉で怒られたので、なんだか深くうなだれたのだった。

カレーと福神漬け、そしてコラムな幸福

月曜日が嫌いだった。

というのも、どうも上手にコラムを書けなかったから。日曜日となると、何をしていてもコラムのネタを考えてしまうし、土曜日もそのことがわかってるのでどうも落ち着かない。最近では、金曜もどうも落ち着きが悪い程だったのだ。だから、原稿入稿&配信日の月曜は焦りまくる毎日だったのだ。

ブルーマンデーbyコラムジョブ。配信までの書き直し。そんなロンリーtime。

が、今週はそんなことがなかったのだ。バレンタインデーのことだ。その日、私の昼食はカレーだった。もちろん脇には福神漬け。

私はこの組み合わせを見るたびに、福神漬けとカレーを結びつけた福神漬け会社のマーケティング能力を尊敬する。以前インドにいった時、カレーの周囲には福神漬けはひとかけらもなかった。だからおそらく、メイドインジャパンな組み合わせ。これをブランディングするには、様々な努力と長い時間が必要だったのにちがいない、と私は推測する。
しかし、バレンタインで盛り上がるこの日、カレーと福神漬けの話題を私は繰り広げる自信がなかった。言ってみればとっかかりがみつからない。
「バレンタインという日とチョコを結びつけたのも凄いけど、カレーと福神漬けも凄いよね?」 と話題をふっても、「そう?」で会話が終わってしまうという予感。あるいは「らっきょうは?」と切り返される懸念。

そんな時、私はふとコラムジョブを思い出したのだった。そして思ったのだ。「コラムに書こう!」と。書くことが出来る。自分の思いや考えを表現できることは、すばらしいことだ、と思った。そして私はこうして楽しい気持ちでコラムを書いている。
そして思う。こんな風に新鮮な視点で日々の仕事を見直してみると、気がついていない価値が沢山あることに。やはり主体的に関わった時こそ、仕事は面白いものになるのだ。

ちなみに、カレーとチョコ、色は似てるがカレーは辛い。5回目となるバレンタインの話題だが、甘い話題は未だない(涙)。

ゆっくり歩こう、話をしよう

今私の時計は20分すすませてある。

それは、先日ある先輩にこんな一言を言ってもらったからだ。

「忙しい時ほど、ゆっくりしゃべり、ゆっくり歩くよう気をつけるのだよ」

その先輩は会社の人ではないが、仕事のいろいろな面でいろいろなサポートをしてくれたり、有効なアドバイスをしてくれる人だ。その先輩とこの間お酒を飲みながらいろいろな話をした。待ち合わせ時間は当初7時だった。

が、その当日になって私は、時間を2時間遅らせてもらったのだった。さらに遅らせた時間についた時も、異様に焦っていた。喩えるなら「ネクタイ結びながら食パンくわえて裸足でかけてる」感じだ。

もちろん遅れた理由は、仕事を終えることができなかったからだ。そして、飲んでいる時も、早口で忙しいを連発していたことから、彼は上の一言を伝えてくれたのだと思う。

しかし、彼の洞察力には参った。何故って、私はその日いくつかの仕事を同時平行させていたが、ある資料の題名に誤字!があって私は結構自分に落ち込んでいたからだ。簡単な仕事だと思って確認作業を緩めたのだと思う。

忙しいと、細かいところに眼がいかなくなり、ミスが発生する。そして、その対応でより忙しくなってしまう。そして気が付くと仕事自体の目的がとにかくこなすということになってる。そんな悪循環に陥ることってあると思う。

でも、日々って本当は小さな出来事や仕事から成り立ってる。だからどんなに沢山のことをしても、どんなに大きなプロジェクトをすすめていても、小さなことをないがしろにしてはいけない。

そして、仕事をするリズムって歩く速度や話すリズムから生まれる。だからゆくっくりとゆっくりとすすめないといけない。

私は先輩にそう教えてもらったのだと思う。で、時間を20分進めたら、ゆっくりとゆとりを持って話が出来るし歩くことも出来るかな?と思ったのだ。

その結果だが・・・・結局ゆっくり話せてない。歩けてない。

一人どたばたしてあたふたし「すいません!ぎりぎり間に合いました!」と言った瞬間に、「あ、20分進ませてるのだった」と気が付くのだ(涙)


でも、今週はがんばるぞ!!(って変な終わり方、すいません・・。)

昨日勉強した?

朝、電車の中でのこと。恐らく何かのテストなのだろう。高校生らしき二人がこんな会話をしていた。

「俺、全然勉強してね~よ。昨日もテレビをずっとみちゃったよ!」「嘘!!俺なんか徹夜だよ~。でもやばい。全部終わってね~んだ。。」

テスト前の風景は何年たっても変わらないようだな、なんて思うのだが、はて?俺はどうしていたっけな?と思い出してみる。日経新聞を眺めながら記憶を辿ると、高校生までは「勉強しても“してない”というタイプ」で、浪人生になると「してなくても“凄いした”というタイプ」だった。

高校生くらいまでって、試験とかよりもバイトとか遊びの方が大事だったし、なんとなく勉強に一生懸命って格好悪い気がしていた。だから本当は結構勉強していてもテレビのチェックはかかさなかったし、逆にそうした時ほど余裕をかました生活をしていたのだ。私。今から考えると格好つけてて嫌な奴だが、その分成績も悪かったのでまあ良いだろう(笑)。

しかし、そんな高校時代を過ぎて浪人生になったら、今度は本気で勉強をしなくてはならなくなった。だからその当時って恐らく日本で100位以内に入るくらい勉強をしていた。と思ってるのは私だけかもしれないが(涙)。その時は格好つけることなんてどうでも良くなってたので、今度は何時間ぶっとおしで勉強したかどうかを自己目標に掲げていた。しかし、どっちに転んでも極端だな、、、俺。

で、今の私はどっちかな?と考えてみると、「どっちでもないな」と思う。仕事と勉強の違いがあるが、やった仕事を多く言うことも、少なく言うこともしていない。いや、どちらかと言えば頑張っている風に言っている。

それは、仕事がチームで行うことだから。多分、私は周囲への影響を考えて、頑張っている風に見せている。なんか、そう思ったら、良い気分になった。人事考課でプラスになりたいというより、周囲を盛り上げたいという気持ちがそこにはあるのだ。これって良いことだと思う。

ところで冒頭の話ですが、学生時代、あなたはどちらのタイプでした?私の隣のデザイナーに聞いてみたら、「本当にやってないので、やったって言わなかった」そうです(笑)。

仕事での勝負について

10年来の友人に子供が生まれたので会いに行く。

一緒に馬鹿な話ばかりしていた友人が、「家族のことがあるから給料もあげないとね」なんて話をするのだ。しかも彼は来年には自分らで購入したマンションに引っ越すのだという。何だか焦る。

お互い気がつけば仕事を始めて6、7年目。それなりの年になった。私なんて会社に入って仕事をするとは思っていなかったので、時間の流れとはなんて不思議なんだろうってしみじみと思う。

奥さんの手料理をつつきつつ、ビールを飲みながら話をする。そうしたら、さっきの「家族のことがあるから給料もあげないとね」という言葉が彼の口からこぼれた。

私なんて、ただ仕事が面白くてやってるのに、彼は、家族のためにも仕事をしている。背負うものがないというのはとても自由だが、子供を見ながら「こいつのためにもがんばらなくちゃね」と言う彼に私はかるく嫉妬する。で、彼は続けて「そろそろ俺も勝負しないとな」と言う。

職業柄「転職でもすんの?」と聞いた私に、彼はこう答えた「いや、そろそろ仕事を始めて随分になるから自分しか出来ない仕事をするだけだよ」と。

何かをしようとするとすぐ「転職」という考えになる自分。これって結構仕事に染まっている?とも思う。が、最近では、世の中的にもこの傾向は強い気もする。どこかしら「冒険することが良い」という風潮の中で、彼の落ち着き振りに私はどこかで圧倒される。

家族がいて、子供がいて、仕事が好きでいる彼が言った「もっと頑張らないとな」という言葉が私にはなんだかとても羨ましく思えた。素敵な奥さんと美味しい料理を食べながらだから、余計にそう思えたのかもしれないが(笑)

そんなわけで、もうすぐ私も三十歳。今まででは想像出来なかった事を欲しがるようになった。

ピカピカな靴、あるいはサービスについて

「相手に足元を見られないように」

とは、良く言われることだ。が、今の私は足元を見せたいくらい。なぜなら今私の靴はピカピカだからだ。

そんなわけで、今日は靴を修理に出した時の話。

先日私は、靴底の修理を御願いした。しかし靴は底が直されただけではなく、「ピカピカ」に磨かれた戻ってきたのだ。

見違えるように綺麗になっていた靴を見たとき、私はとにかく嬉しかった。だから、「こんなに綺麗になるなんて凄い!」と気持ちを靴屋さんに伝えた。すると、おじさんも嬉しかったのだろうか?なんと修理料を「500円も」サービスもしてくれた。そしてこう言った。「いい靴だからきちんと履いてあげてな」と。

その時、私は本当に望んでいたことを発見した。私は靴底を修理したいだけではなくて靴を綺麗にしたかったのだと。

500円のおまけが嬉しかったのはもちろんなのだが、私はおじさんの相手の求めていることを提供しようという姿勢に感動をしたのだと思う。

さて、私は日々している仕事はこれほど人に何かを与えているだろうか?期待以上の感動を与えているのだろうか?

「そんな良い仕事できてないよ!」という不安はある。が、今私は、足元のぴかぴかな靴を見ると「仕事がんばらないと!」とやる気が出るのだ。

春到来、あるいは新入社員を迎える気持ち

今年の桜は、はやいようです。

が、私は桜に負けじと2週間前に「つぼ見」を終わらせました。まだ桜の咲いていない夜の公園で酒盛りをしてしまう。そんな風にいつもよりも浮き足だってしまうこの春という季節が私は大好きです。

何かを始めるのに最適な季節。この「始まり感」や「何かが変わるのでは?」という期待感が好きなのです。

しかし私は実は結構保守的です。変化は好きなのですが、部屋のレイアウトは常に同じだし、掃除だってろくにしないし、パンツは基本的にブリーフ。[en] Career Newsというのは、転職という自分の仕事場を変化させることを考える方達も読んでるのだから、保守的ではない内容をとも思うのですが、私は「転職したら自己紹介が大変そう」とどうでもよいことで悩む輩(涙)。

そんな私が先週『なぜか「仕事がうまくいく人」の習慣』を持ち出し机周りの「大」掃除をした。これはこれで結構勇気も労力もかかった。だって、机というシステムを全面リニューアルする作業なのですから。。

さて、急遽掃除を決行した理由は、来週入社員が入社してくるから。彼らに対して今までの雑然とした机は見せたくない、そんな先輩マインド。でも、人は後輩が入社して先輩になる。部下がいて初めて上司になる。環境の変化は人の意識を変えるようです。

冒頭で私は保守的だと言ったが、何かが変わるというのは本当はとてもよいことなのだと思う。その時は「しんどいな」と思っても、後から振り返ってみると、あの時の変化はプラスだったと思えること多いですからね。

気が付けば、この出来事も5回目。 私も社会人6年目(コラムも5年目)。なんだが元旦のように「今年も頑張っていこう!」と思った私でした。

仕事は終わらない

学生時代に好きだったラーメン店が家の近くにできた。チェーン店なのだろうか?早速食べにいくと、大学時代に好きだった味そのものだった。嬉しくなって、食事が終わった後マスターと話し込む。

愛想の良いマスターだったので、お店を閉めた後、ビールを飲みながらいろいろな話をしてくれた。聞けばマスターは、昨年まで運営していた会社を経営難で辞め、50歳にしての新しい仕事だと言う。失業したのでその後どうしようか?と考えた時、大好きだったラーメン店をやろうと思ったのだ。

「じゃあ、これが最後の試みですね」と言うと、思ってもみなかった答えが返ってきた。「そうとは思ってない」と。「だって20数年前に会社を立ち上げた時、あ~これで安泰だな!って思いました。でも、気がついたらラーメンを作っている。だからこれでも終わりじゃないなって思うのです」と。

私はついつい「大変ですね」と言ってしまう。が、マスターは「楽しい。新しい出会いが出来たからね」と言った。そしてこう続けた。

「仕事って長く続けると会う人が固定化してきてしまう。同じ仕事を長くしていたので、新しい友人なんて本当に出来なかった。でも、今は沢山新しい人と友達になれる。海外の友達も出来る(このラーメンはアジア系)んだよね。お客さんとこうして話すのだってお店をやったからですよね」と。

私は、50歳で新しい仕事を始めたマスターに勇気づけられた。そして会計の時には、フルネームで自己紹介をしていた。お店のマスターに自己紹介ってなんか変な気がしたのだが、やってみると当たり前のことに思えた。

店を出る時、私は、これからずっと仕事をしていくことをポジティブに考えていた。ラーメンはマスターとの話で学生時代よりとても深い味だった。

苦手

私は、人前での発表とナスの味噌汁が苦手だ。

そんな私が新入社員の入社式の挨拶を私がすることになった。そういう場に引き上げていただけるのは正直嬉しい。期待をされている気がする。しかし、その分苦手感からくるプレッシャーは高くなる。

口頭での表現。それは、書き直しが出来る文章とちがって、発言したら取り返しがつかない。1対1ならすぐ取り繕えるが、大勢の前だとそれが出来ない。そして、普段は考えないで口から出てくる言葉を話していれば済むのだが、挨拶になるとまとめておかないといけない。そう言えば、私はまとめるのも苦手。ということで発表は苦手の二乗。

私は、人前で歌を歌うのは好きだし。踊るのも(多分)好きだ。

うん?となると人前は好きだが大勢の前で話すが嫌いなのか。そういや小学生の頃も大勢の前で苦手な機械体操は凄いやだったけど、好きなサッカーとか長距離走なんかは、「もっと俺を見て!」って感じだった。あれ?今も全然変わってない。

ところで、問題の挨拶だが、実際にやってみたら予想外に受けた。

というのが普通のコラムのあり方なのだが、コラムジョブは違う。現実は厳しく予想以上に受けなかった。後輩からトイレで「挨拶今一つでしたね」と言われる始末だ(涙)。

でも、これっていろいろ考えると、自分を良く見せたいという期待の裏返しなのだと思う。ああ、良く考えるともっと嫌になってきた。でも、そうなら、後は場数を踏んでいくことが大事だと思う。だから今後はがんがんそういった場で発言をしようと決める。

私は苦手なことがあることがとても苦手だ。どうしても克服しようと思う(あるいは機械体操や数学のように自分の世界から排除する)。もちろん、そうじゃない生き方もあるのと思うがまだまだ20代。あきらめはいけない。

ということで、早速ですが来週末は親族会議で閉会の挨拶をしてきます。でも田舎の味噌汁ってナスが多いんですよね。。ってこれ、ウチの田舎だけ?

ポジション、そして良い仕事

実はサッカー少年だった。

放課後・土日は、もちろん練習。夏休みは合宿で学校に泊り込み。同時期に合宿していた水泳部の好きな娘と校内でばったり会ってどぎまぎ。私はそんなサッカー少年(スポーツ刈り)だった。

練習をさぼりがちだった私だが試合になるとスタメン。だから私は「俺ってば才能ある?もっと点をとらないと」と思ってイイ気になっていた。『キャプテン翼』が好きだった私の気持ちは翼か岬君。なけなしの小遣いはアディダスやプーマのシューズに消えていったものだ。気分はストライカーだった。

が、ある日の監督がこういった。「お前がいるとゲームが盛り上がる。だから出してる(言外に「技術はないよお前」)」って。私はストライカーかゲームメーカー岬君になりたかったのに・・・ムードメーカーだったのだ。

と、いきなりの思い出話しで入ったのは、先日『キャプテン翼の勝利学』を読んだため。この本は『キャプテン翼』という漫画を題材にしたサッカー関連の本だが、仕事や会社の組織運営にも生かせそうなことが沢山書いてあった。そして、チーム、ひいては組織は様々な才能が必要であるということが書かれていた(と私は読んだ)。非常に面白い本だ。

さて、サッカーでは、よく「良い仕事をした」といった表現をする。この言葉を聞くと、「あ~選手も自分と同じように仕事をしてるのだよな~」って私は思う。って、そのままだが(笑)。

私達仕事人にとっては日々の仕事が試合だ。だから、自分のポジションをきちんと把握した上で求められるミッションを遂行していくことが大切だ。しかし、昔の私のように誰もがゴールを目指すチームが強いかっていったらそんなことない。あらゆるポジションには大事な役目がある。

振り返ってみれば、「前線に立ち、点を取る(そして目立つ)こと。あるいはゲームメイクをする(そして目立つ)こと」ばかり気にしていた昔の私。が、今はそういう風には考えていないようだ(と思う)。

ゲームメーカーには(残念ながら、多分)なれてない。どちらかといえば、相変わらずのムードメーカー。「翼」で言ったら石崎君。でも、石崎君にも石崎君の価値ってあるよな~と、サッカー少年から数十年経た私は思うのだ。

携帯電話と若者と

「絶対に新人だな」という人から沢山の営業電話がかかってくる。が、最近この時期にかかってくる営業電話がぎこちなくなってるように思う。気のせいなのだろうか?

そんなことを思っていた昨日、こんな話を耳にした。おそらく10代後半の大学1年くらいだろう。2度目か3度目のデート中と思われるカップル(って今普通はなんて言うんだ?)の会話だ。

「携帯電話がなかった時代の人ってどうやって待ち合わせしてたんだろうね?」
「本当だよね~。携帯無かったら会えないもんね!」「何時にどこどこで待ち合わせをしよう!って約束してたんだろうね!」「すげ~よな~昔の人」

こういった認識が若い人達の間で一般的なものかどうかは全然わからない。が、こう思ってる人が一組でもいることに私はおどろいたのだ。

で、冒頭の原因がなんとなくわかったように思えたのだ。今の若い人って、私たちに比較したら電話の先に知らない人がいる状況が少ないのかもしれないって。

携帯電話の場合、大抵の場合かける相手を知ってるもんな~。だから、(もしかすると)今の新入社員の人達って一昔の前の私達より社会人と学生のギャップが大きくて大変なのかもしれないな、と。メールなんかはとても上手なのだけれど。

パソコン等のツール習得にがんばる上の世代の人と、パソコンは得意だが、電話が苦手な若い人。なんだか不思議な風景だ。

でも、これって、お互い教え合えることがあるってことだ。だから、これはこれで良いことなのかもしれないな~と思ってみたりもする。そんな私は今年で30歳。なんだか中間管理職な気持ち。

ツキについて

その日私は「ツキ」について考えながら家路についていた。手には『面白いほど成功するツキの大原則―ツイてツイてツキまくる頭の使い方教えます』を持ち、自分が今までツイてきたかどうかを考えていた。

「ツイている人のまわりには、ツイている人がよってくる。だから、できるだけツイているという認識で仕事をしていった方が良い」というのがその本の主旨(と私は読んだ)。だから、私は自分をツイている人間だと思うようにした。

しかし、30分後その思い込みは覆される。

家のドアを開ける。何かが違うと思う。テーブルの上においてあった7万円が消えているのだ。『処世術は世阿弥に学べ!』という本の間に挟んであった7万円がないのだ。

「あれ?家賃はらったのかな?」と思う。が、そこまで私はぼけてない。テーブルをひっくり返したり、風で飛んだのでは?と思い、周囲5メートル四方を探すが、やはり7万円はない。様々な可能性を検証し私はこの現状を推理する。そして結論が出た。

「泥棒!」

私は、すぐさま警察に電話をした。現場の状況を混乱させないよう周囲の状況を犯行現場と同じようにしておく。そして、新しい指紋をつけないように、あまり周囲には触れないようにした。

そして、警察を待つ間、私は、この出来事をどのようにしたら「ツイている」という認識にもっていけるのだろうか?と色々考えた。

が、その結論は 「俺って全然ツイてない!」だった。これをツイていないと思わずして、何をツイてないと思ったらよいのだろう(涙)。

本を読んだだけでツキはすぐには変わらない。私はそんな当たり前の事実を学んだのだった。

(この『面白いほど成功するツキの大原則』はすばらしい内容なのでお薦め の1冊です!本当にたまたま私がツイてなかっただけです。。)

ツキについてその2

3人の刑事が来た。
私の部屋を一瞥し「ひどく荒らされているな」という風に顔をしかめる。

私はあわてて「これはもともとです」と説明する(涙)。

無くなったのはお金だけ。他はあらされているのかいないのかわからないほどのカオス、それが私の部屋なのだ。

数日前、この状況を指し、「これはカモフラージュである。泥棒が入っても先にやられた!と思わせるのだ」と偉そうに同僚に言っていたことが懐かしく思い出される。刑事さんは、「いや男の部屋にしては綺麗なものですよ。私の部屋なんてね・・・」とフォローをする。意外に気さく。

刑事さんは、予想通りの背広の着こなしをし手には白い手袋をはめていた。1人は、金属で出来た大きなケースを持っていた。科学捜査官なのだろう。きっとあの中にある指紋発見機で私の部屋は粉だらけになるのだ。

しかし、刑事の来客なんて生まれて初めてのことなので、ふるまいがわからない。お茶をだそうとしたが「いらない」と言う(まあ缶のお茶なのだが)。

そんなわけで、現場検証の間、間がもたない。だから場つなぎに、「こういう事件って多いのですか?」と聞く。すると「そうですね。杉並区は多いんです。私なんて今日6件目ですよ!」と答える。

「多いんだな。。泥棒って」と目をまるくする私の考えを取り違えたのだろう、刑事さんは「全くもってすいませんです」と私に謝罪をした。私は、全ての指の指紋をとられながら、「は?なんでこの人私に謝るのだ?」と思う。すると、彼は言った。

「警察は犯人を捕まえることよりも犯罪を防ぐことが仕事なんです」と。

テレビドラマで見てきた刑事って、事件がおきた後に走って犯人を捕まえていたシーンが多かったのであまり考えたことはなかったのだが、いわれてみればそういうものだ。犯人がつかまっても、7万円は返ってこない(と思う)。

ところで、7万円を盗むためのリスクって一体どれくらいなのだろう?そのリスクを犯すなら、死ぬ気で仕事をした方がまっとうなのに。。と思うのだが、もしかするとそれすらできない事情があるのかもしれない。犯人は、あまりにもツキがない人で、結果こうした犯罪をしているのかもしれない。

そんな風に考えていくと、非常におさまりが悪いので、私は、「今回の7万円は、病気で死にそうな両親に薬を買ってあげるために、少年が盗んだ」ということにする。そういえば、何かのCMで似たような話があったな~。あれは良いCMだった。でも、何のCMだったけ?

なんて、ぼけっと考えていたら、数分後現場検証は終わった。最後に驚いたのだが、刑事さんはドアではなく、窓から帰っていった。犯人と同じ経路を辿ることで、ヒントを探してるのだろう。プロだ。私は、窓から出て行く彼らの背中を見送り、今度はきちんと鍵をかけた。

ツキも大切だが、鍵も大切。私はその夜、いくつかのことを学んだ。

胃カメラ、あるいは痛みを伴う痛みの排除

最近、病弱。胃がキリキリと痛む。食欲がない。風邪で頭は痛い。なんだか大病な予感がして気分がブルーで気が乗らない。そこで、精密検査を受けることにした。

そして胃カメラを飲むことになった。生まれて初めての胃カメラ。注射もあると聞き、気持ちはよりブルーに。私は注射されるのが嫌いなのだ。しかもその名が「筋肉注射」。実際に打った時、名前のせいか、筋肉がとても痛んだ。その後「ミルクっぽい味と色した液体」を飲む。麻酔。しびれる喉。

お医者さんが「そろそろ効いたな」という顔で、ベットに横になるように指示。医者の手に胃カメラが握られる。とても「長く」、予想より「太く」、無意味に「黒い」カメラ。なんだかエイリアンに犯されるようで怖い。しかも、口に妙な器具を埋め込まれた私はしゃべることすらできない。もごもご。

そして、胃カメラが私の口に。喉に激痛。喉元過ぎたらもっと激痛。涙だらだら、よだれだらだら、嗚咽しまくり。しかし医者は、そんな私を無視し胃カメラで胃を黙々と撮影。先生が「見てみる?」と聞くので、「みばいっ(見たい)」と答え、モニタを見ようと動くと「動かないで」と言われる。

「貴方がみる?って聞いたんじゃないか!」と言いいたかったが、ナイーブな体にタフなチューブを入れられてる私は、明らかに絶対的な弱者なので、言わないことにする。私は相手との力関係を分析するのが上手なのだ。

永遠とも思える胃カメラな時間が流れる。

既に半死な私に、先生がぽつりと言った。「ああ~、これだな。潰瘍。十二指腸潰瘍。でも、もう直りかけ。薬出しておきますよ。」

「十二指腸潰瘍」。中間管理職な病気。なんか年とった気分。ストレスに弱そう。でも、30を目前にし、「あ、俺ってストレス溜まるんだ」ということが解ったのは良かった。溜まるなら、溜めなきゃいいんだストレスは。

と、長々と書いてしまったが、胃カメラはそれほど痛かった。しかし、痛みの原因をあきらかにするためにはこれが必要なのだ。原因がわかるのは精神衛生上も良いし(実は私は癌だと思っていた)、原因がわかった瞬間、その悩みは解決したも同然。案の定、いきなり食欲は復活。

さて、これは仕事でも同じだ。「何か問題があるかな?」と思った時には、怖がらず原因を追求すべし。対応した方が後々楽になるのだ。痛いのはちょっとだけ。手遅れになるのはもちろん、不安でいる時間だって嫌だもんな。これは、同僚に話をしてやろう!と思いながら、気分良く会社に戻ろうとするが、会計したら今度は懐の痛みで涙が出そうに。

個人商売、やってみる

泥棒に遭うわ、精密検査で予想外の出費がかさむわで踏んだり蹴ったり。で、古本屋を開くことに。場所は社内。お客は社員。商品は読破したビジネス書。

オープン前日、部屋に転がる本を1冊1冊みながら、「この本はあいつに読ませよう」とか「意外にもこの本はあの先輩が読んだら役に立つのでは?」なんて考える。雑巾をかけ綺麗にした本45冊をバックに詰め込むととても重い。

次の日は30分早起きしてスチュワーデスが持ってるようなキャスター付バックに本をつめ会社に向かう。雰囲気は海外出張なエグゼクティブ。

朝、社内でささやかに告知をし、夜、商売を始める。席の周りには人だかり。上司の目を気にしながら(と言ってももちろん、事前に報告はしてる)「営業ならこの本は絶対読まなきゃ駄目!」とか「この本読んでなきゃもぐり!」とか言って本を薦める。

価格に関しては欲しいといった人に、まず希望価格を言わせる。そして、その後に私が価格を決める。この方式でやって、折り合いがつかなかったのは、「100円」といった1人だけだ。他の人は全員「そんな値段で買うの?」というくらい良い値段を言ってくる。「交渉ベタだな~」と思うと口元が緩むが、「顧客満足度の追求」と言って、その70%くらいの値段で販売。社内の売り逃げは厳禁なのだ。

さて結果だが、「この本はこの人に売りたい!」と思ったものは完売。「誰が買うかわからんが、とりあえず持っていこう」と思った本は売れ残った。「この商品はこの人に売りたい!」そして「この本から学びとって欲しい!」という思い入れがあるかないかで商品の輝きって全然違ってくるのだろう。面白いものだ。

恐らく全ての企画系の本に書いてある、「ターゲットを明確にする」という商品企画や販売のイロハを私はこんなところで学んだのだった。いや~、商売って面白い。本当に。

しかし、私が読み終わって在庫となった「本」がまた同僚の手に渡り、新しい知識や知恵を生むかと思うと、思わず頬がほころぶ。「売上」を管理したエクセルを見るともっと頬がほころぶのだけれど(ニンマリ)。

プレゼント

「善き友三つあり。一にはものくるゝ友」

と『徒然草 』で兼行法師が言った言葉から考えると、私の友達は幸福である。なぜなら、私はプレゼントが好きだから。

先日、私は、友人の結婚祝いを購入した。その時ふと思ったのだ。「俺って、結構まめにプレゼントをするよな~」と。父の日、母の日、友人の誕生日、卒業祝い。入社祝い。etc。なんだかこうした「祭り事」をみつけてはプレゼントをあげている。

相手の好きな品を選び、小粋にラッピングをしメッセージをつける。「箱を開いたとき、あいつはどんな顔をするかな?」と想像する。とても楽しい。プレゼントにはお金もかかるが、その場面を考える楽しさに比較したら、プレゼントにかかるコストなんて安いものだ。

さて、ここでコラムジョブ的展開である。

「プレゼントを贈る」ように仕事ができたら良いな!と思うのだ。

営業や販売といった顧客に接する仕事だけでなく、事務系の仕事でも。経理・財務といった「堅め」な仕事だってそうだ。いや、サービス色が強くない仕事こそ、こうした精神があるとすばらしい。何気ない一言ややりとりにそうした気持ちを見つけると私は嬉しくなる。

例えば、プレゼントを贈る時のちょっとしたメッセージや、ラッピングの色。言ってみれば、そういう部分を意識した仕事振り。それってとても素敵だ。それは小さなことかもしれない。けれど、だからこそ嬉しいことに思える。

普段の仕事を、誰かに対するプレゼントのように行ってみる。いつかそれは自分に返ってくるだろう。そして、その結果気が付けば、多くの人がハッピーになっている。これは凄いポジティブで温かい行為に思える。

でも最近私は思うのだ。
「仕事」って実はそういうことなんじゃないか、って。

結婚式の2次会、あるいは3次会で語られること

ども!皆さんお元気でしょうか?私は泥棒に入られたり、胃カメラを飲んだり、歯茎から血が出たりしていますが、実は意外と元気です。

さて、先週末は友人の結婚式でした。その夜からどうも手が痛いな~って思っていたら、手のひらに大きな大きな「あざ」。お酒に酔った次の日に傷や怪我が絶えない最近、30前ってこんなものなのでしょうか?

で、本題です。いや~結婚式って良いですよね~。何故かというと、そこには、その人のドラマが集約されているからです。結婚式は数ヶ月前から準備をし、多くの方がそれに力を注ぎ、そしてその幸福な日を迎えるのです。そしてもっと考えれば、その式を挙げる二人はもっと以前からその準備を着実にして来ているのですから(クサイ?)。

式では、「今どんな仕事をしているのか?」や「出会いのなれ初め」、「どんな子供だったのか?」「そしてどんな風に生きていきたいのか?」そんな普段だったら恥ずかしくて言えない・聞けないことを共有することが出来る場だからです。そしてその場に集う人達は、その二人の過去と現在と未来に出会った人達。うむうう。なんたるスペクタクル!ドラマ!カタルシス!

そして、3次会。普段は冗談ばかり言ってる友人が、なんだか妙に本気で仕事とか人生について熱く語ったりします。これは多分結婚式のドラマがかもし出す雰囲気に語らされてるのだと思うのです。でも、私こういう「マジ」な雰囲気って凄い好きなんですよね~。まあ、今言ってても恥ずかしいくらいなのですが(笑)しかし、意外と仕事の話ってこうした場でないと本気で話せる機会がなかったりしません?職業柄なのでしょうか?私はこうした話を沢山聞きたいのですが。。。でも、方や思うのです。こういった話は多くの人が実は意外と「話したい」ことなんじゃないかって。だって、仕事とか恋愛とかって、一つのれっきとした「自己表明」なんですから。

ということでジューンブライドな6月。今月も、多くの方がご結婚されることでしょう。沢山のドラマが共有されることでしょう。そりゃ私だって、そろそろ雛壇に登った景色をみてみたいな~なんて思いますが、そんな予定は全くないので、当面は皆様のご幸福をお祈りする側で頑張りたいと思います。

仕事、結婚、家庭生活、そしてワールドカップの勝敗が、皆さんにとって(もちろん自分も含めて)幸福なものでありますように!!

体調不良とサッカー観戦、あるいは要望について

のどの激痛、熱、体のだるさ。。今私は、風邪の中でこのコラムを書いています。体調が悪い時って、集計作業とか企画を考えたりすることは難しいのですが、コラムのようなものだと逆にすらすら書けるから不思議です。

さて、こんな風邪の私ですが、明日・明後日はどうしても元気でいないといけません。何故?それは明日はサッカー・日本VSロシア戦だから!!!なんと観戦チケットを持ってるのです!!!

明日はもちろんですが明後日だって元気でいないといけない私。何故なら、明後日「体調が悪いのでお休み」なんてなったら上司・同僚から何を言われるかわかったものじゃないからです。で、ふらふらしながらかかりつけのドクターの元に向かう。

「喉が凄い痛い。凄い熱もあってクラクラしている。でも、明日はサッカーを見に行くのだから絶対に治さなくてはならない。なんとかして明日までに元気にしてくれ。」と非現実的な要望を端的に伝える。「いけるか!家で見てろ!」とドクター。「嫌だ」と言う私。ドクターほとんどお怒り。見かねたドクターの奥さんが「まあまあ、良いじゃないですか。若いんだからね~」とフォローしてくれる。ありがたい。。

診察が終わると「信じられないくらい喉が腫れてるので、熱がこれから出るだろう」という悪い予言。しかし、それでは困る元サッカー少年の私。「なんとかしてください!私は行かないといけないのです!」と気合でドクターを説得する。

ドクターはひとしきり考えた後、「抗生物質を打つから、腕出して」とぶっきら棒に言う。更に、熱が出た場合に備え、熱さましの薬も用意してくれた。そして、いつもと同じ薬なのに、「これは世界で一番良い薬だぞ。だから今日帰って寝たら明日は大丈夫だ」とまで言ってくれた。ドラマティック。気分はピッチに上がる選手な気持ち。

熱意は通じるんだ!

と、私は思った。ビジネスでは自分の要望を私は比較的素直に伝える。そして例えば10個上げた要望のうち3つくらいは通ったりするので、要望は伝えないと相手にはわからないというのが私の信条だ。

しかし、これをドクターにしたのは初めてだった。医者とは診られるものであり、要望を伝えるものではないと考えていたのだ。しかし、それは違った。自分が今何を望んでおり、何をしてほしいのか?を伝えることはビジネスに関わらず大切なことなのだ。

そして、これはきっと会社でもそうだろう。わかってくれる、とか、伝わっているという幻想や甘え、そして言い難いという恥ずかしさを超え、自分の意図を的確に伝えることはとても大切なことだと私は思う。

さて、注射のせいだろうか?意識はどんどん朦朧としてきたのだが、これはこれでとてもピースな気持ち。日本が勝つことを願って、今日はゆっくりと寝るとしよう。

【後日談】次の日はぎりぎりまで家で安静に熟睡し、熱っぽいまま横浜に。結果はご存知のように日本の勝利!!体調の悪いのもふっとびました!!!このコラムで何かかけたら良かったのですが、完全に1ファンとして見てしまいコラムに出来る記憶が残ってないのです。でも良かった~試合(感涙)。

サッカー選手だからって特別じゃない

ども!先日の「対チュニジア戦」の平均視聴率は45.5%だったということ。皆さん仕事はどうしていたのでしょう。きっと、明日(6月18日)の試合ももっと盛り上がるのでしょうね~。楽しみ楽しみ!

ということで、今日は、中田英寿さんについて。常に超一流なイメージの中田氏ですが、実は、全国中学代表チームに選ばれた時など、常に1番上手な選手ではなかったということです。そんな話を村上龍氏との対談集『文体とパスの精度』で読んで私は驚きました。

もちろん、そこは中田氏。最終的には他の人達よりも上手になっているそうです。その理由を語る時、凡百の選手であれば、「上手い人を超えるように努力した」なんて台詞がくるのだと思います。が、中田氏は違います。

「まわりに上手い人がいても、自分はかなわないと思うのではなく、それを見て自分なりに研究すれば良い。逆に自分に必要な部分も良くわかる。だから、自分がやらなければならないことを、普通にやっていたらそうなった」

そして、更にこう言います。「自分は上手いと思っていない。欠点だって当然いっぱいあるし」と。「それは相対的に誰かと比べて下手だと思ってるの?」と村上氏が聞くと、「いや、誰かとではなく、イメージする完璧な自分と比べてですね」と答えるのです。

私はこの会話を読んで、なんてストイックでビジョナリーな生き方なんだ!!とシビレました。他人の良いとこを取り入れつつも、人と比較せず自分の理想を追求する。ほれぼれするスタイル。とても謙虚で柔らかい。サッカー選手ではない私でもそんな風に仕事をしていきたいと思ったものです。

ところで、「サッカー」というと何か特殊な世界に思えてしまいますが、私達だって、仕事を通じて稼いでいる「プロ」です。だから、中田氏を始めとする選手達と、立ち位置はある意味全く同じなんですよね。

が、私達の中に彼らと同じシビアさでビジネスに対峙している人は一体どれくらいいるのでしょうか???そんな風に彼らと同じ位置で自分の仕事振りを見直そうとした瞬間、「そりゃ~世界を舞台にしてる彼らと自分は違うよな」と言いかける自分がいたりします。

これって凄い凄い危険な甘えですよね。ほんと。。

さて、明日は決勝リーグ。中田氏達が戦う間、私も私のフィールドで自分のポジションを守ってきちんと戦わないといけないな~とこの頃思います。

村上龍氏と中田氏が戦ってるフィールドに関係なく、同じ熱さで何かを語りあえるように、私だって彼らと同じような世界を見たいと思うのです。

先延ばし癖。あるいは風呂場の掃除について

目覚めると、日曜日の午後7時だった。

体調が悪いのは知っていたが、ここまで弱っていたとは。。と私は自分自信で驚く。金曜日の午前1時には寝たのに。。途中で食事を買ってきて布団の中で「もしゃもしゃ」食べたり、予定をキャンセルするために電話した他はほとんど寝ていたこの週末。

起き抜けにやらなくてはならないことをピックアップするが、頭が回ってない。が、このまま終わってしまってはほんとに寝てただけの休日になると思って部屋を見回す。汚い。ただ、あまりの汚れっぷりに「手の施し様」がないので今日は水回りを徹底的にきれいにしてやろうと決心する。

で、数カ月ぶりに風呂場、台所の掃除を始めた。

『水あか?』っていうのですか?水しかかかってないのに黒ずんでしまった風呂場とか、『さび?』なんですか?なんだかわからないけどこびり着いた『黒い汚れ』に触れたくなくほっておいた水回り。毎日シャワー浴びてても、なんかすっきりしないわ、これじゃ。。私はこの汚れ具合を見た時、心底、人間の(私の)「そこにあるのになかったことにする力」に驚愕しました。

しかしです!!!

掃除を始めてみると、たった一拭きで、汚れがとにかく落ちていく。テレビショッピングの大袈裟な演出も顔負けに、真っ黒だったタイルが真っ白になるではないですか!!面白くなって、1時間ほど汗だくになりながら掃除をしました。恐るべし『水垢トレール』(100円ショップで購入)。

深夜の大掃除(局所的)が終了し、私は1人ビールで乾杯。おふろ驚くほどピカピカ。女性がきても大丈夫。最近の体調の悪さは風水的にこの汚れが原因だったのでは?ってくらい心身共にスッキリしたもんです。

さて、この掃除を通じて思ったことがあります。それは「なんでもやろうと思ったことはその場でやってしまった方が良い」ということ。わずか1時間で自分の住処の居心地よさが全然かわりましたからね。よ~く思い出すと年始の大掃除以来だもん。毎週毎週「やろうやろう」と思っていたことですが、やり始めたらこんなに簡単で楽しいことだっとは。。。

ということで、みなさん!

仕事でやろうやろうと思ってること、思いきって始めてみることをお薦めします。先のばしの時間が長いなら長い分、終わった時のすっきりさかげんは大きなものですよ!そう、「無かったことにする力」が高ければ高いほど、ちょっとした勇気(?)はあなたに大きなプラスを与えてくれるはずです。

来週は、汚さのコアコンピタンスとも言える本と雑誌と服とひっちらかってる飲み終わったビールの缶をやっつける予定です。がんばるぞ~!!

おじさんについての考察

コラムを書き始めようとするのだが、どうもいつものようにネタがない。これは困ったどうしてだろう?と頭をひねると、簡単に原因が見つかった。昨日寝る前に『「おじさん」的思考』(内田樹著)という本を読んだから。この本がめちゃくちゃ面白くて思考が影響されてしまってるのだ。

例えばそれはこんな内容。「大人とは“自分が物事を知らない"ということを知っている人の事だ」

そろそろ30歳になる私としては格好良い大人の作法を身に付けたいと常日頃思っているので、これにはやられた。訳知り顔の大人像は好きではないし、あまり魅力も感じていなかった。だから、この一言には非常に感銘を受けた。

また、この他にも、「大人になればなるほど自分が知らないことが増える」という内容も正にその通りだと思った。例えば会社という組織において、偉くなればなるほど(本当は)知らないことが増えていく。その状況において、いちいち、自分の意見を通していったら、上手くいくものだって上手くいかない。しかし、そのように知らないことを知らないままとして部下に任せることが出来る人は意外と少ないと思う(少なくとも私はそうだ)。

ということで、これは私自身の体験からしても非常に的を得た見解だったのだ。有能な上司や「この人は大人だな」と思う人というのは、知ったかぶりをせず、自分のできることとは自分でやり、自分で出来ないことを人に任せることが上手な人だと思う。専門性が問われる時代、こうした大人観は私に非常にマッチした。そして、自分もこれから、こうした「おじさん」になろう!って思ったのだ。

今日のコラムは、ほとんど書評になってしましましたが、世の中に格好良い「おじさん」が増えることを期待し、今週のコラムジョブを終わりにしたいと思います。

200回。。思えば長い道でした

この原稿を書きあげようとパソコンに向かう私。

今回でコラムジョブは、なんと200回目(!)の記念号。が、200回も書いているためか、良いアイデアが浮かばない。そこで、いつものように煙草を吸って一息入れることにした。そして、煙草を吸いながら、スタート当時のことを考える。

思い出してみれば担当になったきっかけは、単に「他に書ける人がいないから」だった。しかも「書ける」というのは能力というより時間の問題。「お前なら出来る」という当時の上司の誉め殺しで、いとも簡単に引き受けてしまった私。あの日以来、「仕事は始めるのは簡単だが、終わらせるのが難しい」という言葉を何度かみしめたことだろう。

なお、第一回目はこんな内容でした!(1998年のものです)

http://careernews.en-japan.com/job/index01.html

その後も、慣れないコラムに(って普通なれませんよね~だって普通のサラリーマンなのですから)悪戦苦闘しつつも、

散髪とコミュニケーション能力
http://careernews.en-japan.com/job/index02.html

あたりで、なんとなくコラムの書き方がわかってきたのを覚えています。(この回ってかなり大きな反響があったのですよ~)

てな風に、随分前から、毎週コラムを書くという生活をしていますが、これって、自分が、「どうやって年をとってきたのかがわかる」という副産物が面白いです。例えば・・・

パチンコで負けたり
http://careernews.en-japan.com/job/index03.html
初めてスノボやってみたり
http://careernews.en-japan.com/job/index04.html
友人に子供が出来て見にいったり
http://careernews.en-japan.com/job/index05.html
泥棒に入られたり
http://careernews.en-japan.com/job/index06.html
十二指腸潰瘍になったり
http://careernews.en-japan.com/job/index07.html

という具合です。あまり良いサンプルではありませんが、20代前半~後半にかけてのリアルな都市生活者のケースとして一読いただくなんていうこともありかとは思います。

ちなみに、

会社の設立。変わる何か、変わらない何か
http://careernews.en-japan.com/job/index08.html

「やれば出来るかも」と思った日
http://careernews.en-japan.com/job/index09.html

あたりなんて、仕事に関する(それなりの)コラムに思えるのですが、いかがでしょうか?まあ、そんなこんなで他にも200回分がサイトには掲載されてますので、お暇な時に、是非読んでみてください!えっ?読んで何か良いことあるかって?うーん。多分あまり有用なことは無いかと思います。。私自身が、今回の号のために199回分読み直したのですが、「学び」には全然ならなかったのですからね(涙)。

さて、コラム開始から200回、これはこれで一つの記念だ。が、これは一時の休息。来週もまた締め切りがやってくる。そう、全ての仕事と同じように。

いい訳して、いいわけ?(寒)

「どうしても抜けられないミーティングがあったから、友人との飲み会に1時間遅刻したとする。でもそれはミーティングのせいじゃない。自分が友人よりもミーティングのほうが優先順位が高いって判断したってことなんだ。それを自覚して、人のせいにしないってことが重要。とにかく言い訳はあかん」

居酒屋で、同僚の福田が言った。

この一言は、非常に私に響いた。というのも私も昔、似たようなことを考えていたからだ。その「似たようなこと」はすっかり忘れてしまっているのだが、その代わり子供のころオヤジに言われたことを思い出した。

「お前はいつも『言い訳』をするがそれは全部自分が選んだことなんだぞ!」

この一言、よく言われたな~。。でも、今から振り返れば、多分オヤジは「人のせいにするな!」という事と共に、「全ては自分に選択権がある」というポジティブなメッセージも与えてくれていたのだと思う。

どんな状況になっても、それは「私が選んだこと」である。そして、実は、全てを「自分が選べる」のだと。考えてみれば、良い教育を受けたものだ。今更ながら頭があがらん。。今度実家に帰ったらしっかりと将棋かマージャンの相手をすることにしようっと。

で、話を元に戻すのだが、例えば、今いる会社も職場も仕事も「実は自分が選んだものである」そう考えると、いろいろなことが出来そうに思えてくる。そう、こうした「人のせいにするな!」というメッセージは、裏を返せば、「あなたは自由なのだ」というメッセージになる。

さて、あなたは今日、何か『言い訳』をした際、人のせいにしたことは無かっただろうか?もし、その『言い訳』を自分の責任として考えたら、別の何かが見えてこないだろうか?このコラムジョブ的エクササイズ、是非お試しください。

ところで、話は冒頭の台詞に戻るのだが、福田はいつも良いことを言う。ただ、この台詞がどんな流れで出てきたのか全く覚えていない。もしかしたら、私が怒られていたのかもしれない。全く覚えてない。困ったものだ。

物語、あるいは仕事について

「物語が大事。」と福田が言った。

「そう。物語が大事。」と私は繰り返した。前回と同じ飲み屋での話だ。

子供のころから私の周りには沢山の物語があった。「むかし、むかし」で始まる物語の数々は、幼少の私にとって生きる術の詰まったロールモデル集だった。「正直であるように」「必要以上の欲は出さないように」等、物語の主人公達は、私がどう生きていったらよいのかを教えてくれていた。

でも、今ってこうしたロールモデルになるような物語ってあるのだろうか?

生活にしても、恋愛にしても。そして仕事にしても。ぱっと浮かぶものが少ない。そして仮にそれがあったとしても、その物語の寿命は短命に思える。

でも、ここでふと考えたのだ。物語は「ない」わけなんじゃなく、沢山ありすぎてるのではないか、と。そのどれを1番大事な物語として選んだら良いのかが、わからなくなってるんじゃないか、と。雑誌を開けば様々な物語がある。そして、その雑誌自体だって沢山ある。私はそのどれを選んでも良いので、混乱してるのかもしれないな、って。

が、大事なのは、無数ある中から一つの物語を選択して、それを生きることだ。もっと言うのなら、物語はどこかから借りてくるのではなく、自分だけのオリジナルな物語を紡ぐことが理想だ。たとえ、それが大変なことだとしても。

「ものぐさ太郎」は、その面倒臭がりという力で成功をしたが、今の世の中、面倒臭がりって成功しない。

さて、今回の話って、仕事に関係ないようでいて、凄い仕事に関係してる話だと思うのですが、いかがでしょうか?私にとっては、仕事って「物語探し」という面がとても強いのです。

さて、あなたは今、どんな物語を生きてますか?

1人で行く海、あるいはセルフスターター

同僚の鶴谷と話していたら、「昨日、海行ったよ~海!」という話になった。

彼女と行ったのだろうな~と思いつつも、あえて「誰と?」と聞いてみる。しかし、返ってきたのは意外なことに「えっ。1人でだよ」というものだった。

「車で?」と聞くと、「電車で」と彼は答える。彼はサーファーでも何でもない。単に日光浴をしに、都内から神奈川の海水浴場に行ったと言う。彼の家は都内なので海までは遠い。だから、彼は、その休日、朝1人で起き、海にいくために電車に2時間ほど乗ったのだ。もちろん、帰りも一人。

私は、その行動に心底「凄いな、こいつ」と思った。サーファーでもない。釣りをするのでもない。ナンパでもなく、失恋した訳でもない(多分)。彼はただ単に「海に行きたいから」海に行った。なんてシンプルな行動原理!

私は、数年前には寝袋を担いで1人で、能登半島を20日くらいかけて歩いたこともある。インドにだって1人で旅行をした、自称「行動派」だった。

しかし、仕事を始めてからというもの、「仕事で疲れた」とか「仕事がある」なんて台詞を言い訳にして怠惰な生活をしている。「海行きたいな~」とか「映画行きたいな~」と思っても、最近では、誰かとの約束がない限り、家で寝ている「インドア派」になってしまっている。

これって、多分「自分一人でも行動を起こす」という力が弱っているってことだ。情報は溢れてるが、経験が少ない今の世の中、「セルフスターター」であることは、とても大切なことなのに。。

日々の仕事においても最近痛感するのは、「動いた人が勝つ」という事だ。そう考えると、今のこの怠惰さは、致命的なマイナス部分だと思う。

だから、私は、せめて今年の夏は「夏バテでさ」という一言だけは言わないようにしようと心に誓った。心の片隅で「1人で海に行く間、電車の中で彼が一体何を想っていたのか?」を考えながら。。

短冊、あるいは願い事

多くのビジネス書によれば、「実現したいことを紙に書く」ことはとても有効だそうだ。「紙に書いた希望は必ず実現する」「毎朝その紙を眺めればさらに実現性は高くなる」こうしたことはいろいろな書籍に書かれている。

しかし、ビジネスの場面に限らず、私達は昔からこうしたことを行ってきた。

そう、「書初め」や「七夕」という形でだ。年初と、半年を過ぎたくらいにこうした、「自分の希望を言葉にする」という行為が行事として組み込まれていることは、本当に凄いことだと思う。

さて、私の住んでいる阿佐ヶ谷では、七夕祭りが1ヶ月遅れで行われる。そして、その期間は駅に沢山の短冊が飾られる。

「就職が上手くいくように!」「幸せな結婚生活がおくれるように ○○love」

「金持ちになりたい!」などなど。小学生からおじいさんまで、それぞれの望みを記した短冊が駅に並ぶ。

私達は沢山のことを願うが、その1つを実現することだって大変だ。だから、自分が何を欲しがってるのか?何を希望しているのかを認識することはとても大事だ。

自分の望みを1番知っているはずの自分が、それを正確に把握していなかったら、その望みは叶わないと思う。

短冊として言葉になった希望が、いつか現実のものとなるとしたら、希望を言葉にしない手はない。

日本には「言霊」という考え方もある。

私は、最近、言葉の力を信じることがとてもとても大切なことだと思う。

テリーヌ

先週の土曜日、友人のシェフとフランス料理屋さんに行った。

私は、普段フレンチをあまり食べないなので、まずメニューからして何をたのんだら良いのかわかない。そうした時、「これは一体何の味?」と聞ける安心感は嬉しい。料理人と食事をすることはとても勉強になる。

私は前菜に、「エスカルゴ」。メインに「テナガエビのグリル」を頼んだ。そして、友人は「フォアグラ」と「テリーヌ」を選んだ。

ところで、私はこの「テリーヌ」というものがどうも油っぽいイメージがあり苦手だった。友人にそう伝えると「お前そういわずに食べてみ」と言う。最初は、遠慮していたのだが、友人が強く薦めるので、ちょっと無理して食べてみる。すると、そのテリーヌは非常にさっぱりしていて美味しかった。

「へ~こんなテリーヌもあるんだ」と私は思ったのだが、同時に、大事なことを思い出した。

私は、このテリーヌと言うものを今口にしているのを含めて2回しか食べたことがない、と。私は人生の中で一回しか食べたことのないテリーヌで、すでに固定概念を持ってしまっていたのだ。料理に関しては、こういうことが結構多い。エスカルゴだって、小学生の時に初めておじに連れてってもらったレストランで食べたら美味しかったので、それ以来「エスカルゴ最高!」。かたやナスは、一度食べたヌカヅケがとにかく不味かったので、それ以来、食べることが出来ない。

しかし、これは料理に限ったことではない。仕事でも対人関係でもこうしたことは実は起きているのだ。

ある仕事で1回失敗したら、その仕事が苦手になる。ある上司や、お客さんに一度怒られたら、その人は苦手になる。こういった話は良くあることだが、一度食べたテリーヌで、テリーヌを嫌いになることと全く同じだ。何かを苦手になったり得意になったりするのは、経験不足から来ることが多い。これではいけないと思いつつも、保守的な私。2回目があれば、その思い込みも変わるのかもしれないのに。。

そんなわけで、私は先日、嫌いだったテリーヌが好きになった。そして、今までは全く気がつかなかったのが、「テリーヌ」がとても響きの良い言葉だと知った。「テリーヌ」、なんだか、恋人を呼ぶような甘い語感がある。

オフで人に会うこと

最近、いろいろな場面で、仕事を抜きにして人に会う機会が多い。

そんなある日、数人での飲みが終わった時、「自分の足でちゃんと立ってる人と話すと元気でますね!」って言った人がいた。果たして私は自分の足で立ってる人に入ってたのか?気になる言葉だ。

仕事で人に会う場合は、ミーティングでもなんでも、ゴールを決めた上で、双方がそれに向う。が、お酒を飲みながらの会話はそういうことはない。ただ、お互いがどんな人間で、どんな風に考えていて、これからどんなことをして行きたいのか?ってことをただただ話すのだ。

オンの話ならば準備が出来るし、何を話していくかということの予想が出来る。しかし、オフのこうした場って、どんな話になるのかが、予想がつかない。その分、う~んと、なんて言うんだろうか、「力」が試される。

仕事を離れた場所で人に会うと、会社の看板や、仕事といった衣装をとっぱらった「裸の自分」がよくわかる。「◎◎会社の誰それ」と言う形で人に会う時には大事なことなのだが、オフで人に会う時は、業界とか、会社とか、肩書き等は、全くと言ってよいほど関係ない。

そんなわけで、仕事を離れた場所でどれだけ多くの人に会えたかということは仕事にとっても、とても大切な経験になるんじゃないかって思う。人脈とかとは全然別の話で、経験それ自体が大切だと思う。同じ会社の人ばかりや同業の人とばかりあってると栄養が偏る気がするのだ。「会社の常識は世間の非常識」なんて言葉もありますしね。

ということで、私も「自分の足でちゃんと立っている人」が好きだ。そして、出来るだけそういう人と出会っていきたいと常々思っている。多分、「類は友を呼ぶ」と言うように、そうした人達は同じようにしっかりとした人達を好むのだろう。だから、私もちゃんと自分の足で立っていかないとな!と強く思っている。

出し物の失敗と成功について

来月、友人の披露宴で出し物をやる。

「笑い」にはうるさい大手広告代理店の友人。どうやって喜ばせてやろうかと今から楽しみ♪なんて風に思える私だが、以前、2次会の司会を引き受け、大失敗をしたことがある。

その時は、私を含め同僚3人で、司会を依頼されていた。3人という人数が安心につながったこともあるが、私ともう1人の同僚(福田)は、「まあ、楽しくすればいいんでしょ!」と言って遊んでいた。「アリとキリギリス」のキリギリス。

司会を一緒にやることになっていた女性の同僚は、「あんたたちそんなんじゃ絶対うまく行かないんだから、ちゃんと話とか振り方とか考えておいてよ!」と半べそをかきつつ、色々仕込みをしてくれていた。私達は、そんな彼女を横目に「まあ大丈夫」と自分に言い聞かせていた。式の当日。同僚女性のプロ顔負けの司会で、2次会は大成功だった。が、言うまでもなく私は散々だった。そして、トラウマが出来た。

そんな私だったから、数年後、上司からいただいた「披露宴での出し物」というチャンスには3ヶ月前から事前準備を開始した。式が近づいたら、ほぼ毎日のように2時くらいまで練習。その努力もあって、出し物は無事に終わった。終わった時、私は福田と万歳をしていた。僕らはトラウマを克服した。

でも。今でも思うのだ。もし、私の出し物人生が一回目の失敗だけで終わってしまっていたら、と。

そう考えるとぞっとする。失敗経験のまま何かを終わらせることは精神衛生上良くない。大事なことは失敗経験をそのままにせずに成功への糧にすることだと思う。いつまでも負け続けていては、人間が弱くなってしまう。そして、一度手にした成功は、次の成功に繋がるのだ。

そんなわけで、読者の皆さん!!来月、私がやるのは、新郎新婦の今までのスライド紹介。ついては、今まで見た「これは面白かった、あれは良かった」という紹介の仕方等がありましたら、是非教えてください!!メール( cn@en-japan.com )もらえたら嬉しいです。お願いいたします(願)

しなやかな履歴書

先週も書いたのですが、今友人の結婚式の披露宴の出し物プロジェクトを進行してます。(先週の私のお願いに、詳細なメールをくれた荒谷さんと法恵さんありがとうございます!とっても嬉しかったです!)

昨日は、新郎と新婦に出会った時のことや、どうやって付き合い出したのかなんてことを二人にヒアリングしました。その時、新郎新婦それぞれのプロフィールを貰ったのですが、結婚までの経緯になんだか感動しました。

友人が結婚をしようと思ったのって、「出会ってすぐ」のことだと言います。きちんとしたプロポーズとかは無くて「自然」な流れだったと言っていました。まあ、良くある話なのかもしれませんが、当人達を目の前にしてそういう話を聞くと勢いがあるものですね。

そんな話を聞いたからなのでしょうか?プロフィールを見ていると、なんだか二人の結婚は以前から決まっていたかのように見えたのです。「二人はもしもこの形で出会ってなくてもいつかはこうなっただろう」てな感じです。

ちなみに、この自然な感じは、友人のプロフィール自体にも感じられました。形式こそ違え、プロフィールの内容って履歴書と同じものなんです。私は、仕事柄もあり、履歴書は結構見てきましたが、こんなに人柄が見えるしなやかな履歴書は初めて見たのです。

その友人の履歴書は、友人そのものであるような履歴書でした。なんていうか無理がない。自分がやりたいことに向けて努力をしてきたら、履歴書が出来上がった。なんだかそんな雰囲気があるのです。彼が普通の履歴書を書いても同じような雰囲気になるのだろう、と思います。

将来の夢という欄には、「友人とおやじバンドを組む。年をとったら隠居して陶芸とかをする」ってありましたが、彼はいつか本当にそうするのだろうな、と私は思いました。

履歴書って、とても沢山のことを伝えるようです。結婚や転職という契機じゃなくても、自分を見つめ直す機会って大事なこと。だから今度こそ本当に、私も履歴書書いてみよう!って思ってます。

未来に向けた履歴書は、きっと夢をかなえるツールなんだと思うんです。

結婚式の出し物シリーズ、第3回友人J

友人Jは仕事が出来る。

といっても、本当の仕事が出来るかどうかはわからない。もちろん、彼は「俺って結構仕事できるんだぞ」と言うが、そんなことはいくらでも言える。

私だって、外で仕事の話をする時は、「会社で3本の指に入るくらい有能」と話をする(笑)。だから、私は他の人の仕事に関する話もあまり信じない。

さて、私が、彼のことを「仕事が出来る」と言ったのは、「最近、このコラムのテーマになっている結婚式での出し物」のパートナーとしての仕事ぶりを見てだ。お互い忙しいのに、Jは私の倍くらい仕事をしているように思う。

彼は、草案を考えるときにも、私より数多く、精度の高いアイデアを出したし、草案をまとめるときにも、私より高い精度で仕事をした。また、練習をする時には、私の家に深夜に電話をかけてきては、自慢の車で私の家の近くまで来て、徹夜で練習をさせるくらいのリーダーシップもある。大したものなのだ。

そんな彼の仕事振りをみて、私は自分の仕事振りを本気で振り返ってしまった。日々の仕事ではなかなかこうしたことって思わないのだが(すまん>同僚)、全く別の仕事をしている人と仕事をすると、いろいろ発見が多い。徹夜したりしてるので全然楽ではないが、仕事と同じ喜びがある。

そういえば、大学時代もJとはよく夜通し話をした。あれから5年以上経った今、昔と同じように(喧嘩しながら)徹夜で来週に向けて仕事をしている。出し物の時間は15分。その15分を友人と作り上げるのが今とても楽しい。

この感覚を日々の仕事でも感じるように仕事をしていこうと思う。新しい目で社内や日々の仕事を見ていこう、と思う。

結婚式の出し物シリーズ最終回 Jの怒り

「今日の仕事が後輩との仕事だったら俺は、どなりつけてる!」 と友人Jは言った。夜12時の水曜日の居酒屋、友人の結婚式の出し物の話し。 この話題、今週で最後なので「またかよ」と言わず読んでいただきたい。

その時、私は怒られていた。約束していたパワーポイントのファイルを完 全に作れなかったからだ。しかも、「このファイルいらないと思うのだけど さ」と言ってしまってたのだ。Jは約束の仕事をしっかりとやっていた。 発表までそれほど時間がない。本来なら今日がリハーサルだったのだ。だか ら、Jはキレタ。

私はとてもとても申し訳なくて、泣きそうになった。悔しかったし恥ずかし かった。大学時代の友人にそこまで言われるとは。。でも、事実だった。平 謝りをした。「こいつの中での俺の評価は完全に地におちたな」と思った。 深く凹だ。

だから、私は、その日から睡眠時間がどうなろうと、ファイル作成に集中し た。会社の仕事が終わったら、会社でやらせてもらった。周囲の同僚は「が んばってるね」と、手伝ってさえくれた。PCの設定では、システム部の人が 設定を手伝ってくれた。ありがたかった。

前日カラオケボックスで事前リハーサル。ストップウオッチを机の上に忘れ た。が、ファイルは完成しリハーサルは無事終わった。当日、持っていった ストップウオッチは、キッチンタイマーだった(苦笑)。さらに本番では緊 張してマイクを落としてしまったが、出し物は(何とか)無事終わった。

終了後、新郎からは「お前ら、本当に最高だった!」と最大級の賛辞をも らった。嬉しかった。「この一言のためにやってたんだもんな!」ってほっ とした。ただ、私の持ってきたキッチンタイマーは、何分かおきに、結婚式 中ピーピー鳴っていたようだ。すいません。。

その後飲み会で、Jと話しをした。失敗を誤ると、「俺も台詞をかんだごめ ん」とJは言った。進行上の不手際を謝罪すると、「いろいろ言ってごめん。 でも、仕事のキャパあげないといけないからな。。正直な話、俺もさ、」と、 Jが何か話そうとした。話が「これから」というところで、他の友人の出現 によって話はストップしてしまったが、彼が言わんとすることは(なんとな く)わかるような気がする。「キャパをあげないといけない」。社会人6年目 の私達にとって、これってとても大事なことだと思う。

日曜午前3時。私はJと握手をして別れた。1人になったら、「出し物の成功」 に心底ほっとした。結婚式も、2次会も良かった。4週間土日はほとんど無 かった。徹夜もした。とにかく眠かった。

だが、その疲れの分、「何かを作ること」はやはり面白いなって思った。 そして、「仕事にもこの祭り的な感覚で取り組もう!」と私は思った。

生活を見直して、秋を感じる

友人の結婚式準備が終わり、時間がちょっと出来た。式の準備では、仕事しながら徹夜もあって大変だったが、その分キャパも広がったように思う。そこで、私は、先週末、念願だった部屋の掃除をすることにした。

その日は、休日なのに(珍しく)朝9時に起床して掃除を開始。床に散らばった雑誌だの紙だのを整理。比喩ではなく下駄箱の中にも散乱している本を一つのところにまとめた。不吉な予言のように散らばった衣類もまとめあげ、いらない服は捨てた。風呂場・トイレもがしがし綺麗にする。

読んでしまって、もう要らない本が大量に出てくる。給料前で懐も淋しいので、古本屋に本を売ることにする。本をいろいろ選別をしていると自分がどんな本を読んでいるのかがわかる(普段は全然わからない)。

こうした過去に読んだ本って言ってみれば地層だ。ここはたまに掘り返し、空気を入れてあげないといけないようだ。いかに適当に本を買っているかとか、漫画を読みすぎだとか、いろいろな傾向もわかる。

さて、部屋の掃除を終了し、(まあまあ)綺麗になった机の上で、煙草をぼけっと吸う。どこか、自分が軽くなった気がする。

気分よく窓を開けると、とても甘い香りがする。「何かの花の香りなんだろう?」って思いが、花に関する知識が全くない。たまたまその時、書いていたメールに、「今、とてもよい香りがしている」と書く。

メールの返信が来る。「それは、秋の始まりに、小花をつける小ぶりな樹木で金木犀(きんもくせい)という花だよ」と書いてある。花の名前は知っていた。でも、こんなにも甘い香りのする花だったと私は生まれはじめて知る。

家とオフィスを行き来し、新しいこと新しいことにばかりに目を向けてしまいがちな毎日。花や空気の匂いに意識を向けるということを忘れていたな~と思う。最近できたキャパをこうしたことに使ってみよう。そっちの方が、質の良い仕事ができそうだからだ。

そんなわけで、その日は、金木犀の匂いをかぎながら、ちょいと夜道を散歩。秋だな~って思いつつ、秋刀魚を食べる。そんなとても秋な休日に、書いたコラム。仕事に通じてないけれど、たまにはこういうのも良いですよね?

仕事を好きであること

先週末、友人に誘われて、オールナイトのイベントに行った。

イベントを開催するのって、とても大変なことだと思う。下準備にはとにかくパワーがかかる。でも、そのイベントを開催していた人の楽しそうな顔。私は、こういう風に誰かが楽しそうに「仕事」をしてるとうらやましくてしょうがない。私はどんな形でも「仕事」って奴が好きなのだと思う。

そうそう、「仕事が好き」という話だった。このイベントに一緒に行った友人の友人(初対面の女性。なかなか素敵)と話をしている中でのことだ。私が「仕事、楽しいよ」と言ったところ、彼女が「仕事が楽しいって言えるの、凄い」と言った。私は驚いた。私は仕事が好きなことは当たり前だと思っていたからだ。

もちろん、私だって、仕事場がパラダイスであるという風には思っていない。サイト上でアンケートをとれば、仕事が自分にあっていない、とか、どうしてもやりがいが持てない、という回答が多いことも知っている。でも、「仕事が好き」ということが、驚きの対象であるとは思ってもみなかった。

しかし、かく言う私も、数年前は、仕事が嫌でしょうがなかった。このコラムだって、徹夜しても書けないことがあったり、そもそもなぜに私がこういう仕事についたのかが解らなかったりして、悩んだものだ。

でも、様々な経験や色々な人との出会いを通じ、私は仕事が好きだと思うようになった。「この仕事をずっとやり続けるかどうか?」という問題とは別に、私は今の仕事を愛してる、と思う。

私にとって「仕事」は楽しいものだ。でも、これって「仕事」への関わり方一つなんじゃないかって思うのだ。「やらねばならない」ではなく「やりたい」と思えるところまで踏み込めるか?それが大切なんじゃないか。楽しい「仕事」と嫌な「仕事」をわけるのは、ただそれだけなように感じる。

だからという訳ではないのですが、今日も私は仕事をがんばります。仕事は、もちろん楽なものではありません。でも、人は、長い人生を仕事とともに生きます。だから、仕事を愛せていたら、人生それなりにハッピーに過ごせるって、私は思うのです。

私は、あたかもオールナイトのイベント準備の熱に浮かされるように、仕事をしていきたいと思っているのです。

時間、あるいは、幸せな結婚式の作り方

「時間がない」って、ついつい口にしまう言葉だ。

が、私が世界で一番忙しい人であることは決してない。世界忙しい人ランキングがあったとしても、恐らく平均以下だと思う。私が勝手に忙しいと思ってるだけで、実はそんなことはない。よく言われるように時間は誰にも平等に与えられているのだから。

ところで、またまた、結婚式だ。どうも30近くになると、友人の式が多くなる。そして、友人達は独身男性の方が時間があることを良く知ってるので、勢い、出し物や幹事を頼まれやすくなる。出し物の練習や打ち合わせに時間を取ってると、出会いの機会は少なくなる。「これは悪循環である」というのは全くの言いがかりです。はい(涙)。

さて、今度の結婚式はなかなか大きなイベントだ。というのも、このコラムにも何度も登場している「同僚福田」の式だからである。相手は、2回ほどここに登場したこともある同僚の女性。そう、これは社内結婚だ。

この二人の付き合い。私は実は、二人が付き合う前から知っていた(どっちがどっちを好きになったとかも)。だが、社内では、これは秘密だったのである。社内でこうしたことが噂になっても、「へ~そうなんだ。そういう話は聞いたことないな」と、嘘ばっか話していた(笑)。

だから、先日社内でこの告知があってから、なんとも言えない開放感に包まれている。でも、その秘密が秘密でなくなったとたん、次は多くの人に広報をして、2次会の幹事をやることになった。いきなり大変だ。

普段であれば、「仕事が忙しいのに、そんなの難しいよ」と言ってしまいそうな私だが、最近は、「良い仕事をするには色んな経験をしてかないとね」と考えが変わった。「自分に出来るのはここまで」って制限をしない方が良い、って最近思う。時間は作ろうと思えば全然作れる!(と自分に言い聞かせる私)。

でも考えてみれば、先日の台風の日。皆、7時には帰っていったが、その次の日にその分の仕事が溜まっていたかというと、そんなことは無かった。そう、やれば出来るのだ。結局仕事って、密度とモチベーションの問題なのだと思う。

ということで、これから、幸せな結婚式を作っていきます。向こう2ヶ月間、仕事の密度をあげつつ頑張ろうと思う。やる気があるのなら、十分な時間を作ることが出来ると思うのだ。

風邪をひいても、会社は休まない

この時期になると、いつも風邪をひく。ひかないようにひかないようにと、気をつけてるのだが、毎年毎年風邪をひく。馬鹿は風邪をひかないというが、私は、毎年、馬鹿のように風邪をひく。

この週末も風邪で寝込んだ。何件かあった予定もキャンセルして一日中寝込んだ。2日間ほぼ寝込んだら、重かった体が少し軽くなった。病み上がりだ。

風邪をひきがちな私だが、よくよく振り返ってみると、社会人になってからのこの6年間、会社を休んだ記憶がない。遅刻を結構するので、休みがちと同僚には思われてる私だが、一度も休んだことはない。驚き。

といっても、ここでそのこと自体を自慢しようとはさらさら思っていない。会社を休んだって、仕事の出来る人は出来る。会社を休まなくったって仕事ができない人は出来ない。悲しい現実、結果が全て。でも、結果の前には姿勢が大事なことも真実。

なんてことを病み上がりの頭で思うと、仕事をしはじめてからの私の優先順位が「仕事が一位」になってることに気がつく。何があっても仕事には支障は出さない!という強烈な熱意が、休日になると寝込むというこのビジネスパーソン体質を作ってるのだと思う。

そういえば。。学生時代、私はこう言っていた。「仕事をするのなら、自分の全てをかけるように仕事をする」って。「そういう仕事じゃなきゃやりたいくない」って。

で、今の仕事。全てをかけているとは言えないかもしれない(謙遜)が、かなりの部分を仕事にかけている、と思う。「やるなら、とことんやる」そういった姿勢は、20才の頃に比べたら少し鈍ったかもしれないけど、大枠は変わってないはずだ。

と、ここまで書いて読み返してみるのだが、やはりまだちょっと熱っぽいかもしれない。風邪がまだ治ってないようだ。でも、いいか、と思う。

なお、今は午前1時なのだが、もうちょっと起きて仕事をしよう、と決める。やらなきゃいけない仕事があと一つあるのだ。その仕事をしっかり終わらせてから、ゆっくりと寝ることにしよう。

(と思いつつも、結局朝まで仕事する私。週明けっていつも睡眠不足。。)

幸福な結婚式の作り方

先日も言ったが、同僚の福田が結婚する。「おめでとう!めでたい!」と言っていたら、勢い余ってその幹事になった。新婦曰く「君は私達の2部のプロデューサーなんだからしっかりお願いね!」。もちろん合点承知。

式は12月の頭。意外にも時間がない。で、早速、式の2部でやるべきことを洗い出しし、どういう人材でやったら面白いのかをいろいろ考える。「あれもしたい!これもしたい!もっとしたい!」とブルーハーツの歌を口ずさみながら考えていくのだが、時折「それ無理でしょ!」というアイデアが出てくる。

仕事なら「これは非現実的なプランじゃないかな?」と上司がストップしてくれるが、こうしたボランティアな企画は面白がりな性格によって暴走してしまう懸念がある。上司のありがたみを私はこんなところで知る。こうした時、上司は本当にありがたい。

そう考えると、会社組織って凄い。ある目的のために人が集まり知恵と体力を費やし、時間とモチベーションを管理して、大きなことを成し遂げてしまうのだからだ。こうした結婚式の工程管理を考えるのだって、日々の仕事で学んだ仕事術というか経験があったからできるようなものだもんな。ほんと、仕事に感謝。10年前の私だったら、結婚式で歌だって歌えなかった。

ところで、式の話に話を戻すが、声をかける人、かける人みんなが、「あの二人の式なら何かやらせて!手伝う!」と言ってくれる。結婚式の成功は、本人達の人格によるところが大きいのかもしれない。羨ましい限りだ。

しかし、それにしても結婚式をするって大変だ。式の予定はもともとないのだが、よりしたくなくなった私である。

というのは全くの嘘で、「早く結婚したいな~」と思う私。だが、そういった話、全くありません。今は「待てば海路の日和あり」という諺を思い浮かべ、じっくりと腰を落ち着けてることにしてますが。。。結婚、する時はするのでしょう。ってほんとうか?俺!!。

「全てが仕事に通じてしまう」コラムを書き出して6年目。どこか物悲しい秋になりました。ジョブはあってもラブがない。以上、最近母からの電話に出にくくなった三十路目前の筆者が、「結婚式を作るには、相手が必要という当たり前の事実」を噛み締めながらお送りしました。

チーム、あるいは、1+1>2について

チームで仕事をすることは、とても楽しい。

メーリングリストを立ち上げ、各人のスケジュールを調整し、意見を聞き、そして最善の策を考える。週に1度はメンバーと顔を合わせ、メールだけでは、すくいあげることのできない意見や想いをお互い突き合わせる。これがとにかく楽しい。私はチームでする仕事がとても好きだ。

さて、こんな風に「チームワーク万歳!」な私だが、昔は、チームというものが嫌いだった。「なんだい!あいつら、一人じゃ何もできないからって集団でさ!」なんていう風に斜に構えて、一人でいる自分を気取っていた。

もちろん、それはどこかチームというものに対する憧れから来た言葉や態度だった。多分、私はチームで仕事をすることに憧れていた。しかし、昔の私は、サッカーだったらパスよりドリブルが好きだったし、そもそもチームでやるスポーツが嫌いだった。集団行動が嫌いだった。

でも、仕事をするようになって、チームで何かをしなければならなくなった時、初めてチームの意味がわかった。自分一人でやるよりもとても大きなことが出来るって、ことにだ。

組織においては、「1+1>2」になるというのが、私が所属する会社(エン・ジャパン)の理念。仕事は、ただ、一人で行うことよりも、二人で行った方が良いものが出来るという視点である。私はこういう考え方を今とてもよいものだと思う。そして、人と何かを作り上げることそのものに、とっても大きな楽しみを見い出している。

一人で出来ることももちろん沢山ある、でも、一人じゃできないことの方が多いように思うのだ。そんな視点で会社という組織を見回してみると、そこが、とてもエキサイティングな場所に見える。

沢山のマネジメントの本を読んできたが、この事実に気がつけたことは、とても大きな力になるように思う。そう。チームでの仕事は、とても楽しい。

口頭表現力、あるいは、自信について

私は人前でしゃべるのが苦手である。

1対1での対話なら、なんとかなるのだが、相手が2人、3人と人が増えるにしたがって苦手度が増す。10人を超えたら何を話してるのだか、全然わからなくなる。まあ、いうなれば暴走状態。もちろん、これは誇張した表現だが、私の内面世界はこういう状況。

ところで、仕事の出来る人って大勢の前で話すのが上手な人が多い(と思う)。まず立ち方からして違う。どしっと足をひらき、背筋をピット伸ばし、「私がこれから言うことを皆さん聞いてくださいね」という風に堂々としている(ように見える)。

方や、しゃべりが下手な人って、足もとがふらふらしていて、声がうわずってしまっている。「え~」とか「あ~」とかが多くなって、言い直しが多い。「大変申し訳ないのですが、私の言うことを聞いてみてください。ほんとすいません」という感じで、どっか卑屈な感じ。もちろん、私はこっち側の人だ(涙)。

なんでこんな違いが生まれるのかな?ってずっと不思議に思ってたのだけど、大勢の前で上手に発表が出来るひとって、どっか自分に自信のある人に思える。「けつまくってる」っていうのかな?自分のことに責任を持ってる人が多いのだと思う。冒頭で話したように混乱しがちな私だって、自分が詳しい分野のことだったら結構すらすら話しできるからな~。話上手になるには、自分の考えをきちんと持つことから始めないといけないのだ。多分。

だから、机の上につまれた、『話上手になる方法』とか『こうすればアガらない!』なんて本を見ると、小手先じゃなくて、芯からしっかりしないとな~って思うのです。口頭での話というのは、私の知識や自信、そしてその話をしようとする熱意とかいった全てが凝縮される。だから、その瞬間に迷ったり自信がなくなったりすると上手に話すことが出来ないのだと思う。

ということで、今日は、本当は、取材について書こうと思っていたのですが、なんでか、口頭表現の話になりました。きっと、こちらの方が自分にとって大事なことなのでしょう。でも、このコラム、書き出してみて自分にとってのテーマがわかるという点はとても面白いものです。こんなに自由な場所を持ってる私はある意味幸せものだと思うのですよね。って、これでも結構書き直してるのですがね。書き直せる分、私はコラムの方が好きみたいです。

休日の仕事、あるいは気遣いスキルの向上について

今、同僚福田の結婚式の2部で配布する雑誌を編集している。結婚する二人から予算を貰ってだ。印刷もする。カラーのページもある。コラムの寄稿もあれば、結婚する二人へのインタビューもある。グラビアもある。マガジンハウスの「relax」のような雑誌にしたいと思っている。

で、この作業がかなりタイト。サイトの編集とかデザインは何度もやったことがあるのだが、紙媒体を作成するのは、初めてのこと。だから、まず作業ボリュームが全く見えない。初めての業務というのは、ほんとうに大変だ。

そんな訳で、勢い最近の休日は雑誌編集作業を行っている。日頃会社で顔を合わせている人間と休日に、全く別の仕事をするというのはなかなか面白いものである。が、声をかけてる私としては、非常に申し訳なく思う。

しかし、このチーム。私が申し訳なくなる程、なかなか優れている。誰が声をかけるまでもなく、各人が役割を明確に認識し、必ず予定通りに仕事を仕上げているのだ。これは、福田の人格によって、チームのモチベーションが高くなってることも原因にあるが、やはり、各々がこの雑誌を作り上げたい!という意欲が強いことが原動力になっている。

もしも、ただ単に毎週のように「休日仕事をする」という状況になったら、少なからず文句が出そうに思う。しかし、各人日々の仕事とは異なる(勝手に私からふられた)ミッションを、単に結婚式で配布するためだけに、休日も仕事をしている。そして、相乗効果で、日々の仕事のクオリティーもあがってるように思える。これは、とても凄いことだ。

なお、私はこの雑誌の発起人なのだが、実際にやれる仕事があまりない。だからだろうか?「そろそろお茶にしよう!」とか、「もう少ししたら休憩にしよう」なんていう「気遣い」のスキルだけが異様に発達した。

一人では、絶対に出来ない雑誌。チームの力って凄いな~って思う。まあ、雑誌がきちんと予想通りにあがるかどうかは、私のスケジュール管理能力にかかっていたりするので、これはこれで大変なのだが。。

土日で作る雑誌。休日の新しい仕事。こういうのって良いものだな、と思う。

営業を受けること、営業をすること

営業は、難しい。

日々、沢山の方が「うちの商品はとても良いのです。だから貴社は使うべきです!」って連絡をくれる。時間がある時は、「この人、どんな風にコミュニケーションするのかな?」って興味深々で話を聞く。時間が無い時には「テンパってますので後日でお願いします。」なんて言ってる。外部の人からすると私は暇か超多忙かのどちらかの人。でも、私は基本的に、がんがん営業をしてくれる人が好きだ。これはこれで新しい出会いだから。

そんな私だが、好みの営業の人とあまり好きじゃない営業の人がいる。好みの人は、私が何時くらいが忙しくて、何時くらいが(比較的)暇なのかを聞いた上で連絡をしてくれる人。あまり好きじゃない人は、とにかく自分の営業目標(だと思う)優先で売り込んでばかりな人。

私って、営業を受ける時、相手の話の内容ってあまり聞いてないようだ。でも、その分、その人がどんな受け答えをしてるかを観察する。電話やメールで人柄とか仕事振りって結構わかったりするものだから。

えっと。何の話だったっけ。。そうそう。営業は難しいという話だ。私自身、営業をした経験もあるのでわかるのだが、相手の立場にたって営業をするって結構難しい事だ。でも、それが出来たら、営業はとてもとても楽しい仕事になるのだろうって思う。

って、なんだかいつもと毛色の違うこんな内容を書きたくなったのは、今日私が久しぶりに営業をしたから。そう、商談をしたのです。で、その結果、営業って難しいな~って思いました。1時間くらいの商談だったのですが、5時間分くらい頭使った気がしてますから。ふう。

が、営業も企画も管理系の仕事もなんでも全てコミュニケーションなのですよね。だから、実は、営業が難しいのではなくて、コミュニケーションが難しいのだよな~って思います。社内だけで仕事してると、知った顔との仕事だからストレスが少ないだけなのでしょうね。

だから、きっと、社外でも社内でも、エクセレントにコミュニケーションが出来たら、「営業が一番楽しい」って言えるのだと思う。でも、私にはその素質が無いみたい。営業力の強い人って格好良いくて羨ましい。そういう人って本当に良いと思う。だって、そもそも、モテそうじゃないですか?そういう人って。

合唱、あるいは当事者意識について

その時、私はスタジオにいた。ゴスペルを歌うために。

同僚、福田の結婚式で、私は10人以上のメンバーを集め、テノールとかアルトとかパートに別れて合唱をするのだ。その合唱で、何の因果か私は友人二人とリードボーカル。別に歌が上手だからというわけではない。なんて言うか、流れで決まった。

歌に自信の無い私は、もう一人のリードボーカルに期待をかけていた。彼は声も良いし歌も上手である。「彼の声に隠れて少し声を出せばよいかな?」と考えていたのだ。しかし、当日、練習が始まる15分前に彼から携帯に電話があった。「今日いけない」と。おいおい。。俺一人でボーカル?一気に嫌な汗が吹き出る。

スタジオで練習が開始され、1時間前には、完全な素人だったメンバーが、急激に成長し綺麗なコーラスを奏でる。「逃げたい!」と思いつつ私は、「10分時間をもらい」スタジオから出て一人MDを聞く。「神は、私に注意深く見ること、闘うこと、そして祈ることを教えてくれた」という「OH happy day」の歌詞が心にしみる。私は、私がゴスペルの天才であることを祈る。あるいは、今が夢であることを。

しかし、ある瞬間に私は気がついたのだ。これは「試練」なのだと。友人が来ていたら、私はきっと練習をしないままに、本番を迎えただろう。だから、これはチャンスなのだと思い込み、私は腹を決めスタジオに入った。
そして、私は歌った。

歌詞がわからない部分はハミングで。もちろん結果は散々。しかし、一度歌ってしまったら、ふっきれた。言い訳をする間もなく、歌えない自分が現実となった。「でも」も「しかし」もない、あるがままの現実の中で、再度、私はリードボーカルという立場を受け入れた。

それにしても、なんていうか、久しぶりにぎりぎりな瞬間だった。ここ数年、「世界と自分が対峙するような」ここまでの緊迫感は無かった。先の状況から帰還した私から見ると、普段が「ぼけっとしてる」ように見える。当事者意識。これって、普段良く使う言葉だ。が、私は普段、知らぬ間に当事者という立場を避けて通ってるのかもしれない。

そんなわけで、最近私は、寝る前と起き抜けに、「OH happy day」を聞いている。仕事をしてるときも、頭にそのメロディーが流れる。しかし、歌を自分のものとし、私が本当にhappyになるには、まだまだ先の話だ。

「言うこと」と「伝えること」について

新しくレンタルビデオ屋で会員証を作る。飲んだ帰りに、寒い風。トイレに行きたい気持ちを抑えつつ、必要事項を記入し終わる。「ふう、これでやっと。。」と思った矢先に、店員さんが会員規約について話出した。

「これ大事なことなので読んでおいてくださいね」って一言でいいのにな~って思いつつも(繰り替えずが、トイレに行きたい)、さすがは大人な私。彼の話しを聞こうとした。足に力を入れつつ。

しかし、私の頭にはその内容が全然入ってこなかった。その原因は、尿意ではない。彼がただ、ロボットのように話していたからだ。完全な棒読み。彼と私の間にコミュニケーションは存在せず、真空空間だけがあった。

「この人、伝えるのではなく、言うのが仕事だと思ってるのだろうな~」って(トイレにいきたいので苛立ちつつ)私は、思った。

でも同時に、これって会社の中でも起きてるよな、って考える。コラムのネタはどこにでも落ちているものだ。

どこの会社でも頻繁に起きる風景だと思うが、「言った言わない」問題なんて実はこのテーマだと思う。これは、でも、言ったかどうか?が問題なのではなく、「伝わってない」ということが問題だと思う。

そう。コミュニケーションにおいて、大事なのは、「何を言った」かではなく、「何を伝えた」のか、あるいは、「何を伝えようとした」だ。「言った言わない」問題は、「何のために言うのか?」ということが抜け落ちてる、あるいはずれているように思うのだ。ってたまたまさっきもこの問題に出くわしたので、こだわっってるのですがね。なお、言ったが同僚で言わないが私。

さて、店員さんの話に戻る。いくら店の決まりとはいえ、内容を棒読みしてもしょうがないと思うのだ。それならばまだ、「こちらしっかりと読んでおいてくださいね」という一言の方が融通が利く。私もトイレにいける。

そんな訳で、私は、ロボットのように話す彼の言葉の前で、なんだか自分もロボットになったように思いつつ、「トイレ」ってずっと思っていた。永遠に思える彼の話しが終わった刹那。いきなり走り出した私を、彼はどう見ていたのだろうか?きっと普段の彼の顔にもどって、「変な客」って思ったのだと思う。その方が私も安心するというものだ。

一生懸命、あるいは、終わりと始まり

興奮が覚めない。

今日は、同僚達の結婚式だった。私は、同僚&友人の代表として、披露宴2部の幹事をした。

式の準備は2ヶ月間。その間に結婚式を告知するサイトも立ち上げたし、毎週メールマガジンも出した。そして、当日配布するための雑誌(24ページ)も編集した(しかし、いろいろやったな~)。

式で演奏を行なうバンドメンバーとの調整や、新婦が踊るフラメンコとの調整。10名以上で合唱するゴスペルのボーカルの練習もした。司会をお願いした上司と打ち合わせもした。新郎新婦とは毎週のように打ち合わせをした。私の2ヶ月はそんな風に過ぎていった。充実していた。笑いも、涙もあった。

式が終わり、振り返ってみる。反省とか失敗したという気持ちはない。でも、今の気持ちは、「満足」というのとも違う。在るのは、「やろうとしたことを精一杯やりとげた~」という心地よい疲れだ。上手くいったかどうかすら気にならないのだ。不思議。

で、1つわかかったことがある。それは、精一杯やるって本当に面白いってこと。「手を抜かない」「妥協しない」これって楽しい事なのだ。何かを一生懸命やると、自分の可能性も、いけない部分もわかる。もっと伸ばしたいところもはっきりする。「ここは意外といいところだな」なんて発見もあったりする。

私は幹事という仕事を通じて、一生懸命の面白さを知った。考えてみると、大きなイベントを幹事として一人で仕切るのは初めての事だったのだ。大きな責任を負う事を、私はしてこなかったのだな、って反省してるくらいだ。

昨日、一つのプロジェクトが終わった。「さて、次は何を始めようか?」と私は考える。そして、もっともっとこの面白さを享受しよう、と思う。

もちろん、仕事でも。

笑う門には、福来る

忙しいと私は馬鹿になる。

先日。ある撮影に私は立ち会った。その時、被写体の髪が乱れてしまうアクシデントが。時間も押し迫っていたので、私は急いでクシを入手しなくてはならなくなった。

会社の外での撮影だったので、私は会社に走った。「しかし、そもそもクシなんて持ってる奴うちの会社にいるのかよ~?!!あれ?女性にクシを借りるのはマナー違反?!」なんて思いながら。

会社のドアを開ける。ハアハア言ってる私に全社員の目が向く。スローモーションのように時が流れる。私は目の前の男性社員(宇田川)に話しかけた。

「クシを貸してくれ!」

宇田川は、きょとんとした顔でいった。

「俺が、クシ持ってる訳ないじゃないですか!!!」

我に返る私。彼は五分刈り。というより坊主。社内で1番髪の短い男だった。

私はその場で大笑いした。撮影の現場では、私の帰りを待ってる人たちがいることも忘れて。しかし、大笑いしている間に気がついた。「1秒を争うことでもないかも」と。

私は大笑いの後に、事情を説明し、女性社員にクシを借りた。撮影現場に戻ると、待ち時間に話題が弾んだのだろうか?さっきよりも和気藹々とした雰囲気になっていた。

忙しいと余裕がなくなる。思考が狭くなる。「忙しいとは、心を無くすことだ」とはよく言ったものだな、と思う。そして、その忙しさを「ふっ」と緩和させるのはたわいない「笑い」のことが多い。

忙しい年末だからこそ、時々笑いながら、ゆっくりと落ち着いて業務をしっかりとやっていこう。お坊さんも走る師走は、笑う門に福が来るのだ。

小さいことを大切に

こんな話を知ってます?

それは、待ち合わせに必ず1分遅れてしまう人の話です。

その人が、ある大きな仕事で10人と連続して会わなければいけなくなった。全部で10分の遅れになるかと思ったのですが、最初の1人に「遅刻するような奴となんて仕事できん!」って言われました。終。って話です。

恐らく皆さん知らないと思います。だって、私がさっき思いついた話だからです(すいません)。

でも、最近、自分の仕事が遅れそうになると、上記のような話を良く思い浮かべるのです。それは、きっと、私が上のような人だからでしょう。

仕事にならないなんて事は無くとも、小さなずれが、結果的に大きなずれにつながるってことは結構あるのではないでしょうか?。そして、それは、私達の日々の仕事の中で日常的に起こっていることだと思うのです。

さて、私は、そんなことを思いながら、『35歳までに行なうべきこと』なんて本を読んでいます。そうそう。私、今日、30歳になったのです。

30歳の誕生日に、「大きなことをしよう!」って思わず、「小さいことを大切にしよう」なんて思うとは意外でした。ただ、今まで何とか仕事をやってこれたのって、沢山の方の沢山の力添えはもちろんのこと、沢山の人の小さい気遣いやちょっとした思いやりに支えられてきたから、って思うのです。

だから、「それを少しづつでも返していきたい」と、思う今日この頃なんですよね。

そんなわけで、メリークリスマス。そして、ハッピーニューイヤー♪来年が皆さんにとって良い年でありますように!!!

ビジョンとターンと3年後

今日は、様々な場所で、今年や将来の展望が掲げられたことだろう。

将来のビジョンをかかげるのは、実は、とても大変なことだ。個人の話ではなく、会社や組織になればなおさらだ。でも、思わない限り、何かは実現できないのだからビジョンは必要だ。何かを毎日願っていない限り、それは実現できない。

さて、話は全然変わるのだけれど、村上春樹の小説に「プールサイド」という短編がある。その主人公の考え方が、私は好きだ。水泳の選手だった主人公は、400メートルのプールはターンがあるからこそ、全力で泳ぐことが出来ると考えている。400メートルという距離を細分化するから、人は頑張れるのだと。

私は水泳が苦手で、ターンをするのでも精一杯(事実25メートルを泳げる自信もない)なのだが、この考え方はとても良く理解が出来る。何かを目指す時、細分化していくことはとても有用だし、人にパワーを与える。どんなに大きなプロジェクトも分析していけば、日々の小さな業務に細分化できる。

ところで、年明けというのは、当たり前だが、何かを始めたり、あらためて、いろいろなことを考えるのに、適している。初もうでや書き初めといった行事は、これから始まる365日という時間に対して、何をしていこうかを考えさせる。

そんな訳で、今年がまた、始まった。だが、今年の私はいつもとちょっと違う。去年までは、1年の願望を考えていたのだが、今年は3年後どうなっていたいのか?という風に考えてみたのだ。これから来る時間を、ゴールに向けて、何度かのターンをしていくことにしよう。

というようなことを、最近私は考えているのだが、よくよく考えると、このコラム、年に50回も、書くチャンスがない。今年は例年以上に、このコラムをしっかりと書きたいと思う。

休日の使い方について

目がさめると夜だった。しかも、月曜の夜。

時計と日付を見て、私は計算をする。ボケた頭が時間を算出すると、36時間以上寝ていたことになる。いそいそと起きだし、買い物や家賃の支払いや洗濯やちょっと仕事等を行なうと深夜2時。いつもながら慌しい(?)休日だ。

私はこんな風に何も予定がない休日はスーパーに寝過ごしてしまう。

平日は時間がない時間がないと思い、寝る間も惜しんで、夜本を読んだりしているのに、休日はこのように時間がある限り夢の中。我ながら意味がわからない。

これでも学生時代には、年間最低でも100本の映画を見たり、とにかくいろいろなものを見てやろう!という文科系ながらも行動的な人間であった。それが、社会人となって気がつけばこの体たらく。格好悪い。

そんな訳もあって最近、私は、平日の仕事ぶりがどんなにまともであろうとも、休日の時間の過ごし方が、将来的に大きな違いになってあらわれてくると思っている。それは、もちろん、仕事にも。怠惰な休日を過ごす人は、いつか、充実した休日を過ごす人に勝てなくなるように思うのだ。

時間術の本を読むと、平日の時間の使い方ばかり書かれているが、私は土日の時間をいかに豊かに使うかも大事だと思う。平日は仕事という場所があり、だらだらすることって基本的にできない。

だから、自分一人で使ってよいという自由な時間をどう使うかで、その人の魅力や実力が決まると思う。綺麗なものを見たり(私は最近見てない)、美味しい食事をゆったりしたり(私はガツガツ)、良質な時間を過ごしたりする(私は上述のように寝てるだけ)こと。そんな全てがその人の基盤を強くするのだと思う(私は全然できてない)。

さて、皆さんは、どんな休日を過ごしてるのでしょうか?とても気になる私なんです。

牛丼、あるいは、変われる私

牛丼が好きになった。

本当に最近のことだ。キン肉マンの「牛丼一筋300年♪」という歌を聴いて以来(知ってますよね?)牛丼は、ずっと気になる存在だった。が、私はそれほど、牛丼を好きではなかった。いや、もっと言えば、牛丼は嫌いだった。

それが、最近は違う。月に1度くらいは、「牛丼を食べよう!」と主体的に牛丼を食べる日があるのだ。なぜ私は最近牛丼を好きになったのか?このことを考えると、もう一つの要素である、「紅しょうが」について語る必要が出てくる。

私は「紅しょうが」も嫌いだった。料理などについてくると、かならず脇に寄せて無いことにしていた。だから恐らく、私はほとんど「紅しょうが」を食べたことがなかった。

しかし、私が牛丼を好きになったのは、この「紅しょうが」との再会、あるいは、出会いがあったからに他ならない。

ある日私は、(当時好きではないのに)牛丼を食べていた。頭の中では、「なぜ私は、好きでもないのに、たまに牛丼を食べるのだろうか?」と思いながら。

ふと隣を見ると、(私の嫌いだった)紅しょうがをたんまりと牛丼の上に乗せ食べている学生がいた。彼は、その「牛丼+紅しょうが」をおいしそうに食べていた。

その時、私は何故か「それ」を食べてみたくなった。そして、すぐさま紅しょうがの箱をとり、たんまりと私の牛丼の上に乗せた。嫌いなもの+あまり好きではないものの組み合わせだ。たいした期待もせずにそれを口に含んだ。

が、驚いた。美味いのだ。

私は、そのまま一気に牛丼を平らげた。過去、ここまで幸福な牛丼との出会いはなかった。そして、その日以来、私は牛丼が好きになったのだ。と、同時に、自分の思い込みってたいしたことないんだな、とも思うようになった。ちょっとした工夫でいままでの嗜好は変わるのだ。

普通、30も過ぎると、好き嫌いを変えることは難しいと言う。しかし、そんな事はない。私は変わることができる。

牛丼の件は小さな出来事だ。が、これから数十年を生きていく中で、まだまだ知らないことや試した方が良いことが沢山ある。そう思うと私はわくわくする。紅しょうがと牛丼のように、私を変える出来事が沢山あるのではないか?と。それは、やったことの無い仕事、やる前から毛嫌いしている仕事にも言えることなのではないかと。

ウイルスと、マスクと、思いやりについて

ネット上でも現実でもウイルスが猛威を奮っています。そして、私も風邪をひきました。

同僚(福田)とお昼を食べにいって、「どうも下痢がすごくてね」なんて話をしたら「お前、それインフルエンザだよ」と言われました。「本間(同僚)も同じ症状で5日寝込んだらしいぞ」とも。

その気になりやすい私は、それを聞いた瞬間に完全にインフルエンザになりました。今では、頭がくらくらしています。恐らくこれから咳も出てくることでしょう。

ところで風邪といえば、最近上司に言われた言葉があります。それは、「風邪を引いたら必ずマスクをする」ってことです。マスクをしないで、「ごほごほ」咳をしていた私に、上司が言った言葉。上司は、こう続けました。

「マスクしろ!周囲に移したら迷惑じゃないか!」と。

その指摘をされたとき、私ははっとしたものです。というのも、私は、上司に言われるまでは、「マスク」というのは、「自分が風邪をひかない」ためにするものだと思ってたのからです。が、「マスク」って咳をして「人に風邪をうつさないようにする」ための物だったのですね。

確かに、こうしてマスクをみんながするようになったら、風邪やインフルエンザの流行も少しは食いとめることが出来るように思います。

ネット上のウイルスも各自がしっかりと対策をしていけば、流行を抑えることが出来るのかもしれません。「自分のため」ではなく、「人のために」という観点は、こうした時にも大事なのですね。

病気になると、体が資本という言葉の意味を痛感します。体もPCも、大切にしていきましょう。体やPCあっての仕事ですからね。

それにしても、節々が痛くて気持ち良いくらいです。とほほ。。

借り物の言葉、あるいは、言葉と思考

はて?さっきのミーティングで、「ソリューション」とか「ブランド」という言葉を何度使っただろうか?ミーティングの相手も相当使ったし、それに対応するように私も何度も口にした。

というより、先のミーティング前の電話でも沢山使ったし、メールでも書いた。今日だけでも、こうしたカタカナビジネス用語を私は結構使ってる。

なんだろう?こうした言葉の使い勝手の良さって。なんか物を知ってるように見せることが出来る(ように思う)。

しかし、方や、こうしたカタカナ言葉を連発したミーティングってえてして得る物が少ない。なんだか、聞いたこともないミュージシャンの曲や、読んだ事のない小説の話題を、知ったか振りをしてニコニコ話すみたいな。。

あれ?いつからこんな状況になったのだろうか?最近では、仕事場だけでなく、プライベートで食事をしている時でも、こんな言葉をついつい口にしてしまう(汗)。元々こうしたカタカナ言葉が嫌いだったはずなのに。。

休日、ちょっとフンパツして食事に行った時でも、ついつい、レストランに関して、「店舗のコンセプト」がうんぬんとか、「食事のヴァリュー」がどうとか語っている自分がいる。。同席した相手はうんざり。結果として食事を楽しめない私。

私は、言葉を使って物事を考えているし、会話をしている。こうした言葉を連発するのは、周囲の人によい影響を与えない。それに、曖昧な言葉で考えるって事は、自分にとっても良くないと思う。

だから、自分がちゃんと持っている言葉を使って考えるようにしようと思う。

そして、その自分の考えをきちんと伝えられるようにしよう。言葉のケムに自分が巻かれてしまわないよう。「カタカナ語」を乱用するのでなく、自分の言葉でキチンと語れるように。

友人の手助け、あるいは、温かい取引

友人が経営しているフランス料理屋に行く。今年から、月に1度、彼の店で起きている課題とかをミーティングして解決をすることにしたのだ。といっても別に彼の店に何か問題があるわけではない。単に「なんちゃってコンサルタント」をしてみたいだけだ。ちなみに、報酬は1回につき1食分の料理。

今回のテーマは、お客さんを増やすというテーマだった。普段仕事でやってるように、現状の課題をヒアリングして、その原因として考えられるものを洗い出す。で、ぼやっと見えてきた課題の大きな点を解決するための方法を考える。

結果として、私から提案したのは、近所の家のポストに投げ込む「通信」を創るということだ。家の近所にフランス料理屋があったとしても、料金が高いとかいう点で、実際になかなか行ってみようと思わないと想定したのだ。だから、月に1度、シェフ自らの手で書いた通信をポストすることで、その状況は変わると考えたのだ。

友人は、私の考察を深く関心しながら聞いてくれた。会社ではこんなにきちんと聞いてもらえない。だから、私はとてもいい気になる。ずっとシェフをしてきた友人には、こうした意見がとても珍しいのだ。

私は、そんな頭脳労働(?)の対価として美味しいイカのブイヤベース風煮込みと、ワインとビールをたらふくいただいた。お金のやりとりはされてないのだが、お互いとてもハッピーな取引。

高校時代、学校をサボってパチンコをしていた二人の男は、今や、こうしてお互いが持っていない技術や力をやりとりするようになった。これって、仕事がもたらすとても素敵な作用だと思う。

私達は、お互い別の場所で培った技術を、たま~にこうして交換するのだ。

人付き合いと努力について

「会話が苦手なんです」

と、同僚が言った。彼は、コミュニケーションが苦手、って悩んでいた。ある夜、中華料理屋で私達はそんな話をした。彼からしたら、私は、コミュニケーションが上手な人に入るみたいだ。

でも、昔は、私もそうだった。会話が苦手だったのだ。中学生くらいに私が持っていた長い長い悩みリストの中で、最も悩み深かったことが、「コミュニケーション」、引いては、「人付き合い」だった。

まず、集団生活が出来なかった。人と歩みを合わせて何かをすることが嫌いだった。だが、私はドラマに出てくる1人を楽しむクールな青年ではなかった。要するに、コミュニケーションが下手な淋しがりやな人だった。

同級生が、クラスの好きな女の子のことや、ファミコンの攻略法に悩んでる頃、私はそんなことばかり考えていた。だから、いろいろと努力した。人気者になろうとしては痛い目を見た。クールになろうとしたら、より孤独になった。でも、そんな風にいろいろやった結果、「一言多い」という癖は直ってないが、ちゃんと人と良好な関係を築けるようになった。

そして、こうしたことを通じて私は一つ信念を持った。それは、何か上手くいかないことがあっても、努力でなんとかなる、と。昔、人付き合いに悩んで、社会に出ることが不安でしょうがなかった奴が、会社の広報とかをやれたりするのだ。努力があればきっと大丈夫だ、と。

ところで、コミュニケーションで悩む方に、私からお薦めがある。それは、「シンプルな笑顔に勝るものなし」ってこと。作り笑いだったりするとマイナスなのが難しいのですが。この笑顔をつくるためには、自分がほんとうに笑えるように気持ちのよい付き合いを心がけることが大切だ。でも、それは難しいことじゃない。もし自分が相手だったら何をしてもらいたいか?を考える「親切心」があれば大抵のことは上手く行く。

って。。

文章を、書き上げてみて思うのだが、私は、私は1対1での会話は大丈夫だが、大勢の前での発表は今でも苦手だった。そんなこともあり、今週からは週に1回、社員の前で発表の機会を設けることにした。色々あるが、何をするにしても場数と努力が重要だと思う今日この頃なんです。はい。

一そろいの靴下

ビジネスパーソンは、1年間の30%を探し物に使っているという。

どこかから仕入れた情報なので、確かな情報ではないかもしれない。が、私をサンプルにすると確かにこれは言えそうである。気がつくと私は何かを探しているからだ。

昨日なんて、朝から探し物だった。目当ては、靴下の片割れ。3種類、右側の靴下があるのだが、それに合致した左の靴下が1つもないのである。

洗濯をする前、あるいは、洗濯をした後に、しっかりと組み合わせておけば良いことは重々知っている。しかし、その小さな手間が面倒なのだ。だから、時として、私の朝は靴下パニックに陥るのだ。

いくら探しても一そろいの靴下が発見されなかったため(物理的に無いものはない)その日、私は微妙にカラーリングされたグレーの靴下と、同じくらい微妙にカラーリングされた灰色の靴下をチョイスした。抜かりなく靴はショートブーツを選んだ。これによって私の靴下がア・シンメトリーであることはわからない。

スマートな解決策。

だが、靴を履く時、私は思う。

「靴下くらいきちんとしておけ」と。

独身男性30歳、ダンディズムとは無縁の生活だ。

という余談は置いておいて(そもそもこのコラム自体が余談の塊なのだが)ビジネスパーソンは、1年間の30%を探し物に使っているという。私の場合は、そこに靴下の方割れを探す時間が加わる。だから、30%どころじゃすまないだろうな、と思う。

しかし、今日の靴下はきちんとそろっている。

これは事前に揃えておいた結果である。そこで私は思う。「未来の自分を創るのは、過去の自分の行いでしかない」と。どうでもよい事から、私は、そんな事を発見したりもするので、どんな事も馬鹿には出来ないものだ。

しかし。。探し物をする時間、なんとかしたい~、と思う今日この頃。

変化する感謝の気持ち、あるいは、故障するガス

私は、朝、シャワーを浴びる。

しかし、その朝、裸になった私には、温水ではなく冷たい冷たい水がかかろうとしていた。裸で震えている自分に気がつき、慌てて、ガスストーブの前に行くが、スイッチを入れたはずのストーブもついていない。

震える体。青ざめる唇。私は、凍えそうになりながら考える。
「まさか?ガス止められた?」と。

家の外に行ってガスの元栓を確認する(服は着て)が、止められた形跡はない。忙しくて、コンビニに入金が出来てないことは事実なのだが、ガスがとまる程長期な訳ではない。そう、ガスが壊れたのだ。

早速、ガス会社に電話をして、急遽修理をしてもらうことにする。が、私の帰宅時間は12時を過ぎることが多い。さすがにそれは修理を依頼するにも気が引けるというものだ。

その日から数日、私は会社の同僚や部下の家でシャワーを借りる生活を送る。そして、やっと10時くらい家に着くことが出来た木曜日の夜、ガス会社の人に直しに来てもらう。

私の生活にまた温かみが戻ってきた。お湯が出る喜びをインド旅行等をせずに味わえることも、これまた楽し。なんて思いながら、私は喜んでいた。「お湯、最高」である!その日は、あまりに気持ちよくて、20分もぼけっとしてしまった。

が、その2日後の朝。

また、私は全裸で震えていた。そう、またガスが壊れたのだ。

「ご苦労様!ありがとう!」だった、ガス会社の方への気持ちは、急遽「全然直せてないじゃん」になる。寒がりながら、私は人の気持ちが180度変化することを目の当たりにする。

人の気持ちほど、変化しやすいが元に戻すのに、パワーがかかるものはない。だから、一つ一つの仕事はしっかりやらなといけないのだ。その瞬間に感謝をされたとしても、その感謝の分だけ評価を下げることがあるからだ。

裸で寒がったからだろう、いきなり風邪気味になった私は、そんな風に思う。

顧客視点、難し

今朝、私は、あるパン屋さんでパンを買った。
(それはそうだ。パン屋さんなのだから)

このお店、パン自体はなかなか美味しい。しかし、売り方がよくない。

まず、朝の忙しい時なのに、過剰包装。まるでパン一つ一つをラッピングするかの丁重ぶりだ。また、コーヒーを入れるのに時間がかかる。こっちは忙しいのに。。そして、1番私が気になるのが、「ありがとうございました」の言い方だ。こちらを見てないのだ。見てるのはレジ。私はこういう点が非常に気になる性質なのだ。

パンは美味しい。

でも、それだけじゃいけないと思うのだ。その美味しさを伝えるためには、サービスを提供する顧客との接点全てに意識が行き渡ってなければならないと思う。「美味しいパンを売っているからそれでいいじゃないか」そういう見方もある。しかし、その美味しいパンをもっともっと美味しく届ける方法は、やはりある。

そう考えると、何かを本気で好きな人が、そのビジネスに携わってるというのは幸福な気がする。もちろん、好きが故にビジネスにならないということもあるのだろう。でも、私は、「その仕事が好き」という1点は、どうしても必要な点だと思う。

「だって好きなんだもん」

女子高生が言いそうなこの言葉だが、この言葉って最強だと思うのだ。もし、そのパンを焼いてるのだが、「だってパンを焼くのが好きなんだもん」という女子高生のような人だったら、自分が焼いたパンを買っていくお客さんに対して、レジを打ちながら「ありがとうございます」と言うようなことはしないだろう。

あ、でも。。好きが故の、過剰包装はあるかもしれない。やはり、その仕事が好き過ぎても、問題は起こりそうで難しい。うーむ、仕事は好きでも、好き過ぎてはいけない。。ってことでしょうか。みなさんは、どう思います?

「顧客視点」という上司に言われた言葉に、私はふと、こんな事を考えたのでした。

上司と部下、あるいは心の機微について

小学生の頃から歴史が苦手だった。

年表は頭の中に入らないし、人名や事件名ももちろん覚えられない。そもそも日本地図が頭に入ってないので、地名も良くわからない。そんなこんなで歴史は1番の苦手科目だった。

でも、中には覚えているものもある。例えば、それは、こんな話。豊臣秀吉が鷹狩の途中で、のどが乾き、近くの寺へ寄ってお茶を貰おうとした時の話。秀吉にお茶を出した少年は、始め、「のどが渇いてるだろうから」とぬるめの茶を出した。そして2杯目を要求された時には、「お茶を味わいたいだろう」と、少し熱めの茶。秀吉が少年の気配りに気づき、試しに「もう一杯」とお茶を頼むと、最後に熱~くて濃い目のお茶を、小さな茶碗で持ってきた。

少年の細やかな心配りに恐れ入った秀吉は、「余の側近に欲しい」と少年を取り立て、後に少年は偉くなったという。そんな、後の石田光成の話。

この話を聞いた時には、「気が利く人」って出世するのだな~って驚いた記憶がある(偉い人は欲しいものは手にするのだな~とも思った)。でも、今考えてみると、光成も凄いと思うが、その気遣いを見抜いた秀吉もたいしたものだと思う。

にぶい人だったら、光成の気遣いに気付かず「あ~美味いお茶だった」で終わってしまうはずだからだ。石田光成も秀吉にしても心の機微がわかる人だったのだろう。だからこそ、歴史に残る、大きなプロジェクトを成功させることが出来たのだろう。人に感動を与える人が、プロジェクトを動かせる。

ところで、秀吉といえば、信長に遣えていた時の「草履、暖めておきました」という話も有名だ。でも、あれって私、実は御尻にしいていたんじゃないかな~って思うのですよね。咄嗟の機転で、「暖めておきました」と言い放ったんじゃないかって。信長は、そういう事を知りつつ、「こいつ機転が利く奴だな」って思って(逆に)気に入ったんじゃないかな?って思うのです。

もちろん、本当のところは、どうなのかわかりません。が、そんな風に、心の機微がわかる人と一緒に働きたいと私は思うのです。

卒業シーズン、オヤジ化と戦う

朝、出掛けにテレビを付けたら、「卒業シーズン」に聞きたい曲ベスト10なんて特集をやっていた。

私は「切ない系」が大好きなので、こういうの大好き。「別れ」とか「卒業」とかが持っているなんとも言えない「淡さ」みたいなのに、潜在的にひかれるのですよね(この段階でオヤジ臭いかも)。ベスト5くらいになったら、家を出ないといけない時間になったので(私は会社が開始する30分前に家を出る。いつもぎりぎり)上位がなんだったのかわからないのですが、なんだか春を感じさせる良い特集でした。

ところで、卒業といえば、そろそろ新入社員の入社時期。

私も4月の新入社員の入社時期に合わせて、彼らに最初に読ませる本なんてのをいろいろ探したりしてるのですが、何時読んでも、新入社員用の本って、役に立つこと多いです。「報連相」の基本とか、「仕事は完了報告をして完了」なんて当たり前な事も、あらためて読んでみると、意外と抜けてることが多いです。入社6年目とかにもなると、「社会人としての基本」は全て習得済という感じで世の中から見られます。が、実は意外とそんなこと無いようです。(って私だけか?)

そんな私ですが、来週辺りには入社してくる新入社員からすると、先輩社員として、凄い偉く見えるのだろうな~って思います(多分)。私が入社した時にそうだったようにです。

でも。。と、今年の私は思うのですよね。彼らから学ぼうって。「卒業シーズン」という切ない時期を通りすぎた彼らは、思い出とか、やる気とかいった武器を持ってます。淋しさとか不安といったスパイスだって、その武器を強くするのに丁度良いくらいなのだと思う。

方や、私は?というと、数年来やってきた仕事の実績とか、気がついたら(少し)偉くなっていた社内のポジションとかで、結構楽をしてると思うのです。

仕事の関係で会う人は、私の事をある程度知っている。キャラ的にも許されるレンジが決まっており、なあなあな感じもどっかある。で、ふと思いました。「おやじ」化ってきっとこういう馴れ合いから始まるのだろうな~って。だから、新入社員時に感じた、あの、全く新しい環境に飛び込むピリピリとした感じを自主的に作っていこうと決心しました。

そんな訳で、来週からはピリッとしたYシャツとスーツで出社予定。「卒業」があまり無い社会人の生活だからこそ、こうしたイベントに気持ちの上でも、自主的に参加しようと思います。そう考えると、転職って自分リニューアルのために良い機会なんですよね。ほんと。

読者の方と、コラムジョブの距離

「コラムジョブ」を1番最初から読んでくれてる人っているのだろうか?と、ふと考えた。

もしも、そんな人がいたとしたら、私と同じような時間を数年来過ごしていることになる。その人が年上であっても、年下であっても、6年くらい(ん?7年か?)の時間を共にすごして来た人に思えてしまう。

私は日々、社内の上司や同僚とのメール、そして、外部パートナーの方とのメールと、沢山のメールを出している。が、「コラム」という形でも、結構沢山のメールを出してきているのだ。

ところで、このコラムを書いていて、意識の変化がおきる時期が年に2回ある。一つは年末年始。これは個人的に「今年は○○やるぞ!」とか「いよいよ○○するぞ!」なんていう形で、個人的にがんばろうとする時のこと。

そしてもう一つが、今の時期だ。新入社員が入ってくる前後だ。先の変化の兆しが内部的な影響だとしたら、こちらは外部的な影響によって私自身が変化する時期。

毎年の事だが、この4月という時期って、意識がピリッとする。そして、新入社員の事を考えると、「あ~俺もそうだったな~」なんて思う。そして、この時期って、何故かいきなり回顧的になる。「入社して1年目(2年目か?)からこのコラム書いてるのか~俺」とか、なんだかいろいろな事を思い出す。

そんな訳で、ふと思ったのだ。このコラムをずっと読んでくれてる方がいたら、1度お会いしたいな~って。

コラムを書くという仕事は、どうしても一方的な配信になってしまう。でも、それではいけないと思う。これは、この仕事に限った事ではないと思う。自分が何か携わった仕事の先に、いる誰かときちんと会話出来るように仕事をしていきたいな!って思ったのだ。

なお、冒頭で言った、『「コラムジョブ」を1番最初から読んでくれてる人』。もしもいたら、メールください。いつかどこかでお会いしたいです(是非!)

ちなみに、今日お昼を食べた方は、[en] Career Newsを読んで下さってる方とでした。そんな訳で、読者の方と、コラムジョブの距離って、凄い近いのだな~っと思った筆者でした。

別れ、あるいは、日常への愛情

別れとは不思議なものだと思う。

別れがあって、いままで当たり前に存在していた何かのありがたさを知る。別れというと、恋の話が多いが、それだけではない。同僚でもそうだし、社外のパートナーさんでもそうだ。

ある尊敬すべき先輩がいて、その人は、「部下が辞めることあるだろ、そういう時、いろいろ言いたいことがあるけど、一言ありがとうというようにしてるんだ」といっていた。「がんばれよ」なんて言葉より、共に過ごした時間に対して、感謝をした方が、きっとその人へのエールになると思うから、と言っていた。私もその通りだと思う。

さて、先日、数年来仕事をしてきた方が退社することになった。

私は、先輩にならって、「今まで本当にありがとうございます」って言ってみたのだけど、その言葉を言った瞬間に、3年近くにわたって、いっしょにしてきた仕事のこと(大抵がミスとかトラブルとか大変な思い出ばかりだが)が頭に浮かんでしょうがなくなった。

異動や転職にはこうしたドラマが潜んでいる。思い出してみると、桜の花を見るたびに、私はそんな淋しさを感じているように思えてしょうがない。

別れとは不思議なものだ。その別れがあって、いままで当たり前に存在していた何かのありがたさを知る。それが仕事という場面での別れであるばあい、仕事で人と出会って別れるという刹那の不思議さを、私は痛感する。

そして、別れることが淋しいって思える人が沢山いる自分の生活に私は愛情を持っているのだと思う。

麻雀、あるいは、学ぶ楽しさ

金曜日夜、私は、同僚にメールをする。

タイトルは、件名に「打つ?」というシンプルなもの。すぐさま同僚から返信がある。「いつ?」。そして、私達は、近所の雀荘に向かう。

そんな訳で、最近、麻雀がとても熱い。

徹夜明け。朝7時くらいに、無精ヒゲの男4人は、そろそろお開きにしようか、という雰囲気で店を出ようとする。しかし、まだまだやり足りない私は、「もう1回」とおねだり状態。勝っていようが負けていようがとにかく場数を踏みたいのだ。(過去あまり集中して麻雀をした事がなかったのだ)

そんな風に麻雀にハマッタ私なので、自宅のトイレには、アマゾンで購入した麻雀の本が5冊くらい並んでいる。そんな地道な努力のおかげか、先週末は、一人勝ち。以前打った時は一人負けだったので、数週間で大きな進歩である。

そんな訳で思うのだが、私は結構勉強好きである。今麻雀以外にも、デザインやレイアウトといったテーマで勉強を重ねている。文字のジャンプ率とか色の明度なんていった、いままで漠然と思っていた事がこの世に概念として存在していることが面白くてしょうがない。

30を超えて何かを新しく学ぶというのはとても面白い。知らない事を学ぶというのは、人生を楽しくする秘訣だと思う。そう考えると、仕事を突き詰めていくのも、麻雀に強くなろうとすることも本質的には同じなんだな、と思う。なんて事を言ったら上司に怒られそうだけれど。

なんであれ、何かを突き詰めようとする姿勢は、大事な事なんじゃないか?と思う今日この頃。学ぶ事に楽しさを感じる力って、仕事上でも大切な事だと思うのですよね。

いや~、それにしても麻雀は奥が深いっす。

入学式、あるいは不安と興奮

ふと、小学生の入学式の事を思い出した。

初めての通学路にどきどきした気持ちや、桜が満開だった校門や、見たことの無い同級生や、初めて入ったクラスのワックスの匂いや、机の事をだ。あれから十数年も経っているというのに、その風景をまざまざと思い出せるのだから記憶とは不思議なものだ。

今、私は、先週とは別の机に座っている。社内で配置換えがあって、席が替わったのだ。席替えをすると、風景が変わる。上司や同僚の顔ぶれは同じなのだが、位置が変わるだけでもちょっと印象が異なる。

席替えにともなって机の上のレイアウトも変わった。机が小さくなったので(涙)机の上にある本の種類が減ったのだ。『マーケティングに何ができるかとことん語ろう』の隣にあった『キャッチャー・イン・ザ・ライ』に代わって『ブランド戦略シナリオ』が並んだりしている。こんな事だけでも随分と風景が変わるのだな、って思う。

周囲の人の顔ぶれ、机の位置、机の大きさ、そして、机の上に並ぶ本までが変わると、昨日とは全く違った世界が見える。机の周りを整理する事で、生産性があがるのって、満更嘘じゃないよな~って思う。手にとる本が変わると行動が変わるのだ。仕事も変化するだろう。

こんなちょっとだけ新しい環境で、私は思った。ルーチンワークという名前の影に隠れた惰性を、こうした小さな変化で洗い流していこう、って。在りし日の入学式の時に感じた大きな不安とだけれどぬぐい切れない興奮を、常に持ちつづける大人でありたい、と。

そういえば、(同級生には内緒だったけど)小学生の時には必ずクラスに好きな子がいたっけ。あの気持ちって、どこに行ってしまったのだろうか。そんな事を思うと、華やいだ春という季節が、切なげに思えて不思議な感じ。

出来る同期は、今や母

元同期の子供と遊んだ。

ちなみに、私の同期は、どうした事か同期同士の結婚が多い。数少ない女性の同期は、みな、同期同士で結婚をしている。確率論的に見ると、なかなか相性が良いメンバーに恵まれたようだ。不思議と、私には全然関係なかったのだが。。

さて、本題である。私達同期は、公園で待ち合わせをした。公園でビールとワインを飲みつつ、持ってきた携帯コンロでパエリアを作る。太陽の下で作るパエリアは、雰囲気という味付けもあるのだが、とても美味い。とっても平和な気持ちになる。

私は、ビールとワインの飲みすぎで途中で睡魔に襲われる。私は太陽の下での昼寝が大好きなので、小一時間程昼寝をする。風がとても心地よい。そんな4月の終わりの昼下がり。

私達同期は、7年前に出会った。名刺の渡し方を知ったのも同じ時期だったし、飛び込み営業でへこたれたのも、この顔ぶれだった。初めて商談が成功して喜んだのも、目標が達成せずに一緒に遅くまで残ったのも彼らだった。

7年の後、そんな同期達には子供が二人いて、私より年下なのにマンションを購入していて、ローンもあって、もう子供の教育の事を考えている。この事実、なんだか凄い事だな~って私は思う。

「お前らなんかすげ~な」って言うと、「そんな事ないよ」って言う元同期の女の子。その腕には、もうすぐ2歳になる子供が抱えられている。そして、その腕は、なんていうか、母親のたくましさを兼ね備えている。

同期の中でも一番出来ると思っていたその女の子は、大きな商談を制約させる代わりに、子供二人を育てあげている。子供達が「お母さん」「お母さん」と懐く姿を見ていたら、「こういう姿って良いかも」って結婚の予定なんてかけらもない私ですら思う。

そんな訳で、飛び石ながらもゴールデンウイーク。遠出は難しい日程なので、友人達と、ご近所の公園で手軽なパーティーなんていかがでしょうか?

ってGWの間という事もあり休日モードのコラムでした。では、また来週。

サイコロの記憶、あるいは企画

例えば、サイコロを使ったギャンブルで、6が連続して出ていると、人はどうしても次は、「もう6は出ないだろう」と思ったりする。また、逆に6が全く出てないと、「もうそろそろ6が来るはずだ」と思う傾向があるそうだ。

そんな人の傾向に対して「サイコロの数字は1回1回偶然なので、そういう因果関係はない」という事を伝える警句として、 「サイコロは記憶を持たない」という言葉があるそうだ。残念ながら、(例によって)うろ覚えなのだが、ギャンブルをする人には、結構有名な言葉らしい。

この言葉、偶然というものに対する人の陥りがちな思考を良く表現した言葉だと思ってずっと気になっていた。が、今日、企画書を書いている途中、この言葉がひっかかってしょうがなくなってしまった。

私がまとめている企画は、過去の事例を踏襲した物だ。が、過去の成功体験をそのまま生かそうとしても、それが偶然だった場合には「過去うまくいったから」では、次も上手くいくとは限らない、と気が付いてしまったのだ。

もちろん、仕事はギャンブルと違って、ある程度のノウハウや経験というものがある。しかし、そこに、効果要因の分析がない場合、それは、投げられたサイコロがたまたま出した偶然の結果に過ぎない。それだけでは、もう一度上手くいくかどうかは誰にもわからない。

方や、私の上司は、仕事の成果に対して、とても記憶力が良い。だから、企画書に変な事を書いたら、企画という(ある意味)ギャンブルをさせてもらえなくなる事は間違いない。

私の企画は、6が2回続けて出たようなものなのかもしれない。次も6が出ると証明するすべを持たない今、私は、企画書の前で、一人、唸っている。

隣の子供、あるいは、フラットな視線について

隣の子供は、ハーフでとてもハンサムだった。

その子が学校に行く時は、女の子が迎えにくる程の人気だ。私は、最近の小学生はススンデる~、なんて思っていた。もしも、私が小学生の時にそんな事があったら(まあ、私にはなかったのだが)クラスの悪ガキにひやかされたに違いないのに。。いや、これも文化の違いなのだろうか?アメリカ的な教育なのだろうか?なんて、ここ3年くらい思っていた。

そんなある日の事。その子を迎えに来る友達が学生服になっていた。「へ~中学生になったんだな」なんて思いながら、私はその家を通りすぎようとした瞬間、子供がドアを開けて出てきた。そして、私は驚愕した。

スカートなのだ。

「女性!」と私は驚いた。遅刻しそうなのに、歩を止めてしまったくらいに。その子が、「何よ、おじさん」的な眼差しで私を見たので、私は素に戻って会社へと歩を進めたのだが、私はしばらくクラクラして、口をぱくぱくさせていた。

そして、会社に行く途中、私はちょっと恐ろしくなった。私の思い込みの強さにである。思い込みがあったら、企画を考える足場は歪んでしまうし、周囲の人の見方だって誤ってしまう。仕事をする上で、世界をフラットに見ることは絶対に重要な事だと思うのだ。友人・知人・上司・部下、すべての関係者から思い込みが強いと言われていたが、ここまでだったとは。嗚呼、世界をフラットに見たい。

今日の朝、また、隣の子と会った。「彼女」は友達と楽しそうに話をしていた。もし、私が中学生で、彼女と同じクラスだったら、仲良くしたいな~って思うくらい綺麗な子だった。

私の家の隣の子は、ハーフで、とても美人な中学生だ。

深夜のカフェ、あるいは、勇気について

家の近所にちょっと洒落たカフェが出来た。

私は、カフェには目が無いお洒落な人なので、早速行ってみた。というのは全くの嘘で、同僚との帰り道にオープンを知り、ふらっと寄ってみたのだ。

アンティークショップから購入した程よく古ぼけたソファーが並び、心地よい音量で音楽が流れる内装。なかなか素敵なカフェだ。最近、夕食は牛丼ばかり続いていたので、こうした所で夕食も良いな~と思った私は、早速お店の人と仲良くなろうと意思決定した。

お店は、29歳の3人の男性が運営。彼らは、10代からの友人で、昔からカフェやりたいよね!という話をしていたそうだ。オーナーは昼間は働き、夜はこのカフェに出社するというハードワークな状況ながら、3人はやっと手にいれた自分達の城で、輝いて見える。

寝る間も無いけれど、楽しくてしょうがないという3人。お店のポストカードも作りたいし、Tシャツも作りたいし、イベントもやりたいし、自分達にしか出来ないお店を作りたい、あ、でも、とにかく沢山のお客さんに来て欲しい!と強く語る彼らに、私は、一人の客として最大限の協力をしようと決めた。

その後、3日に一度は店に寄って、2杯のビールとともに彼らがやりたいことを聞いては、「じゃあ、こうしたら?」なんて話をしている。

彼らは、12時を過ぎて店による私に、「本当に元気ですよね~30歳には見えないですよ」って毎回言う。が、彼らは気がついてないのだろうか?彼らが一生懸命接客をしたり、これからやりたい事を私に話してくれるから私が元気になるって事を。そうしたパワーは周囲の人にも伝わって、周りを元気にするって事を。

家の近所に出来たカフェは、そんな店だ。だから、私は、今日の夜も一杯飲んでいこうと思う。そして、私は、深夜のカフェで、私自身は、何かをやろうとする勇気をもらうのだ。

表情(カオ)、あるいは、人の顔色

「良い表情(カオ)をするようになったね」と尊敬している方に言ってもらえた。私はそれだけで有頂天。そんな、単純極まりない私にとって、こうした言葉は10日分の幸せの価値がある。あ~、しみじみ嬉しい。

なお、私は、「表情(カオ)が締まってきた」とか「男の表情(カオ)になってきた」なんて言葉を時々もらう。だが、不思議なことに男性からしか言われない。私の周囲の女性はシャイなのだろうか?(嘘。そして。涙涙涙)

そう言えば、この話題を考えていて、ふと思い出した事がある。私の大学時代の彼女は、いつも私の表情を見ては、私が嬉しそうだったらその人も喜び、不機嫌そうだったら、「なんでそんな表情してるの?!」ってよく私を怒っていた。私は、彼女が喜んでいる顔が見たくて、いろいろな楽しい事ばかり考えようとしていたし、話していた(ように思う)。

でも。時の流れとともに、私は、彼女の「顔色を伺う」ようになっていった。そんな形になると、上手くいかないものだ。気がつけば、彼女は友達に戻っていた。おそらく、その時の私は、表情や気持ちより別の何かを見ようとしていたのだと思う。何だったのかは分からないのだけど。

と、何かしんみりした話題をふってしまいましたが、(テンションを変えて)仕事で出会う人や、上司、同僚にこうした点を評価(?)される事って、とても嬉しい事ですよね!なんか人対人って、感じがするんです!

だから、私は、最近、「表情よくなったね」って言われるよう、日々仕事をしていきたいと思ってます。人の顔色を伺うのではなく、お互いが良い表情で、仕事をしていきたいと。そして、そういう気持ちが、周囲の人との気持ちの良い職場環境を作るのだと考えているのです。

さて、貴方の周囲の人は、良い表情で、仕事をしていますか?もしも、そうでなかったら、貴方から、良い表情(カオ)で仕事をしてみてください。

きっと、その輪が、広がるはずですから。

2台のタクシー、あるいは、プロの仕事。

午後6時40分。私は焦っていた。

7時の待ち合わせまで、20分。突然降り出した雨。私の予定では、駅まで全速力で走ってぎりぎり。雨の中、傘を差して走っては、私の本来の脚力を発揮できない(といっても別に足は速くない)

私は、焦っていた。だから、私は、考えた。「タクシーだ」と。そして、歩みをとめ、全く新しい交通ルートを選んだ。

「代官山までお願いします。とにかく急いでるのです。7時までに会場にいかなくてはならないのです。後20分でお願いします」と私は、要望とその背景を伝えた。

「普通なら、15分でいけるのだが、この雨だからね」と運転手さんは言いつつも、 「20分か。。なんとかやってみよう」と言ってくれた。そして、おそらく最短ルートを確保するため、裏道と若干の交通違反をして、私を会場の前にまで連れていってくれた。その結果、私は、時間にぎりぎり間に合った。タクシーの運転手、すげープロって思った。

その次の週の午後6時30分。私は、全く同じ理由でまた焦っていた。

しかし、今週は若干違う。なぜなら前週よりも、10分も速いし、そもそもタクシーを利用しようと考えていたからだ。(凄い雨が降ってきたのだ)

だが、タクシーという乗り物は、運転手のスキルによって、ここまでサービスが異なるのか・・と私は後に知る。運転手さんが、素人だったのだ。


「代官山って、どういったら良いのでしたっけ?」(俺が知るわけない)

「近い道と、短い時間、どちらでいきますか?」(近い道ってなんだ?)

「えっと、どちらに行けばよいですかね?」(知るか?!)と。。。


そんな運転手さんに、私はいらいらしながら、窓の外の過ぎ行く街並みを、ただただ眺めていた。

「仕事に対するプロ意識って大切だな」と思いながら。。。

夏休みの宿題、あるいは、先延ばしの仕事

季節が夏らしくなってきたかどうかは別として、小学生の夏休みの宿題の事を、よく思い出す。

夏休みの最後になって宿題を数日で終わらせないといけない、あの焦った気持ちをだ。あの「なんともやるせないような、それでいてどこか甘美な」気持ちを、最近仕事が立て込んでくると、いつも思い出すのだ。もちろん、「なんでもっと早くやらなかったのだろう」という毎年訪れる後悔とともに。

しかし、夏休みの宿題と今の仕事は元々性格が違う。今の自分の仕事は、私が主体的に選んで行っているものばかりだ。それなのに、最後の最後にならないとエンジンがかからないのは、性格なようだ。なかなか直らない。雀百まで踊り忘れず。

なんて話を会社でしていたら、ある同僚が、「俺なんて、宿題やらないで済む言い訳を最後の3日づっと考えていたけどな」って言う。我ながら良い会社にいるのだな、と思う(笑)。

それにしても、人生最後の最後で、「あ、あれやってないや…。」って死ぬ直前に焦るような生き方はしないようにしたいものだ。「そもそも何をするの?」という意見もあるのだが、ここは毎日をしっかりとがんばる事でしか、対処できないような気がする。

もし、しっかりと記憶に残る生活をしていたら、夏休みの最後の日に、まとめて書く絵日記だって、それなりに描けるように思うのだ。

お店の対応と価値観、あるいは、ブランドについて

先日2回目にいった居酒屋。一度目はとても静かで雰囲気が良かった。が、2度目のその日は、学生が、コンパを行っており、静かとは言いがたい雰囲気だった。私達が飲んでる間に来たお客さんは、入り口のドアを空けて、ちょっと顔をしかめて「またにします」というくらいに。「一杯飲んでくか」なんていうカジュアルな飲みだったから、良いものの、これが女の子との何か特別な日だったら…と思うとぞっとする。

その一方で、こんなお店もある。以前ここで紹介したカフェバーの事だ。ここは、別に静かではない。が、ある晩、ホスト風の男性二人と、その二人の連れの女性二人が騒いでいた時があった。(私は、そのグループの女性が綺麗で羨ましかった)すると、お店の人が、「すいません。あのお客様うるさくて」とわざわざ我々の席に(小さな声で)謝りに来たのである。

私達だって、結構うるさくしてたので、帰り際に不思議に思って聞いてみた。すると、「あの人達の騒ぎ方って、私の好きな騒ぎ方じゃなかったのですよ。みなさん(私達)の楽しみ方とはちょっと違うのですよね」と言う。

言わんとしてる事はなんとなく分かった。しかし、それ以上に彼らに対して良いな~と思った点がある。それは、自分達が作りたいお店の雰囲気が明確になってる所だ。理想とする姿を描いていなかったらあの私達への対応は出来ない。

(冒頭で言った居酒屋も、もしも静かな居酒屋を目指していたら、10名以上のコンパは受け付けないという対応だって出来ただろう。)

私は最近、ブランドについて考えている。

その時に思う事は、何かが起きた時、自分達のブランドにとって、それがイエスなのかノーなのか、そんな線引きだと思う。そして、その線引きをするためには、自分達の価値観をしっかりと持っているかが重要だ。

目指す何かがあるかないか?大事にしてるものがあるかどうか?こうして考えていくと、企業のブランドと個人のキャリアについて語ってる事ってどんどん似通っていくようだ。

企業も個人も、目指す何かを持っていきたいと、最近、強く思うのだ。

新聞スタンドのオヤジ、あるいは人を信じる力

「にいちゃん、昨日、死にそうな顔して歩いてたな。でもよ、あんな顔じゃ女にモテないぜ。もっとシャキッとして歩かないとな!ははは!!!」

私は苦笑しながら新聞を買う。「じゃあ、行ってきます」といって、地下鉄の階段を駆け足で降りる。電車のドアが閉まる風景が見える。乗り遅れだ。

私が毎朝新聞を買うスタンドのオヤジは、1秒でも時間が惜しい朝に限って話かけてくる。ファンキーなオヤジだ。このオヤジのせいで、私は一体何度電車を逃した事だろう。今日は、病み上がり。電車が遅れた時のダッシュは体にきついのだが・・・。

しかし、このオヤジ、6年にわたる細切れの話題を繋ぎあわせると凄いオヤジなのだ。例えば、「元々は日経新聞社の記者」「ソ連に密航したことがある」「世界の大半の国に行った」「○○という政治家は友達」等。普通に聞いたら、話半分なこうした話題だが、5年以上にわたって、実際、このオヤジと話をしていると、本当にそうなのだろうな。という気がしてくるから不思議なものだ。

なお、そう思わせる理由の一つに、オヤジが、トイレに行ったり、タバコを購入している不在の間に登場する、「お金はここに入れておいてください」ケースがある。これは、名前の通り、セルフサービスでお金と新聞を交換する仕組みなのだが、時々5000円札とかが、このケースの下に挟まれていたりすると人事ながら緊張したりする。

普通なら、「本当かよ?!」と思うオヤジの話も、こういう風に人を心底信用するオヤジだから、(ちょっと色がついてることはあるにしても)本当の事なんだろうな、と私は思ってしまうのだ。そして、人を信じる事が出来る人を私は信じるのだな、と認識する。

私は、ここ数年、毎朝、遅刻の危険と引き換えに、オヤジとのちょっとした会話を楽しむ。「梅雨に入ったね」とかいったニュースはすべてオヤジからだ。いつか、オヤジと酒を飲んでみたいと思っているのだが、なかなかこれが叶わないのが、残念で仕方がない。

30歳のミス

「ああ、時間を戻せるのなら、あの瞬間に戻りたい」

と今日、何度も思った。何故かというと、仕事でミスをしたのだ。それは、ケアレスミス、一種の誤字。

最近では、自分ひとりの事ではなく、部下の事や関連する部署の事まで自分の責任範囲と思って仕事をしてきた私だが、ミスがあると心底不安になる。
「おいおい、自分の仕事もしっかりできてないじゃないか」と。

ところで、ミスをする人とミスをしない人は大きく分かれる気がする。ミスをする人はしょっちゅうするし、しない人は決っしてしないような気がする。もちろん、そんな事はないのだろうけれど、私にはそういう風に見えるのだ。なんて言うのだろう、搭載してるOSが違うというのだろうか?

さらに、ミスってえてして、起きてはならない時に起きるような気がする。「今回は大丈夫」という気の緩みや、慣れがミスを起こすように思うのだ。そう考えると、仕事に対する慣れがミスを発生させるようにも思える。

だから、私は、今日、こう考えるようにした。

「ミスがないのは、当たり前なのではなく、幸運なのだ」と。

何かを行う場合には、ミスは高い確率で発生するのだと。だから、その発生確率をゼロにするために、とことんチェックをする必要があるのだと。

私は、これからじっくりと時間をかけて、そんなミスをしない癖や身体を作っていくつもりだ。そして、そのために、「自分はミスをする人間なんだ」と心底思うようにしようと思う。

そんな訳で、今日は何度も「時間を戻せるのなら、あの瞬間に戻したい」と思た。しかし、そんな風に思っても、時間は絶対に戻らない。

だから、私は、「もう絶対にミスはしない」と誓う。

洗濯機を7回まわす

昨日深夜、コインランドリーで、洗濯機を7回まわした。3台を占領して。シトシトと雨が降る夜の9時から、深夜1時にかけて。自宅とコインランドリーを往復3回。赤いランドリーバックを背負って深夜の住宅街を歩く。誘拐犯にも見えなくない。ちょっとした変質者気分。

「洗濯機。毎日少しづつまわしていったら、こんな事にはならないのに」と思いながら、歩く。

全ての仕事が終了し、家につく。洗濯物以外の数ヶ月分の怠惰が鬱積した部屋。何かに対するあきらめが物象化したような雰囲気。今週は、毎日必ず、部屋のパーツパーツを磨き上げようと思う。

日々、少しづつ手を抜くと、それは、後々大きな仕事になって私を圧迫する。毎日の積み重ねは、必ず形になる。それからは、逃れようとしても、逃れる事はできない。

これは、もちろん仕事でも同じだ。毎日の小さな積み重ねが未来の自分を創る。洗濯物がたまっていくように、毎日のささいな手抜きが、将来の私に「実力不足」という呪いをかける。

先週末、私は、4時間にわたって、洗濯物と格闘した。だから今、私の部屋は、ちょっとした古着屋のように服が散逸している。今日、家に帰ったら、服をたたもう。何時間かかるか解らないのだが、服を1枚1枚たたもう。

日常は、そのメンテナンスを怠ると大変なことになる。積み重ねるべきは、洗濯物ではなく、毎日の小さな努力。怠惰ではなく、希望を積み重ねようと思う。

書き出す事、あるいは、何かを始める事

頭の中には、既に『結婚式の幹事や出し物、あるいは専門分野について』なんていうタイトルと大まかな構成があるのだが、今日は何だか、別に書きたい事があるような気がする。たまに、こんな日がある。

じゃあ、別のテーマで、書きたい事は何なのか?って自分の中を探ってみるのだが、それがはっきりとは解らない。困ったものだ(涙)。しかし、こうしてPCに向かって、数行、言葉を書いていると、なんとなしにリズムが生まれ、伝えたい事が少しづつ出てくる。なんて言うのだろう、言いたかった事を発見するような感じ。

それは、始めの内はそれほど興味がなかったのに、やってるうちに夢中になった遊びに似ている。で、途中で、私は、ああ、あの事書きたかったんだな、と気が付く。

ところで、実は、冒頭に書いた、『結婚式の幹事や出し物、あるいは専門分野について』も、こんな内容にしようと思っていたのだ。

「私は、この9月に結婚式の2次会の幹事をする事になった。昨年の9月から1年の間で、幹事2回、出し物1回をしているので、4ヶ月に1度の割合でこうした催しものに携わっている事になる。始めはこうした事はそんなに好きではなかったのだが、勢いで始めて見たら、とても楽しい。周りは喜んでくれる。そして、繰り替えすとノウハウが貯まる。そうすると、またお願いが来る。そんな循環が出来る。そして、ふと思うのだ。仕事も、こういう循環が大事なのかな?って」

なんて内容だ。何かを始めると、それが雪だるま式に大きくなって、一旦作った雪だるまのノウハウは、また、もう一つの雪だるまを作れる。そして、そうした事をくり返していくと、それは一つの専門分野になる。でも、最初のきっかけは、実は、ちょっとした好奇心や「試しに」だったりする。

そんな風に、特に計画もせずに始めた「何か」が、予想外の場所に自分を連れて行く事もある。そして、それって、自分が好きな事に近かったりする事も多いように思う。だから、私は、「何かを始める事」が好きなんだと思う。

何かを始める事と、文章の1文字目を書き出す事は、どこか良く似ているな、と私は思う。

学ぶ事と教える事

人は、人に教える事で、学ぶ事が多いようだ。

というのも、最近、私主催の勉強会を会社で開いているのだが、参加者だけでなく、講師をお願いしてる人からもなかなか評判がよいのだ。

勉強会の名前は、「エンカレッジ」という。エン・ジャパンのカレッジという意味と、encourageの勇気付けると言う意味をかけたものだ。朝会社が始まる前の自主的な勉強会である。朝、結構早いにも関わらず、10名以上の参加者が集まって、「ロジカルシンキング」とか「表現能力」とか、「ブランド」といったテーマを考える。

勉強会の講師は、私が依頼をする。3ヶ月くらいの構成を大枠考えて、「このテーマ」なら、この人にお願いしよう!なんていう風に考える。そして、その人にとってやる価値があるように依頼の仕方を考え、個別に依頼をする。勉強会が終了した後には、参加者からの感想メールが来る。それは、講師の人にとってとても重要な資料となる。自分が伝えたかった事はしっかりと伝わったのか?誤解はなかったか、そして次に活かせる事はないか、そんな事が沢山詰まっているからだ。

そんなある日、講師をしてもらった一人がこういった「良い機会を与えてくれてありがとうございます。自分の思考の整理になりました」と。

自分が学んだ事を人に教えるために整理をする事は、想像以上に自分のためになるのだという。私は、なるほど!と思った。しかし、日々の仕事に置き換えてみれば、仕事で、人に、何かを教えている時って、実は、自分が一番学んでいるように思う。自分自身がちゃんと出来てない事があらためて解ったりもするのだけど…(笑)。

冒頭の勉強回を始めて随分経ったのだが、この企画を通じて思ったことは、人は、人に伝えられる事を沢山持っているんだな~という事だ。そして、機会があれば、人は、それを誰かに伝え、形にする力を持っているという事もだ。だから、私は、そんな機会を陰ながら作っていきたいな~と思っている。そして、仕事の中には、そんな機会が沢山あるのだな、と改めて思っている。

選択眼と苦労

私は、本好きだ。

給料の大半が、本に消え。片付けても片付けても増える本で、部屋が片付かなくても、本が好きだ。今の仕事は、「インターネット」だけれど、本屋さんか出版社に勤めたいくらい、本好きだ。

で、以前も、ここで書いたかもしれないけど、私は読んだ本の一部を、会社に寄贈して、私設図書館をやっている。ビジネス書の大半は、2度読みたくなる本ってあまりないし、社員のビジネス力UPになるのなら、良いだろうという考えから、半年くらい前に始めたものだ。

やって見ると、新入社員とかがどんどん本を借りていくので、なかなか良いものだと思っている。そんな事もあって、私はかなりの読書家と思われているのだが、先日こんな質問を受けた。

「どうやったら自分にあった本を見つける事が出来るのですか?」と聞かれたのだ。30年も生きていると、こうした質問を貰うことが数度あるのだが、私は、ちょっとだけ、こういう人が苦手だ。

何故なら、私が、年収の大半を本に費やし、睡眠時間を削ってまで、自分にヒットする本を探しているにも関わらず。ノウハウのようなものがあると思って、しかも、それを聞き出そうとするのは、どうなんだろう?って思うのだ。

といっても、腹を立てるより、本好きの性(さが)で、「えっとどんな本を探してるの?」なんてなるのが実情なのですがね。女性の場合なら、なんだかそれだけで、飲みに誘いたくなるくらい嬉しかったりします。はい。

でも、こうした事って、一事が万事と言うのですか?本に限らず、いろいろな事に通じるものですよね。ファッションでも、食でも、恋愛でも、人間関係でも、そしてもちろん仕事でも。基本的には自分でごりごり痛い目を見て、言葉にならない何かを掴んでいくしかないと思うのですよね。

だって、本好き10年以上やってますが、今でも数10冊の内で、1冊ですよ。心底、「読んで良かった~!!!」って思える本って。苦労をしないと、喜びも少ないという事なんですかね?これって。

ある古本屋の閉店と泣きそうな私

「おい!あの古本屋、閉店するみたいだぞ」

同僚の福田からの電話で、私は、ベットから身を起こした。「嘘!」という言葉とともに、外出用の服に着替え、気が付いたら、私は歩き出していた。

私は、以前、そのお店の近所に住んでいた。本好きと、お金の無さから、週に1度は本を買ったり、売ったりしていた。店主の伊藤さんと顔見知りになってからは、店に行けば、まずビールを出してくれた。伊藤さんは、酔うと、「本なんて買わなくてもよいから、ビール飲め!」みたいな事を言って、酒を飲みながらいろいろな話をしてくれた。新入社員の時、仕事の愚痴も言った事もあったし、伊藤さんの身の上話に「人生」を感じたこともあった。

そんなお店だったのだが、同じ街だけど、私が引越しをしてからは、3ヶ月に1度くらいしか、いかなくなった。最近では、半年に1度くらいだっただろう。でも、私の知人が書店をやりたいという事で相談があったので、近々、店主である伊藤さんに書店運営のノウハウを聞きに行こうと考えていたところだった。

福田からの電話は、そんな矢先のことだった。

私は「古本屋」に着くなり「伊藤さん、店閉めるのですか?」というと、伊藤さんは、「そうなんだ」と明らかにビールを飲みすぎた赤ら顔で答えた。私は、この閉店の最後の数時間前に、この店にいることが出来た事に感謝した。もしも、福田からの電話がなかったら、もしも、福田が今日この店の前をたまたま通らなかったら、私は、「古本屋」が閉店した後に、店にいって、一人で驚いたり、悲しがったりしていたのだろうから。

まず、私は、「いろいろな話や相談があるので」と言って、伊藤さんとは別の日に飲む約束をした。私は店内の本を見る。5年前に私が買ってもらった古本がまだ売っていた。その本は、大学時代に買った本で卒業論文にも利用した本だった。私は、感傷的な気持ちもあって、その本をもう一度購入した。伊藤さんは、いつものように「ありがとう」と言って、本を綺麗に拭いてくれた。そして、伊藤さんと私は、最後に握手をして別れた。

その「古本屋」は、どこにでもある古本屋だった。でも、伊藤さんという人がそのお店をやっていた事で、私にとってはとても大切なお店だった。私は、閉店という事実に、正直ちょっと泣きそうになった。

お店って、そこまでお客さんの感情に触れることが出来るのかって思った。お店で交換していたのは、本とお金だけじゃなかったんだなって思った。そして、伊藤さんの「これから」の幸福を、私は祈った。

亀吉ジョニー

責任範囲が大きくなると、やりがいは大きくなる。

結婚をしたり、子供が生まれると、その人の輝きが増すように。組織のポジションが高くなると、目の輝きが増すように。

だから、という訳では全然ないのだが、私は亀を飼う事にした。1週間前から近所のスーパーで売っているのを見て以来、毎日のように気になっていたのだ。しかし、亀である。購入に踏み切るには、結構時間がかかった。しかし、私は、熟考を重ねた末に決断をした。亀。2500円也。

一緒にいた同僚からは、「お前には飼えない」と言われ、部下には、「亀臭くなるから止めて下さい!」とかいろいろ言われた。が、私の中に芽生えてしまった、「飼いたい」気持ちは押さえきれなかった。

私は、生き物が大好きだったのに、ここ10年以上、生き物を飼ったことがなかった。昔なんて、毎年カブトムシをとりに行っていたし、犬も飼っていた。でも、生き物を飼う事は最近なかったのだ。

そんな風に、自分の事だけを考えていれば良かった私。しかし、昨日からは、亀に毎日餌をやるというタスクが私の仕事に加わった。私が飼っている亀にとってみたら、私がいないと餌が食べられない。彼からしたら私は命綱。

という事で、昨日から、家のバスタブの中には亀がいる。名前は、「亀吉ジョニー」。私の新しいルームメイト。

責任範囲が大きくなると、やりがいは大きくなる。それは、亀を一匹飼っただけでも、生活に対する態度って変わるのだ。結婚や子供や昇進だったら、それはそれは大きな変化なのだろうと、私は亀をつつきながら想像する。

お店、あるいは、サービスについて

お盆休み。ショップやカフェに行って、ふと思った。

「お店って、どうして、1店、1店、あんなに違うのだろう?」って。

お店を構成する要素って、内装や、掃除が行き届いているかどうか、なんて事や、流れている音楽や、店内の匂い、そして、スタッフの笑顔とかいろいろある。でも、そうしたものの1つ1つを積み重ねていっても、おそらく、お店が醸し出す雰囲気は、出せない。

おそらくそこには、プロのシェフが料理の仕上げに一振りする魔法の調味料のようなものが存在しているのだと思う。そして、それはきっとそのお店を通じて何をしたいのか?とか、どんな風にお客さんとコミュニケーションしていきたいのか?なんて事が影響しているのだと思う。

そして、ある場合には、私はそのお店のファンになり、しょっちゅう通うようになる。しかし、ある場合には、私はそのお店を忘れる。ふとした時に、「ああ、イマイチなお店だったな」と思い出す。

ところで。お店に対しては、「サービスがイマイチ」とか「従業員の態度が悪い」と批評家になる私だが、実際の自分の仕事の精度はどうなのだろう?

自分がお店だとしたら、私が会社や顧客に提供する企画や制作物や言葉は、全てサービスだ。それは、相手の期待値を下回ってしまってないだろうか?誇大広告になってないだろうか?上司や部下に対して、そして、お客さんに対して、私は満足されるサービスを提供できてるのだろうか?私は、お店の事を考えた頭で、自分の仕事のことを思ってみる。

そして、私は、周囲の人に満足してもらえるよう、自分の雰囲気が周囲に与える影響が良いものであるよう、努力をしようと思った。

お盆休み。色々なお店にいって、ふと思った。

「愛されるような仕事をしたいな」って。

忙しい毎日、あるいは、日常のプロジェクト化

2次会幹事の仕事が本格稼動してきた。無論仕事も忙しい。また、プライベートでも意外な動きを見せる私の人生は(恋愛とかじゃないのだが)、勢い非常に忙しくなってきた。

しかし、私はこうした「何かに追われている状況」が嫌いではない。というより、好き。こうした状況では、目の前のタスクを一つ一つ消化する必要がある。出てきた課題をその場で(出来れば)解決し、全体を組み直していると、時間なんてあっという間に過ぎてしまう。残るは心地よい疲れだけだったりして、なんか生きてる!という感じがする。頭は、高速化回転。なんて言うか、「スーパーな俺」という感じを味わう事が出来る。

さて、こういう状況になると、時間に対する価値が普通な日々とは大きく変わってくる。朝起きたら、まず、メールを立ち上げて、いくつか動かしているプロジェクトの進捗状況を管理。会社に行って、仕事をばりばりやって(るつもり)、家に帰ったら、またプロジェクト進行。そんな気の抜けない日々を続けると、あらゆる事を、プロジェクトと捉えるようになる。

全てをプロジェクトとして捉えると、いろいろな出来事には、すべて、目的があり、ゴールがある事がわかる。そうすると、「今手がけてる仕事」を「あたかも最後の仕事」だと思って、丁寧に、でも、迅速に行うようになる。

そして、自分一人で出来る事の限界もすぐわかるようになる。だから、周囲の人に助けを求めなくてはならなくなる。何をしたいのか?を伝え、力を貸してくれるように説明をする。任せれれる事は任せる。お願いした以上、問題が起きないように、全体を管理する。

時間が限られている、自分の力も限られている。こうした当たり前の事実を知ることで、私は自分一人じゃ出来ない事を出来てるのだな、と実感する。

最近、私はとても忙しい。
しかし、だからこそ、私は、とても楽しい。

おでんについて

私は、おでんが好きだ。

最近では、常にコンビニで、おでんを食べる事が出来るので、とても嬉しい。

おでんの何が好きかといえば、そのシンプルさである。出汁とって煮込む。それだけな料理なのにも関わらず、あの味わい。ビールとおでんがあれば私はほくほく。あのぬくもりは、大抵のつらさや孤独を緩和する力がある。

ところで、今さっきも、おでんをコンビニで購入して、コラムのネタを考えていたのだが(『「ちくわ」とコミュニケーション』とか『ソーセージと外資系企業』とかだ)、「会社にとって風土は、出汁である」と思いついた。言うまでもなく、ネタが社員。

おでんのネタは、各々がそれほど強い主張をしているわけではない。各々はおでん以外だったらそれほど立っていないキャラクターが多い。「ちくわぶ」や「ちくわ」を私は単独で食べた事がない。しかし、この出汁という環境に身をおき、ぐつぐつと他のネタが出す、うまみで煮込まれると、別々の存在であったネタは、全体としておでんになる。ネタは自分が自分が!と主張をする訳ではない。ただ、ただ、おでんとしてそこにある。

このプロセスは、個人が組織に入り、その組織が成長していく過程に思える。大事なのは、出汁だ。が、その出汁は、ネタによって作られる。入れ替わるネタが残すうまみは、その出汁をさらに美味しくする。こんな永久機関的な好循環をつくれたら、きっと会社という場所はもっと素敵な場所になることだろう。

さて、このおでんというネタ、実は以前も書いた事があるのだが、以前より深い(?)考察が出来るようになったと思ったので、再度このネタにトライしてみた。時間がたつほど、味わいが増す、おでんのようなコラムになっていたら良いな。そんな風に思いつつ、私は、最後に残しておいた、「たまご」を、ぱくり、と食べた。

猪突猛進な私

猪突猛進という言葉を、自分で書いてみたのは今回が初めてだと思う。記憶が確かではなかったので、辞書を引き、しっかりと漢字を確かめて文字を書いた。

猪突猛進、それは、一つの事に向かって、向こう見ずに猛烈な勢いで、突き進む事。元々私は、そういう傾向があったのだが、先週は、2度も、リアルに猪突猛進をした。

一方は、レンタルスタジオでの事。歌の練習(結婚式幹事の仕事)で、2時間とっていたのに、1時間しか予約が取れていなかったのだ。さらに、営業時間の関係で延長はできないという状況。焦った私は、携帯電話も何も持たず、「カラオケ屋で20名以上入れるところを探す!」と走り出した。

池袋の街をさまよいつづける事15分。やっとお店が見つかった。しかし、スタジオに戻ると、同じ幹事仲間が、店主に事情を説明・交渉し、1時間の延長をしてくれていた。ほっとする私に、その子が言った。「すぐ焦るんだから!いっつも飛び出すんだから!もうこういう時、じっとしてて!」と。

もう一方は、その次の日の事だ。私は、知人と行ってるプロジェクトでも幹事をしており、70名くらいの人数を収容できるスペースを探していた。場所は東横沿線でだ。渋谷等なら結構あるのだが、郊外なので、場所がなかなか無い。ネットや友人のツテを使って、いろいろ調べたのだが、ヒットする案件がない。私は、そんな状況なのに、電車にのって、学芸大学前という駅にいた。街に行けば、なんとかなる!そう信じたのだ。

しかし、そんな事はある訳ない。本屋にいっても、答えはなし。不動産屋さんにいっても、「そういう情報は無いぜ、兄ちゃん」という連れない回答。たまたま、一緒にプロジェクトを進めてる友人から電話があって、「気になる場所があるので、行ってみて」といわれたから良かったものの、あの電話がなかったら、私は単に電車にのって、駅でおりて、また電車にのって、家に帰るという行動をしただけだったのだ。危ない危ない。

と、たまたま連続して起きた出来事を文章にしてみたのだが、どうやら私の行動原理って、基本的に上のようである。しかし、かろうじて何とかなっているのは、周囲の同僚や友人のおかげなのだ。だから、恐らく、日々の仕事でもこういう状況なのだと思う。そう考えると、チームっていいな~って思う(笑)。でも、周囲に迷惑をかけず、しっかりした仕事人になりたい。

なんて思っていたら、ある仕事で、5つ以上年下のデザイナーに、こう言われた。「もういい年なんだから、しっかりしないと駄目ですよ!」と。チームは本当にありがたいものだな、と思った。

社会人デビュー計画

最近、自分の服装とか、部屋とか、食事の事がとても気になる。

ついこの間まで、「服装なんてどうでもよい」「部屋なんて帰って寝るだけだし」「食事は食べられたらそれでよい」って思っていた私がだ。

でも、最近、そういう意識ってとっても間違ってるんじゃないか?って思っている。

私はとてもだらしない。そのだらしなさを正当化しようとし、そういうラフなスタイルを主張してるんじゃないか?って自分を疑ってるのだ。そう、スタイルの借り物をしてるんじゃないか?と。

よーく思い出して見ると、私は昔は、服装はかなり気にしていたし、部屋は綺麗だったし、大学の時なんて、外食は禁止していたくらいに自炊派だった。
(これが幻想でない事を祈るのだが・・・)

しかし、社会人になったら、そうした事が全部ひっくり返ってしまったのだ。「忙しい」という言い訳が、日常生活全部を覆ってしまたこの状況は、とても、まずい。同僚は同じくらい忙しいのに非常にまともなのだからだ。

だから、私はしっかりとプレスされたシャツを着て、折り目正しいスーツを身に付け、趣味の良い時計をし、ピカピカに磨かれた靴を履こうと思っている。髪の毛だって、坊主じゃなくて(今坊主)適度な長さにして、ちゃんとクシをいれようと思う。朝ちゃんと起きて、食事を家で食べよう。夜の食事も、ちゃんと時間をとり、ビールで済ませるのではなく、栄養を摂ろうと思う。大半の人が、普通にやっている事を、ちゃんと真似しようと思うのだ。

すぐに出来るとは思ってはいない。けれど、ちょっとづつやっていこうと思っている。お洒落なんて高いレベルじゃなく、ただ、まっとうになりたいと思って。最近、そんな風にしっかりと過ごしていかないと、仕事もちゃんとできないと思っているのだ。

そんな訳で、私は、今、社会人デビュー計画を練っているのだ。

昨日見た2時間の夢、何時かみる?2時間の夢

結婚式が終わった。

式も最高だったが、2次会が最高だった。2次会では、二人が、出会ってから結婚するまでのことを新聞形式にして配布した。新郎新婦の登場は、和服にした。メインコンテンツには、30名以上が登場する「ヒッぱれ」をやった。DJも設置したし、VJ(ビデオジョッキー)も行った。

無論、式は、私のではない。上司のである。私は同僚達と幹事をやったのだ。

(なお、披露宴でも出し物をしたので、なんとも忙しい1日だった)

2次会の2時間はあっという間に過ぎた。しかし、その2時間のために、私達は、深夜と休日を含め、数十時間を費やしている。企画、会場の見学、打ち合わせ、練習、取材、記事作成、編集、などなど。

といっても、それらを行う事は、大変ではなかった。とても楽しかったのだ。

総勢150名の参加者を一体化させたのは、イベントをしかけたチームや当日の設営やディレクションをしたチーム、そして、イベントの参加者の力である。2ヶ月くらい前から準備に準備を重ね、様々な人を巻き込み、喧嘩もし、涙すらあり、そして、最後には大笑いをし、心地よく疲れたイベントだった。

沢山の人間の力を終結すると、とても素晴らしい事ができると私はわかった。2時間の夢が終わった後、私達幹事は、ささやかに乾杯をしたのだが、そこには、大きな仕事をやりきった時と同じだけの充実感すらあった。

そして、これだけの人間を(自発的に)動かした私の上司の人間としての力に(お世辞ではなく)私は心底恐れ入った。

それにしても、人の事ばかりやってる私。私が自分自身の2時間の夢を見れる日はいつかくるのだろうか?うむう。。。

忙しさの最中に

『心を亡くすと書くと、「忙しい」という文字』
そんな言葉を、ふと思い出し慌てる。

「朝から4時間連続のミーティング。終わったら原稿を書かなきゃ!で、原稿書きが終わったら、またミーティング。忙しいぜ、俺の毎日!」なんて忙しさを楽しみつつ、私はこのところ日々を送っていたように思うからだ。

心を無くしたまま、仕事をすると、ミスも多くなるし、コミュニケーション不足になって、周囲に迷惑をかけるようになる。が、その事自体、私は、「忙しさの証拠」なんて思っていた節すらある。

仕事には心を込めなきゃいけないのに、もしかしたら逆の事をしてしまっていたんじゃないか?って、私は慌てたのだ。

仕事で、今の、自分のキャパよりちょっと上のことを行ってると、それだけで高揚感がある。そして、何かをしている気がしてしまう。でも、ちょっと立ち止まってみると、それはただアタフタしてるだけという事がある。

そんな中、これって、おかしいぞ、って、亡くしそうな心がシグナルをくれる。そんな訳で、今日は、いつもよりも一つ一つの動作をゆっくりと丁寧に行ってみる。前も書いたけど、ネクタイをちゃんと締めて、クリーニングから帰って着たばかりのシャツを着て、スーツもちゃんとしたものにする。靴も磨いてみる。食事もしっかりととる。

そうすると、ちょっとだけだけど、心が戻ってくる。無論、やるべき事は多いのだけど、忙しいという感じは消えさる。そして、一番後回しにしていた仕事が、一番最初にすべき事だって事がわかって、また慌てる私(笑)。

忙しさって、危険な危険な麻薬のようだ。その中にいると、自分の状況が見えなくなる。そして、それはそれで、快楽ですらある。でも、その忙しさの渦が消え去ったとき、手元に何も残ってなかったら、とても悲しいことだ。だから、忙しい時こそ、じっくりしっかりやろう!って自分に言い聞かせる。

将棋とゲームとコミュニケーション

私は、将棋が好きだ。

で、久しぶりに先日将棋を指した。相手は、段持ちの相手でも倒したことがあるという自称段持ちの男。こいつを倒せば、私は段持ちだ。この男、大学時代の友人なのだが、将棋が好きだとは知らなかった。大学時代は、テニスサークルで幹事とかをしていた(ような雰囲気)男なので、将棋好きという趣味は隠していたに違いない。

そんな訳で、友人と私は将棋版を挟んで向き合う。お互い、お互いがどれほどの力量なのか不明。けん制しあう視線。進む勝負。

しかし、私は、実のところ、あまりに久しぶりなので、守り方や攻め方を忘れていた。だから、1回目は、あっという間に負けた。2回目も。しかし、3回目、私は思い出したのだ。将棋って、相手がいる勝負だという事を。そして、私は定石を思い出す事を忘れる。すると、意外なことに「お前普通そういう手を打つか?」という(私を馬鹿にした)友人の言葉とは裏腹に、私が優勢にたった。普段のやり方が通用しなくなった友人は、結構無様に負けたのである。

ここで私は、思ったのである。私と相手の間にあったのは、将棋の形をしたコミュニケーションなんだなって。これは、オセロでもファミコンでもなんでもそうなんじゃないかと思う。ゲームの向こうにいる相手の気持ちや心理を相手に戦う場合、定石より強い方法があったりするみたい。でも、これって、相手がいるような仕事(戦略とか営業とか?)も同じなのかもしれない。

将棋の勝負は、つまるところ、相手の王をとればよい。そんな単純なルールを思い出した私の手は、ほとんど奇策だったらしい。

で、4回戦。この勝負にも勝ったら、私の将棋の才能やIQが高いという事になるのだが、次の勝負は、3回戦の失敗を学習した友人の圧勝。結果、1勝3敗という結果になった。勝負に負けた私のおごりで、私達は、「カツ丼、餃子、チャーシュー麺、中華丼、麻婆豆腐」を二人でたらふく食べた。

食べ過ぎで、懐とおなかを痛めた。そんな、日曜の夕暮れ。

好きこそものの上手なれ、ならば…

好きこそものの上手なれ、という。古文が苦手だった私は、こそ~なれ、という部分に「係り受け?」なんて反応をしつつも。確かに、好きなら上手になるよな~と思って来たし、この言葉を正しいと思ってきた。好きならきっと上手になるって。

今でもこの言葉に対する信念は変わってない。そして、更に、最近では応用編として、上手になりたい事を好きになってしまおう!と思っている。

例えば、「私は数字が大好きである(本当は大嫌い)」とか、「掃除大好き(本当は苦手)」とか、「食事はしっかりとしたものを食べるのが好き(本当は面倒臭い)」とか、「お洒落大好き(最近服など買ってない)」である。

最初は、なんだか自分をだましてるみたいで嫌だったのだが、数日言いつづけてると、不思議や不思議。本当にそう思ってくるのだ。無論、これは騙されやすい(暗示にかかる自信120%)の私だから為せる事なのかもしれないが、言いつづけて、やってみると、本当に面白い事が多いのだ。

数字を好き!と宣言した日に請求書のまとめをしていたら、普段は数時間かかる確かめ算が、なんと1発で終ったし(逆に不安でなんども確かめ算をしたが)、掃除が好きだ!と思って、いやいややり始めた掃除だが、やっぱりやり始めると面白くて、部屋は少しづつ綺麗になってきてるのだ。

で、私は、なるほどな~って思うのだ。私が嫌いとか苦手!って思ってる事だって、世の中には沢山の人が好きで好きで仕様がない事が多い(私が好きな事は大抵マイナーである)。その理由をちょっと知ろうとするだけでも、世界は広がるし、私の苦手分野は少なくなる。

こうした事は無論仕事でも言えて、これやるの嫌だな~って思ってる仕事こそ、これはとても面白いとかこの仕事が好きだ~!!なんて思い込んでみて、やってみる事は良い事なんじゃないだろうか?

それに、「好きになってみる」ってって、人生に対する態度としてもとても良いスタンスに思うのです。って、30歳にしてこういう事をしてるのって、スタイルの無さにも繋がるんですけれどね(涙)。

ぎっくり腰

土曜日、掃除をしていた時の事である。ちょっと重めの荷物をもって、階段を上がった際、腰が「ぎく」っと音を立てる。「あれれ??なんだか痛いぞ」と思ったのだが、「まあ大した事ないだろう」って思って、1日放っておいた。が、日曜日の朝、朝日とともに気持ち良く起きだそうとするのだが、腰に激痛。痛くて起きれない。諦めの早い私は、そのまま寝込む事にする。

夕方、もぞもぞと起きだすと、背中は少し軽くなっている。しかし、明日の会社が心配だ。日曜日でもやっている医者を探す。が、もちろん医者はお休み。いろいろ考えた結果、以前行ったことがある近所のカイロプラクティックに行く事にする。

医院につくなり、先生曰く、「あ、ぎっくり腰ですね」と言う(やはり)。「でも、朝はもっと痛かったのですよね?ならば、すぐ直りますよ。」と言ってくれる。安心。「では、もっと楽になるように、足のコリをほぐしておきましょう」と言いつつ、先生はツボを押す。『痛っっ!!』という私を無視して、先生は語る。

「ぎっくり腰というのは、重いものを持ったからなると言われてますが、そんな事はないのです。実はその前から進行してるのですよ。腰の疲れとかね。それが、重いものを持つというきっかけで痛くなるだけなのです」と。

「でも、ぎっくり腰になる人の方が実は治癒力が高いんですよ。時には、こうして疲れをどっと出した方が良いのです。ぎっくり腰になったら、とにかく寝る。風邪になったら、寝るのと一緒ですよ。で、ぎっくり腰が治ったら前より軽くなってますよ。私もそうですから。がはははは。」と。

私は、「ふーん」と思う。この腰の痛みは、最近無理をしていた私への体からの警告なんだな~って思う。最近、体の力の抜き方忘れてたかもしれないな。私。仕事、結構大変だけど、たまには体の事を労らないと、いい仕事できないよな~って思いながら、私は、先生のツボ攻撃に「イタタタタ」とまたうめく。

先生の執拗なつぼ攻撃を30分受けた後、私の腰は随分軽くなっていた。復活、私の体。週明けはばりばり仕事をしよう。以前より軽くなった体を実感しつつ、「体が資本」という言葉を思い出す。体調が良いと仕事もはかどる。仕事のためにも体を大切にしようと、私は強く思った。

野望と焦りについて

先日、飲み屋で、ある男性と知り合いになり、数時間話をした。

彼は、入社3年目で、非常に大きな野望(その業界・その職種で日本で1番になる)を持つギラギラした男だった。三十路を超え、最近では、ぎっくり腰になったりする私にとって、彼の野望は良い刺激になった。

彼は、日本で1番になるために、「ビジネススクールに通って、尊敬する先輩を見つけて、普段の仕事もばりばりこなしてる」のだが、同時に、「自分が目指しているレベルと今の自分との間のギャップに非常に大きな焦りを感じており、何をしたらいいのかいつも悩み」「時にふさぎこんでしまう」と言っていた。

私は、10歳くらい年下の青年(なんと、私はもう青年ではないのか!)のある種の志の高さに、「こいつすげーな~」と思ったが、方や同時に、「もっと自分を大切にしたらいいのに」とも思っていた。そして、何で日本で一番になりたいのか?って事が話を聞いていた私には良くわからないという事も。

彼の話を思い返すと、「ありたい自分」を求めすぎ、「等身大の自分」を否定してるように思った。「ここではないどこか」や「自分では無い誰か」を求め過ぎてるんじゃないかって。

でも、「今現在の自分をOK!」という風にしなくては、いつかの自分を肯定する事って、難しいと思う。なんて言うのだろう、遠くを見て、歩いていくのは良いのだが、遠くを見て焦って走ると、転ぶ可能性が高くなるような感じだ。

無論、私にはどちらが良いかなんてわからない。焦って努力してがんばった方が良いのかもしれない。ただ、私は、彼の、今その瞬間をあんまり否定をするような事をしてばかりだと空回りしてしまうんじゃないかな?って思ったのだ。「もっとゆ~っくりがんばればいいのに!」とも。

先日、酒の場では、私は上で言ったような事をいえなかった。でも、本当は、そんなようなことを、彼に本当は伝えたかった。が、私は酔うと自分の言いたい事を整理して伝えることができなくなる。

残念な事に、それは、酔ってなくてもそうなのだけど(涙)。

仕事の厳しさと楽しさ

「仕事ってやっぱり、とってもとってもツライのですか?」

とその彼女は、私の目を覗き込むように聞いた。その質問に、私はなんて答えたのか、それを私は良く覚えていない。

先日、たまたま、大学3年生&4年生のカップル(というのか?古い呼び方なのか?)とお酒を飲む事があった。東京外国語大学の二人。頭も良いだろうし、語学も上手なのだと思う。

彼女(可愛い)は来年大学を卒業。だが、まだ内定は決まってない。彼氏(ファンキー)は経営者志望の3年生。これから就活(最近、就職活動はこう呼ばれる)だが、「社会に出てコテンパンにされたい」ための就職という。

どうも、この二人にとって社会とか仕事は、ただただ厳しくて辛いものな模様だ。が、聞いてみると、OB訪問をしても、「仕事をナメルナ!」とか「学生気分のままでいるな!」みたいな事ばかり言われるという。で、彼らは社会とか組織とかはただただ冷たくて、嫌な場所だと認識している。まあこの二人は、極端な例(恋人の価値観は結構似てくるし)なのかもしれないが。

でも、皆さんもご存知のように、仕事には厳しい面が多いが、やりがいだって楽しさだってある。「同じ釜の飯を食った仲な」同僚だっている。しかし、そうした面をあまり伝えられずに、ただただ厳しい面だけを伝えたら、これからバリバリ仕事をしていく人達を萎縮させてしまうんじゃないか?って私は思ったのだ。

だから、私は、「厳しくともハッピーに仕事をする社会人を君達に見せてあげよう!」と思い、仕事の楽しさややりがいを彼らに伝えようとした。

が、話が盛り上がるにつれて、私は、結構酔ってしまった。なので、私は何を話したのか覚えていないのだ。

だから。私は、彼らに仕事の楽しさを少しでも、伝えられていたら、と願う。何故って、あの二人に、

「社会人って酔って意味のわからない事ばっか言うよな!嫌だな~俺、社会人になるの」

なんて言われていたら、それこそ本当に、「ツライ」からだ。。。

ゆっくりと息をする

息って大切だよな。って思ってる。

といってもエチケットライオンとか口臭防止ガムの話ではない。

良い仕事や生活をしようとしたら、息をゆっくり吸って、ゆっくり吐く事が大切っていうことだ。仕事がきつくなったり、いっぱいいっぱいな時って、凄い早くて浅い息をしてる。そして、そうしていると仕事はよりきつくなる。不思議なことに。だから、私はゆっくりと息をするように気をつけている。

そんな事を思ってるある日の事。ある人と話す事があった。

その人は、「仕事と自宅の往復ばかりで息が詰まりそうなんです」って言った。毎朝10時~夜中の2時くらいまで仕事をしている事。休日も仕事が残っているという事。仕事があまりに大変なので、辞めようと思う事は沢山あるのだけど、逃げるように辞めるのは嫌だから頑張っている事。そんな事を、その人は、ポツリポツリと話をした。私も仕事の忙しさには自信があるのだが、この人ほどではない。

そして、「ああ、こういう想いで仕事をしてる人がいるんだ」って想うと、私はなんか切なくなった。人と仕事を結びつけることを仕事にしてるという仕事柄って事もあるし、私自身が楽しく働いてるからだと思う。

で、私は思った。「ゆっくりと深く息をした方がいいのに」と。でも、そんな事を口にしたら、変な人だと思われるに違いない。だから、私自身がゆっくりと深く息をする事に注意をしながら、仕事の話を聞いた。

数時間の話が終った時。その人は、心なしか、ちょっとリラックスしたみたいだった。息もゆっくりとなってたような気がした。表情もちょっと明るくなったみたい。安心した。そして多分、私自身いつもよりも、ゆっくり息をしたからだと思うが、私自身もリラックスしていた。

そんな訳で、あなたも、仕事がきつくなったら、ゆっくり、深く、息をしてみてください。少しだけかもしれませんが、ゆったりとして仕事に取り組めるはずです。

ところで、先週の学生との会話以降、仕事についてなんだか考える事、多いんですよね。はい。

デザインについて

携帯電話を買い換えた。

KDDIから出ているインフォバー。同期の二人と同僚のデザイナーもこのシリーズを買ったので、並べてみると、なかなか良い眺めだ。半径3メートルくらいの距離にいる人間4人が一気に同じシリーズの携帯を購入するって、なんだか変な感じがする。その中に自分も含まれてる事も含めてだ。

それにしても、普段携帯に全く興味の無い私が、この携帯を見たときに、「欲っしー!」って思ったのだから凄い。その理由は、単純だ。デザインが気に入ったから。機能性とか全然興味ないし、写真が撮れる事は買ってから知った。ここまで何かを欲しがったのって、imac以来だ。そう言えば、imacもデザインで購入した。

さて、フォルムとか色といった感覚的な何かで物を欲しがるってとても気分が良い。細かいスペックなら、新製品が出るとどんどん進化していくけれど、デザインの進化ってそれほど頻繁には起きないからだろうか?だから、変わったデザインの新製品が出ると敏感に反応するのだろう。

ところで、デザインといえば、綺麗に仕上げられた企画書とか、整理されたデスクって、見ていて気持ちが良いものだ。机周りをどうしても綺麗にする事ができないでいる私なのだが、これを機に、デザインコンシャスな環境を作り上げたいと思う。

メールのレイアウト、机の周り、スーツなんていった服、部屋、そして、規則正しい生活なんていったものまで、気持ちよくデザインして生活していきたいと私は最近(昔以上に)強く思っている。無論、仕事の成果や、仕事のスタイルもだ。

そんな風に、デザインという観点で、周囲を見直すと、いろいろな発見がある。で、私には、デザインしなきゃいけない物や事が沢山ある事に気が付く。どんなに気持ちよいデザイン物に囲まれていたって、私自身のデザイン(容姿でなく、立ち振る舞いや、考え方や、仕事の仕方)が不細工だったら格好悪い。

やっぱり、ありたい姿を明確に持つ事が大切なんだよなって思ったら、「私は、私のデザイナーなんだな」なんて言葉が浮かんで、その大変さと面白さにちょっとだけ、クラクラしてみた。

4人の石屋

昔々、ある旅人が、旅の途中で、3人の石屋に会った。
旅人は各々の石屋に何をしてるのですか?と聞いた。

一人目は、「親方に言われたので、石を積んでるんだ」
二人目は、「お金のために、石を積んでるのです」
三人目は、「歴史に残る建物を建ててるのです」

と答えたという。

最近この話をいろいろな場所で聞くので、皆さんもご存知かもしれない。話の趣旨としては、「仕事は関わり方によって、意味が変わる」って事だと思う。三人目の視点で仕事をしたいよね!って話だ。

三人目の石屋さんも、親方に言われたから仕事をしてもいる。そして、明日のパンのためにも仕事をしてるはずだ。この人が、誰にも言われずに(勝手に)一人で石を積んでいる事は想像が出来ないし、「お金なんていらない!俺は石を積むのが好きなんだ!」という人だとも思えないからだ。しかし、一人目、二人目のヒトからは、三人目の石屋さんのやりがいってわかりづらいと思う。この話は、意識のもち方一つで、やりがいって創造できる、って話なんだと思う。

こういう話を聞くと、「良い話だな~」って思うし、私も三人目の石屋のように仕事に取り組みたいと思うのだけれど、これって結構難しい事だ。

例えば、私が書いているこのコラムを題材に考えてみる。一人目だったら、「上司に言われたので書いてます」となるが、別に言われてやってるわけではない。二人目なら、「お金のために書いてます」となるが、このコラムが、私の給与の中に入ってると思えない。だからと言って、「歴史に残るコラムを書くために文章を書いてるのです!」となるかというとそんな事は(考えた事も)ない。

では、何故書いてるのか?それは、きっと、こうした文章を書くのが好きだから、なんだと思う。無論仕事の一部であるし、締め切りがあるのだから、やってはいる。でも、やっぱり好きなんだと思う。無論最初から好きな訳ではなかった。やってみたら面白かったし、肌にあっていた、という感じだ。

そんな訳で、もしも私が石屋だったら、

「これが私の仕事ですし。。。石積むの好きですし。。(この人何?!)」

と答えると思う。さて。この私の回答は聞いた旅人は、どんな顔をするのだろうか。不思議そうな顔をしていたら、「なんであなたは旅をしてるのですか?」って聞いてみようと思う。

眼鏡屋のおじさん

私の家の近所には、凄い眼鏡屋さんのおじさんがいる、らしい。

先日私はめがねを新しくしたのだが、私の新しいめがねを見ると、「○○行った?」と三人くらいに言われる。「いや。行ってない」と答えると、「こいつは本当にわかってないな~(とほほ)」という顔で、その眼鏡屋さんのおじさんが、いかにダンディーで、いかに良い眼鏡を選んでくれるかを三人とも語るのである。

彼らの話を集約すると、どうやらその眼鏡屋さんはこういう感じである。

(1)普通の商店街にあるのだけど(2)とにかく店主が眼鏡好きで研究熱心で(3)メガネグランプリのようなもので賞をとった事もあり(4)彼が選んでくれる眼鏡は、必ず似合う。(5)あまりに似合うので、感動する(6)で、あそこで買ったら他の店では買えない。

という凄い眼鏡屋。

私は、「何故私が眼鏡を買う前にそこを教えてくれないのだ!」と一人怒り心頭に発するのだが(初めて使った単語である)、朝起きて、眼鏡が壊れてたから買ったようなものなので、しょうがない。

という事はどうでも良くて、私は困ってるのである。先日買ったばかりの眼鏡をしている私なのだが、そのおじさんに眼鏡を選んで欲しくてしょうがないから。「数万円で、その感動が手にはいるのなら、良いではないかボーナスも!」という感じである。眼鏡のセレクトで人を感動させる人がいるなら、是非ともその感動を味わいたいではないか!

そう。私はこのお店に入る前から、既にこのおじさんの術中にはまってる。特に、知人の一人がふと言ったこの言葉で致命的にやられてしまったのだ。

「あのおじさんさ、眼鏡が好きで好きでたまらないんだって」

嗚呼、私は、こういう人になりたい。そういう人の仕事に触れたい。実力もあり、人に感動を与え、そして、本人がその仕事を愛してる人。

はっきり言って格好良すぎなのだ。この眼鏡屋のおじさん。

年齢について

近いうちに私は、ほぼ全社員の前で、ある発表をするのだが、その内容に困っている。その内容とは、「誕生日に語る今年の抱負」である。

私は、今年のクリスマスイブで31になる。

「誕生日を祝う年でもないぜ!」とか「クリスマスなんて柄でもないぜ!」と強がってみても、やはり、年をとるというのは大きな出来事である。無論、クリスマスと年を取るという事はまったく関係がない(苦笑)。

誰がなんと言おうと、私は31歳になってしまう。年齢は、誰も同じように平等に1年に一回数字を重ねる。その事実自体はどうって事ない。でも、その内容が自分にとって満足のゆくものかどうかが大事なのだ。

31歳なら、このくらいの仕事とか、31歳なら、この役職なんて事じゃなくて、自分で決めた年齢相応の立ち振る舞いや仕事が出来てるかどうかが大事だと私は思っている。

私はどうなのか?というと、大手を振って31歳だ!と言える状況ではないのである。じゃあ、どうなっていたらよいのか?と言われるとこれまた困ってしまうのだが。。。

そんな訳で、私は、今とっても困っているのである。

繰り替えすが、近いうちに私は、ほぼ全社員の前で、31歳の抱負を語る。その準備で、私は、「31歳という年齢にふさわしい仕事」や、「立ち振る舞いとは?」などをつらつら考える。

周囲に言わせると、「そういう事を考えない方が貴方らしい」そうだ。私は、そんな事を聞くと、尚更、「そんな事で良いのだろうか?」と、また考え込んでしまうのである。

2つの手帳

雑誌が年末特集を組み、街はあわただしくなり、来年の手帳が書店に並ぶ。世間は年末。である。

この時期になると、ビジネスパーソンとして来年の手帳をチョイスするタスクがある。しかし、通年の事ではあるが、手帳選びは難しい。今年こそ、電子手帳にしようと思ってみたり、今まで使った事のないフォーマットに浮気をしてみようと思ったり、いや、やはり、ここは使い慣れたものを、なんて落ち着いて考えてみたりするのであるが、なんやかんやで、私は最終的に去年と同じ手帳を選んだ。保守的なり、30歳独身男性。

そんな訳で、今私の机の上には、2003年の手帳と2004年の手帳が並列して並んでるのだが、まあ、年末の飲み会やら、新年会やらで、暇な私にも関わらず、結構忙しい状況だ。年末になるとこうした総括企画と来年の計画が同時にどわっとやってくるのだが、よくよく考えてみると、1年というのは、50回月曜日が来たら、終ってしまうものなのである。これは、普段は意識しないのだが、事実そうである。

この50回の月曜日の間に、私は、人と会ったり、コラムを書いたり、上司に怒られたり、企画をしたり、電話をしたり、人に会ったり、報告をしたり、連絡をしたり、相談をしたり、でも、やっぱり上司に怒られたり、時としてプライベートで出会いの予感を感じたり、やっぱりそれは誤解だったり・・しながら、仕事をしている。こう考えると、1年というのは、長いようで、短い時間なんだなって思う。

でも、今日は、ふとこんな風に思ってみた。2003年の50回の月曜日と、2004年にやってくる50回の月曜日のど真ん中に今がある、と。そうすると、「まだまだ半分しか来てないや!」とも思えるし、「これからの半分で2003年にやれなかった事をやってみよう!」という気になれるので不思議である。

今私の手元の右手には、真っ白な手帳があり、左手には、いろいろ書き込みがされた今年の手帳がある。

来年の今日、私はきっと同じように、右手にある手帳を眺めながら、また新しい手帳をじっと見るのだろう。その時、今年の手帳に書き込まれた予定達が、2004年の私にとって良いものであるよう、今年の手帳には、ちょっとだけ高価な皮のカバーをつけたみた。

忘年会

年末って、ほぼ毎日のように飲み会が入っている。

毎日のように飲んでるので、「休肝日を作らなきゃ」なんて柄にもない事を思ってみたりするのだけど、普段、会えない知人や普段話す事が出来ない人と会う魅力に負け、私は大抵の忘年会に出てしまう。

昨日も、久しぶりに大学時代の友人と「忘年会という名目」で集まり、酒を飲んだ。学校を卒業して、7年くらい経っているので、子供を連れてくる夫妻や、生まれたばかりの子供の写真を皆に見せる友人がいたり、結婚を考えてる友人がいたり、片や私のように大学時代と全然変わっていない奴もいたりと、なかなかバラエティーに富んで面白い時間を過ごした。

会社での忘年会、友人との忘年会、社外の知人との忘年会。いろいろな繋がりの中で、私は、この1年という時間の流れを確認する。人の話から、1年という時間が生み出すいろいろな出来事を知る。そして私は大抵の帰り道、「1年あれば、いろいろな事が出来るんだな」って思う。

来年も、未だ出会ってない人と沢山会うのだと思う。まだ形になってはない新しい仕事をやると思う。新しい人とチームを組んで仕事をするかもしれない。全く想像していない障害があるかもしれないが、なんとかふんばって全く想像もしていないような形でその障害を乗り越えたいと思う。

そんないろいろな事にしっかりと対応できるよう、今日も私は、今年1年に起きた、思い出深いよかった事と悪かった事を忘年会で話そう思う。来年に備えて、部屋を掃除するように、私は忘年会という場所で、いろいろな人と話をする。

「今年もお世話になりました。来年もよろしくお願いいたします」と。

1年の始まり、あるいは、終わりに

2002年末、初めてデートに誘った女性と2003年の9月に電撃結婚。

そんな上司の話を思い出すたび、私は1年の意味と大きさを考える。1年あれば、初デートから結婚までいける。それほど大きい時間。しかし、過ぎてしまえば「あっ」と言う間な短い時間。

いままで私は、「長くて長くてもう飽き飽きした」という年を過ごした事が無い。だから、きっと、恐らく2004年も嵐の様に過ぎていく。多分、「あっ」と言う間に。

そんな訳で、年末年始に考えた。2004年という時間の価値を目一杯にするために良い考え方はないだろうか?って。

目標を立てて、トイレに張るとか。自分のやるべき事を周囲に言いふらすとかいろいろあるが、どれもこれもそれほど私には有効で無い。そんな事は、30歳にもなると経験済みなのだ。悲しい事だけれども。

で、今年は、別の方法として、1年という時間の捉え方を考えてみた。1年という区切りを一旦忘れて、「50時間(1週間)を50セット生きる」という風にしてみようとだ。

1日の仕事時間を10時間とすると、1週間、5営業日で50時間になる。で、1年間は、だいたい50週間。この「50時間を50セット」という期間で、「何をどこまでやれるのか?」という風に考える事にしたのだ。なお、残り時間は、仕事を忘れ(ダンディーに)遊ぶ。睡眠で疲れた体を休めるように、仕事でホットになったハートをクールにするのだ。

この考え方にしてみると、「今日じゃなくて、明日やろう」という考え方がしにくくなる(というより、なった)。「今駄目だったら、きっと明日も駄目だ」なんていう風に思って、その場その場で解決しようとするみたい。1日という時間よりも、1時間という単位に意味を持たせる生き方。「明日なんてない、今やるんだ!」なんていうちょっと熱めの仕事人。

始まったばかりの2004年だが、必ず来る2005年という今年の終わりに、2004年が最高の年だったと思うために、私はがんばろうと思う。

待ち合わせ、あるいは、仕事の遅れについて

例えば、休日の飲み会。場所は初めていく場所。待ち合わせ5時。

待ち合わせの大体1時間30分くらい前に起き、インターネットで路線案内を調べる。そして、目的地までの時間を計算すると既にギリギリ。急いでシャワーを浴びて駅に走るのだが、大抵、電車は行ったばかりで、10分また追加で遅れる事になる。乗り換えは大抵上手くいかず、目的地に着くと迷う。

これが私の待ち合わせのスタイル(涙)である。何度も待ち合わせてるというのに、新しい場所に行く場合、私は大抵遅刻をしてしまう。1分の時もあるが、大体10分遅れの到着なのだ。

私の日常はそんなだが、仕事の待ち合わせでは、さすが遅刻はしない。

でも。問題はたまに顔を出す。仕事がタイトになると、仕事が、「待ち合わせ的混乱」に陥るのだ。資料提出の10分前にコピーしまくって、最後の最後に誤字脱字を発見し、提出が5分遅れることや、仕事の見積もりが甘く、1時間と見ていた仕事が2時間かかってしまう事もある。マンガに出てくる「出来ない君」のような自分(涙)。

今日もそうだった。緊急の仕事が入ってしまい、このコラムを入稿数時間前に書き出しているのである。焦る。焦る。何度かの修正の後、時計を見ると、なんとか間に合いそうだ。こうした仕事の進め方をしていると、周囲はとてもハラハラだ。

この電車のドアが閉まるぎりぎりに飛びこむような性格、なんとかならないものなのだろうか?と日々思うのだが、実はこうした時の「間に合ってよかった!!」というギリギリな感じが快感なのも確かである。

って。。一番の課題は、この性格なのだろう、って思う。そして、、自分のこの性格を今年はなんとか直そうと強く、強く思い、さっき、「待ち合わせには、10分早く行く事」を自分に約束した。

私は・・・

吉野屋が好きだ。

牛肉の在庫がなくなる、という未曾有の危機に対して、カレー丼をすぐにリリースする企業努力。「よくよく考えてみると280円でご飯食べれるって凄いよな!」という気付きあって、最近、吉野家が好きだ。まあ、新聞等で吉野家という名前を良く見るので、単純に食べたくなってる事もある。が、好きだ。

そして、先日『吉野家の経済学』という本を(吉野屋で)読んだ。で、私は吉野家という企業を尊敬した。「企業って、凄い」って。「努力って凄いな~」って。やっぱ凄!牛丼一筋300年!

あれ?「牛丼一筋300年」は「キン肉マンの歌」だけの話でしたっけ?いや、仮にそうだったとしても、それで良いです。なぜなら、私の認識の中で、吉野家は牛丼一筋でやってきた企業なのだから。ブランドってそういう事だと思うし。

私は吉野家が好き。だから、私は、「吉野家がこの危機を乗り越えて、また、牛丼一筋になれるように」と祈るような気持ちでいる。そして、同時に、私がいる企業は、お客さんにとって、そんな風に想ってもらえる企業でありたいって思う。そうあるように、仕事をしていこう、って思う。

書いていたら、また食べたくなって来ました。今日も吉野家に寄って帰る事にします。では!

親父のオジヤに、ふと思う

人は暖かい。風邪を引いて、寒気がすると余計にそう感じる。

先週の末、私は風邪をひいた。週末の予定を全てキャンセルし、私は寝込んだ。久しぶりの布団生活。2日間も布団の中で生活をしたのは、半年以上ぶりだ。

私はずっとずっと寝込む。仕事の事も忘れ、原稿の事も忘れて。私はいろいろな事を忘れすぎて、食事も忘れてしまう。ほぼ2日ぶりに目覚め、食事を取りにいく。近所の小料理屋に。

髪の毛ぼさぼさ、上下赤いジャージの私は、恐る恐る扉を開ける。もしも、お客さんがいたら、さすがに営業妨害だと思って。幸い誰もいない。

「よ!兄ちゃん!」と親父。「何?寝起き?」とオカミ。

私は、「2日ほど寝込んでおり、何も食べてなくて、でもちょっと日本酒が飲みたくて、ただ、食事はおじやしか食べれない」なんて事をいいながら、勇気を出して、「おじやっていけますか?」と聞いてみる。

親父は「何?おじや?」とぶっきらぼうに言いながら、私の「鳥と卵」というオーダーを受けてくれる。突き出しのモツ煮をつつきながら、私は、熱い日本酒を飲む。「カーッ」と体が熱くなる。

少しして、おじやが来る。美味しそう。私は、一心腐乱におじやを食べる。温まる。「風邪の時は、栄養をつけて、がーっと寝るのが一番だよ。兄ちゃん」という親父の言葉とを聞きながら私の体は心から温まる。風邪も出ていくようだ。

帰り際には、「お兄さん、風邪の時とかは結婚したくなるでしょう?(笑)」というオカミの余計な言葉に苦笑いしつつ、私はほくほくの体で布団に直行。そんな何気ない事がいつも以上に暖かい、風邪の週末。

えっ?今週のコラム、いつも以上に、仕事に通じてないって?

いやいやそんな事はないのです。仕事の本質って、「愛だよな、愛」って私は思ったのです。私は、小料理屋さんの親父とオカミのさりげない愛で、風邪は全快し、今日ばりばりにやる気になってるのですから。仕事には、愛が大切。私は、暖かかなおじやにそんな事を思ったのでした。まる。

ナンパとコミュニケーション能力

雑誌で「最近ビジネスパーソンに必要とされる力で、一番重要なのが、コミュニケーション能力」なんてコラムを読みながら電車にゆられ、街に出ると、ナンパをしている男。出会いと欲望の街、新宿。

「暇?」「ねえどこいくの?」「お茶しない?」恐らく10年もの間使われていたフレーズ。21世紀になっても変わらないシーン。でも、もしかしたら、この中から恋人になったり、結婚したりする二人も出てくるのだろうな~なんて空想。終わりよければ全て良し。最初のきっかけなんて何でもよいのだ。

私は、ナンパをした事が無い。といっても硬派でもない。恥ずかしがりやで、かつ、チンケなプライドだけが高いためだ。そんな訳で、私は、ナンパをせずに31歳になった。そして、これからもしない。多分。

しかし、私は思った。「ナンパってコミュニケーション能力を上げる?」と。

「今、暇?」というたった一つの共有点だけで、誰かと繋がろうとする努力(多分)。わずか数秒の間に、自分と相手の共通点を発見する着眼点(多分)。そして、上手く会話が成立したらもっと仲良くしようとする話術(多分)。そして、その後の・・・。って、実際ナンパをした事がない私なので、その後どんな風になって、どんな事が起きるのか良くわからないのだが、ナンパにおいて、コミュニケーション能力はとても大切だと思う。

といっても、もし、私が学生時代にナンパをしても、「何?この人、ウザイ」とかいろいろな言葉や視線にさらされる事になるので、多分、凄いストレス耐性がつくと思うのです。が、今や、このストレス耐性もビジネスパーソンに必要な能力らしい。

・・・やはり、すべての事は仕事に通じているのだ(本当か?)。

世界は、仕事で繋がっている

「あれって、鈴木さんが編集してのですか?!」と彼は驚いた。

「エン・ジャパンのメルマガ読んでますよ!キャリアコーチングは結構じっくり読んでますし、書評で取り上げられた本もかなり読んでますよ。コラムも。あ、でも、転職は考えてないのですがね」と、彼は言う。

私は、「ありがとうございます!あのメルマガ私がやってるんですよ!」と言った。冒頭の言葉はその後に彼が言った言葉だ。

私達は、あるマーケティング関連のセミナーで、数回合った事がある間柄だ。私の所属する会社がエン・ジャパンである事も伝えていたし、広報とかマーケティングをしているという事も知っていたのだが、彼の頭の中で、[en] Career Newsというメールマガジン名と、私が結びつかなかったらしい。この2つが、結びついたとき、彼はなんかとても喜んでくれた。

その時、私達は、休日の昼下がりに、ビールや焼酎を飲みながら、「なんか贅沢ですね」なんていいながら、仕事の話をしていた。彼は、某電鉄で運転手をしている。で、運転手という立場から顧客満足度を上げるためにどういった事が出来るか?を考えて、あるセミナーに参加したのだ。

「ブレーキのかけ方とかって全然違うのですよ。やさしいブレーキもある。でも、そんな事ってお客さんはわからないですよね(苦笑)」と言う。私は、昔田舎に行くときに、電車に乗ると、車掌さんが、簡単な自己紹介をした後に、「どこどこ駅からどこどこ駅まで、私が責任をもって皆さんを運びます」なんていう風に車内アナウンスで話をしたことを思い出した。

私達の日々は、誰かの仕事で作られている。今打っているPCも、マウスも、さっき食べたカップラーメンも、それを食べた箸も、目の前にあるカレンダーも誰かが誰かのために作ったものなのだ。

私は、ちょっと酔っ払った日曜の夕方、「この電車の運転手さんはどんな人なんだろう?」って思いながら、沢山の乗客の人の仕事を思い浮かべた。世界は仕事で繋がっている。そう思うと、仕事の一つ一つの行為がそう思う前よりも、大切になるような気がする。私は彼が運転をして、誰かをどこかに安全に届けるように、コラムを書けたらな、って思う。

「いつか」に日付を入れる

「いつかやろう」と思う事って、結局ずっと出来ないのではないだろうか?そう思うと走馬灯のように様々な出来事が脳裏を巡る。

夏休みの宿題を最後の最後までやらなかった小学生のあの夏。

サッカー自体は好きだったけれど、練習が嫌いで、「今日は疲れてるから、明日にしよう」と毎日サボり続けた中学生の部活。

「ファーストキスはデート3回目」という『POPEYE』から仕入れた情報を鵜呑みにしつつも、「マニュアル君は嫌だから」と出来なかったキスを、自分に言い訳した高校1年生で出来た初めての彼女との3度目のデートの帰り道。今から思えば、POPEYEは期限の大切さを教えてくれた。

いつかは勉強しようと思っていた日本史は、最終的に勉強が嫌になって日本史が無い大学を受験した浪人時代。おかげで未だ日本の事が良くわからない。

「試験前に勉強すればいいや!」と思い授業をサボった大学のドイツ語は、ビリから3番目の点数だった。今もたまに動詞活用の嫌な夢を見る。

大きな夢や野望と、机の上の整理は、なかなか実現しないという事に気がついた、5月病真っ只中の社会人1年。

「いつかやろう」って気持ちは形になったためしがない。何かを成し遂げようとしたら、その瞬間にやってしまうか、しっかりと計画を立てて行うかのいずれかが必要になるのだ。

そう、「いつか」という日に、自分で日付を入れる事が生きるって事なのかもしれない。

ある日曜日の午後。散らかりまくった自分の部屋と机の周りを見ながら、私は、そう思った。誰にも見せることが出来ないくらい大変な事になっている私の部屋。今週末は、掃除をしよう。

友人のシェフ、かく語りき

先日子供が出来た友人のシェフ(フレンチ)と、久しぶりに会って酒(私だけ)を飲んだ。彼は、数年前から自分でフランス料理屋を開き、今年で4年目になる。以前、このコラムにも登場した男だ。彼は、何故か最近酒が飲めなくなり、私だけ酒を飲んでいた。

酒を飲みながら(まあ、私だけだが)、私は、「家族が出来た事で、仕事の重みが出て仕事も大変になったのだろう?」と聞いた。すると、彼は、驚いたことにこう言った。

「いや、逆に楽になった」と。彼はこう続けた。

「子供が出来るまでは、朝早く起きて、自分が作った事のない料理ばっか作ろうとしていたんだよね。でも、今は出来るだけ子供と居たいから、お店にいる時間を出来るだけ少なくしようとしてるんだ」と。

しかし、彼は仕事に対して手を抜く男ではない。だから、私は、「といっても手を抜いてる訳じゃないんだろう?」と聞いた。彼は答えた。

「もちろん。ただ、今までと違うのは、自分に出来ることだけを一生懸命するようになった事かな?新しい事じゃなくて、自分が知っている事、やれる事だけに集中をして料理を作ってるんだ」と。

そして、「ストレスだけ感じていたら良い料理は作れないのかもね。最近は、料理を愉しんでるかもしれない。もちろん、お客さんに満足してもらえるか、というプレッシャーはあるけどね」と続けた後、「最近お客さんから、“料理上手になったんじゃない?"って言われるんだ。ちょっとひどくない?」と言って笑った。

まんざらでも無さそうな彼の笑顔を見て、私は、不思議と、そういうものなのかもしれないな、って納得した。そして、同時に彼がその笑顔をするまでに悩んできた、数年を思い出した。

あの苦しみがあるから、子供が出来た今、彼は子供の笑顔を見るために仕事の時間を少なくする事が出来るのだ。そして、それにも関わらず、昔よりも多くのお客さんに、より豊かな「美味しい」という経験と感動を与えられているのだろうな、と。

後輩のような男(25歳・坊主)

相対的にみたら、私は(女性により)男にモテる。数ヶ月に1人くらい、後輩というか、妙に私を慕ってくれる奴があらわれる。最近知り合った男(25歳・坊主頭)も結構私を慕ってくれてる1人だ。その彼が、つい最近転職をした。

調理師から不動産の営業という完全未経験の業界・職種である。彼は、仕事の帰りに私に連絡をしてきては、「今週こんな事があったんッス」とか、「やってらんないッス」なんて言いながらビールを飲む。

彼と会ったのは、ある飲み屋でだった。なんとなしに私達は本の話をした。彼は本を全然読んだ事が無いという(後から聞くと父親は大学の先生らしいのだが、どうも部屋に本が沢山あるという状況の反動から本が嫌いになったらしい)。

ただ、私はそれは勿体無いという事で、何冊かの本を薦めて無理やり読ませたのだ。すると、彼は本が面白いという事になって、私にしょっちゅう、「本を薦めてくれ」というようになり、仲良くなった。その後彼は「本って面白いッスね」としきりに言うようになった。

で、考えるところあってか、急に転職を考えて、急に転職を決めてしまったのだ。彼の言い分からすると、「新しい世界を見てみたくなった」という事らしい。(この事と私との出会いに関係は無いかもしれないが、ちょっとあるのでは?と思う事が彼との会話の中で時々ある)

だから、という事ではないのだが、私は彼の転職が成功して欲しいと心から願っている。無論仕事柄(この転職サイトの運営という仕事は、人の転職成功を願う仕事だと思っている)もあるのだが、彼の「実は、経営者になりたかった」といった呟きや「今はペーペーだけど、いつかのし上がっていきたい」というあんまり聞いた事のない素朴な野望を聞くと、「がばれよ!」って思うのだ。

彼は先週末も「営業に役立つ本を教えてくれ!」と私に連絡をしてきた。私は、彼のいままでの読書経験の少なさを気にしつつ、初歩的なマーケティングの本を「あんまり難しいと思ったら読まないでよいよ」といいながら渡したのだが、彼は「これはいいッスネ!早速読みます」と言って嬉しそうに帰っていった。

彼の今の目標は、1日10分でも本を読むという事だ。それを日々の現場で活かす事が面白くて仕様が無いという。愉しそうな苦学生のような雰囲気の彼を見ながら、「こいつ面白いな」と思いつつ、次に渡す本のことをもう考える。スポンジのように何かを吸収する(しようとしている)人に、何かを与えるのはとても愉しい。

部屋を買おうと思った理由

中古の部屋を買い、自分でデザインをしようと思いったのは、こんな理由からだった。

それは、「生活を大切にしないとな」と思ったため。良い仕事をするには、他の人が何を考えてるのか?とか、他の人が生活で何を大切にしてるのか?等を知らなくてはいけない。そして、そんな事を知るのには、自分が生活を愉しんでないといけないよな、と。

そんな時にある1冊の本を見つけた。それは『リノベーション』という「古い部屋を買って、自分の思いのままに改造し、そこに住もう」という考え方を紹介した本だった。

私はその考え方に惹かれた。そして、ここ数日、自分がこれからどうやって生きていこうか?って考えている事に気が付いた。それは、部屋を作るという事は(引越しでも何でも良いのだけれど)、今の自分がこれから何を大切にし、何を大事にしていきたいのか?という事を知るためのとても良い方法だと思ったからだ。

ちなみに、私はたまたま部屋だったのだけれど、こうした自分を知ったり、整理する方法って、いくらだってある。毎日の服装だってそうかもしれない。自分が周囲の人にどんな風に見られたいのか?という事を考えることは、とても大切な事だ。そして無論、転職で、仕事を変えるって事だって、自分が何を望んでるのか?を知るとても貴重な機会だ。

そんなわけで、ここ数日、どういう風に生きようかな?なんて事を考えながら、部屋の構想を練っている私なのです。

ちなみに。部屋を買おうと「思った」だけで、もちろん、まだ買ってないのです。なんとなく、「そういうのもいいかな?」って思っただけなんです。嗚呼、内緒にしておいて、部屋を買ったら周りの上司や部下や福田をびっくりさせようって思ってたのに、思わず書いてしまいました。マル。

暗闇での跳躍

面白いことを思いついて、周りの人に初めてそれを言う時って、とても緊張する。良い企画を考え(たと思って)、上司に言う時も緊張する。クライアントにプレゼンをする時も緊張する。好きな子に気持ちを伝える時なんてもちろん、緊張する。

さて、そんな緊張を、誰が言った言葉かよく知らないのだけど、「人と人とのコミュニケーションは暗闇での跳躍である」なんて表現する人がいた。

この表現は、私の気持ちにぴったりとはまり、「ええ事いいなさりはる」という感じである。私と誰かの間には、常に、暗闇が、ある。

でも、この暗闇というか緊張感は、日々にとって必要なものである。

この緊張がない世界は、「ルーチン」であり「なあなあ」であり「適当」であり、そして、内輪な世界だから。予定調和であり、先の見える世界だからだ。

しかし、そこに予想を超える何かはない。

そして、この人と人の間にある暗闇って奴は、飛び越えたら、きっと明るい世界が開けている類のものだと私は思っている。

暗闇に怯えるのではなく、その向こうにある世界に飛び込む気概と勇気を常に持っていたいとも思う。春の訪れ、新しい何かを初める事に臆病にならないように。

さて、明日は上司へのプレゼン。
最後の仕上げ、がんばる事にしよう。

ガンジス河のホテルにて

先週末また風邪をひいた。ひどい風邪。金曜日這うように、タクシーを使って家に帰る。私は布団に倒れこむ。寒い。寒い。指先がジンジンしている。

最近ハードワークだったから、体が非常に弱ってるようだ。風邪のウイルスへの抵抗力ゼロ。恐らくウイルス暴れ放題。こういう時は、とにかく寝る。そう決め込んでからの私の行動は早い。30秒後には寝てた。

そして、私は夢を見た。

インドに行ったときの夢を。ガンジス河のそばのホテルに3週間ほど泊まっていたときの夢を。ガンジス河はとても綺麗で、そのホテルはアットホームな感じで(インドのホテルはどこもそうだったが)とても居心地が良かった。

その時も私は、今日と同じようにひどい風邪をひいた。周囲には日本人は誰もいない。友達もいない。私は、片言の英語で、ホテルの管理人に、体調の悪さと、ひどい下痢と、薬が欲しい旨を伝え、ベットでひーひー言っていた。コレラ?赤痢?なんて慄きながら。

数時間後、管理人が部屋にやってきた。小脇に、袋を抱えて。そして、彼は、言った。「これを飲んで寝れば直る」と。私はインド人の彼の言葉を(こうした時のインド人はとても魔術的に響く)信じ、その粉末を水に溶かして飲んだ。そして、彼の言う通りに寝た。

次の日起きると、私の下痢は治っていた。熱もひいていた。そして、私は、彼にお礼として食事をご馳走した。その話の中で、彼は、「私はこのホテルが好きだ。誰もが通りすぎる。私はここでただ誰かがまた帰ってくるのを待っている。ホテルを掃除し、ホテルの食事を用意する。そんな毎日が好きだ」といった。夢は、このシーンで終った。脈絡が、無い。さすが夢。

しかし、私はこの夢を見て、久しぶりに卒業旅行で行ったインド旅行を思い出した。そして、彼のその言葉が一番印象に残った言葉だった事も。大学を卒業し、社会人になろうとしていた私は、心のどこかで恐れがあった。で、インドに1人で行って帰ってこれたらなんとかなる!って信じてインドに行ってみたのだ。そして、私は、ガンジス河を見ながら、頑張るぞ!と思って、その日から、仕事をして来たって事を。

それにしてもこんな昔の夢を見るなんて、しかもガンジス河の夢なんて・・。本当は、ぎりぎりにやばかったのかもしれない。健康に気をつけないといけないな~と反省した先週末でした。

なお、管理人さんが持ってきてくれた薬は、日本ではポカリスエットと全く同じ味のする飲み物でした。でも、効いたんですよね。不思議なくらいに。

男優デビュー

映画に出る事になった。

助演男優を探してる監督とたまたま知り合うことがあり、ひょんな事から私が出る事になったのだ。監督は、人間を見る鋭い眼で、私の性格俳優としての素質を見抜いたのだろう。

撮影当日までに、私は台本を貰い、台詞を覚え、撮影現場に向かった。ちなみに、私の演じる役は、息子を殺してしまう古本屋の主人である。俳優デビュー作が殺人者。難易度高い。

ところで、私は出演が決定した時、「演じる事は得意!」なんて思っていた。しかし、キャメラ(あえてこう発話したい)がまわり、監督やキャメラマンや音響さんの中に放り投げだされ、台詞を言うと、どうもしっくり来ないのだ。なんか違和感があるのだ。演じる事に。

しかし、撮影が続く中で、私は、こんなことを考えた。

「あれ?日々俺は、普段どんな人を演じてるのだろうか?」と。キャメラを通して見る私は、「妙にやさしい声」で「変な視線」で「なんだか物知り風に」話す青年とはもういえない31歳の男だったからだ。「へ~俺って、普段こういう人なんだ」と私は思う。

そして、私は思考を切り替えた。台本の中の人物になりきろうと。そう考えたら、私の中で育ったその男はどんどん台詞を言い、動き、他の役者とコミュニケーションしていくのだった。

なりきる事。これは、仕事の上でも大切なんじゃないか?。演技という世界においては、私は優秀なビジネスマンにも、信頼のおけるリーダーにもなりきる事が出来るのだ。そうした自由があるのだ。だから、私は、素敵なビジネスパーソンになりきろうと思う。

なお、私が出ることになった映画は、ある専門学生がとる専門学生のための専門学校的な映画なので、皆さんのお目にかかることは、(多分)ありません。あしからず。

チェンジとチャンス

4月になった。桜の季節であり、恋の季節である。そして異動の季節。

思いかえせば、数年前、私は東京から大阪に異動をした。社会人1年目の異動。確か、その時初めて、「移動じゃくなて異動なんだ」と知った。そんなウブな異動。季節は冬だった。もっと言うと、誕生日であるクリスマスイブに突然来た異動の辞令。驚き。

何も守る物がなかった私は(今でもそうかもしれないけれど)、一つ返事で、大阪に。世の中が成人式を祝う1月15日には、大阪にいた。季節のせいだろう、とても寒かった事だけを覚えている。

新しい職場。新しい家。初めて住む町。新しい仕事。私はそうした様々な新しいものを、ちょっと不安に思いながら、吸収していった。いや。それは嘘だ。吸収しようとあがいていた。でも、もちろん、それはそんなに上手に行かなかった。新しい上司だけじゃなくて、なんと私には部下がいた。仕事が出来ない自分なのに。新しいミッション。日々苦闘していた。何にって、自分に。

しかし、今となっては、私はあの日のことをいつも懐かしく思う。友達が居なかったから、上司にいつもお酒にのみに連れて行ってもらった事。休日やる事がなかったから仕事ばかりしていた事。社長が、私の異動を気にしてくれてフグをご馳走してくださった事。東京に帰ることが決まってから、部門のメンバー全体でドライブにいって、初めて大阪の外に行った事に気がついた事を。

正直言おう。私は不安で一杯だった。不安しかなかった。でも、いま思うと、そんな日々はワクワクに彩られている。私は、異動をして帰ってきて、ちょっとは変わったはずだ。きっと、良い方に。なお、私は、その異動が自分にとってとても大きなチャンスだったことに後から気が付いた。その時は、そんな風にはとても思えなかったのだけれど。

「CHANGE」と「CHANCE」はとっても良く似た言葉だ。GとCのちょっとした、違いでしかない。変わる事って、ちょっと視点を変えるだけで、本当に本当に掛け替えの無い機会に変わる。

今、私は、変わる事を、チャンスとしか考えていない。だからかな?今、何かの変化の中にいる人を、私は応援したいと思っている。

春、それは、沢山の良き事が起こる季節。

仕事を頼むのが上手な人、下手な人

仕事を人に頼むのが上手な人がいる。その人に仕事を頼まれると、やりたくない仕事だとしても、是非やらせてください!なんて思うくらい、上手な頼み方をする人がいる。

といっても、それは、報酬で釣るわけではない。なんていうか、その仕事の意味や価値をしっかりと伝えてくれた上で、依頼している背景や、私ではなくてはいけない理由のようなものを伝えてくれて、ゆとりある時間と期限をくれるような仕事の依頼。あるいは、その仕事をすると、自分にとって経験とかが身につくような依頼の仕方。そんな風に仕事を依頼できる人がいる。社内にも社外にもいる。

その一方で、仕事の依頼が下手な人がいる。とっても小さな仕事なのだけれど、その人から依頼されると、ややこしそうで、面倒に思えてしまうような依頼の仕方しか出来ない人。一言お願いといえばよいのに、100行くらいの依頼書を作ってしまうような、なんだか、そんな仕事の依頼をする人がいる。社内にも社外にもいる。

この違いって、何なんだろう、って考える。

そうすると、依頼の仕方とかじゃなくて、その人自身の仕事への取り組み方が全然違うように思える。仕事を頼むのが上手な人は、その仕事をしっかりと自分の仕事として対応しているので、依頼の時にも魂が込められている。でも、仕事の依頼が下手な人は、その仕事を自分の仕事として考えてないから、全体を把握できてないから、心がこもってないように感じる。

仕事の依頼の仕方一つをとってみても、その人の仕事への取り組みが垣間見れるのだと思う。仕事をしっかりと自分のものにしてる人には、この人と仕事がしたいって、思うから、仕事を頼まれても喜んでやりたくなるのではないだろうか?

って、なんだか真面目な内容になってしまいましたが、なんだか、今日はふとそんなことを思ったのでした。

大学時代の友人と話をした

「やられた!」と思う事がよくある。例えば、先日もそうだった。

普通、友人と話をすると多くの場合、仕事の話になる。で、私が、「仕事、忙しいけど面白いよ」と言うと、大抵の場合、「いいな~、私は忙しいけど面白いって言えないな」という答が返ってくる。

そういう場合、「こうこうしたら面白くなるよ!」な~んて物知り顔に返答するのが、私は好きなのだ。

が、先日、久しぶりにあった友人は、

「良い事だよね。でも、私は仕事は仕事って割り切って仕事してるよ」

ときっぱり返答してくれた。「あなたはあなた、私は私」という明確なスタンスで。とっても素敵な笑顔で。

大学時代、「私は周囲に流されてばかりで、自分の意見が全然無い」なんて

(確か)言っていた彼女は、今、自分の意見をしっかりと持ってるように見えた。(記憶では)「自分の意見をしっかり持ってる人が羨ましい」と酒を飲んでは、こぼしていた彼女がだ。

数年来の時を経て、さらっと、自分が思う事をシンプルに言える彼女を見て、私はなんだかとっても羨ましくなったものだ。

考えてみれば、この娘も結婚をして、旦那さんがいて(超有名企業に勤めてる)、自分も働いているのだ。「ほっそい体でこいつ結構タフなんだな~」なんて思いながらその子を見ていたら、私は私で、「自分の意見って、ちゃんと持って生きてるのかな?俺」って思ってしまった。

そして、冒頭の「なんかやられた」って感じになったのだ。きっと上のような台詞を言えるようになるまでに、彼女は彼女なりにいろいろ大変な事があったのだろう、って思う。でも、今、彼女は、自分なりの働き方というか、人生観をしっかり持ち、肩肘を張らずに言えるようになったのだと思う。

なんかそんな風に思ったら、家族があって、仕事もしてて、多分、いろいろある毎日なんだけれど、「楽しいよ!毎日」と素敵に笑う彼女がとっても羨ましくなった私でした。マル

恋について考えてみた

どうも恋をしずらい私。しかし、そろそろ結婚を考えても良い年頃なので、どうしたら恋をするのかを考えてみる。

私は何かについて「考えよう!」って思うと本を買い込む。だから、今回も、『恋をする12の方法』とか、『素敵なパートナーを見つける10の鉄則』なんて本を5冊ほど一気読みしてみた。こうした本の一気買いほど恥ずかしいものはないので、「私は編集者。今企画してる本の類書を購入してるのです」というそぶりで購入をしてみるのだが、そんな事は相手にわかるはずもない。

で、こうした本を読み込む中で、いくつかの事がわかる。「好きな相手が出来たら、まずは、アプローチ」とか、「相手の好みの服装に合わせる」とか、「口説く時は、熱意が大事」とか、なんやかんや。いろいろ言われてみると、「確かにこうした事ってしてねーな」って思うのだけれど、「やってる奴いるのか?!」とも思う。

でも。私はふと思う。ここで言われてる事って、仕事でやってる事だよな、って。「まずはアポイント」「大切な商談の時には、しっかりした服装」「企画を通すのは熱意」とかね。あと、気になったのは、「理想の相手なんていない、理想の関係性の中から、理想の相手は出来てくる」なんて一言だ。

これだって、「何にでも成れるとか、何でも出来るって思っているうちは、人は、何者にもなれない」というキャリアの定義(私が勝手に決めた)のと、近いよな。有限の時間を、何かに対して注いだ時だけ、人は何かを達成できるのだから、な。なんて。

そんな訳で、異性への引きこもりをやめて、どっか行こうかな?って思うのだけれど、やっぱり行き先がないな~ってため息をついてみる。なお、この文章を書かせた理由が、「ちょっといいかな~」って思ってた人が結婚するためだとは、内緒なのである。

恋の結晶作用と、仕事

今日も恋がテーマである。

居酒屋の話題に、恋の話(略して恋バナというらしい)が多いように、ビジネスマンと恋は切っもても切れない話題であり、恋の情報収集中の私は、いろいろな人に話を聞いたりしている。

恋って凄いな~と思う。恋を成功させるため、沢山の人が沢山の努力をしているのだから。「何事を成すにも努力は不可欠」という当たり前の事実に私は(また)気付く。赤い糸伝説をどこか信じていた私は子供だ。

ファッションにしても、話題にしても意中の人と仲良くなるために、努力をする。身だしなみに気を使うようになる。素敵な店を探す。自分の性格とか相手の事とかをいろいろ考えるようになる。

恋をすると、人が素敵になるという理由は、きっとこうした所にあるのだと思う。誰かを想い、その人の行動を見、言葉の背景を知ろうとする時、人の意識の集中度は高まり、元気になる。そして、その相手の理想になろうとして、自分を磨く。そうした努力は、結晶作用を起こし、人を素敵にする。

でも。こうした事を考えると、恋は別に人に対してだけするべきものではないという事に気が付く。人だけじゃなく、仕事に対しも恋をする事が出来たら、その人の能力は飛躍的に高まる。

日々の仕事を、恋するように出来たら、私達の1日は、もっと素敵になるのではないかと思う。恋をすると、世界が変わるように、職場も仕事も大きく変わるのだと思う。そして、その熱意や努力は、結晶作用を起こして、その人のキャリアとか人格とかを素敵にするはずだ。

仕事への気持ちを、日々忘れないようにしようと思う。
仕事にも恋しようと思う。

過去を振り返る

先日、ほぼ日(糸井重里さん運営)が主催した「智慧の実2」というイベントに行った。イベントは、有名な大学教授4名が、各々の専門分野について講義するものだ。講義テーマは、社会、会社、日本、地球の4つ。午後1時から夜7時という非常に長い(実際はもっと長かった)イベント。私は各70分の講義を愉しんだ。「何かを学ぶのってすげー楽しい」と心底思いながら。

さて。全ての授業が面白かったのだけれど、私が特に「そうだよな~」って思った事があった。それは、「未来を知るには過去を知ることが必要」という事だ。

私は、日々仕事で、「状況分析」とか「現状把握」をしている。が、それをするのは、未来を知るためだと改めて知ったのだ。こんな事を言ったら上司に怒られそうなのだけれど(苦笑)。「明日」とか「1ヵ月後」じゃなくて、「未来」。「未来」の方が広がりがある。私は「ああ近視眼的にしか仕事してなかったな」と反省した。

そんな帰り道。私は、ふと、実は大学教授になりたかった事を思い出した。大学院のドイツ語の試験の問題文が読めなかったという冗談のような話で、私はその道を諦めた(当たり前)のだが、こうした普段忘れている過去もたまには思い出す必要があるな、と思った。こうした過去の私も間違いなく、私なのだから。

そして。私は、以前から「やるやる」と言っていた、自分の棚卸をやってみようと思った。未来の私を知るには、過去の私を知らないといけないのだから。自己分析なんて言葉じゃなくて、過去の自分を知ろうと思う。

きっと仕事を通じてやってきた様々な事の中にも、私自身が知らないような「私」が隠れているに違いない。そして、そうした事がわかると、私はもっともっと面白く仕事が出来るはずだと思っている。

ありえたラブアフェア

ミッドナイト。イン・ザ・バー。「貴方の部屋を見てみたい」なんて事を言ってくれる可愛い女性(ひと)。いたずらっぽい微笑み。

理由は、風呂場に生息(飼っている)している亀を見たいのかもしれない。私の部屋の乱雑ぶりを見たいのかもしれない。両方かもしれない。無論、それ以外の何かかもしれない。図りかねる真意。

私は、「おお!なんかこういうシーン珍しい」と思いながら、喜ぶ。嬉しい楽しい、大好き!そう言えば、昔深夜番組で、「ダイスキ」ってCMの前にいう番組あったっけ。それを見ては「俺もだ」なんて深層心理。あのシーンは、凄い力を持っていた。

なんてな事を思いながら、私はこれからの事をシミュレート。駅に着く。家まで数分歩く。コンビニに寄る。家につく。玄関。「散らかってるけど」なんて言いながらドアを開ける。

その瞬間、私のシミュレートは終わり、私は(現実の)女性(ひと)に言う。

「すげー汚いから駄目」と。

これは、言い訳でも何でもない。本当に本当に汚い部屋を見せたく無かったのだ。自分に好意を持ってくれてる人に自分の「部屋という名の暗部」を見せる事はとてもではないが出来ないと思ったのだ。私は自己保全の道をとり、(無論、その子の目的が私の部屋の汚さリサーチだったら、彼女を喜ばせる事が出来たのだが)私は1人(いつものように)家に帰った。

日々の積み重ねが大切。

仕事でもそう。日々の業務やメンテナンスをしっかりしていれば、急な事態でもアタフタしない。トラブルにも強い。資料提出も簡単。信用力UPになる。しかし、私の机の上は、部屋と同じようにカオス。表面化した私の部屋のよう。日常のメンテナンスを怠るとチャンスを逃す。そうした事を身を持って知った私なのに、まだ机も部屋も乱雑なまま。私はとことん懲りない人。

坊主2004

坊主にした。

「東大を目指して3浪」くらいしてそうな勢いの長さの髪から、「昭和初期のおっさん」のような勢いの五分刈りにした。結構色々反響あるのでは?と思ってウキウキしながら会社に来た。でも、あまり反響がない。拍子抜け。

「あれ?俺って存在感ない?」なんて一瞬悩む。が、「誰だお前」と営業部長に見られた事で、反響が無い理由がわる。

そう。単純に「私」だと認知出来ないようなのだ。中途入社の社員か誰かだと勘違いされたのである。「誰だお前」それが私を見た人の感想だった。その後も、「誰かわからなかった」と私は何度も言われた。髪を切ったくらいで、認知されないようになる俺。淋しい気持ち。

「女性が髪を切ったら、それに気づく事は上司として大事」何て事が言われるが、これは女性に限らない。私だって、髪を切ったら(それが坊主ならなおさら)髪を切ったことに気が付いてもらいたいと思ったのだから。つーか、私だと気が付いて欲しい。せめて。

ところで、こうした事って、上司や部下の関係にも言える。先日読んだ、本の中でも、チームマネジメントの話の中で、髪の話が出てきていったし。部下からしたら「見てくれている」という感覚は安心感や信頼感に繋がるものだ。トイレであった上司の「君のあの時の一言は良かったよ」なんていう一言が本人のやる気の源泉になる事は、ビジネス漫画の中の話だけではない。

ただ。私は会社の同僚の女性が、髪を切った時、「あ!髪切った?」という事実しか言えないシャイな人。だから、いつかは、「あ!髪切った?とっても良いね!」という一言をスマートに言える人になりたいと思っている。でも、何故か言えない、「良いね!」という一言。ヤクザ映画に出て来そうな五分刈りの私なので、まあ、それも良いかな、なんて思うのだけれど。

そんな訳で、今年も五分刈りにした。夏が近い。

1冊のノート、あるいは、人生設計

坊主にした。

人生設計、無し。それが私。キャリアとか転職とか言った仕事に携わっている私だが、5年後の事なんて考えた事がない。周囲の人が結婚していったり、マンションを買ったり、教育費に悩んでるのをみても、自分がそうした状況になるとは全然想像がつかない。老後の事だって、考えた事がない。ある意味、社会人失格、そしてファンキー(言い訳)。

な私が、ここ数日は、全く違う事を考えている。それは、お金の事や株とか運用とかを。これは、その昔「『金持ち父さん』を読んで、その瞬間にキャッシュフローゲームを買った時」とは違うブームである。今回は本気なのだ。

きっかけは1冊のノートだ。先週の日曜日、私はなんとなく、コンビニで1冊のノートを買った。私の人生にこれから起きるであろうイベントを記述してみようと思ったのだ。ほんと単なる思い付き。私は、ノートを開き、おもむろに最初のページの左上に31歳(現在の年齢である)、2004年と書いてみた。その次のページには、32歳。そして、次は33歳。やってみて驚いたのだが、40歳くらいになると、息苦しくなってくる。時間が過ぎるというリアル。

私は、ただ、年だけが書かれた真っ白なページを作っていった。正直良い気分はしない。でも、私は、「これが、人生なんだ」的な想いで、さらに年を書き続けた。そして、最初のページに、自分の現在を書き込んだ。身長、年収、仕事、そんな情報を。その後、仕事とか生活とか4つくらいのテーマを設定して、それぞれでどういう風にしていきたいのかを書いてみた。

これをやって分かった。いかに自分がゴールも戦略もなく、毎日を過ごしていたかが。もし、これを仕事でやっていたら、上司に怒られてるはずだ。でも、それを私は自分の人生って奴ではやっているのだ。困ったものだ。

一通りノートに書くことが終り、私は35才のページにある1行を書いた。どんな事を書いたか、それは内緒。最後の最後、自分が想う何かは自分の胸だけにとどめて置こうと想うから。

って、こうした事も、また一過性のブームかもしれない。でも、私の手元にあるノートには、必ず、何か出来事が書き込まれていく。気付く気付かないに関わらず。望む望まないに関わらず。だから、その出来事をより楽しく、味わい深いものにしていこうと、思っている。

それにしても、10年先、自分がどこでどんな仕事をしているか?とても面白いテーマだ。

ほんと、どうしてるのかな、私(ってまた、成り行き任せ)

気持ちのよい生活、気持ちのよい仕事

プレスされたシャツ。整えられたデスク。そして、ミリ単位で綺麗に整えられた企画書。職場という場所で、そうした細部まで意識が行渡った物に出会うと私は心地良くなる。

そんなスタイルに憧れながら、シワシワのシャツで、乱雑なデスクの上、レイアウトガタガタな企画書を作っている私。でも、「サヨナラ、そんな自分」。先日もここで伝えたように、私は生活革命を起こしているのである。机の上はまだ未着手だけど。

きっかけは何だったのか忘れてしまった(そんなものだ)。でも、部屋を綺麗にして、きちんとした服装をしようと決意したのである。そして、将来的には、家で料理をし、朝早起きをしてジョギング。休日の朝は早めにおきて、布団を干し、太陽の下で大きく背伸び。そんな、便秘薬のCMに出てくるようなさわやかな日々を夢想すらしているのだ。無論、冷蔵庫にグレープフルーツジュース完備で。

さて、こうした生活を(5日ほど)過ごそうとしてみて解かった事がある。日常的な小さい仕事をしっかり行う事は精神衛生上とても良い事だと。以前何かのコラムで、「洗濯しっかりして、食事していれば心は健康」なんて一節を読んだのだが、「それってその通りじゃん!」って思ってる。やっと気付いた。

そして、そんな日々を(5日だが)過ごしてみると、仕事が出来る人って、こうした「人生の基礎体力(と呼びたい)」がしっかり出来てるのだと思う。きちっとプレスされたシャツとか、整えられたデスク。そして、ミリ単位で綺麗に整えられた企画書を普通に作れる人は、きっと日常も綺麗に違いない!

(と私は強く想像する)。

「全ての事はJOBに通じる」これが、このコラムジョブのテーマだ。私はこのテーマで299回も(ボツを含めると500回以上)文章を書いてきたのだが、300回を前にして、「結構深いテーマなのだな」とあらためて思いつつ、「気持ちの良い仕事がしたい」と強く想う私だった。

全ての事はJOBに通じる

気がつけば7年間、毎週このコラム。そんな8年間を思い返す意味で、昨日、改めて過去のコラムを一気読みしてみた。

で思った。これほぼ自分史だと。ここには、自分の日常と仕事がありのままに書かれているな、と。もちろん、しっかり書かれなかった事もあるし(当事者に迷惑がかかるから)、比喩としてしか書けない事(怒られる可能性がある)もあったにしても。

その時、部屋の掃除に興味があれば、その周囲は部屋の掃除について書かれていた。恋したら、恋について書いた。髪を切ったら、坊主について。仕事がうまく行ってない時は、不安が色濃く表れるコラムになったし、日々が楽しい時は、カラフルでリズミカルな文章になっていた。後、びっくりした事に、私はコラムを書いた瞬間までを含めて1つ1つ記憶していた。驚き。

そんな日々を過ごしているからだと思うけど、私は「いろいろな事が仕事」なんて思っている。そう。日々の行い一つ一つもだ。

パスタを自分のために美味しく作るのも。お風呂のカビを取るのも。休日朝、がんばって起きるのも。次の日のためにゆっくり休むのも。友達とより仲良くなる事も。恋人を家族を大切にする事も。父としての仕事。母としての仕事。ただ、何かを楽しむ事も実は楽しい仕事なんだって。

だから、きっと。全ての事はJOBに通じるんだと思う。そして、そうした日常を大切にしようとする姿勢は、良い仕事をする事にも繋がるんじゃないか、とも。そんな訳で、最近私は、仕事を通じて誰かをハッピーにしようとしたら、自分がまずハッピーになる事が、まずは大切なんじゃないかな、って思ってます。

と300回だからって何かマトモな事を書こうとしたら収拾がつかなくなってしまったようです。まだまだです。。。だから、来週からもがんばって、コラム書いていきます。

ですので。どうか、これからも、どうぞよろしくお願いします。

最近、どうも調子が出ないな、と思っていたら、壁にぶち当たってた。今も当たってる。かなり固い壁だ。手ごわい。いやはや。30を超えてからもこんなにいろいろな壁があるとは知らなかった。困ったものだ。他の人の目にも壁はあるのだろうか?いや、あるのだろう。きっと。

そうだ。多分ある。先日、年上の女性(素敵)と飲んだ事があったが、その時そう思った。何故って、その人は、その時、まさに壁に当たっていたから。仕事や生き方とか、そんないろいろ。そんな時、たまたま飲む機会があったのだ。

その人は、今の状況を「泣きそうに痛い」と話していた。でも、私は「この人はこの悩みを近いうちに解決できるだろうな」と感じていた。そして、その時、この人はもっと素敵になってるのだろうな、なんて事も。

で思った。壁って、もしかしたら、階段なのかもしれないなって。壊したり、乗り越えたりしようと思っていた壁は、実は(身の丈よりちょっと高い)単なる階段なんじゃないか、って。

そんな訳で、自分が今ぶち当たっている壁を階段と思ってみる。そして、その階段をなんとか登ることにする。この階段を上ったら、もっと見渡しのよい風景が見れる事を期待して。汗をかきながら登ろうって思う。

お茶セット

先日、お茶セットを購入した。南部鉄器の急須(この呼び方でよいのか?)と、陶器の湯のみと木で出来たお茶の葉っぱ入れ、そして、お茶用の板(板版ランチョンマット)をである。湯のみは迷った末に1個だけ購入した。夫婦茶碗は、独身には必要ない。一人用のお茶セット。

こういう物(ブツ)は、普通のお家にはあるものなのだと思う。が、私の家には、ここ8年間くらい無かった。お茶はコンビニ、ご飯はビール。そんな日常を過ごしてきた私だから。しかし、これでは、自分で自分の生活を作っているという感じがしない。で、ここのところ、こうした日用品の充実を行っている。

さて、最近のコラムで、「日常を大切にしたい」と語ってるように、私は自分の生活をまともなものにしたいと思ってる。日常をちゃんと大切にする事、ゆっくりと何かを行う事。一つ一つの動作をちゃんと確認する事、等。

ちなみに、こうした気分の変化って、仕事への取り組み方への変化から来ている。例えば、一つ一つの仕事をゆっくりと着実に行う事。メールを書くときに、要件だけでなく、ちゃんと送信先の相手の状況を考えてメールをする。文字を書く時は一文字一文字丁寧に書く事、そんな事を。

そんな意味もあって私は、お茶セットを購入した。1日1日の終りに、私はお湯を沸かしてお茶を飲む(予定)。1日の仕事の事をゆっくり思い出しながら、一杯のお茶をゆっくりと。良い仕事ができるように、じっくりと。

最近、私は、一杯のお茶をゆっくりと飲むようにリラックスして仕事をしたいと思う。じっくりと、そして、しっかりと仕事をしたいと思っている。

たとえ、購入したお茶セットが、まだ包装紙に包まれたままだとしても。。

視点を変える

今日、私は、ホテルから出勤した。

別に出張ではない。ただなんとなく、ホテルに泊まってみよう!と思ったのだ。ほんと気まぐれに。ホテルは、会社の近くのホテル。安い値段ではない。でも、たまにはこうした贅沢もいいかな?と思った。居酒屋5回分でホテル一泊。そんな計算をして。

「ホテルに一泊」。これは、結構ワクワクする事だった。前日から、「あと数時間したら、俺はホテルのプールだな」とか思えるし、部屋の中で何の本を読むのかを考えるのはとても楽しかった。食事もちょっと奮発しようなんて思う事もまた楽しい。

部屋は快適だった。部屋でちょっと一息ついてからすぐ、私はプールで泳いだ(アグレッシブに!)。そして、サウナに入った(我慢強く)。で、部屋でビールを飲んだ。とっても快適。気分良し。

快適な気分でベットに入る。が、寝たのが10時頃だったため、12時頃目が覚めてしまう。で、寝る前にしていた仕事を再度開始。深夜ホテルでPCを打つ俺。エグゼクティブ。2時頃仕事を終えてベットに入った。目覚めると、バイキングで朝食。

会社に向かう途中(歩いて5分)、いつもと同じ朝なのに、ちょっとゴージャスな私。仕事へのやる気は120%増(通常比)。いつもとは違う道、違う僕。そんな感じで。

視点や環境を変えることは精神にとても良い。仕事でも、視点を変えると見える事が多いように。自分だけの観点じゃなくて、上司からの視点や、部下からの視点、顧客からの視点、同僚からの視点、そんないろいろな視点から自分の仕事を見る事、これはとても価値がある。そんな視点を求めた訳ではないのだが、今日、私はホテルから出勤した。いつもとは違う場所から、違う道を通り会社に来た。日常って、ちょっと視点を変えると別のものになると感じながら。

ただ、昨日が休みという事もありあわただしく仕事をしていたら、新鮮な気持ちは、あっと言う間にいつもと同じ気持ちに。そんな風にして、ホテル効果はわずか10分で終った。変えた視点のままでいる事は、結構難しいようだ。

メールは、人なり

メールを読めば、その人の事って、大体想像できる。

その人が自信のある人なのか、気遣いの出来る人なのか、とか。もちろん、私の思い込みの事も多い。けれど、そんなに外す事はない。

何度もメールを読まないと何が言いたいのか解からない人って、実際にあっても同じような印象を持つ事が多いし、わずか5行でも「いい文章書くな、この人」って思える人は、実際にあっても、「いい人」である可能性がとても高いのだ。そして、美人(男性も女性も)なメールを書ける人って、やっぱり素敵な人が多いと思う。

「文は人なり」って言う。昔の人はとても上手なことを言うものだ。今って、ネットやメールの発達によって、文章を書く機会が増えている。10年前に、こんな風に日々沢山の文章(メール)を書くようになるなんて私は、全く思わなかった。

ところで、とても面白いことがある。それは、良いメールを書いていると、その相手との関係がどんどん良くなっていく事だ。良いコミュニケーションがとれてると、お互いに気持ちが良い。だから、そのプラスのスパイラルが出来て、どんどん良い関係になっていくのだと思っている。

メール1通でも、印象を判断されたり、相手との関係性が良くなったりする。

そしてもっと驚く事に、自分で書いてるメールが明るい内容だと、自分の気持ちも明るくなり、暗いメールだと暗くなったりもする。

「文は人なり」。誰かにとっても、そして、自分にとっても、良い文章を書いていきたいと思う。メールという手紙を沢山の人に出し始めて随分たったのだけれど、今日は、ふと、こんなことを思ってみた。

欲しい気持ち、あるいは、2万円のジーンズについて

ジーンズを手にいれた。2万円のジーンズ。

さて、このジーンズ。手にいれたのは先日だが、お店にお金を払ったのは、1ヶ月以上前だった。サイズが無かったため(私はウエストサイズが28と極端にガリガリなのだ)、メーカーから取り寄せをお願いしていたのだ。

その時は、1週間くらいで品物が届くという話だった。が、注文に生産が追いつかず、毎週のように「遅れる」という連絡がお店から来た。で、結果的に私は1ヶ月以上、このジーンズを待つ事になった。

最初の1週間くらいは、私は、「オニューのジーンズ!ジーンズ!」とアホのように楽しみにしていた。でも、品物が届くのが、10日、2週間。3週間と長くなるに従って、私の気持ちは、ジーンズからどんどん離れていった。

そして、先日やっとジーンズを手にした時には、「これ、やっぱりいらなかったな」と私は思っていたのだ。恐るべし。

そこで、私は思った。「あ、欲しいって気持ちって薄れるんだ」って。無論、実際に購入したから、「欲しい」という欲望が薄れたという事もある。でも、あの瞬間に私が感じたのは、1ヶ月前の「欲しくて欲しくてたまらない」という欲望とは程遠いものだったのだ。

でも、同時にこうも思った。「欲しい気持ち、大切にしよう!」って。いつかは消えてしまうかもしれないそんな刹那な気持ちだからこそ、大切にしたいって思ったのだ。やりたい仕事でも、プロジェクトでも、転職でも、恋愛でも、買い物でも。自分の意志や欲望を大切に育んでいきたいと。

今回の件で私が思ったのはそういう事だった。

2万円のジーンズは、私にそんな事を教えてくれた。高い買い物だったが、このコラムが書けた事で私は元は取れたと思っている。

って、無論、負け惜しみです。

新聞屋のオヤジ、あるいは、挨拶について

私が、朝一番最初に挨拶をする人は、駅の売店のオヤジである。

晴れの日も、雨の日も、新聞が売ってない日も。私が挨拶をすると、オヤジはニコニコして、「今日は暑くなるぞ」と天気予報をしてくれる。

そんなオヤジと、先日夜の居酒屋で会った。私は、オヤジに「毎朝ありがとうございます」と軽く会釈。オヤジは、別の人と飲んでいたので、会話はそれっきり。そして、オヤジは「また明日な」的笑みを残し先に帰っていった。

しかし、会計時に私は驚いた。先に帰ったオヤジは、なんと我々のビール代6200円を全て払ってくれていたのだ。私は偉く感動した。ビール代を払い何も言わずに去るそのスタイルに。私にビールをご馳走してくれたって、私が買う新聞が増える訳ではないのに。

ただ、居酒屋からの帰り道、部下と話をして、気付いた事があった。この部下も新聞を時々オヤジから購入するのだが、「挨拶はしない」というのだ。そう言われて思い出してみると、オヤジに挨拶をする人って自分以外あまり見ないという事に。

そして、思った。「もしかしたら挨拶する客って珍しいのかも」って。毎朝、沢山の人が会社に向かう中、ちょっとした触れ合いをする人ってあまりいないのではないか?って。私にとって、オヤジが朝一番に挨拶をするある意味大切な人であるように、オヤジにとっても私は、ちょっと特別な人になってるのかもしれない、と。

「挨拶は無料で出来る贈り物」とか、「挨拶は人と人をつなぐ」とか、挨拶はそんな風に様々な本でその大切さが書かれている。今回、私がオヤジにビールをご馳走になった理由が挨拶にあるのかはわからないけれど、挨拶は、事実とても大切な事だと思う。仕事をする上でも、日常を生きる上でも。

私は、朝のオヤジとのたわいもない会話が好きだ。だから、今日も、オヤジに挨拶をして会社に向かう。

「おはようございます」
「今日は暑くなるぞ~」
「そんな感じですね。 じゃ、行ってきます!」

って。

キャリアのハンドル

「自分のキャリアのハンドルを握れ」
そんな言葉がキャリア関連の本には、良く出てくる。

「自分の行き先を自分で決め、そこに至るルートを考え、そこまで自分で運転をしていく」というある種の快活さを上手に表現した言葉だ。車を持つと、行動範囲が広がるように、自分のキャリアという視点を持って日々を生きろというメッセージだと私は考えている。

無論、車も社会的なものだから、他の人との関係が重要になる。皆が同じゴールを目的地にしたら、渋滞する。行き先の情報だって、意外に限られている。車は速いので、目的地や曲がる場所を行過ぎてしまう事もある。前の人がノロノロ運転する事もあるし、スピードを出しすぎると怒られる。そして、Uターンは大変。東京で右折をするなんて、とてもじゃないが怖くて出来ない。

という文章でわかるように、私は車の運転が大嫌い。免許は持っている。以前は、運転を試みたこともある。しかし、私の運転する車に乗った友人は、皆口を揃えて言う。「お前の車には乗りたくない」と。運転している私だってそうなのだから、それはそうだろう。

でも、そんな私だって、自分のハンドルは持っている。愛車の折りたたみ自転車だ。車も良いが、自転車もなかなか良いものだ。ビールをどんなに飲んでも運転可能。時には、帰り道が近い女の子と一緒に帰ったりも出来る。夜道の自転車はなかなか気持ちが良い。

それに、自転車だって結構遠くまでいける。風は気持ちが良いし、街行く人とすれ違い様に挨拶だって出来る。そんな訳で、私は車の運転が出来ない。

って今回、久しぶりにドライブして、「車、いいな~」と思ったことを書こうと思ったのだが、書き上げてみたら、こんな内容になった。やはり、車は苦手なようだ。

でも。キャリアのハンドルが握れていると良いなと思う。仮にそれが、折りたたみ自転車のハンドルだとしても。

入社案内の取材を受けて

新卒向けの入社案内を作っているらしい。その中で、社員が登場して、仕事内容を語るという企画があり、その一人に私が選ばれた。恐らく、バリエーションをそろえるためだろうと想像するのだが。

何を話したらよいのかさっぱりわからなかったので、自分の仕事を時系列で整理した上で、取材に臨む。そして、取材の間、私は仕事の事をしゃべりまくった。

話ながら、気がついたのだが、私が元々この会社(元は事業部)に入った時って、会社のロゴはもちろん、会社の名前だって、存在していなかった。そう、私は、ロゴの決定場面にも立ちあったし、社名を決める時だって、意見をしていた。これは考えてみると凄い事である。

それに、今私がしている仕事の大半って、数年前には、影も形も無かった仕事ばかりである。この事に私はとても驚いた。広報とか宣伝とか編集といった仕事が元々無かった会社で、私は、広報とか宣伝とか編集をしてきたのだ。

今は、ある程度体系化されたこれらの仕事である。しかし、繰り返すように、最初は全く存在していなかった仕事ばかり。そうした仕事をしてきたのは、大変ではあったが、私の性には合っていたようだ。ラッキーである。

新卒向けの入社案内の取材を受けて、私は「なんだかいろいろやってきたんだな」って思った。そして、これから会社に入ってくる彼らが、今の私には想像出来ない新しい事をやれるといいな、と思った。

昔、私が就職活動をしていた時は、入社案内って「どうせ綺麗事ばかり書いてるんだろうな」って思っていた。だから、自分のページには、しっかりと「仕事はいろいろあって大変だぞ~」と書いてもらおう。

でも、最後に、小さく、「それでも、仕事は楽しいぞ!」と、書いてもらう事にしよう。

秋冬物のスーツはまだ早い

お酒を飲んで、店を出たら、土砂降りだった。

無論、傘など持ってない。しょうがないのでタクシーを見つけて乗り込む。フロントガラスに吹き付ける雨で、1メートル先すら見えない。せっかくのほろ酔いなのにブルーな気持ちになる。タクシーを降りて、コンビニで傘を買う。コンビニを出てアーケードのある我が町を歩く。すると、1分後に雨はやんだ。

「せっかく傘買ったのにな」と思いつつも、雨上がりの夜空が気持ち良い。だから、私は、深夜の散歩。いつもより空は高く、風が気持ち良い。普段いかないような道を歩き、普段いかないような神社になんて行ってみたりする。

1時間くらい散歩をしたら、酔いは覚め、おなかが減った。もう一回、飲み屋に行こうと思って、またぶらぶらする。夜3時までやってる、定食屋(飲める)で、ビールを飲みながら、食事をする。瓶ビールを頼んだのだが、お腹が一杯で、半分くらい残す。酔いも戻ったし、おなかも満足したので、家に帰ろうと思う。マスターに挨拶をして、ドアを開ける。

すると、また、土砂降り。

さっき買った傘は既に捨ててしまった。だから、土砂降りの中、私は走った。深夜2時、濡れたスーツの私。そういえば、もう一つのスーツをクリーニングに出すのを忘れていたんだっけ。

そんな訳で、今日の私のスーツは、秋冬物だ。こんな風に、その場限りの生活を送っていると、とにかくトラブル対応力が著しく低い。

さて、ご存知のように生活スタイルって、仕事のスタイルに影響を与える。だから。雨が降ったら、傘を買い、雨がやんだら散歩をし、お腹が減ったら何時でもご飯を食べる。この生活、なんとかしないとな、と(また)思った。

BLOG、あるいは、生き様について

最近、BLOGが流行ってるようだ。

「個人が自分の考えを簡単に発信できるってネットらしくて、いいな~」って思う。個人的には、日記風の奴とか好き。知らない人の日常ってなんだかとっても面白い。

ちなみに、私が好きな日記は、普通の人が普通に感じている事を普通に綴った奴と、何かお店とかを立ち上げるために孤軍奮闘するような奴。って関連性ないですね。これ。ただ、なんていうか魂がこもった文章が好き。そういう日記って、気になって、1日に2回くらいアクセスしてしまう。

そんな風に、最近、つらつらと、BLOGの日記を読んだりするのだが、時として日記を読んで、切なくなる事がある。それは、1年以上、じっくりと書かれた日記とかを読んだりした時。毎日の出来事は、小さい事なのかもしれないけれど、その積み重ねで、その人が変化したりする。そんな変化の歴史が日記になっている。そういう日記を見ると、「人生って深いな」って思う。

そして、そんな風に一生懸命何かをしてる誰かの姿は、多くの場合、私の体の底の方を「キュン」ってさせる。「俺、ここまで一生懸命やってるのか?」と私は思ってしまうから。

この気持ちって、深夜の会社で、日々ニコニコ仕事して、成績が良い同僚が、夜中に一人で、地味な作業をコツコツとやってるのを発見してしまった時のような感覚。誰が見てる訳でもないけれど、自分のポリシーに従って黙々と仕事をする人の真摯さにも似た。

無論、BLOGって誰かに見せるために書いている物だ。でも、それでもやはり、その人の姿勢とかって出てしまう。仕事がそうであるように、文章もその人を表現する。ある種のBLOGには、意図とか表現を超えた何か-多分、生き様-があると思う。

そんな訳で、私は、静かに毎日を生きる誰かのBLOGを読み、

「俺もがんばろるぞ!」という勇気を貰っている。

ガングロサラリーマンがゆく

通勤途中、「この人仕事何してるのだろう?」というくらい、真っ黒に日焼けしたサラリーマンを見る事がある。

そんな人を見ると、得てして、私は、「仕事は出来ないのだろうな」って得意の決め付けをするのだが、今日は、私自身がガングロ。ちなみに、席の前にいる福田も。二人並ぶと、仕事をあまりしなそうなサラリーマンズの出来上がりである。

先週の日曜日の事だ。9月とは思えない快晴の空の日。私は福田ら同僚と、野外ライブに行った。音楽にはあまり興味が無い私は、ビールを飲んで早速昼寝。3時間後目覚めると顔が日焼けで真っ赤。福田も真っ赤。わずか数時間の出来事。太陽恐るべし。季節外れの日焼けのヒリヒリさを感じながら、頭の中には、何故かサザンが流れる。

次の日、いつものように出勤支度。鏡の中には、赤黒い顔のサラリーマン。

どう見ても、遊んでる風、仕事しない風の野郎である。室内での仕事が多く、太陽とは無縁な生活を送っていたため、太陽への免疫がゼロだったのだろう。週末も仕事もしたのに、鏡の中の自分にはそうした勤勉さはかけらも無い。

会社に行くと、予想通りの反応。「いやらしい」。自分でもそう思う故に反論なし。仕事で宣伝も担当してるので、余計「いやらしい」感じ。「接待かい?君?」なんて架空の部長の声が聞こえる。

その日の帰り。その日も、ガングロサラリーマン(髪の毛茶色)を見かけた。が、その日の私は、その人に「この人本当に仕事何してるのだろう?」という風には思わなかった。何でもそうだが、自分がその立場にならないと、事の本質は見えないものなのだ。

それにしても、日焼けをする程度で人の印象とは変わってしまうものである。今後、大事なプレゼンの前日は、太陽や焼肉やニンニクには心して、対応しようと心に決める。

# ガングロが死語と知ったのは入稿3時間前の事なので、今回はこのままで。

ビジネス書の濫読、あるいは、仕事の師匠について

ビジネス書を手当たり次第に読んでいた時期がある。ある本を読んでも、別の本が気になる。だから、いろいろな本を買う。一時期の私は、本に関しては、本当に本当に気の多い男だった。

その時期に興味のあるテーマの本はほとんど読んだ。しかし、どの本を読んでも何か物足りない感じがしていた。もちろん一冊の本で、何かに関して全てがわかる事なんて無い。でも、ビジネス書ってこの傾向が強いように思う。

あの時、私がビジネス書に求めていた事って、今から思えば、こんな事だった。仕事のあるべき姿を教えてくれ、そこに辿りつくための方法論も教えてくれる。いま、何が上手くいっていて、何が上手くいってないのかを鋭く指摘してくれる。しかし、同時にいままでやってきた事を評価する言葉にあふれている。そんな本だ。

もちろん、そんな本には出会えなかった。でも、それはしょうがない事だと思っている。何故なら、当時の私は、「仕事の師匠」を探していたのだと思うから。今は、それがわかる。

さて、仕事の師匠がいる人は幸せだ。師匠の行為の一つ一つの意味がわからずとも(未熟なものにその達人の真意はわからないものだ)、その行動を真似る。盗む。そういう師匠を持ってる人は、きっと仕事で成功できる。その人の存在があるだけで、やりがいや仕事の意味や面白さを実感できる、そんな人を持ってる人はきっと良い仕事をする。

なお、そうした師匠を見つけるのは、運ではない。師匠って、ぼけっと職場を見ていても見つからない。師匠を見つけるのに必要なのは努力だ。仕事を本気でやって、悩んだら本を読み、また、仕事をしていく中で、やっと師匠って見つかるのだと思う。経験的に。

ビジネス書の濫読期を過ぎ、今、私には、仕事の師匠が複数いる。職場の内外を問わず沢山いる。

師匠がいることは良い事だ。ただ、師匠が「沢山」という点において、やはり私は「気の多い男」なんだな、と思う。

焼肉、あるいは、モチベーションについて

今日は本当にドタバタしている。というか今もドタバタしている。その中で、私はこのコラムを書かねばならない。でも、コラムが書けない。しかし、ネタがなくて「書けない」という状況ではない。ただ時間がないのだ。頭の中には、数回分のネタがある。多めに言えば、2回分のネタがある。

現在午後7時。今日は、このコラムの他にもやらないといけない仕事が3つある。無論それほど大きな仕事ではない。普段なら、ものの数分で終える事が出来る仕事だ。しかし、何故かとりかかれない。

理由は、今日はかなり疲れているからだ。朝から4本ものミーティングをし、広告物を作成し、新しい広告の打ち合わせをする間に、新しい企画をまとめた。って、書くと、凄い仕事をしてる人みたいだ。が、今日はなんだかそれくらい仕事をした。驚くべきは、私の業務の見積もりの甘さなのだが。

そんな中、私は、ふと思った。「焼肉が食べたい」と。夜何時になってもいい。太ろうが胃がもたれようが、いい。タレをたっぷりとつけたジューシーな焼肉をほおばりたい。無論、ビールは必須。カルビもタン塩もハラミも食べたい。冷やしトマトも食べよう。スープも飲もう。と。

で、部下の寺田(家が近所)に「今日、焼肉をたべようぜ」と提案する。彼の焼肉マインドも急上昇し、その場で焼肉が決定する。我々は俄然やる気になる。上がるモチベーション。10時の帰宅を目指して、上がる仕事の効率。

自分で自分のやる気を出せる人をセルフモチベータ―と呼ぶ。そして、そのモチベートのやり方には様々な手法がある。社会的な意義や、人生の目的といった大きな意味で自分をやる気にさせる日もある。しかし、今日の私を燃えさせるのは、そうした大きな物語ではなく、ジューシーな焼肉なのだ。

私は、こんな風に、自分に小さな報酬を与えながら仕事を頑張っている。あと数時間したら、私は焼肉を食べる。ビールを飲む。その瞬間を想い、私は、これから数時間鬼のように仕事をするのだ。

部屋を変える

今、私の部屋はとても綺麗だ。だから、部屋で寛ぐのがとても気持ちがよい。ここ数年間、こんなにクリーンな状態は無かったくらいだ。

さて、このコラムをずっと読んでくれてる方は、何があったのか?と思うだろう(というより、そう思って読んで欲しいっす)。その理由は、引越しをするからである。

先日、気が付いたら部屋の更新日の数週間前だったのだ。そろそろ引越しをしようと思っていたので、慌てて、引越しの準備。リミットまで1ヶ月。もし見つからなかったら、暫く同僚福田の家にお邪魔しようなどと思っていた。すると、危険を察知したのか、その福田が散歩の途中に、素敵な部屋を見つけくれた。ネットビジネスをしている我々なのだが、その実アナログ。

管理会社に電話をし、その日に部屋を見せてもらう、素敵な部屋だ。時間が無いので、その場で即決をしようと思っていたのだが、やはりなかなか難しい。会社に帰って上司、同僚を問わず相談をすると、「もし気に入らなかったらまた引っ越せばいいじゃん」という上司の一言によって、私の腹は決まった。家探しを開始してから、1週間での決着。素晴らしい。部屋が決まった瞬間、新しい生活の事ばかり浮かぶ。インテリア、部屋に飾る絵の事、等等。

ところで、今回の事で学んだ事が2つある。1つは、外部の情報に出きるだけ接しておいたほうが良いということだ。部屋を探そうとしても、どんな部屋が空いているのか?どの程度の家賃なのか?等の情報が無いと考えられない。

でも、情報だけでは駄目。自分の理想も必要。が、自分の理想ばかりでもいけない。情報と自分の理想をしっかりと把握をして、その双方が満足する瞬間をしっかりと掴む勇気が必要なんじゃないか、って思う。

なお、これは、部屋探しだけじゃなくて、服でもそうだし、食べ物でもそうだ。小さい所でいったら、毎日使う文房具だってそうだと思う。そして、無論、仕事も。転職サイトの運営をしているからかもしれないけれど、部屋探しよりも、仕事探しの方が「すぐに辞める」事が出来ない点で、重要な選択だと思う。

そんな訳で、今、引越しに備えて、部屋の掃除をしている。暫くぶりに本気で掃除をしたら、今いる部屋も結構快適という事に気が付いた。

部屋を出ようと思ったら、愛着が増すだなんて。なんだ。今の部屋だって気持ちのよい生活は全然送れたんだ。ただ、そうしなかっただけなんだ、って。

部屋探しは、恋人との関係にも似ている。もう一つ、私はこの事も学んだ。

専門家の腕と素人の心

私は、ピュアな女性が好きだ。

モジモジした女性(ヒト)とか、自分の言いたい事をちゃんと言えない女性とか、雪が降ると両手を口元で「ハー」ってする女性とか、嬉しい事があると、人影に隠れてちょっと泣いてしまうような女性が好きである。って、これらの要素が「ピュア」なのかどうかは異論があるだろうが、私はそうだと思っているのだから、しょうがない。

さて、ピュアといえば思い出す話がある。結構モテモテで対男性スキルが異常に高い友人の話をだ。友人は、別にプロではない。が、意中の相手を落とす事にかけて、自分はプロ級だという認識がある女性だった。確かに、いつも彼氏がいたし、男性陣には人気があった。そんな友人がある日、言ったのだ、「ピュアさには勝てない」と。要は、意中の人を取られたのだ。ピュアな人に。

ところで、何故こんな事を思い出したかというと、仕事でも「ピュアさ」って大切だな~と思ったからである。現在私は、仕事のある部分においては、プロである。結構いろいろ知ってるし、やっている。ある部分では、結構専門的なことをしている。外部の人と話をすれば、専門用語ばかりだし、頭の中には成功のための方法論が入っている、と思っている。

でも。最近恐怖するのだ。これって単に専門バカになってるんじゃないか?と。専門家だから、仕事ができる訳じゃないし、業界用語を沢山知ってるからって成果を上げられる訳ではないぞ、って。本当に大切な事は、そうした専門家的なところじゃない所にあるんじゃないかって。

そして、想う。始めてこの仕事をした時の緊張と初めてその仕事をする時の楽しさを忘れないようにしよう、と。そんな風に思っていたので、スキル満載の女友達の話をふと思い出したのだ。

そういえば、友人は、こう呟いてもいた。

「私にもピュアな時期があったのよね。でも、最近はそういう気持ち忘れちゃった。相手に何を言ったら相手がぐっとくるのかとかそういう方法は沢山覚えたのにね」 と。専門家と素人の戦いにおいて、素人が勝つことは少ない。しかし、素人の本気は、時として専門家を負かす事があるのだ。そんな訳で、私は、専門家の腕と素人の心を持った人になりたいな、と思うのだった。

ジャックと私、あるいは、忙しさについて

『24』を見始めた。完全に世の中から取り残されている私が見るくらいなので、ほとんどの人が知っているドラマだろう。この『24』は、アメリカを始め、中南米や台湾等世界14カ国で大ヒットを飛ばした(サイト情報そのまま)TVシリーズであり、「引越しもしなきゃいけないこの忙しい時期に俺の時間とるな~!」と怒りたくなる面白いドラマである。すんごい、先が気になる。

さて、私は、今「この忙しいのに」と言った。が、その実、このドラマの主人公であるジャックの忙しさを見ると、「あ、俺なんて暇なんだ」って思う。ジャックは、携帯電話で、仕事と家庭の両方を上手にヤリクリしてる。すんごい(国家規模)大変な仕事と果敢に(1人狼的に)戦っているのだから。

まあ、このジャックに限らず、このドラマの登場人物は、皆、とにかく忙しい。彼らの忙しさを思うと、私の毎日なぞ、深い森の中の静かな湖に、ゆったりとボートを浮かべ昼寝をしているようなものだ。

そう。忙しさなんて、相対的なのだ。自分では「忙しいな~」って思っていても、もっと忙しい人はいるのだ。だって、どんなに多忙って言ったって、24的な演出で、私の日常を切り取ったって、会社でPC打ってるか、電話してるか、上司に怒られてるかだもん。

無論、国家規模の犯罪と戦うジャックと会社員の私では、仕事の質が違うといえば、それまでだ。しかし、この日本の会社においたって、私よりも全然忙しい人は沢山いる。だから、自分のちっぽけな基準で、自分を忙しいとか思うのはよそうって、私は、今、思っている。

だって、実際。忙しいと思っている今でも、やれる事は、まだまだ沢山あるのだから。

ステーショナリーとモチベーションについて

小粋なステーショナリーが気になる。

ついこの間までは、「ボールペンなんて書ければいいや」って思っていたし、ノートだって「記録を残せればいいや」って思っていた。机だって、 「あればいい」って思っていた私がである。ほんと、人生、何が起きるかわからない。

気が付くと文房具屋さんのサイトを覗いては、「あ、このファイリングシステム使いやすそう」とか、「いいな~このノートのデザイン」なんて1人ニヤニヤしている。隣の部下からみたら、「女子高生系のアダルトサイト」あたりを覗いてると思われてるに違いない。しかし、無論そんなものは会社では見ない。ただ、私は日々使う、文具を見てるだけなのだ。

そんな訳で、少しづつではあるが、身の周りに好きな道具が増えてきている。そうすると面白いもので、嫌いなものは身の回りに置きたくなくなるのである。部屋全体が汚れていると、汚れは気にならないが、凄い清潔な部屋にゴミが一つでも落ちていると気になるようなものなのだろう。

そして、自分が好きなものに囲まれていると気分が良いので、もっといろいろなものが欲しくなる。購入するものは基本的に好きなものだけなので買い物も気持ちが良い。さらに、そんな風に好きな物が多くなると、デスクワークが楽しくなる。そして、気持ち良い環境で仕事を進めると生産性も高い。また、探し物をする時間もなかったりして、仕事が順調になる事がわかった。

ビジネス書を読むと、「やりがい創造」とか「セルフモチベート」とかいろいろな言葉が出てくるけれど、こうした小さい事が仕事をしていく中では大事な事のように思う。

さて。そろそろ請求書を清算する時期。大嫌いなこの仕事を好きになるためにも、明日はお気に入りの電卓をみつけに街に出かけよう。

椅子、あるいは、価値について

会社用に椅子を買った。

10万円以上するハーマンミラーの椅子。自腹。同僚のフクダ(プロデューサー)が1年以上前に購入したものと同じモデルである。

以前、フクダが椅子を購入した時は、「馬鹿だなフクダ」って思ってみていた。が、彼は、いつも、「この椅子を買ってよかった」と言っている。ずっと「どうせ、馬鹿な買い物をしたことを自分に納得させてるのだろう」と思っていたのだが、ここまで言うところを見ると、そうではないようだ。本気でそう思っているようである。

だから。そんなに良いものなのか?と思って、私もいろいろ考えてみた。

そうすると、確かに椅子への投資は、良い投資という事がわかった。まず、毎日座るものである。そして、接触時間が長い。長期的に見たら、パンツより長い。何故ならパンツは、はき変える。

良い椅子に座って仕事をして、生産性が上がるなら、投資効果は高い。また、疲れにくい椅子なら、体にも良い。コスト計算してみると、2年使った場合は、「1日コーヒー一杯の値段」で、良い椅子に座れる計算になる。私はフクダの先見性に恐れをなし、彼に追随する事にしたのだ。

そして、今、私は、その椅子に座っているのだが、これが、実に良い。自分にとっての価値ってやはりしっかり考えていかないと分からないものだな、って思う。

今必要なものが何なのかを考える事。それが購入しなければならないなら、お金をかける事に億劫にならない事。今、自分に何が必要で、何が大事なのかを見極める事。私は、このすわり心地の良い椅子で仕事をしながら、そんな事をじっくりと考えている。仕事もそういうもんだよな、って思いながら。

それにしても、同僚フクダ。良い買い物をする男である。

乱雑な机、あるいは、ありたい自分について

新しい部屋に引越しをした。新しい生活である。あまりの広さに部屋に来た知人数名に、「誰かと住んでるの?」と聞かれる。「広い部屋に1人で住んで何が悪いんだ!」と急に急に性格が悪くなる私。私はできれば良い人でいたい。だから、こうした事は聞かないで欲しい。どうせ、私は1人だ(涙)。

ところで、新しい部屋の住み心地はすこぶる良い。何が良いって、非常に綺麗である。無論、引越しをしてからまだ2週間程度という事もある。でも、それより重要なのは、引越しの際にいろいろなゴミを一気に捨て去った事だ。

なんで持ってるのか分からない様々な物体。使わないペアカップ。書けなくなった無数のペン。壊れた照明。音の出ないCDプレイヤー。過去の夢と想い(これは嘘)。そして、そんな無数の物体を捨て去って思った。俺の部屋にあったのって、ほとんどが要らないものだった、と。

私は、忙しさを理由に、要らないものと住んでいたのだ。何時か使うかもという先延ばしを理由に、私は捨てるという意思決定をせずにいた。そして、そんなカオスの中で、私は、必要なものを紛失し、探し物に時間を取られ、女の子を部屋に呼ぶチャンス(最低2回)を失っていた。

新しい、何もない部屋で、私は自分の歴史に反省している。これからは、しっかりと自分に必要なものが、必要な時にちゃんと取り出せる部屋にしようと強く思っている。定期的にしっかりと掃除をしようと。友達を部屋に呼ぼうと。毎回ゴミを捨てようと!ってゴミ捨てるのは当たり前だけど。

そんな夜を過ごし、朝、会社に来る。すると、以前の部屋のように乱雑な机。うん。次はこの机と対峙しよう。そして不要なものを退治しよう。自分がどんなスタイルで、どんな気持ちで仕事をしていきたいのか、そんな事をしっかりと考えていこう。

そんな訳で、今、私は整理と整頓にとっても飢えている。机の中を整理しよう。タスクも整理しよう。要らない書類はすぐ捨てよう!今の私の合言葉は、

「さらば、乱雑」。良い仕事は、整理された場所から生まれるはずなのだ。

オーダースーツを作ってみる

高校生の頃はお洒落だった。と自負している。

でも、最近は全然だめである。知ってるトレンドなんて80年代のもの。ブランドなんて勿論、全然知らない。という事で、今、私は着実にオヤジ化している。好ましくないけれどもそういうものだ。多分。

さて。そんな私だが、今年の冬のスーツは、オーダーで作ってみる事にした。といっても別にそれほど高くない。恐らくデパートで購入するより安いくらいだ。という訳で、ある日、郊外にある某スーツ屋さんに乗り込んだ。

元々スーツを2着つくろうと思っていた私。しかし、オーダースーツは初めて。だから、店長(店長1人のお店)に「良いスーツを1着つくった方が良いですか?それともリーズナブルなので2着作った方が良いですか?」と質問してみた。

すると、店主は、きっぱり言った。「今日は、リーズナブルなものを1着だけつくりましょう。実際に気に入ったら、もっと改善をして、もう1着をつくりましょう」と。素晴らしい。良心的。ハートと自信を感じる。

「この人は良い人だ!」ってすっかりいい気になった私は、早速オーダー開始。生地を選び、スーツの形を選び、ボタンの形を選び、ポケットの形を選ぶ。パンツの形を選び、ベルトの位置を決める。そして、肩の処理をどのようにするのか?あるいは、Vゾーンの広さをどうしていくのか?を決める。

そうして行くと、店主の手元に私のサイズと好みを記したデータが残る。今後、これに私の様々なデータを加えていく事で、このお店と私だけのスーツが出来上がる。今回の1着をきっかけに私はここで何着もスーツを作っていくのだろうって予感した。

そして、こんな風に長くお客さんと付き合っていこうとするこのお店をとっても気に入っている自分に気がついた。会話を重ね、信頼を築く。そして、店主もお客さんも双方が満足の行くスーツが、毎回出来上がっていく。こういうお店っていいなって思った。そして、自分の仕事も、「こうありたい」と強く思ったのだ。

クリスマスのちょっと前にスーツが出来る。仕上がりがとても楽しみだ。

コミュニケーションと思いやり、あるいは、カラアゲ

私は、いまでも、某超大手企業の営業部長が就任したときの挨拶の電話を覚えている。そのアメリカ人は、自社のPRを数分に亘って語った後、こう言って電話をきった。

「だから、弊社は、貴社の役に全然たてません!!!」

と。これほどインパクトのある電話はあっただろうか?私は、その電話を切った後、3分間動けなかった。おそらく否定疑問文の日本語訳のミスなのだろう。無論、単なるいい間違えだ。私には、その部長が言いたかった事がわかる。だから、彼の会社ともいまでも付き合いがある。というより、逆に覚えてしまったから、取引が始まったくらいだ。

私は思うのだ。コミュニケーションに大切なのは、ある意味、こうした思いやりなのではないかと。思いやりがあれば、こうしたミスがあってもなんとかリカバーできるし、そもそも齟齬が起きる可能性も小さくできるはずだと。

つい先日もこんな事があった。中華料理屋でカラアゲを頼んだあの日。しかし、出てきたのは山盛りの「キクラゲ」だった。

「カラアゲとキクラゲね。なるほど。まあ、間違えてもしょうがないな」

私は1人、深夜の中華料理屋でキクラゲを食べた。山盛りのキクラゲを1人で。このコミュニケーションミスによって、私が、当初予定していた、「カラアゲ半分でビール。後半分でご飯」というプランは崩れた。なぜなら、キクラゲを3分の1ほど食べた私は知っているから。キクラゲだけでは、ご飯が食べられないことを。キクラゲが、全くご飯のおかずにならない事を。

そして、思った。やっぱコミュニケ-ションで大切なのは、思いやりだよなって。だって、1人でお店に入ってきて、キクラゲを食べる人ってあまりいないじゃないですか。その瞬間、思いやって欲しかったのだ。「この人、疲れてて、“カラアゲ"って上手に発音できなかったんではないか?」って。

しかし、その日、私は、あたかもキクラゲ大好き人間のように、キクラゲをたべ続けた。これも、一つの思いやりの姿。だから、私は、そんな自分へのご褒美に、再度「カラアゲ」を注文した。無論、はっきりとした発音で。

年末病と加点評価

どうも最近調子がわるい。

ここ数年、年末は毎年こうである。「あれやってない」とか、「あ~これだけしかできなかかった」とか、そんな事ばかり思っている。1年というのは始まりは楽しみなのだが、振り返ってみると、想像以上に出来る事は少ない。だから、1年の終りって、私は妙に悲しい。

そんな訳で、ここ数日こんな状況にある。いわば、年末病。世間が盛り上がってる中なのだが、どうも祭り気分にならない。無論、クリスマスの過ごし方とか別の問題もあるのだろうけれど、それだけじゃないように感じる。この病気の原因は、ある種の後悔なのだと思う。でも。全然心配は無い。私のこの持病は年が明けるとともに全快するから。やりたい事をリストアップしだす頃には、そんな病気をした事も忘れているのだから。この自然治癒力のために、副作用で、毎年年末こうなってるのだけれど。

ただ、今年は、ちょっと病気の直し方を変えようと思う。それほどの事が出来なかったとしても、やれた事を褒めようと思うのだ。1年は短いが、ある視点から見ると長い。その長い間、記憶を振り返ってみれば、私はいろいろやってきた。沢山の失敗とちょっとした成功を経験しながら。

だから、2005年という年をもっともっと豊かな年にするために、加点評価で今年を振り返ってみようと思うのだ。誰かからの評価ではなく、自分の評価軸を明確にしながら、行動を振り返ってみよう、と。

さて、あなたの今年はどんな年でしたか?年の終りの最後に、是非自分で自分を褒める瞬間を作ってみてください。その小さい評価は、きっと来年のあなたの力になるはず!

1年の計は元旦にある

と私は思わない。もし、そうだとするなら、2005年もあまり良い年にはならないから。新しい手帳の1月1日に書かれた「ただただ、寝た」という言葉を見るとそう思う。

今年は例年に比べて、手帳関連の本が多く出版された。イメージでいうと、「1冊の手帳で夢を実現する」とか「手帳で人生が変わる」とかそんな本。

年末年始に、そうした本を数冊読んだのだが、基本的にかかれている事は同じだった。まず、ゴールを決める事。そして、手帳を使って、そのゴールまでのプロセスをマネジメントする事。毎日のタスクをゴールの実現のために行う。そんな事だ。

年末。その気になりやすい私は、無論、このゴール設定にトライした。しかし。このゴールを決める事がとても難しい。会社の事業計画やミッション作成も非常に大変な仕事なのだが、1人でこれを行うのはとても大変な作業である。

年末の時間はどんどんなくなり、いよいよ大晦日。「2005年の計画だから、2005年に立てるべきだ」と都合の良い言い訳を立てて、正月にじっくりとこの作業をする事にしたのだ。無論、そのためのスケジュールも予定には書き込んで。が、冒頭で述べたように、期せずしての寝正月。いきなり予定を破ってしまった。

だから、「1年の計は元旦にある」と私は思いたくない。始まったとたんに負け確定。そんな年は嫌だ。2005年を私は、手帳ページを開くたびに、希望が湧く、今年は、そんな1年にしたいと思う。

2005年のゴールはまだ決まってない。だから、私の2005年は、まだ始まってすらないのである。

買えないソケット

新しいベットルームの照明を購入した。柔らかい灯りの照明。同僚福田は、 「お前何たくらんでんだ」というが、無論、それは内緒だ。しかし、そんなたくらみが災いしたのか、購入した照明は、私の部屋で使えない奴だった。返品を考えた。が、「照明にソケット(というのだろうか?)を加えれば、使える」という事を知り、いざ街へ。近所の電気屋さんにソケットを探しにいった。しかし、ソケットは無い。次のお店。また無い。聞き込みで得られた情報から、私が探しているソケットはかなり特殊なものという事がわかる。

が、あるお店で私はそのソケットを発見した。なんとまさにそのお店の天井にそのソケットが7つもあるのだ。しかも、使ってない!だから、私は言った!

「まさにあれです。あれを下さい!!!」と。

にも関わらず、電気屋さんのオヤジは、こういったのだ。「値段がわからないから、駄目」と。私は「それでも商売人か~」と思いながらも、そのお店を出る。

世の中に求める製品が存在することがわかった私は、その足で、新宿へ。そして、再度、お店さんをめぐる。2軒目、無い。3軒目、静かに首を振られる。4軒目、5軒目、、、空が暗くなる頃、私の耳には、静かに「太陽に吼えろ」の「聞き込み時に流れる曲」がループする。

そして。夜7時を過ぎ、さすがの私も半分あきらめかけた時、あるお店の店員さんが、こういった。

「あ、ちょっと待ってください。この前、お店で使った奴の残りがあったはずです!」と。そしてその店員さんは、5分ほど、倉庫を探し、戻ってきた。あのソケットが握り締めながら。

そのソケットを見て、私の顔は1000ワットくらいに明るくなった。そのソケットのために、1日歩いたのだ。わずか、300円くらいのソケットだったが、その店員さんに私は心から感謝し、何度も何度もお礼を言った。

私が、お店を出た時「なんか嬉しいよな。こういう事あると。いい仕事したって思えるよな」という店員さんの声が聞こえてきた。ソケットは、部屋を照らす前に、私達のハートを明るくした。

いい仕事は、お客さんだけじゃなく、サービスの提供側も明るくする。

思春期の恐怖、積み重ねる事、そしてエスパー

忙しいと、ふと昔のことを思い出す。

今日は、「中学生の頃って、周囲の人に自分の考えが全部伝わってると思い込んでた」事を思い出した。

注意力散漫で、授業中でも、テスト中でも、暇さえあれば、隣りの生徒にちょっかいを出していた私だが、この妄想に囚われたときは、なんだか知らないが、眼の絵ばかり書いていた。だから、先生から電話がかかってきていたりした。おそらく「お宅のお子さん、変なんです」みたいな電話だったのだろうと想像する。まあ、それには今でも反論は、無いのだけど。

これって、今から考えれば、他者視線恐怖症みたいな立派な病気だ。でも、親は、「もともと変な子」というあきらめと「って、意外に眼を書くの上手」なんていう楽天的な思考で、大して問題にしていなかったようだ。ここら辺は我が親ながら素晴らしい。

といっても、ある時期から、その病気は収まった。原因はわからないのだけど。しかし、今後は、その代わりに「なんで周囲の人は俺のことをわかってくれないのだ!」なんていう全く逆の怒りが出た。単なる反抗期なのかもしれないが、私の中ではこうした変遷があったのだ。

無論、この時期も通りすぎ、気が付いたら今の私になってるのだけど、今は、

「人に自分の事をなかなかわかってもらえない。でも、見てる人は見てる」なんていう上の2つを統合した考えになった。だから、仕事はちゃんとするし、誰もいないところでも、出来るだけ良いことをしようと思う。

誰かにとっての私は、眼に見える行動や、言動、そして、仕事の積み重ねなのだから。それは、私にとっての誰かがそうなように。

って書いて思ったのだが、同僚達は、私が考えている事を大抵当てる。もしかすると、うちの会社は、エスパー率が高いのかもしれないが、「つーか、お前程わかりやすい奴はいない」というメールを予測できる私もエスパー的である。

レスポンス、あるいは、仕事について

忙しいと、ふと昔のことを思い出す。

私は、自分が何かをした事に対して「何のレスポンスもない」事が苦手。

良いなら良い。悪いなら悪い。つまらないならつまらない。わがままかもしれないが、そうした反応を私は強く求める人間である。そんな淋しがりやな私は、今、新サイトのプロモーションの仕事に忙しい。個人的な冗談等に反応が無いのは私のせいだが、この仕事で反応が無いと上司にこっぴどく怒られるだろう。それゆえ、私は懸命。

新サイトは、正社員登用を前提としたアルバイト情報のみを掲載する求人サイトだ。正社員になりたいフリーターの方が多数いると聞き、このサイトの開発を開始した。だから、ここのところ調査のために、フリーターを巡る状況と正社員とアルバイターの生涯年収の格差とかフリーター問題みたいな本ばかり読んでいる。

政府も「フリーター問題」みたいな感じで、この問題に取り組んでいるが、私には、もっと身近なところで、フリーター問題がある。私の弟がフリーターなのだ。20歳後半になる弟は、現在就職活動中である。そして、彼は、その事でとても悩んでいる。

私は彼が大好きである。頭の回転も速いし、コミュニケーション能力だって高いと思っている。しかし、その彼が持っている能力は、今、何かの成果という形にする場所がない。彼の苛立ちは、話をすれば痛い程わかる。持って行き所の無いパワーをもてあましているような感じ。私はその事だけで悲しい。自分がこうした仕事をしていても、何の助けにもならない事も。

そういえば、「今日が明日に繋がってないような不安」とそんな心境を表現したフリーの友人がいた。

自分が今日1日何かをして、それに対するレスポンスがある。そして、それが次に繋がっている状況。今日の行動が、明日に向かっている状況。そんな時、私は希望を感じる。しかし、そうしたレスポンスが無い時は、とても辛い。一方で、仕事は、良くも悪くも、このレスポンスの集合体だ。感謝や、評価や、クレームや、ねぎらいといった。私は、このレスポンスを求めて日々仕事をしているのだと思う。

新しいサイトには、『[en]本気のアルバイト』という名前を付けた。このサイトがきっかけとなり、仕事を探す人に、良い仕事との出会いを提供したいと思う。弟が本気で打ち込める仕事に出会えるサイトを作っていきたい。

だから、健司。就職活動めげずに頑張ってください(って読んでないかな)。

時の流れ、あるいは、キャリアについて

『時は流れない、ただ積み重なるだけだ』なんてコピーがあったように思う。ウイスキーが似合いそうな素敵なコピーである。しかし、今日の私には、時は積み重なるのではなく、流れるものとしか思えなかった。

まずは、朝インターネットで見かけた保険の広告。それは、年齢別のケーススタディー的に適した保険を紹介するものだ。その中に、私の目を覚ます記述があったのだ。

「男性30歳。結婚3年目。3ヶ月後に子供が生まれる」

何てことの無い文章である。しかし、私はあまりにも無意識にその文章に接してしまったため、普段なら絶対に驚かないポイントで驚愕したのだ。

「えっ?30歳で結婚3年目が普通なの?うそ、子供も出来るの?」と。

「人生マイペース。起きる事は起きるべくして起きる。逆もまた真なり」を人生哲学としている私にとって、この「出遅れてる感」自体が驚きだった。

そして、その数時間後、時は1瞬で流れた。それは、久しぶりの高校時代の友人からのメール。その文末の1行で。

追伸;そろそろ二人目が生まれます。男の子。また、名前考えておいてね。

ついこの間、私が名づけ親になった1人目が生まれたと思ったら、知らぬ間に二人目。しかも、来週には生まれるというのだ。「おい!教えろよ!」という気持ちより強く私は思ったものだ。『俺の時は積み重なってない』と。

私は、時という激流に翻弄されながら、懸命にもがいていた。しかし、その懸命さは積み重なっているものだと思っていた。でも、私は、ただ、反復横飛びをしているだけなのかもしれない。

なお、コラムジョブだから、言う訳じゃないけれど、キャリアとかもきっと、積み重なるものと、流れるだけのものがあるのだと思う。こう考えると、結構怖い。だから、今日は、ゆっくりウイスキーでも飲みながらこれについて考えてみようと思う。

夜の居酒屋で交わされる会話について

最近、お酒ばかり飲んでいる。

その理由として、30歳を過ぎて急に淋しがり屋になったという事が、80%程度。残りの20%は、近所に素敵なお店を発見してしまったからだ。

夜中2時くらいまでやってる飲み屋が、私の家の徒歩3分以内に10軒以上ある。毎日店を変えても問題がないくらいだ。困ったものだ。

お店は、数回いくと顔なじみになる(私は人懐っこい)。そして、お店の馴染みのお客さんと会話をする。そうするとそこにある種の繋がりが生まれる。

その繋がりには、年下の人も、年上の人もいる。フリーターの人もいれば、引退した経営者の人もいる。予備校の先生をやっていた人もいれば、今まさに予備校生もいる。ほとんどの人が眠っている時間に、街のある場所には、様々な人が、様々な想いを持って、集っている。

私はそこでは、単なるサラリーマンとなる。私の会社の事も、どんな仕事をしているのかも誰も知らない。ただ、世の中で起きている事件とか、最近読んだ本とか、好きな映画とかについて、お酒を飲みながら話す。

そうした会話から私は具体的な何かを学んでいる訳ではない。しかし、引退した経営者の人の言葉や、大学受験を成功させようと仕事をしていた時の事を語る元予備校の先生(私が教えてもらった先生の事も知っていたりする)がどんな気持ちで仕事をしていたのか?という話や、腕一本で食べている25歳の技術者の呟きから、私は、職場では感じる事のできない何かを感じる。

最近お酒ばかりを飲んでいる。でも、アルコールよりも多くの何かを吸収しているように思っている。そのせいだろうか?最近私は自分の話をするよりも、誰かの話を聞く事が多くなった。

酒場での話題の多くは、誰かの仕事に関する話題が多い。そして、私はそうした話が大好きなのだ。多分、お酒そのものより。

「さおだけ屋」はなぜ潰れないか?

『「さおだけ屋」はなぜ潰れないか?』(光文社新書)という本を読んだ。

この本は、会計のことを扱った本。会計の本というと、通常は、数式とかが沢山でてくるのだが(これが私は苦手だ)、この本は身近なテーマや話題を取り上げ、会計の面白さや深さを伝えてくれる良書である。

しかし、この『「さおだけ屋」はなぜ潰れないか?』、という題名は凄いと思う。私は、この本の内容が何であれ、この本を手にとっていたはずだ。何故なら、この本で、小学生の頃からの疑問の1つが、解決したからである。

以前は、「さおだけ屋」は、「さおダケ」取り扱うという非常に高度な、選択と集中をしているから成り立ってるのだろうか?!なんて思っていた私。小学生からの疑問に大人になってからの知識を無理やり加えて問題を解決した気になっていたのだ。

しかし、この本を読んで知った。「さおだけ屋」さんが、ビジネスを行えてるのは、「選択と集中」だからではなく(無論もしかしたらあるのかもしれないが)もっともっと別の理由がある事を。私は、自分の後知恵の浅はかさを少し、恥ずかしく思った。それに比べ、著者の謎に対する姿勢のまっつすぐな事。私は、謎の解明は適当に行わずに、今後しっかり徹底的にやっていこうと決意したものだ。

このコーナーは、本の紹介をする場所ではない(つーか、そもそもコラムのコーナーだ)。けれども、この1冊の扱った話題があまりにも私好みで、かつ、作られ方がとってもコラムジョブ的なので(全ての話題は、会計に通じる、的に)思わず紹介したくなったのだ。

気になった方は、是非、書店やアマゾンでチェックしていただきたい。いや、ほんと面白い本だ。この本。うん。

ソーシャルネットワークと職場、そして宇宙の孤独

わーー!!!!
GREEとかmixiとかを見てたら2時間も経ってしまった!!!

「へーこの人の友達とこの人の友達って近いんだ!」とか「可愛い人沢山いるな~、あ!やっぱ既婚(涙)」とか、「こういうサイトで知り合ったりして、付き合ったり結婚したりする人も結構いるんだろうな~いいな~」なんてぼけっとしてたり、ニヤニヤしてたらあっと言う間の120分。コラム書かなきゃいけないのに完全な現実逃避だな、これ。

でも。面白い。こういうサイト。何故って、世界が人と人の繋がりで出来てるって事が明示されてるから。仕事関係で会う人の意外な側面が(覗き見だけど)見えたり、友達の友達が皆友達で、驚いたり(私の友達じゃないが)。

ところで、私が所属する会社、エン・ジャパンは、「人と人の縁(en)や人と仕事との縁(en)を大事にしよう!」というところから名づけた社名である。だから、「あ~うちこそこういうサービスやったらよかったのに~」なんて思う事もしばしばある。無論私にそんなパワーはないけれど。

だからなのかもしれないけれど、こういうサイトを見てると「面白い」って思うと同時に、そうは言っても職場って凄いな、って思う。ソーシャルネットワーク(以下SSN)のグループで会社繋がりが多いように、インターネットというインフラじゃなくて、職場というリアルな繋がりと、仕事時間というリアルな時間に同じ空間にいるという事実はとてもとても大きい。

そう、きっと。人は、SSNで人と出会うより強く、しかし、日常的に職場で人と出会い、繋がり、そしていつかは別れているんだ。時に仕事を超えた友情を結び、時に恋人と出会い、時に誰かと敵対し、それでも、ふとした弾みに距離が近づいたり。私達は、日々、職場でそんな風に繋がっているのだ。

そういう風に思って職場を見渡すと、世界の中心で愛を叫ぶ(古いが)的に見えた個人という存在が先にあるのではなく、誰かと誰かの繋がりが先にあって、その蝶番として人がいる、そんなイメージを持つ。そして、そのイメージは、先に個人があるという世界よりも私を少しホットさせる。

谷川俊太郎の詩の中に、「二十億光年の孤独に僕は思わずくしゃみをした」という大好きな一節がある。だが、そんな人との繋がりを思う時。私は、その孤独に微笑みを返そう、そんな風な気持ちになる。

って、自分で書いていて何がなんだかわからなくなってきたのだが、言いたい事は、人と人の繋がりって面白くて、それがあるから、職場も仕事も素敵なんだ!という事。そう、仕事の成果って商品とか売上げという面もあるけれど、誰かとのかけがいのない記憶や経験なんじゃないか、って思うのだ。

ドラゴン桜

最近予備校の広告が目につくな。と思ったら受験シーズンだった。

この受験って奴は、学校を卒業して十年以上たってるのに、まだ、私の記憶の中で、アクティブな存在である。今でも、入試の問題が全然わからない!(実際そうだったが)とか卒業が出来ない!(実際5年いったが)という夢を見るくらいなのだから。

ところで、最近モーニングで連載している『ドラゴン桜』という東大入試漫画がとても面白い。ここには、受験は、「選択と集中」であり、「限定された時間内にどのように競合(他の生徒)より優位になるか?という戦略立案の方法論である」という事が描かれている(と私は思う)。そして、ここにかかれている内容はそのまま実践したら、ある程度の大学には受かることが出来る内容だと思う。

しかし、それ以上にここにかかれてるのは、仕事論でもあると思っている。時間管理の方法、メンタルな面のマネジメント方法。ゴールに到達するための効率化の方法論、等等。おそらく要領の良い人が自然に行ってる受験勉強の方法がここには描かれている。そして、面白いのが、効率化をしようとしている主人公達(二人いて、元々劣等性)が、結果的に他の受験生以上の努力をし始める点だ。受験であれ、誰かが何かに打ち込む事自体は美しい。

そんな風に思っていたら、この著者は、ビッグコミックスペリオールで『マネーの拳』という経営者を主人公にした漫画を始めた。著者にとっては、恐らく、東大受験も経営も、誰かが一心腐乱に何かに打ち込む姿を描くための素材に過ぎないのだと思う。

そう考えると、普通のサラリーマンがただただ仕事に打ち込む漫画というもあっても良いはずなのだが、残念ながらそうした漫画を私は知らない。あれよあれよという間に取締役になってしまうシンデレラストーリはあっても、私達が過ごしているような「そこにある日常」をドラマティックに写し取った漫画がない。私達の日々は、受験やスポーツと同じようにドラマティックなのにだ。

って、大学の話だったのに、漫画の話ばかりになってしまった。実際、学生の頃より漫画を沢山読んでいるので、それはしょうがないか。それにしても、サラリーマンが漫画しか読まないという指摘、最近の私にぴったりの言葉だ。

受験の時は、本ばかり読んでいたのだが・・・・。

一杯のコーヒーから

ここに一杯のコーヒーが在る。

うちの会社では、常に温かいコーヒーが飲める。ちゃんと粉から落とした良い香りのするコーヒーをだ。毎日飲んでるが、飽きない味。

さて。このコーヒーは、自動的に作られるものではない。担当をしてくれてる人が、作ってくれたものだ。毎朝コーヒーを作ってくれているものだ。そして、日中でも、コーヒーが無くなると、その都度、新しいコーヒーをいれてくれる。私の会社では、コーヒーの香りとともに仕事が始まる。

そして、当たり前だが、このコーヒーを作るには、豆(粉?)が必要である。だから、この豆の在庫を定期的にチェックし、在庫が少なくなった場合は、補充をしてくれている会社がある。そして、その会社には、うちの会社を担当してくれてる人がいる。私はその人を知らないが、いつもそのように仕事をしてくれてる。だから、私は今、こうしてコーヒーを飲めている。

なお、その豆は、ブラジルとかで栽培されている(ように思う)。私の想像を越える時間と手間をかけてその豆はつくられている。広い広いコーヒー農園で、太陽の光を浴びて、その豆は作られている。

コーヒー農場の大地に植えられた1つのコーヒーの種。それが、私の机の上に、一杯のコーヒーとして置かれる迄に、一体どれほどの人の手間と時間がかかっているのだろうか?その時間と過程は、きっと。凄い長いドキュメンタリー番組が作れる程のものだと思う。

私は、仕事の過程で、サービスを成り立つためには、自分自身も含めた沢山の人の努力と汗が必要だという事を知っている。だからこそ、今、あらゆる物が、どこかの誰かによって作られている事を想像する事が出来るようになった。こうしたことは中学生や小学生レベルの社会科の知識かもしれない。でも、今は、それを知識としてでなく、経験として理解できるようになった。

先日読んだ『よりみち、パン!セ』というシリーズは、私にこんなことを考えるきっかけをくれた。そんな訳で、私は、この素敵なシリーズを編集された方に、感謝しつつ、温かいコーヒーを美味しく飲む。日常はとても広く。コーヒーは美味しい。

そして、人と人をつなぐ仕事は、やっぱり凄い。

H画像の誘惑、あるいはスキルの無駄遣い

一体、どこまで書いて良いものなのか?

1人の社会人として。いや、1人の男として。この件をどこまで書いてよいのか、私はこのメルマガの配信数時間前となった今でも悩んでいる。しかし、私の経験を共有する事は、きっと社会的にも意味のあることだと思い、勇気を出して、私はキーボードを打つ。そう。あれは、9日前の出来事だった。

ネットの会社という事もあり、私の会社には、多数のスパムが届く。普段は無視しているのだが、その日送付されてきたHなメールは、何故か私の興味を引いた(って好きなアイドルのH画像だった)。仕事に集中していた私が、どうしてそういう事になったのか今もって不明だ(嘘であるそのH画像が見たかった)「クリックしたい」という誘惑に負けたある朝(業務時間)。

私は食い入るように、ブラウザを見る。しかし、そこにあらわれたのは、求める画像ではなく、『登録ありがとうございました』という宣言。そして、料金の支払い請求@40000円(無論詐欺)。いや、それだけならよい。その下には、「あなたがアクセスしたのは、このメールアドレスです」と私が会社からアクセスした事実を完全、IT的に証明する一言。

そして届いた「料金を払わないと裁判所に訴える」というメール。私は焦った。というより慌てふためいた。汗が出た。

このままでは、全社的な問題になる。いや、法的な問題より、私のキャリアの危機だ。「うちの会社に仕事中にアダルトサイトに会員登録して、訴えられた社員がいる。サイトの名前は○○○○○○(サイト名、恥ずかしくてかけない)。誰だ?」なんて代表が全社員に向かって話しをする姿。恥ずかしそうに手をあげる私。集まる女性からの蔑視の視線。集まる男性の同情。入社8年目の悲劇。悲しすぎる辞表。切なすぎる退社理由。開かれない送別会。そんなイマージュ。

私は、対応に悩み、同僚の福田に思い切って相談をした。するとさすが福田である。「あ、そういうのは無視しておけば良い」とのアドバイスを「そんな事は慣れっこさ♪」という表情でしてくれた。さすが法学部出身。

それから数日。「会員費を払ってしまいたい!」という気持ちを抑え、福田のアドバイスに従い支払い催促メールをやり過ごす。そして、数日後。彼の予言通りそうしたメールは途絶え、「○○○○○(恥ずかしくてかけない)」というHサイトは影も形もTOPページも無くなっていた。

嵐が過ぎ去った今、私は思う。業務に関係ない誘惑(H画像)には、くれぐれも注意をしようと。ネットの世界では、職場と裁判所は意外と近い距離なのだ。って、あれは単なる詐欺なのだけれど。

それにしても。私を騙す程のあれだけのマーケティングスキル(H画像が見たかっただけかもしれないが)をスパムに活かしてるだなんてとても勿体無い。あのスキルをもっと有意義に使ってくれたらいいのに、と私は、他人事ながら思っている(ってもうメールしないでください。御願いします)。

絞られたターゲット、あるいは濃密さについて

眠い。何故か?それは、今朝6時に起きたから。

それというのも、先週私は、ある1冊の本(マーケティング系)に猛烈に感動。どうしてもこの感動を誰かと共有したいと思い、独自の読書会を開催したのだ。

開催時間は、毎週週明けの日の朝7時。
参加資格は、その本を読んでおくこと。

朝が早いという事と、本を読むという2つの点で、参加率は低いと思った。しかし、それでも私はやってみたかったのだ。

当日、朝7時に会社に来る。恐る恐る。
参加者は何名いるのか?
あるいは、誰もいないのか?

エレベータを出ると、そこには一人の姿が。本が嫌いで、いつか本を好きになりたいと言っていた男の姿が。「俺、もっと成長したいんっす。だから、勉強したいんっす」と不器用に言っていた彼が。そこに、「いた」。誰もいなかったらどうしよう?って思ってたから。ちょいと感動したりして。

二人だけの読書会。私達は、その本について話した。本の効率的な読み方から、本の探し方といって話しまで。そして、もちろん。本の内容についても、結構細かく読み込んだ。

そして、読書会の最後。彼はこういった。
「本を読むのが面白いって思いました!」と。

私達は、来週のテーマと、来週までにやる事を決めた。来週の月曜日の朝も早い。でも。この早起きには、それだけの意味があると思っている。

ホリエモン

ホリエさんの本は必ず買っている。

雑誌の車内広告でホリエさんが取り上げられてると、「どんな風に書かれてるのだろう?」って気になる。テレビを10年くらい見ていない私だが、ホリエさんがどんな風に出てるのか気になり、テレビをもう一度見出そうかと思ってるくらいだ。そう。私は、ホリエさんのファンである。

1ヶ月前も取材をさせてもらった。いろいろな所でホリエさんが批判されたりしてるのを見て、「俺も何かいいたい!」って思っていた。でも、なんて言ったらよいのかわからなかった。だが、さっきふと思ったのだ。俺は、ああいう人好きだな、と。友達だったら、絶対応援するよな、と。

一番最初にホリエさんあったのは7年くらい前。取材をさせてもらったのだ。ホリエさんは絶対覚えてないと思うが、同じ年という事もあって、ガンダムの話ばかりした。そんな訳で、取材はあまりしなかったが、「メールで聞いてくれたらいいですよ」と、とても良く対応してくれた。夜4時に出したメールには、数時間後に返信があった。その後、「一緒にビジネスをしようよ!」なんてミーティングをした事もあった。ライブドアの前身のエッヂの上場パーティーにも招いてもらった。

私にとって、ホリエさんは、一番最初の印象をそのまま引きずって「シンプルで本気な人」である。当たり前だけど、今、ホリエさんが何を考えてるのかは全然わからないし、株のことや、ファイナンスの事はもっとわからない。そして、今ホリエさんがどんな立場にあるのかも全然想像がつかない。でも。でも、私は、ホリエさんになんていうか、影ながらのエールを送ってる。

それはきっと、ホリエさんの様々な行動が、「俺もがんばらにゃ!!!」って思わせてくれるからだと思う。だから、私は、ホリエさんの本を読んで「なるほどな」って思った次の瞬間。「同じ年なのに、スケールが違いすぎるぞ俺」って悔しくなる。そして、心のどこかで「俺だって負けないぞ!」って思っているのだ。

ホリエさんは、普通の会社の普通のサラリーマンである私すら、やる気にさせているのだ。これって、とても凄い事だ、と今、あらためて思う。

サヨナラのかわりに

3月末日。数年前から取引のある代理店の人から1本の電話。

いつものような業務連絡。その後、「1つお伝えしなければならない事が」という言葉。そして沈黙。「ああ、またかな?」と思う私。その後続く異動の知らせ。担当が変わるという言葉。いつもの事だが、淋しくなるな、という思いがよぎる。3月末。異動の時期だ。毎年の事だが、私には、こうした電話が多い。

が、その電話はいつものそれとは違っていた。その人は電話先で泣いていた。5年くらいになる付き合いだったし、もともと無理をいう私なので、いろいろ嫌な思いもしたのだろう。何度も徹夜をしてもらったし、何度も企画をつっかえした。夜3時くらいまで電話でミーティングをした。ただ、何度かは、提案してもらった企画が実現した。成功もした。会社でナンバー1の営業になった時は、喜んで電話をしてきてくれた。きっと、そんな事が思い出されたのだと思う。

ひとしきり会話をした後、「まあ、担当かわっても別に話できるしね」といういつもの言葉で電話を切った。でも、さすがに社会人を9年もやってると知っている。仕事を離れても付き合いを続ける事はできる。しかし、仕事という密度で交渉をしたり、無理をいったり、成功をしてともに喜んだりする事は、日常のそれとは全く異なるという事を。

しかし。だからこそ思う。お互い、いつかまた会う時。あの頃よりも良い仕事ができる人になっていられたらよいな、と。そして、私は、イチ営業から昇進し、マネージャーになっても、私との仕事をずっと見ていてくれた彼女の仕事に心からの感謝し、5年前から約束をしていた飲み会の予定を手帳に書きこんだ。

毎年。桜が咲く頃になると、私は、こんなことを思う。サヨナラのかわりにありがとうを言える。いつも、そんな風な仕事をしていきたいな、と。

条件反射としての読書

仕事でミスをすると本を買う。部下のマネジメントでミスしたら、『良い上司になる方法』。計算ミスをしたら、『数字にグングン強くなる本』。わかりやすすぎだ、俺。なお、恐らくだが、アマゾンにとって私は上顧客。それは、私が毎日のようにミスをしている証拠。

ビジネス書を沢山読んでる私だが、もちろん、本を読んでるだけじゃ仕事ができるようにはならない。これってあたりまえの事。でも、ミスをしてビジネス書を読んでる時ってなかなかこの事実に気がつけない。なんていうか、前向きな現実逃避の中にいるから。本当は気づいてる、本の中に正解が無い事を。

でも。かといって、全く読まなければよいのか?というとそれも違う気もする。やはり、本を読むことは重要なことだと思う。自分の弱い部分を補強する事もできるし、新しい事を知る事もできる。しかし、本の中だけに正解は無い。答えは現実の世界、つまり、人との間にあるのだと思う。

そんな訳で最近やっとわかった。しっかりと仕事をして、足りない部分を本で読んだり、人と話をしたりする事で自分の糧にしていく。そんな読書が一番バランスが良いのだと。本を読むかどうかという事よりも、学ぶ姿勢をいつも持ってるかどうか?という点の方が重要なのだと。多分、学ぶという姿勢があれば、本からでも、人からでも出来事からでも私は学び続けることができるはずだ。

だから、これから暫くは、本を買いたい気持ちを抑えて、自分のことを見直してみようと思う。読みたく無い章にこそ、自分に役立つ事が書いてあったりする。だから、そう。心の中とか気持ちをじっくりと読み込もうと思う。

玉葱的不安、あるいは、適性診断テスト

就職活動で、大学時代に取り組んだ事として人事にPRした。それくらい昔は毎日のようにしていた。しかし、最近全然してない事。結構大事な事だと思っていたけれど、最近は、全然やりたいと思わないこと。それが「自分探し」。

今から考えれば、「自分を探してました」という学生を採用しようという人事がいない事はすぐわかる。が、当時の私は、それこそ毎日のように探してたのだ。あまりにも探しすぎて、大学は5年もいってしまった。で、その結果自分が見つかったのかというとまだ見つかってない。でも、「まあ、いっかそれでも」と思える適当な自分とは仲良くやれている。

ところで、この自分探しは結構嵌る。やりだすととまらなくなる。でも、自分探しには、何かを探してる途中で、何を探していたのだかわからなくなるような感覚がある。言うなれば、玉葱的不安。皮を剥いても剥いても何も出てこない。で、なんだか泣けて来る。そんな感じ。

そんな訳で、最近は、全然探してない自分だったのだが、つい先ほど、エンジャパンのサイトに新しく追加された「自己診断テスト」を受けてみて新しい自分を発見したのだ。

なんと驚きの「掃除好き」。こんなことは自分探しからは、絶対に出てこない答えだ。しかし、最近は部屋をコマメに掃除をしているので、もしかしたら、気がつかないうちに、掃除が「好き」になっていたのかもしれない。そして、私にぴったりあった職業は、インターネット関連の仕事となった。生まれるのが、20年早かったら、私は適職に出会えなかっただろう。危ない。

適性も時代によってどんどん変わっていく。自分だって、探す前に作ってしまうに限る。


▼といっても、面白いです、これ。
適性診断「本気になれるコト診断」

酒と仕事と煙草と女

体調を崩した知人は、煙草を辞めるように医者に言われたそうだ。「無理!」と医者に言うと、「酒か煙草か仕事のどれかを辞めなさい」と言われ、彼女はしぶしぶ煙草を選んだという。

その話を聞きながら、私は思った「俺には、どれか一つは選べないな」って。仕事をしたら、お酒を飲みたくなるし、お酒を飲めば、煙草を吸いたくなるから。普段は、煙草を吸わなくてもよいのだが、お酒を飲むとどうしても煙草を吸いたくなってしまう。それが特に美味しいお酒ならなおさら。

例えば、それは、仕事の関係で飲むお酒。良い仕事をしてる人と飲むお酒は格別の味である。そうした席では、日々会社で会う顔とは別の顔が見れる。その人の出身地。元いた会社。仕事の哲学。仕事をしている中で何に感動するのか?そんないろいろな事をお酒の場では聞く事が出来る。信頼する相手と、何気ない会話をつまみにして飲む酒ほど美味しいお酒はない。

だから、その一方で愚痴の酒は大嫌いだ。

きっと私は、お酒それ自体より、お酒がもつ、楽しさが好きなのだと思う。そして、そういうお酒が飲めるような良い仕事が好き。難しい事は抜きにして、私は、ただただ良い仕事をして、愉快な仲間と楽しいお酒を飲んで、(誰かに迷惑をかけない程度に)煙草を吸って一日を終える。そんな毎日を過ごしていきたと思っている。

何でこんな文章を書いたかと言うと、じつは、今さっきまで、仕事の関係で(とても楽しい)お酒を飲んでいたからだ。そんな楽しい気分でつらつら文章を書いていたら、題名に書いた女について書くスペースがなくなってしまった。残念ではあるが、今日はここまで。

夕暮れにたそがれて

午後2時、起床。

ボケーとしながら布団の上で、今日1日何をするかを考える。やる事、やりたい事、やるべき事は沢山あるのだが、何から手をつけたらよいのかがわからないので、紙に書き出してみる。グルーピングする。優先順位をつけようとするも手元にあった読みかけの雑誌が目に入り手にとり熟読。

そうこうしてるうちにお腹が減るので、シャワーを浴びて(一応外出するので)、うなぎ屋さんに行く(たまたまその日はですよ)。ビールなんて飲んでみる。うなぎを食べながら御店にあったスポーツ新聞なんて読む。いい気分になる。

お店を出る時に「あ、あのビデオ見たかったんだ!」って思いついてビデオ屋に行ってビデオを借りる(無論、さっきのタスクリストにビデオ鑑賞は書いてない)。で、部屋に戻ってビデオを見ようと思うのだが、ほろ酔いなので、眠くなる。寝る。起きると夜。目が冴えて眠れないので、またお酒のむ。眠くなって気がつくと寝てる。

次の日、午後2時頃起床(で冒頭に戻る)。

その一方。同僚フクダは(おそらく)、朝7時に起き、仕事をちょっとこなし、その後奥さんとランチをして、映画とかを見て、そばとか食べた(はずだ)。ただただ、無為な時間を過ごし、夜の枕元には、書きかけのタスクリストだけが残る日々を過ごす私に対し、同じ同僚とは思えない彼の生産性の高さ。

こうした点だけを見ても人によって生産性が違うという事は明らか。

「人は年齢では計れない。起きてる時間の長さと密度が大事である」という最近の私に対する警句を再度思い出しながら、私は、1日1日をしっかり生きよう!とGW明けのまだぼけている頭に渇を入れる今日を過ごす。そんな訳で、これが私の2005年のゴールデンウイークだった。

夕暮れに見る、手付かずのタスクリストは本当にたそがれます。だから、仕事だけはしっかりやらなくては、と私は思う。

15分の奇跡

私は途方にくれていた。

手帳に書き出したタスク。山盛り。無論、時間なし。能力不足はわかっている。やらなくてはならない時が世の中にはある。

しかし、無理なものは無理である。「後から迷惑をかけるなら!」と私は、1人意思決定。ミーティングを調整してもらい、同時に、優先順位の低いタスクを消去。仕事を緊急度で分類して、後ろ倒しにして良いものは、後倒し。別の人にお願いできる仕事は誰かにお願いをする。残った仕事をグループに分ける。1時間かかると思った仕事が15分で片付けられる事を発見する。この間わずか15分。驚く事にさっきまで私を混乱させていたタスクの大半は終っていた。そして、絶対にやらなくてはならない重要な仕事に集中できる環境が整ったのだ。

で、今、私は、ゆっくりと煙草を吸っている。

そして、煙の向うを見ながら思う。「仕事は忙しい人に頼めというのは本当だな」と。1人の人間だって、忙しくなると生産性があがるのだ。常に忙しい人だったら、それは生産性が高いに違いない。

先の(忙しい時の)私の動きは、教科書に書かれているビジネスマンの仕事の進め方としてもなかなか良い点を採るのではないか?と思う程クリアだった。でも。私の問題は、そういう状況になるのが、遅すぎる事である。そして、必要ない仕事を勝手にやってる(無論アイドルタイムも多いはず)ところにある。

が、調子が出てきたので、今週は、この忙しさを維持しようと思ってる。そして、効率的に、徹底的に、仕事をしてやろうと思ってる。さて、次は何の仕事に首を突っ込もうか?

さらばPC。

今朝、私は、会社で数年使っているパソコンを変えた。

アルファベットの「F」と「W」が取れてしまったPC。エクセルとメールを同時に立ち上げると、3回に1度は、フリーズするPC。表現しようの無いトラブルを抱え、時として真っ白な画面で、私をドキドキさせるそんな人騒がせのPCを、新しいものに変えた。でも、ファイルとかの移行がまだ済んでないので、机の上には2台のPCがある。

懐かしい気持ちで、古いPCを見ると、いろいろ迷惑をかけたことばかりが思い浮かぶ。私にとって、PCって、松井にとってのバットや、中田にとってのシューズに等しい。しかし、私は、その大事な道具をずさんに使ってきた。電源はつけっぱなしだし。最適化はめったにしないし。デフラグだって殆どしてこなかった。もしSF的に、PCが意思を持ったら彼のやることは私に悪態をつくことなんじゃないかと思う。

だから、私は、PCをシステム部門に返す前に、最適化とかデフラグをして返そうと思う。数年来毎日の仕事を共にした奴だ。手のひらを乗せる場所の塗装ははげ、マウスは磨り減り、キーボードの刻印は薄れたPC。私はこのPCで無数の文字を打ち、無数のメールを出した。そして、沢山の汗をかいた。このPCは私の同士なのだ。

最後の最適化をする間。もし彼が夢を見るのだったら、せめてその夢は、使い主が緩やかにキーボードをタッチする姿であって欲しい、と思う。

言い訳しすぎな私。能書き多すぎな俺。

先週から、自分を改造している。自己啓発じゃなくて、自己改造である。というのも、新しい仕事のプランを練っているのだ。が、過去のノウハウや知識、あるいは、私の頭のレベルでは、ついていけないそのプラン。プランのコンセプトとなるべきアイデアがどうしても発見できないのだ。

そこで自己改造。頭のソフトウエアを入れ替えるため様々な試みをしている。

例えば、『IQテスト』を毎朝やっている。これをすると頭の回転が良くなるような気がする。なんか似たようなTV番組があったが、それはまあ偶然という事で。

あるいは、『だから片付かない。なのに時間がない。』とか『なぜあなたはその仕事を先送りにしてしまうのか?』といった本を読み漁ってる。これらの本は読んだ時はその気になるのだが、1日経つと内容を忘れてしまうという欠点や、本を読んでる間には仕事が出来ない、という欠点があるが、なんとなく自分が改造されてるような感じはする。

こうして頭やハートを改造しつつ、様々な本を読む。そうするとバージョンUPし、処理速度が上がった私の頭脳は、新しいプランを練れるはずなのだ!!

が。無論現実は、なかなかそうは行かないもの。プランは全く白紙のままだが、机の上には、自己改造系の本達だけが積みあがっていく。

そんなある日、同僚がこう言った。


「お前、また現実逃避?」と。


で、私は気が付いた。

「これ、宿題やる前にマンガ読み始めるあの現象だ!」と。

私は、アイデアの代わりに、私という人間の大きな問題を発見をしたのだ。言い訳しすぎな私。能書き多すぎな俺、という。

料理と愛情。あるいは、仕事。

料理をするのが好きだ。

と最初の一文で言える程作ってる訳ではない。が、好きなものは好き。そう、好きになるのに資格はいらない。「君を好きという資格は僕にはないけれど・・・」という台詞から始まる告白は格好悪い。ってこれは全然別の話。

ところで、「料理が上手な人」は素敵。料理が上手な人は男女問わずモテるが、それは人の食い意地が張ってるからじゃないと思う。料理ができる人は仕事も出来る人な可能性が高いように思う(仕事が出来るから料理が上手なのかもしれないけれど)。

自分が何を創るべきか。何を作ったらおいしいか。何を作れるかを知ってる人。そして、新しいレパートリーを増やそうとする人。おいしい料理には適切な器具が必要だと知っている人。前準備と後片付けの大切さを知っている人。そうした人が仕事ができないはずがない(多分!)。

そこで、自分の仕事を料理として考えてみる。

今日誰かに出した料理の味はどうだったか?作り方に無駄はなかったか?自分で作ったように見せかけてその実、インスタントじゃなかったか?、相手は喜んでくれたか?後片付けを自分でやったか?そんな風に。

まあ。料理も仕事も、愛情がたっぷり入っていたら、それでOK!という気もどこかでしてるのですがね。本当は。

レストランでの最後の食事と、経営者の転職と。

行きつけのレストランが閉店するというので、お店にいった。

そのお店は、5年前の開店時に、私が看板の色を塗ったお店だ。一度皿洗いを手伝ったこともある。開店時にはメールマガジンの発行も手伝った。だから、売上が上がった時は嬉しかった。お客さんからの評判が良くなれば一緒に喜んだ。しかし、彼があのレストランで作る食事を食べる事はもうない。

その経営者は、高校時代からの数十年来の友人である。彼は、この夏、フレンチレストランの経営経験を一旦白紙にして、新しい道を切り開くのだ。

彼の5年という時間は、お客さんに沢山の記憶と、沢山の喜びを与えたはずだ。経営者は孤独だとずっと思ってきた。しかし、今の私はそうは思わない。それは彼のお店の閉店を知ったお客さんから寄せられる沢山のお礼の言葉が示している。

さて。私は、彼のような5年間を過ごせているのだろうか?

この点について、私は経営者とか従業員といった立場じゃなく、彼に負けてるとしか思えないのだ。彼が作った最後の料理は、私にそんな後味を残した。

そして。そんな料理を作ってくれた彼の新しい出発に、私は心からの祝福を贈った。

残り物、あるいは、時間管理について

この前は、料理な週末だった。この私がなんと3回もキッチンに立ったのだ。中でも、豚コマの残り(味噌汁に入れた残り)とキャベツの細切れ(パスタの残り)と、ピーマンの細切れ(サラダの残り)を、麻婆豆腐のたれの残りであえた炒め物はとてもとても美味だった。

私は、驚いた。細切れや残り物で、想像をはるかに越えるアウトプットが出来る事に。自分の想像力にも。普段だったら、捨てていた細切れな食材達。しかし、私はその日、彼らを見捨てなかったのだ。まあ、理由は、友人に

「料理する」と安易に言ったにも関わらず、買い物を忘れてただけなのだが。

ところで、細切れといえば、半端な時間の有効活用はとても大切である。通勤時間や待ち時間といった15分程度の時間を1日単位で集めてみれば、相当な時間になるはずだ。トイレの時間に英会話を学ぶという人もいるらしいが、それなども細切れの時間の有効活用だろう。

私の予定表で、そうした時間を確認してみると、1日に大よそ6回の15分の細切れタイムがある。これ、足すと90分。サッカーが出来る時間である。これが毎日あるのだ。仮に、毎日毎日1試合をしてたら、サッカーだったら、相当上達するレベルである。凄い沢山の時間を私は無意識に捨てている。勿体無い!

時間が無いというのは、ほぼ全てのビジネスパーソンに共通する課題だ。しかし、時間が無いと嘆いていても始まらない。そう。よーく目を凝らして時間を眺めてみると、予想を超える沢山の時間が私達の1日には詰まっているのだ。そして、そうした時間の残余である細切れ時間を有効に使う事こそ、クリエイティブな事なのかもしれない。と、私は思うのだった。

哀愁ネクタイ

クールビズらしい。

いつもより街がカジュアルな感じだ。イケテル奴はいけている。イケテナイ奴はいけてない。休日のおじさん風になっている奴もいれば、週末の夜のクラブみたいになってる奴もいる。まあ、週末のクラブなんて行った事ないので、想像でしかないのだけれど。

いずれにしてもクールビズ。名前はちょっとかっこいい。ネクタイを外しただけで、サラリーマンからビジネスマンになれる。そんな予感がする。だからだろうか?どうやら政府のイベントは成功し、最近ネクタイをしないビジネスマンが増えている(らしい)。

そこでつまらないと思ってるのが、ネクタイ業界の人たちと私である。何故って、私は随分前からクールビズだったのだ!学生服のズボンをちょっと太くするように、私はネクタイを外し、他人との小さな違いを作り出していたのに!それに。私がネクタイをせず会社にこようと思ったときは、結構ヒヤヒヤしたのに。(あれ?最初にやったのは同僚の福田で、私は、タートルネックにしたのか?)クールビズ導入の会社では、今やネクタイをしてる方が異端児なのではないだろか?

うん。この分でいくと、涼しさは頭からとか言って、坊主ビズとかにもなりかねない。まあ、そうなったら私は長髪にして、ネクタイをしっかりする事にしよう。って、坊主も結構勇気いったのにな~。

って。まあいいや。こうした表面的な違いばかり追う事自体、それナンセンスなのだから。自分らしさは、やはりしっかりとした独自性を持って生きねばならないという事なのだ。なんて、冷めた目で自分を見つめる。それが私のクールビズ。

ところでネクタイってそんなに暑いですか?皆さん?

新聞とは別に届く何か

私の朝は、オジサンから新聞を買う事で始まる。今朝、そのオジサンが、「淋しいな」とポツリといった。

朝の不意打ち。私は会社に急いでいたにも関わらず、「えっ?」と立ち止る。すると、オジサンは、こう言った「いや、昨日新聞休刊日だったから。。なんか淋しかったな」って。

私は新聞を購入し、「そうですね」と言い、電車にとび乗った。が、オジサンの言葉が妙に耳について離れなかった。「新聞が出ないと淋しい」か、と。

このオジサンは、以前もこのコラムで書いた事があるが、飲み屋で一緒になった時、私達の分まで会計を済ませていってくれた人。朝、わずか1分程度。(たまに忙しいと新聞を購入しない日もある)新聞と140円を交換する私に対しどこか特別な何かを感じてくれてる人である。

そんなオジサンの言葉だからという事もあると思う。しかし、このオジサンの言葉は、人が仕事に対して持つある種の感情がとても表現されてると思えてしょうがないのだ。

日々自分が取り扱っている商品が、朝届かないと淋しい。その商品がないと、自分が日々やりとりしている人との会話が無いから淋しい。無論、売上が少ないから淋しいのかもしれない。その理由はわからない。

でも。私は、この一言を聞いて、オジサンをまた少し好きになったのだった。

評価の時期、あるいは、ルックスについて

会社では、評価の時期である。

私の半年間の仕事が評価される時期。自分の仕事を振り返る時期。自分で自分を評価する時期。淡い期待と厳然たる事実の間で揺れ動く時期。まあ、いろいろ表現できるが、とにかく評価の時期である。

ところで、評価というとどうしても思い出す会話がある。それはある夜、いきつけのカフェで店員二人と飲んでいた時の会話。深夜1時。話はなんとなく恋とか愛の話になる。時間が緩やかに流れる中の出来事。なお、カフェのオーナーは、めちゃハンサム。ハンサムでカフェオーナー。正直腹立たしい。

その彼が言った。「やすさんは、結婚相手として良いと思いますよ」と。そして、こう続けた。「仕事もしっかりしてるし、性格も大らか。ルックスだって、中の上だし」と。

私は、耳を疑った。「顔だって、中の上」という一言にだ。どう考えてもそれは誉め言葉ではない(ですよね?)。無論、自分のルックスが良いとは思っていない(のか?)。しかし、そんな事、面と向かっていわなくても良いではないか!?と。そして、こうも思った。私は、お客さんである。よって、上記の評価には、多少のお世辞も入ってるのだろう。という事は、おそらく彼の中で、私のルックスは、おそらく「中の下」なのである。

私も今や32歳。だから、この評価を受け入れられた。しかし、おそらく高校生だったら、受け入れられなかった。大学生でも無理だったと思う。笑ってやりすごしもしなかった。私はただ、この事実を受け止めた。ごまかさなかった。それは偉いと思った。自分を誉めた。

しかし、その一方で、例えば、同僚の福田や寺田が一体どのランクなのかが気になったのも事実だ。これは、サラリーマン故だからなのだろうか?それとも男だからなのだろうか?とにかく、そこがとても気になる。

それにしても、人は、こうした小さい出来事をいくつも乗り越えて大人になっていくのですね。

転職は慎重に

ネットをみていても、電車に乗っていても、転職サイトの広告が最近とにかく目立つ。具体的なコピーとかをここで書くとちょっと問題なのだが、とにかく各社いろいろな事を言っている。ああした広告を毎日見ていたら、「転職したら今より幸福になれる」ような気になるくらい。

ところで、私は転職サイトの運営に携わっているが、転職活動をしたことは無い。何度もしようとしたのだけど、最終的には活動までいかずに10年くらい同じ仕事をしている。

サイトの運営をしているので、普通の人よりも情報やノウハウは知っている。しかし、その分転職がそんなに簡単に上手くいくものではない事も知っている。転職をしてない理由には、そんな背景もある。転職の成功率なんてそう簡単には出せないが、100人いたら、100人成功するという訳ではない。

無論、何をもって転職を成功としたとするのか?という事すら人によって違う。転職ってあまりにも個人的すぎて成功とか失敗なんて一くくりに出来ないことなのかもしれない。

しかし。今、多くの人が転職したいと思っているし、事実沢山の人が転職している。転職をした事で毎日が楽しくなったという人も沢山いるし、(私の周囲にいる転職してきた同僚が、ほとんどそうだと信じてる)私はそうした姿を見るのがとても好きだ。自分自身が携わっている「転職」という人生の大きなイベントを通過した人が(成功とか失敗はわからないけれど)ただ、笑顔で仕事をしている姿を見る事が好きなのだ。

人は、転職をした先で活躍をしたいから転職をする。別に転職活動というイベントをしたい訳じゃない。転職サイトの運営者の会社としての欲求とかでむやみに転職を煽ってはいけない。そんな意味でも、エンジャパンが広告で使っている「転職は慎重に」という言葉はとても良い言葉だと思う。

ダンス!ダンス!ダンス!

私はダンスが苦手だ。
いや、というより音楽に合わせて踊る事が苦手だ。

さて。先日、同僚達とFUJIロックにいった。元来音楽を聴かない私が何故?ロック?と自分でも突っ込みたくなるが、私は、祭りは好きなのである。だから、FUJIロック。出演するアーティストだって、1組くらいしかしらない。だから、ビール飲んで寝るだけ。それが私のFUJIロック。

しかし、今年はあいにくの雨。だから、ビールを飲んで寝る事が出来なくなった。そこで、私は、ライブを聴くことになる。周囲は踊っている。私もなんとなく手持ち無沙汰。だから、音楽に合わせて踊ろうとするのだが、どうも他の人のように上手に踊れないのだ。踊ろうにも自意識が邪魔をして、体を小さくゆする程度の事しか出来ないのだ。これ、中途半端である。あ~寝ていたい!

まあ、これはしょうがない。踊った経験といえば、高校生の時に数回行ったマハラジャくらい(なお、その後マハラジャの妙な踊りはパラパラとなって流行)。ライブも友人のライブ数回くらい(その内1回は悪乗りしすぎて急性アル中)。それほど、ダンスとは本当に縁の無い人間なのだ。カラオケだってそんなに行かない。行ったとしても踊らないし。

ところで、そんな惨めなダンスをしながら、ふと、こう思った。営業マンで商談が苦手な人って、こんな気持ちなのかな?と。あるべき姿は見える。でも、自意識とかが邪魔をして、そうできないのだ。

そう。私は、会社員としての振る舞いについては、かなり自由であるし、グルーブ感満点で仕事をしてると思う(比喩)。時として逸脱も多いが、演奏する側だとしても、演奏は一生懸命にしているし、状況によってオーディエンスの場合でも、演奏者から「パワーをくれてありがとう!」と最後に言われるくらいにノリノリな奴である(比喩)。

が、それがライブだとそうは行かないのだ。人には向き不向きがあるのだろう。それにしても、冷静な頭で再度思うのだが、やはり、ライブでの振る舞いって難しいものだ。まあ、音楽を楽しんでるので問題ないのですが。。。でも、やはりイケテル感じでノリタイものです。それにしても、踊る事って、とても難しいです。

商店街のオヤジに思う

会社員だとわからない事は沢山あると思う。

最近、知人がやってる店の店長をやったり、フリマを出したりする事があるのだが、全身をお客さんの前にさらけ出してる時の緊張って、会社のオフィスで感じるそれと質が異なる。会社の代表として営業をしてる時とも違う。

知人の店で店長代理をする時は、「その店の中で起きる全てに対して責任を持つ」事を約束させられる。まあ、こういう風にいうとたいそうな事なのだが、要は任せられた時間は自分の才覚でなんとかしてね。という事。ある意味、値引きをしてもいいし、お酒を飲みながらお店をやってもいい。適当といえば適当なのだが、そういう店なのだから、まあそれはいいのだろう。

ただ、そういういいかげんな店の店長でも、一人で店に立ち、お客さんを待ってる時って、心地よい緊張がある。お店の事を質問されたら、それなりの対応をしなければいけないし、お釣りの小銭の事も考えなければならない。店内の掃除だってする。トイレにいく時ですらお客さんがいない時を狙う。

1日の仕事を終えると、何をしたというわけでも無いが、疲れている。1日の帳簿をつけて店を閉める頃にはクタクタである。でも、隣のお店のオヤジ

(かなり頑固そう)はまだ店を空けている。そこで、私は思った。商店街のオヤジさんたちは、すげーって。私のやってる仕事のように分業されてないから、営業も広報も経理も事務も総務もやっているのだ。そして、もちろん社長もやっている。ある専門分野では勝てるかもしれないが、ビジネス全体だったら私は到底勝てないと思った。

大企業とか中小企業とかいった区分でついつい世の中を見てしまう私。だが、自分にはとうていできない事を毎日やっているすごいオヤジさん達を見つけた。会社でなく、近所に。それも沢山。って、ただ、それだけなのですが、ほんと気合いれて仕事せなあかんな、と思いました。って、今もまだ、隣のオヤジさんは、店空けてます。11時すぎなのに~。

お盆、人生の秘訣を発見する。

お盆が終わった。祭りの終わり。日常の始まり。

この時期は、5月病並にブルーになる時期。なんて、ビジネスマンらしからぬ言葉でやる気ゼロな感じを匂わせてます。が、実はお盆、ほぼ会社にいました。休んだのは実際は1日。やる気はある私。

抱えていた、大きめの仕事(ヤマ)を一気に終了させるべく、会社に出社。誰もいない静かなオフィスで生産性の高い仕事をするはずだったのです!

しかし。いつものようにオフィスの机に向かい、仕事を開始しようとするも、何故か読み始めてしまう、小説。「おい!何やってるんだ!俺は!」と気付きPCに向かう。が、読み始めてしまうBlog。気がつけば食事時。和やかなランチ。そんな2日が流れ、気がつけば、あっという間にお盆最終日。白紙の仕事。仕事を始めるお盆最終日の午後6時。徹夜で仕上げたある仕事。

仕事を終えた瞬間、私は思いました。仕事で大事なのはかけた時間じゃない!やった時間なのだ!と。大切なのは、始める事なのだ!と。多数のビジネス本を読み、様々なセミナーに出、沢山の仕事論と技術論を学んだ私は、やっとそんな事実に気がついたのです。仕事を終えるコツは、とにかく始める事。本当に当たり前すぎて涙が出てきます。

でも。これって、一つの仕事だけじゃなく、人生全般にも言える事かもしれないと、その朝、私は思いました。掃除だってやり始めると楽しい。本だって読み始めると止まらない。何気ない言葉から始まる友情も、たった一言で始まる恋もある。何かを始める事はきっととても凄い力を持っていると。

始める事の大切さ。何度目かのお盆の終わりに。やっと何度も気づいたこの秘訣。犠牲の大きさの分だけ、今回は深い気付きとなりました。

って。。どうせ仕事やらないのだったら、お盆どっかに行けば良かったです。だって、全然リフレッシュできなかったですから。本当に(涙)。

転職耳年増の独り言

私は、転職をした事がない。何度もしようと思ったことがあったし、上司にその旨を伝えた事もあった。が、まだ、転職活動すらした事がない。

理由はいろいろあるけれど、私の場合、「新しい会社に馴染めるだろうか?」という不安によって、転職意欲が押しとどまってきたようだ。「入社日になんて挨拶したらいいのか?」とか、「入社初日に誰とお昼食べたら良いのだろう?」なんて考えていると、転職への期待が急激にしぼんでいくのだ。

ところで、私の部下にも先日、転職してきた女の子がいるのだが、初日とかはとても緊張していたようだ。仕事の進め方だって前の会社とは違うし、上司はなんだか偉そうだし、下手したらセクハラまがいだし。。。で、とっても大変だったはずだ。普通にリラックスして机に座れるようになるのだって時間がかかっていたに違いない。

さて。部下はもちろんの事。私は、転職をした人にはとにかく成功をして欲しいと思っている。こうした仕事についているから余計なのかもしれないが。

誰が実力者なのかわからない。誰が意思決定者なのかわからない。そんな中だが、自分の力を出したいと願ってる人。空回りする事もあるだろう。意外な所で以前いた職場の良い部分を発見する事もあると思う。でも。いや、だからこそ、私は、その新しい職場で以前よりも120%の実力を発揮して欲しいと思っている。

私は、まだ転職をした事がない。だからこそ転職者の不安な気持ちがよくわかる。だから、そんな人の不安を解消し、転職後に活躍をしてもらえるようなサービスを提供していきたいと思う。そして、こうして日々転職をした人が成功するための土台作りをしていったら、いつか自分が転職をした時、ご飯を誰と食べるかと悩まなくても良いような日がくるのではないか、とも思っている。

転職をしようと思っているあなた。転職をされたあなた。あなたの成功を私は心から応援させていただきたいと思う。って、先ほど、数日前にうちの会社に入社された方を見て思った事でした。

「言った/言わない]の世界。

ビジネス経験もそろそろ10年になろうとしているのだが、恥ずかしい事に時々「言った/言わない」の世界になることがある。

で、もっと恥ずかしい事に、大抵の場合、「そんな事聞いてないですよ」と言われた場合は、事実、「言ってない」事が多いし、「前に、こう言ったじゃないですか!」と言われた場合は、確かに「言った」事が多い。困ったものだ。俺。

そんな風だから、私はメモをしたり、メールをしたりして、齟齬を無くすようにする。しかし、どんなに努力をしても、コミュニケーションから不確実性を無くすことは出来ない。相変わらず、「聞いてない!」って怒られる事も多いし、「えー!そんな事言ってましたか!?俺」という風に驚愕する事もある。微妙なニュアンスを取り違え、逆のことをしてしまう日もある。

が、考えてみれば、私達は、言葉だけで仕事をしてるわけではない。口では「素晴らしい!」と言いながらも、表情(カオ)では、「駄目でしょ、それ」と伝える人もいる。無口なのに、体全体で、「それ素晴らしい!」と表現する人だっている。そう、私達の世界は、「言った/言わない」という言葉の世界より、もっと広くて深い世界なのだ。

だから、最近の私は、言葉の背後や行間や表情を読みとろうと努力をする。ちゃんとその場の空気と相手の意思が私にわかっていると、「言った/言わない」の問題は発生せず、お互い気持ちよく仕事ができたりする。これって、結構、不思議なものだ。

なんて事を文章にしてしまうと、「ほらこの前の事、やっぱり言ってなかったんじゃないか!」と言われかねない件が数件浮かぶ。そんな訳で、この文章を送るべきかどうか、私は今、迷っている。

自分の事を棚に上げて

人にアドバイスをするのが大好き。そして、なんと、私は意外とアドバイス上手なのだ。無論、自称であるが。

ただ、私は自分が何かをする時よりも人にアドバイスをする時の方がまともな事をいう。そして、判断も冷静である。昔から不思議に思っていたのだが、この理由が先日分かった。それは、成功をするための方法を言う事より、何百倍も何かをする事の方が大変だからだ。そう私は楽な事が好きなのだろう。

でも、アドバイスが出来る事は、私がやったことがある事に限る。ホームランの打ち方や、上手な魚の焼き方や、お洒落な着こなしや、女性の口説き方や男性の口説き方は勿論アドバイスできない。どんなテーマにせよ、自分自身がある程度トライをし、失敗経験をつみながらも、成功をしたという経験がなければ、良きアドバイスはできないのだ。

あれ?そう考えてみると、私も口だけの人ではないように思える。何故なら、人の事が良く見えるのは、自分自身で、「あ~こうやったらもっと上手くいくのに」と常に考えているから。そして、その失敗経験をどうにかして生かしたいから、人にアドバイスをしたがるのだ。私はきっと。

うん。上手くいく、上手くいかないを考えず、何かをするというのは意味があるのだ。自分にとっては失敗経験だとしても、それが誰かの役に立つのなら私の経験は意味があるというものだ。こう考えたら、不思議と元気がでてくる。そんな訳で、なんだか、誰かにアドバイスしたくなってきた。だから、今日も一杯飲んでから帰ることにしよう。さっき、帰りがけの上司に「酒ばっかり飲んでると肝臓壊しますよ」って言ったばかりだけれど。

人生に遅すぎる事は無い

正直に言おう。私は、日本の県名を全て言えない。

いや、もっと正直にいうと、全国の半分くらいしか言えない。白紙の地図に名前を書いていくなんていうのはもっての他である。なお、さらに言えば、世界の国名も同様に苦手である。そして、国の名前がわからないので、歴史も苦手である。ちなみに。

そんな私が一念発起し、参考書を買った。小学校高学年用の社会科のそれである。ビールを飲みながら、カフェでその本を読む私は、明日の授業の準備に余念の無い熱心な社会科の先生に映ったはずだ。というより、それ以外に考えられないはず。

しかし、そういう風に見えてもおかしく無いほど、私は、その本(『良くわかる社会、小学校高学年用』)に熱中していた。とにかく、めくるページ、ページに知らないことばかり書かれているのだ。特産物、面積、etc.ここまで知らないと逆に面白くなってくるほどに。

32を過ぎて、私は、そうした抜け落ちた空白を埋めようと思った。上司にはそんな部下をもって、恥かしいと言われ、部下には、面白がられ、友人には、あきれられてもだ。

物事には遅すぎることは無い。私はそう信じている。

何かが足りないとおもったのなら、今すぐにそれを補う事は可能なのだ。そして、恐るべきことに、こうした抜け落ちてるピースは、上記だけでなく、財務や経理、あるいは、上司と一緒の時のタクシーの乗り降り、エレベーターの降り方等など、無限の広がりを見せているのである。

広大なり、我が、学ぶべきフロンティア。

“ちょいモテオヤジ“になりたくて?

いきなりですが、ふと「ちょいモテオヤジ」になろうと思い立ちました。で、早速、雑誌の『LEON(レオン)』を読み込んでみた。

『30~50代、年収1000万以上の高額所得者層をターゲットにファッション、クルマ、機械式時計を3本柱として独自の切り口で展開』し、2001年9月に創刊された同誌。以前から「分厚い雑誌だな~」とか、「スケベな雰囲気だ」と遠巻きから眺めていたが、じっくりと手にとるのはほぼ初めてである。(って、皆さん知ってますよね。これ)

さて。この1冊。聞くところによれば、取り上げられたアイテム(と呼ぶらしいが、まあベルトとか時計の事だ)は売れきれ続出で、広告主から高い評価を得ている1冊なようだ。コンビニで薄めの辞書くらいあるこの本を購入し、居酒屋でビールを片手に「ちょいモテオヤジ」を研究。で、結論。私には全く必要の無い本でした。まあ、そうでしょう。年収1000万なんて、勿論無いし。時計にもクルマにも全然興味無いし。まあ、あまりに興味ないので、居酒屋のオヤジにあげたのですが、オヤジはもっと興味なかったと思いますがね。が、勉強になった点がありました。それは、「モテ」という1点の強さ。それを発見した編集力にです。

そこにあるのは、ニーズとかウオンツとかそうしたマーケティングの成果。素敵なクルマに乗るのも、いい時計をするのも、全て「モテル」ため。そういいきるシンプルな哲学がこの1冊には詰まってました。『ポパイ』や『メンズノンノ』はそうした気持ちをオブラートに包んでいた。今は無き(確か)『ホットドック』は、表現の包み方を買えて、グラビアやH指南に走った。

しかし、『LEON(レオン)』は、お洒落をしたい気持ちの背後にあるものを的確に認め、それをそのままストレートに表現した。私は、この潔さには感銘を受けました。でも、こういうのって気持ち良いですよね。ぶれてない。迷ってない。正しいかどうかは市場が決める。そういうスタイル、嫌いじゃないな、って思いました。

ところで、この雑誌の女性版に『NIKITA(ニキータ)』がありますが、こちらのコンセプトは、「30代の艶女(アデージョ)」。おそらく、『LEON』を読む男性と一緒に歩く女性をイメージした本だと思うのですが、こちらは果たして売れてるのでしょうか?どうも、世の『LEON』達は、『JJ』とかを読んでる女性が好きなんじゃないかと思うのですが。

ここら辺って、どうなのでしょう?

オーラについて感じた、ある不安

オーラのある人が世の中にはいる。仕事の出来るオーラ。やさしさのオーラ。金持ちのオーラ。人をひきつけるオーラとかだ。私は、ついこの間まで、このオーラというのは、「有る/無し」というものだと思っていた。ある年齢になると、ある人にはオーラが出たり、あるいは逆に、持っていたオーラが無くなったりするものだと思っていたのだ。

しかし、先日、この認識をやめた。

それはある人との出会いによって起こった。ちょっとした会合で出会ったその人は、普通の格好をしていて、普通の表情で、普通のルックスの、本当に普通の人だった。オーラでいったら、無い人だった。

私はその会合で、知り合いがいなかったので、その人と2時間程話をする事になった。正直、「あ、早目に帰ろう」と思っていた。しかし、時間が経つにつれて、私はその人にどんどん魅力を感じ、話に引き込まれていった。

会話はその人の仕事の話だった。その仕事がいかに大変で、自分がいかに大きな責任を追っていて、でも、それから逃げようとは思わず、それにどのようにして立ち向かっていったか。最後に当初の目標を達成したとき、どんな風に感動して、そのとき、何を思ったか。彼は、私に熱く、熱く語ってくれた。

私は、彼の話に引き込まれながら、彼にオーラを感じていった。そして、最後には、私のオーラスカウターは最高レベルを指していた。過去、沢山のオーラを纏った人を見たが、ここまで最初と最後のギャップの大きい人は見たことがなかった。だから、私は、過去、こうした種類のオーラを見過ごしてきたのではないか?と不安になっている。

だが。それと同時に、こんな経験をさせてくれた、あの方に、私は深く感謝をしている。そして、私もいつか誰かに仕事の話をしたいと思う。あの60歳近いおじいさんのように。

足の裏、あるいは、立ってるという事。

先週末の休日。東京から2時間程電車に揺られ温泉に行く。

温泉を出て、連れ(なんと数ヶ月前に出来た彼女)を待つ。持ってきた本に飽きたので、一人うろうろ。「足裏マッサージ」の張り紙を見つけた。マッサージをした事はあったが、「足裏マッサージ」は初なので、良い機会だと思い、申し込んでみた。

担当してくれたのは、年上の素敵(美人!)な女性だった。足にクリームを塗ってもらい、まるで宝物を扱うかのように、タオルで足をくるんでくれる。足がぽかぽかする。既に快適だ。マッサージが開始され、私はまどろむ。

まどろみの中、私はいろいろな事を思う。自分が毎日立ってこの足の裏を地面につけて、2本足で歩いている事。つぼを押されながら、「あ~胃が痛んでますね」等といわれる度に体のことを思いやってなかった事に気がつく。

「そういえば、さっき温泉では、おじいさんもお父さんも子供もみんな裸だったけど、いろいろな体型の人がいたな」なんて事を思い出しては、「あ~人は裸になると、服を着てるときより個性的になるんだ」なんて思ったりもする。マッサージが進み、どんどん時間がやわらかになる。

タイマーが鳴り、「はい。おしまいです」という言葉とともにマッサージが終わる。私は、「ありがとうございます!何かとても楽になりました」とお礼を言う。

そして、世の中にはこういう仕事があり、その仕事が提供してくれる特別な心地よさがあることを知る。癒しなのかもしれない。単なるマッサージなのかもしれない。でも、私は確実に、何かをほぐしてもらったのだ。何故なら、帰り道、私はマッサージの前よりも、少しだけ、地に足をつけて歩けるような気がしたのだから。

違うところと、同じところ

いきなりだが、私とあなたは違う人である。

自分で書いてみても、本当にいきなりだと思うのだが、これは間違いない事実である。SMAPの歌で「セロリ」だったと思うが、育ってきた環境が違うから~♪違う人なのである。好きな歌も違えば、好きなタイプも違えば、寝る時間も起きる時間も違う。私の嫌いなものをあなたは大好きかもしれない。

例えば、サラダを食べていて、セロリとパセリが残ったとしよう。私はセロリは食べれるが、パセリは好きじゃない。しかし、もしかしたら、あなたは、パセリが大好きな反面、セロリが大嫌いかもしれない。そんな時、セロリとパセリを交換する事で、私たちはお互いがハッピーになれる。

そう。私達一人一人が違うから、楽しいのだ。どうでも良い小さい出来事に様々な見方があり、驚きがあり感じ方があるから、会話は盛り上がる。そして、時としてある、「あれ?お前もそう思った?!」なんていう偶然の一致が嬉しいのだ。多分、私たちは、一人一人、違う世界に生きている。

しかし、こうした嬉しい違いを時として忘れてしまう事がある。それは、争いを生み、時には戦争になんかなったりする。日常的に起きる、不用意ないさかいの原因は、人と人は違うという点を忘れるから起きるように思えてしょうがない。同期なのに給料が違うとか、昇進スピードが違うとか。そういった事って同期という括りでこうした違いを忘れてしまうから起きる。

違いを見るのは、給料や昇進スピードや社内評価じゃなくて、その人だからこそ出来る色のある仕事なんだと思う。10人いたら、10人違う思考と視点がある。だから、そうした色をそれぞれが出す事で、一人じゃできない何かをつくりたい。

私達は一人一人違う。でも、一人一人違うという点では、私たちは、同じなのだ。そして、ここに私は、仕事を楽しむ方法や会社で楽しく働くヒントがあると思っている。

それでも、Keep On movin'!

最近、色々なことをやってみている。

数年来ネクタイをしてなかったのだが、急にネクタイをし出してみたり。で、一人で勝手に、金曜日はカジュアルフライデーにしようと決めたり。オーダーでスーツ、しかもフレアのパンツのものを作ってみたり。インターネットで気になる服を買ったら、サイズが大きいので返品してみて、ネットでの買い物は難しいな、ってあらためて実感したり。

服装だけじゃなくて。毎週週末にはジムに行ってみたり。TVを全然見てなかったのだが、いきなり大画面のテレビを買ってみたり。あと、毎朝新聞を購入する新聞スタンドのオジサンとお酒を飲む予定を立てたり、仕事で出会った人とお酒を飲んだり。来年の春からは、週末に専門学校にも行く事に決めたりと、最近、色々なことをやってみている。

そんな中、某ベンチャー企業に内定が決まった学生と話をする事があった。大手を蹴って、名も無い企業に就職を決めた彼に「なんで、大手を蹴ってそこにしたの?」って聞いたら、「とにかく、いろいろな事を経験したいから」と答えた。私も同じように思ってベンチャーに就職した口だった(大手は蹴らなかったけど、というより、受からなかっただけか?)。だから。その気持はとても良くわかる。

でも、今はちょっと違うことを考えている。「いろいろな事を経験」するのに大切なのは、場所じゃないと思うから。どんな場所にいようと、自分が何かを変えようと思ったら、ある部分まではいかようにも変える事が出来る。以前は、「大手は不自由。ベンチャーは自由」なんて思っていたのだが、今は「どっちも自由」なんだと思っている。

実は、私は、つい1ヶ月前。仕事や毎日に、どこか停滞感を感じていたのだ。でも、今はそんな停滞感はない。それは多分、自分が動いているからだと思う。停滞感を感じたら、私は何かを始める事にしている。そうして、気がつけば、自分が以前とは違う場所にいる事になると私は知っているから。私は、いつも動きつづけようと思っている。周囲からは、落ち着きが無いと言われ続けても。それでも、Keep On movin'!

初めての旅行の企画、あるいは、仕事術

生まれて初めて旅行を企画した。

無論。友達と温泉に行ったこともある。インドにも行ったこともあった。でも、今回生まれて初めて旅行を企画し、チケットを手配し、自分でチケットを購入した。これ、初めての経験である。

そう。以前は、誰かがそうした手配をしていてくれたのだ。温泉旅行とかは常に幹事がいたし、インドのチケットもたまたま近い時期にインドにいく友達に手配してもらっていた。だから、ついこの間までの私は、「沖縄にいきたいが、どのようにしたら沖縄にいけるのか?」という点について、「ノーアイデア」だった。驚くべき事に。これ本当に。

私は、旅行について、友達に聞きまくった。どのようにして行ったのか?どんなところにいったのか?そんな事を。本も購入した。ネットを調べた。1週間くらいそうやっていたら、情報が集まった。そして。一方で、沖縄でやりたいことをリストアップし、整理し、優先順位を決め、スケジュールを決定した。手段を比較検討し、意思決定をした。飛行機の時間が平日の比較的早い時間だったので、上司や関連部署に、その旨を伝え、当日は早く帰れるように調整をした。

入金が終わり、チケットの確保が出来たとき、私はほっとした。銀行に入金確認した帰りには、空が広く見えた程だ。「おそらくやれる」と思ってはいたが、「大枠を自分一人で」準備が出来るとはあまり思ってなかったからだ。「やれば出来るじゃん!俺」と思った。レベルが低いのは十分承知なのだが、心底そう思ったのだ。

それにしても。この年齢になって初めての事をするのはとても面白いものだ。32歳になっても、知らない事がある、そんな無知な私にとって、毎日は、まだまだ面白くてしょうがない。

しかし。仕事で学んだ事はいろいろな分野に生かせるのだな~って思う。目的を明確にして、情報収集して、比較検討して、周囲を調整するのなんて、これ完全に上司に教わったスキルだもん。恐るべしだ。これ、仕事って。

カメラな1日、あるいは、企画力について

企画力があれば毎日は楽しい。

さて。そんな訳で、先日、会社の同僚の企画に付き合った。その企画とは、私の1日を写真に撮るという企画である。約束は、好きな場所に行く事。好きな服を着ることである。同僚は、この企画を最近始め週末はいつもカメラを持って様々な町を歩いているようだ。

その日、私達は、私の住む町で待ち合わせ、私の好きなパスタ屋でビールを飲んだ。話のはしばしで、彼女がカメラを構えるたびに私は、表情をつくる。だが、酔いも手伝い、途中からそうする事が面倒くさくなる。しまいには、カメラの存在は全くといっていいほど気にならなくなった。カメラがある事で、普通よりも相手との距離が見えるのが面白い。

ところで、この企画。彼女にとっては、想像するに、会社の同僚という距離ではわからない相手の素に迫る事が目的だと思う。「カメラはコミュニケーションツールとして最適なんです」と語る彼女の言葉の裏に私はそんな「企み」を感じた。そして、おそらくだが、彼女はこの企画を通して人とあと数センチ近づきたいと思ってると想像した。いや、そう感じたのは私だけだったのかもしれないが。。。

ただ。本屋にいったり、ビールを飲んだり、部屋で鍋をしたり、ケーキを食べたりしていたら、彼女が家を出る頃には、朝待ち合わせをした時よりも距離が近づいていた気がした。帰り道、彼女を駅まで送ったときには、「なんか毎日こうしてるように」思った程だった。まあ、恋人と過ごすような1日をみっちり過ごしたのだから、それもそういうものか?と思うのだが、彼女が、これを読んだらびっくりするに違いない。

それにしても、こういう素敵な企画を立てる同僚を見ると、「人生をハッピーにするのは企画力だな」と思うのだ。なお、出来上がった写真を見たのだが、大半の私は、本を買うか本を読むかしていた。私は、「絵にならない人生をおくってるな~」と半分しょんぼりした。多分、私の人生にも、もっと企画力が必要なのだ。

コラムのある人生

「昔のコラムジョブ読んだのですが、書いてる事も人格も全然変わってませんね」と後輩に言われた。

まあ。それは、とても微妙な感想だと思う。「馬鹿にされてるのか?」とも疑った。しかし、彼の言うように、私は、10年くらい変わっていない。驚く事に。

無論、郵便物は出せるようになったし、メールも上手になった。電話のアポイントも上手になったし、トラブル対応やミスのリカバーも上手になった。しかし、人間の本質的な部分というか、根っこの部分は全然変わっていない。これはよく考えると驚く程だ。ある意味ミステリーだ。同期は完全に成長していってるのにだ。私だけ時が止まってるようなのだ。このIT革命の中、約10年変わってない。これってある意味凄いと思う。

で、私は思ったのだ。私が変わってない理由は、このコラムジョブにあるのではないか?と。私は、ずっと毎週このコラムを書いているのである。上司からは、「まだやってたんだ・・・」とか「早く誰かに引き継いだら?」とか言われつつも。しかし、このコラムって、ある意味自分と仕事のことを週1回考えなおす機会なのだ。

キャリアとか仕事とか転職とかそうした事を毎週のように考えてる人生。これはとても特殊に思える。しかも、それを研究したりするのではない。あくまでも「コラム」としてである。

私のおとぼけっぷりは、おそらくこの「コラムジョブ」によって培われ、強化されてる。だから、もしもいつか将来、私が別の人間に、あるいは、全く別のキャリアを形成しようとしたらまず最初にやらなければならないのは、このコラムを書くのをやめる事だと思う。

しかし。当面はそうした予定はないので、いつかくるその日までは、私はこのコラムを書いていこうと思う。

人との出会い方、人との出会いの深め方

不思議な人が好きだ。

例えば、「絶対に売れてないだろう、この店」と思うのに、ニコニコしてる古本屋の店主とか、「普通お客さんの話を聞くだろう」と思うのに、自分の話ばかりして、しかもそれが全然面白くないけれど、あまりにも楽しそうに話すので、「まあいっか」となってしまう美容院の人とか。なんていうか、職場に居たらちょっと困るんだけど、気になってしょうがない人が私には沢山いる。

昔は、そうした人を遠目に眺めて、「一体どんな人生を歩んだらこういう人になるのだろう」と思っていたのだが、年をとってずうずうしくなると、ふと「今度のみいきましょうよ!」という一言が口に出るようになった。そんな流れで、先日、毎朝新聞を購入する新聞スタンドの「オヤジ」と飲んだ。

私の事前の予測では、「オヤジ」は、学生運動とかやっていて、早稲田の政経を中退し、そのまま世界旅行に出かけ、資本主義についていろいろ考え。日本に戻ってきてはあるべき社会について考え。政治にも詳しく、様々な仕事を経験しながら、世界について友人の新聞記者と話をしてる中、ふと気がついたら、新聞を売るようになった。というような人。そう、漫画や小説に出てきそうな味のある「オヤジ」。

飲み初めて30分後。私は驚いていた。なんと、私の予測は、ほぼ合っていたのだ。大学は早稲田の政経だったし(中退かどうかは不明)、世界を旅行して回っていたし、いろいろな仕事を経験していたし、新聞屋の友達もいたし、政治にも詳しかった。本はとにかく読んでいたし、ある意味、今の日本を憂いていた。あまりにも予想と合致してるので、私は、担がれてるのかと疑った程だった。それにしてもオヤジと話している時間はとても暖かく、私は、とにかく酒を飲んでよっぱらった。

その日は、私が誘ったからという理由で、私がご馳走をしたのだが、次の日の朝聞いたら、オヤジはそのお礼に、ボトル(多分焼酎である)をいれておいてくれたらしい。飲んだお店は、オヤジのいきつけの店なので、またあのオヤジと飲む機会が出来ると思うととにかく嬉しくてしょうがない。それにしても粋なオヤジである。

人生には、こうした突発的な出会いがあり、それは私をいつも嬉しくさせる。出会いというと、恋愛の話になりがちだし、人脈というと、異業種交流会という流れがどこかある。だが、私は、そうした出会いや人脈でなく、こうした日々ふれあっている人との、出会いを深めていきたいと思っている。

ところで。そう考えると、この職場という場所にも不思議な人間が沢山いる。せっかくだから、興味のある人間とかたっぱしから飲んでみようと思う。そうしたら、きっと日々の仕事もより味わい深くなるに違いないのだから。

ご馳走とワサビ

私は人にご馳走をするのが大好きだ。
だから、何か理由をつけては部下や友人や上司にご馳走をしている。

先日も会社の上司(役員であり素敵な女性)に声をかけ、赤坂の料亭でご馳走をした。こういう風に書くと、「ごますり野郎」とか思う人もいるだろう。が、私はそうした意見は全く否定しない。仮に自分がそうだとしても「良い」と思ってる。年上の人とご飯を食べるのはお金を払っても良い程勉強になるし、そもそも楽しいから。

なお、先日もこんな学びがあった。その日食べたのは、和食。お刺身の回(なんていうのだろうか?いろいろ出てくる中で、お刺身の場面)だったので、私は、醤油にワサビを力いっぱい溶かして、ワサビ醤油を作ろうとした。というより、作っていた。

すると上司が言った。「醤油にワサビを溶かない」と。正しい食べ方は、刺身にワサビをちょこっとつけて、刺身ごと、醤油につけて「風味を味わう」ものなんだそうだ。

海の側で生まれ、刺身をこよなく愛してきた私。ワサビ醤油の比率(ワサビ大目が好き)にはうるさい私には、その一言は驚きであった。しかし、確かに過去そういう食べ方をされる大人達を数名見てきた。「変わった食べ方するな~この人達」と思っていたのだが、そちらの方が正式だったとは。。「まあ、食べ物は基本的に好きに食べればいいや」と思っている私だったがその事を「知らなかった」という事に驚きつつ、上司と食事をすることの意味を学んだのだった。

そんな訳で、いつかは私も部下とかから、「鈴木さんと食事をしたいので、ご馳走させてください」とか言われてみたいものだとは思いつつも、ボーナスで部下に何をご馳走しようかな?とお店をそろそろ決めようと思う今日この頃である。やはり、私は、ご馳走をすることが好きなようだ。

そして、こうした仕事の場を離れたところで、人とコミュニケーションをする事が私はもっともっと好きなのだ。日々の仕事にも、ワサビのように爽やかな風味を加えるコミュニケーションがだ。いよいよ年末。お世話になった人をご馳走に誘ってみるなんてオツなものですよ。皆さん。

上司あるいは、自分の強みについて

先日上司と話をしていて。君の強みは何だと思う?という話になった。

私は、「頭の良さです」と答える。「違う!」と上司。「フレキシビリティですかね?」「違う」と上司。「愛嬌?」と私。「違う」と上司。こうした不毛なやり取りの後、上司は、あきれたように、「君の強みはコミュニケーション能力だよ」と言った。そしてこう言った「君は君のいい加減さや、計算の弱さを全てコミュニケ-ション能力で補完してる」と。

これだけ相手の求める回答を外している私の能力がコミュニケーション能力なのか?と私は疑問に思うのだが、よくよく考えてみると、「なるほど」と思う面もある。よく「お前は1対1には強い」とか、「口では負けない」とか、「言ってる事はわからないが、なんとなく納得した気になる」とかそうした評価を受けることが過去10年くらいに渡って継続的に合ったからだ。

しかしである。実は私の幼少時代は、コミュニケーションが最大の弱みだった。1対1の人間関係が下手で、学校では人気者だが、家に帰ると、一人でプラモデルを作ってるような「暗い子供」だったのである。といっても、欲しかったのはプラモデルなんかじゃなくて、話ができたり、一緒に遊んでくれるただ一人の友達だったのだが・・・。

だから、私は、その自分が求める友達を作ろうと努力をし、それから孤独な戦いを行う。相手に話しかけ、相手の気を引いた。そして、何度も繰り返しそんな試みをしていたら、いつからか、友達が側にいた。

って、自分で書いていて、本気で泣きそうになる程、孤独な過去だ。でも、ここで、私が言いたいのは、弱みとは努力をすれば、強みになる可能性があるものかもしれない、という事なのだ。だから、今何かに弱みを持ってる人。それはもしかしたら、いつか最大の強みになるのかもしれない。めげずに頑張ってみて欲しい。

さて。2週続けて、上司の話をしたが、これは今がボーナス時期という事は全く関係がない。何故って、この上司は、このコラムを読んでいないからである。でも、思うのだけれど、こうした思いや感謝がなければ、コミュニケーション能力だけで、上司と仲良く仕事することは出来ないのではないかと思う。上司は気づいてないけれど、私の最大の強みは人を愛する気持ちの強さなんだと私は思っているのだ。ひそかに。

絞りきれないテーマと忙しい日々

困ったことに、今回は本当に書く事が見えない。

いや。書きたい事、書くべき事は、沢山あるのだ。ここ数日の事だけ考えても、5つくらいはある。羅列するだけでも、「人の器について」とか、「年の取り方について」とか。書きたいテーマはある。しかし、書きたい事が2つ以上ある時に限って、コラムはかけない。最初の一行が浮かばない。

書きたいテーマが沢山ある理由はわかる。ここ数日は、とにかく忙しい日々を過ごしているため。毎晩のように人と飲んでるし、ネット上で始めた新しい研修カリキュラムは課題に追いついていない。忘年会が1日に2件も入ってる日もある。その勢いで、大事にしている週末の趣味にも時間がしっかり取れていないし、お世話になってる人に不義理をしてしまってもいる。

という風に書いてみて、コラムが書き出せない理由がわかってきた。なんだか、どたばたした毎日を過ごしているだけで、しっかりと考える時間が取れてないという事に。書きたい事が絞りきれない状況って、得てしてこういう状況だという事にだ。そういえば、去年もそうだったという事も思い出した。

年末。私は大抵やり残した事の多さに焦って、それをなんとかしようと奔走してしまう。でも、大切なのって、無理やり予定通りの年にしようとする事なんかじゃない。それよりも、今年おきた事をしっかりと振り返ったり、出会えた人としっかりと話す事だと思う。

何もしなくても慌しい年末。だから、私は、もう予定を入れる事を止めようと思う。だって、私なりに今年も十分いろいろやってきたのだから。今から焦ったってしょうがないのだから。それより今は、今年の手帳を取り出して、一人熱燗を。今年はそんな気分な年末なのである。渋い。

円満退社、ありがとうの後に。

同僚の女性が年内で退社する。

4年以上一緒に仕事をしてきた女性。元々、夏には退社予定だったのだが、無理を言って年内一杯働いてもらった。

入社当時は、仕事への自信があまり無く、どこか頼りなげな感じだった彼女は、4年という時間を経て、とてもたくましくなった。部門を横断したプロジェクトも今では立派にこなしている。社内での存在感も大きい。

本来は、年明けから別の職場で働く計画だったが、日々の業務が忙しいため転職活動が出来なかった。まだ、次の転職先は決定していない。「1ヶ月くらい遊ぶことにしました」と嬉しそうに話す彼女。私は数年ぶりの休暇を、ゆっくり過ごして欲しいと思う。

思い返してみれば、徹夜に近いことを強制した事もあったし、仕事では何度も泣かせてしまった。そして、私の知らないところで泣くような事もあったようだ。沢山の文句をいい、沢山の文句をいわれた。沢山の仕事をした。

そんな風なことを思っていると、彼女は「ま~た切ながって。お父さんが娘を嫁に出すんじゃないんだから」と言う。が、娘をお嫁に出すお父さんの気持ちなのだ。これ。経験したことないけれど。

だってほら、「次の会社でも必ず幸せになるんだぞ」なんてつい言いそうになるのだけれど、これって、お父さんが娘の結婚式とかで言いそうな言葉だ。この4年間、家族や恋人よりも近くにいたのだ。そういう事を言いそうになるのはしょうがない。幸せを願いながらも、「上手くいかなかったら戻ってこいよ」なんて、つい口に出してしまいそうになる。

職場という場所には、タスクや喜びや汗や涙とともに、こうした気持ちが詰まってる。そして、その気持ちは、大事な同僚が、円満退社する時の「ありがとう」という言葉の後に、瞬間だけれど、はっきりと存在し、時として、私の胸をとにかく熱くさせる。

クリスマスの思い出

クリスマス。華やぐ世界の片隅で、私は点滴を打っていた。

25日未明。猛烈な吐き気と寒気。私の体は水分も栄養分もカラカラ。吐き気マックス。昨日食べたカキがいけなかったのか?(というより俺が作って友人に振舞ってしまった!)ネットビジネス歴10年のパワーを発揮し、吐き気+寒気で重複検索。恐ろしくおどろおどろしい病気の名前が並んだ。

午前10時。病院。日曜日なため、病院は無論しまっている。守衛さんに状況を話すと、「それならばこっちじゃ」という目配せで私は、緊急対応(というのだろか?)の入り口へいざなわれる。受け付け前には既に数名の病人の方。「これは待たされるな」という予感。

午後1時。病院。あまりにも待たされるので、ひまを持て余す。寒気がするが、近くの酒屋では明日発売のジャンプが売ってるので、購入の上、病院に戻り熟読。「病院の待合室でジャンプを読む33歳」と思ったところで、あ、今日が33歳の初日なんだって気がついた。私は誕生日がクリスマスイブなので、25日は新しい年の初めての日。やれやれ大変な年になりそうだ、と思う。

午後1時30分。診察室。症状を伝える。私の中には、「緊急入院」という言葉や「年末進行どうしよう!」とか「引継ぎできないどうしよう!!」とか「つーか忘年会の予定明日じゃん」といった重要な事と重要じゃないことがパラレルかつカオス的に浮かぶ。血液検査を行う間、点滴をする事になる。

午後3時。点滴中。1時間30分の点滴タイム。不思議な時間。でも、もしかしたら、2005年の中で一番ゆったりとして静かな時間。今年出会った人、今年別れた人。いろいろな出来事が浮かぶ。人生は出会いと別れの交点にあるんだな、なんて事が浮かぶ。ちょっと泣きそうになったりする事も思い浮かぶ。

と、ドキュメンタリー的に追ったのだが、結果は、単に風邪が胃に来ただけ。熱もそれほどない。よって、2日ほど安静にしていたら治るという事だった。「明日忘年会なのですが大丈夫ですか?」と聞くと、「馬鹿かこの人?」という目で回答される。

結論。人生は年をとると初めて起きることが沢山ある。よって、過去の経験にとらわれずに新しいことにトライをしていこうと思う。点滴を打つ1時間30分の間、私はいろいろな事を考えた。そして、そのいくつかを来年実行していこうと思っている。という事で、皆さん、良いお年を!

正月と目標、あるいは仕事始めについて

正月が苦手だ。

特に今年はより苦手だった。というのも、東京で一人正月を過ごしたためだ。一人正月イン東京。とにかくやる事が無い。いつもならふらっとお酒を飲んだり、カフェで本を読んだりする時間も、お店が閉まっているため出来ない。テレビ(50インチのテレビを年末に購入)を見ても、芸能人の方が宴会をやっているのを外から眺めているようで詰まらなさが倍増するばかり。淋しい。

あまりにもする事がないなので、今年の目標等を考えようとするが、正月以上に私はこの目標を考える事が苦手。「今年は●●をするぞ」とかふんばっても、目標自体は達成できない上、目標に意識が行ってしまい、普通なら出来るはずの事が出来ないという経験を多数している。駄目である。

が、こんな私は、自己啓発書の類は沢山読む。目標を大切さを記した多数の本を読む。そう。正月に限らず毎月目標を立てては、達成できないという劣等感を味わうのが私の毎日。おそらく、私の正月に対する苦手意識は、この目標を立て、達成できないという劣等感を1年分先取りして感じる点にもあると分析してみる。

なんてことを思っていたら過ぎていった2006年の正月。仕事が始まる事で気を引き締めようと部屋を見るも、そこには汚い部屋。仕事に身が入らないと思い、正月明けから掃除をしようと決心。そんな私の今年の目標は、「毎日をしっかり生きる」になった。

今、正月が終わり、日常的に会社にくるようになって私はわかった。仕事があるから、朝起き、夜はしっかり寝るという毎日のリズムがある事に。そしてそのリズムで、私はギリギリ真っ当な人としての生活がおくれている事に。そんなわけで、私は、正月休みが終わる事を淋しがりつつも仕事が始まる事を、どこかほっとしながら迎える。

そんな私のコラムジョブ、今年もよろしくお願いいたします。

元旦、あるいは、日常について

年初、いろいろな人にあうと、誰かれかまわず「今年をどんな年にしたい?」と聞いて回った。

ある人は、「初心」をテーマにあげ、ある人は「新しい事をする」という事をあげた。そして、今年の具体的にやりたい事を教えてくれた。そこにはいろいろな期待があり、去年の反省があった。そんな風に人の話を聞くのは勉強になる。

一方。私は、テーマを聞かれると、返答に困っていた。というのも、私の今年のテーマはあえて言うならば、「新しい事を出来るだけしない」というものだったからだ。これは、仕事にやる気がないとか、人生に後ろ向きな事では決してない。元々新しい事が好きで、放っておいたら、新しい事ばかりやってしまう自分への戒めであり、現在やれていない事(その多くは日々の掃除だったり、事務系の仕事だったりととても大切な事が多い)をしっかりやるという意思の表明なのだ。

でも、私はその目標をしっかりと自分の中で言葉にする事も、人に伝える事もできなかった。そんな中、ある人と、「日常ってとてもとてもドラマティックで輝きに満ちているんだ」という話をした。「私たちは、その出来事や出会う人とすれ違ってばかりで、一つ一つを味わえないために、ここではないどこかを求めてしまうのではないか?」という話を。

その人は、ドキュメンタリーをとっているディレクターの人だ。その言葉が私の言葉なのか彼の言葉なのかは覚えていない。しかし、そういう話を私たちはした。そして、演出をせず、あるがままを撮ろうとするドキュメンタリーをとっている彼とそうした話をした事で、私の中で何かが変化した。

その夜、私は、日々朝起き、会社で同僚と会い、外部の人と打ち合わせをし、帰宅をする、このなんでもない日々をとても有り難いものだと思った。年初というこの時期だからかもしれない。でも、私は1日1日を元旦のような新鮮な気持ちで過ごしていきたいと思っている。そして、実際にやってみると、そうした気持ちで過ごす日々と仕事が、とても楽しい。毎日元旦。今年はこれがテーマだ。

人前で話をする事、あるいは、自意識について

私は人前で話すのが、苦手だ。

好きか嫌いか、と問われたら、実は大好きなのだ。人の注目を集めたり、自分の言葉に相手が一喜一憂したり、面白い事を言って爆笑してもらう事は大好きである。しかし、何故苦手かというと、そうならないから。どちらかと言うと、「どんな風にトチルのか?」といった点で注目を集めるし、何を言い出すのかと聴衆をハラハラさせるし、意味不明な言動で失笑される。だから、本当は大好きなのに、苦手で、嫌い。そんなアンビバレントなキモチ。それが私にとって人前で話をするという事だ。

私は1対1で誰かと話す事に苦手意識は全くない。相手が年上だろうと、年下だろうと、女性だろうと男性だろうと、ある程度の気持ちよさで(お互いにと私は信じている)、話をする事が出来る。そして、事実同僚の福田からは、その状況を指し、「お前は局地戦には圧倒的に強い」という評価をもらっている。ただ、それが20名くらいの人数になると全然駄目男になってしまうのだ。

先日、300名くらいの前でコメントをする事があった。私は前日から悩み、あまり眠れず、そして、当日は朝5時に目が覚めるという小心者ぶりだった。ただ、300人に何を伝えたらよいのかを徹底的に考えた。最初は、「良い事を格好良く言おう」と思っていたのだが、いろいろ考えていくと、「別に俺は格好良くないし、良い事なんていう柄じゃないな」という事に思い当たった。だから、ただシンプルに、言いたい事だけを言った。

結果。上手に話しが出来たかはわからない。しかし、私の中で、以前よりも苦手意識は少なくなった。そして、人前で話しをするのに「あんまり格好つけたり、ウケを狙ってもしょうがないんだな」という事がわかった。この感じは、小学生の時、クラスで人気者になろうとしていつも失敗していた自分に、「そういうの面倒だからやーめた」と思った瞬間に似ていた。そして、あの時感じた気持ちよさがあった。過剰な自意識をゴミ箱に棄てたような。

この間まで、私は、人前で上手に話しが出来る人になりたいと思っていた。しかし、今は、人前で語る何かを持っている人になりたいと思っている。

急がば回れ、なこの夜に

今、私は猛烈に慌てている。

理由は、仕事が終わらないからである。それ以上でも以下でもない。ビジネスマンにありがちな1シーンだ。しかし、今日はいつも以上に増して慌てている。何故か?時間がないのだ。明日のお昼までに上げなければならない資料があるのだ。が、その資料を形にするには、あと1日の日程か、私がもう1人余分に必要なのである。まあ、私がもう一人いても、あまり生産性の高い仕事が出来るとは思えないのだが。

そんな訳で、私は、昨日からあまり寝ていない。そして今日もあまり寝ないだろう。しかし、こういう風に一つの事をずっと考えていると、いろいろなアイデアが浮かぶのが面白い。無論、日々の仕事を私は手を抜いているつもりはない。しかし、こうした切羽詰った背水の陣になると、窮鼠猫を噛むかのような火事場のクソ力がでるようなのだ。

だから、私はこの焦っている状況にも関わらず仕事が面白くてしょうがない。「エクセルすげー!3時間かかると思った仕事が30分で終わった!」とか、「同僚すげーー!!3時間かかると思っていた仕事を手伝ってやり遂げてくれた!」とか、「代理店さんすげーー!!」急な依頼にも関わらず手伝ってくれる!とかとにかく私は驚愕してばかりなのである。昨日、今日って。

といっても、今思うのはただ一つの事。何故このデータ取得を毎日のルーチンワークに組み込んでいないのだ!おれは?!という事だけ。いや、それでも良いのかもしれない。こうして頭から汗が出るような仕事をしてるからこそ、そうした新しい視点が生まれているのだと思うのだから。

今私は、猛烈に慌てている。しかし、それと同時に「ああ、この時間をこの仕事をもっと続けていたい」そう思っている。いや。待てよ。これは、単に、『もっと時間が欲しい』という気持ちを言い換えただけなのかもしれない。って、仕事!仕事!!!

私は、今日、何回も何回もデータを消してしまってます。

喉元、過ぎると

事務系の仕事が苦手だ。と何度も何度もここで書いているが、やっぱり今日も苦手だった。

が、ここ数日私の中でこの意識に変化がおきている。それは事務系の仕事が苦手であろうと苦手でなかろうと、とっても大切だという事を痛感したからだ。

先週私はある資料を作成するために2日ほど徹夜をしていた。しかし、その時間で私がやっていた事はおそらく「事務」的領域にある、「データ入力」が大半だった。その資料を作成するには、私しか持っていないデータをエクセルにテケテケ入れていく必要があったのだ。だから私は、失われた時間を取り戻すかのように夜を徹し数字をパソコンに打ち込んだ。そして、とっても疲れた。

私はその仕事をしながら、過去の自分を恨んでいた。その仕事を、しっかりと日々行っていたら、私はベットの中でぐっすりと眠っていただろうにと。過去の私が、1日わずか5分の仕事をやらなかったために、現在の私が2日分の睡眠をとることが出来なかったのだ。

人間は、本当に痛い思いをして、価値がわかるという。しかし、私は、何度も何度もその痛みを経験している。だから、私は、今回こそは自分が痛みに強い人間でない事を祈っている。

バレンタインに思ふ

それは、私が、1年に1度、国生さゆりを思い出す日。誰もが浮かれてカーニバルな日。そう、今日はバレンタインデー。

そして、会社員たる私にとっては、それは、義理チョコな日だ。といっても、私は、ここで義理チョコの価値を貶めてるわけでは決して無い。いや、むしろ義理チョコに私は圧倒的な価値を置いている人である。本気で。

義理。辞書には「他人との交際上やむを得ずしなければならないこと」とある。しかし、これは、裏を返せば、「無数に存在する他人の中で、交際をしていると認識してる他人に対してする行為」という意味である。私は、それが「やむを得ず」であろうが、「率先して」であろうが、「交際している」と思ってもらう事に価値を置く淋しがり屋の33歳独身男性である。

今日会社では、業務時間が終わりを告げようとする頃、多数の女性が多数の男性にチョコを渡す風景が見られた。私は、いつもよりも多めに仕事に集中をし、その風景を見てない振りをする。普段なら、隣でどよめきがあれば、誰よりも先にその集団に進む私だが、今日はその面影すらない。「静か」で「寡黙」。何かをしゃべったら、「俺にもチョコ無いの?」そんな悲しい一言が口から出てしまいそうだから。

バレンタインデー、それは、人事評価とは別の形で、日々の仕事が評価される日。社内恋愛というエリートコースはとうに諦めた私ですら、この日には、ソワソワしてしまうものなのである。「義理チョコ」には、上司からふとした時にかけられる「君には期待してるよ」という一言と同じ甘さを持っていると思えてしょうがない。なお、今日何個チョコがもらえたかは内緒です。

って、読み方によっては、本気で淋しい人になってしまう文章だ。これ(汗)。

キャリアと年齢、あるいはカラオケについて

風邪をひいた。また。ひいた。

休日は1日寝込み、月曜日も、午前中は寝込んだ。締め切りのある仕事があるので、2時すぎに会社に来た。仕事を終えると、7時には会社を出た。寒気がしてしょうがないのだが、「フリーランスだったら、午前中に寝込んだ段階でもうおしまいだったかもしれない」と思う。

風邪の原因は明らかだ。2週間くらい休みもとらず、結構無理をして仕事をしたり遊んだりしてしていたから。そして追い討ちをかけるように、先週金曜日に夜3時頃までカラオケをしてしまったからだ。土曜日は何でもなかったのに(普通に飲んでいたのに)、土曜日の深夜に体調が急激に悪くなったのだ。今、とにかく喉が痛い。

でも。昔はこうではなかった。2日くらいの徹夜は、逆にアドレナリンを生産し、私の意識をクールにした。夜カラオケだった次の日は、睡眠不足だけれど、ミスをしてはいけないと思い、いつも以上に仕事に励んだ。

しかし、33歳の今、私にそんな面影はない。1日の徹夜は3日の生産性を落とし、深夜、ノリノリの数曲は私の体調を破壊する。

しかし、これが年をとるという事なんだ。その分、いろいろなことを効率的に出来るようになったのだ。仕事のコツも覚えているのだ。だから、無理をせずしっかりと体調管理をして真面目に仕事をしようと思う。

なお、あるミーティングで「カラオケ行くんですか?どんな曲を歌うのですか?」と聞かれたのだが、回答するが死ぬほど恥かしかったのは何故なのだろうか?

もしかしたら、もう、カラオケという年では無いのかもしれない、と思う。

ヤメル事の難しさ

煙草を吸い始めて随分経つ。吸い始めたのは、法律的に微妙な年齢だった。最初はまずいのを我慢しながらも、「美味い!」なんてやせ我慢。貧乏学生だったのに週に200円程度の煙草代を、今から考えれば、アクセサリー代として、なんとか捻出していたっけ。しかし、気がつけば、ヘビースモーカー。今は、煙草をヤメル事は、とても難しい。不可能に近い。

で、最近私は思うのだ。実は、何かを始める事よりも、実は、終わらす事の方が難しいのでは?と。何かを始めるのは、勢いでやれる。その勢いが続かないものは、ヤメルという努力が無くても、気がつけば終わっている。3日で終わる日記帳のように。いつかは落ちる紙飛行機のように。

ただ。始めた事の中のいくつかは、継続される。それは、気がつけば、日常になっている。それが無くてはなら無い存在になっている。それが、最初に感じた魅力を既に持ってないとしても。

私は人生の多くの困難さは、このヤメル事の難しさに起因していると思う。煙草も、毎週読んでしまう漫画週刊誌も。こうした習慣性を断ち切る事の難しさに原因がある。

そんなことを考えていたら、ちょっと気がついた。何かをヤメルとは、新しい何かを始める事に繋がるのではないか?と。煙草をヤメル事で、健康が手に入るかもしれない。漫画週刊誌を読むのをヤメタら、大人になれるのかもしれない。そして、そうしたヤメル勇気を、何かを始める勇気と同じだけ心に持っている事が大事なんじゃないかと思うのだ。

そうしないと、本当の意味で何かを始める事が出来ないんじゃないか?と思う。だから、勇気を持って、何かをヤメようとする潔さと勇気を持っていたいと思う。

以上、禁煙に奮闘する2月末日に。って煙草は本当にヤメラレナイな・・・。

美しいメールについて

仕事中、うっとりするくらいに美しいメールを読むことがある。端的な構成、吟味された言葉、そして、綺麗なレイアウト。一読でその人が言いたいことは全て伝わるのに、あまりの美しさにもう一度最初から読み直してしまいたくなるようなメールにだ。

それが、営業のメールで、しかも女性からだったりしたら、私は是非会ってみたくなる。いやいや。男性のメールでもそうだ。素敵なメールを読むと、そのメールを書いた人がどんな人なのかをついつい想像してしまう。この人は、何故こんなに素敵なメールを書けるのか?と、ついつい考えてしまう。

私もそういうメールを書きたいと思い、時々トライをする。だが、なかなかそういうメールは書けない。そういうメールを書くには、自分が相手に何を求めているかを十分に知り、相手と自分の距離がどれくらいあり、そして相手にとっての自分がどんな存在なのかをしっかりと把握していないといけない。今の私のそうした能力はそれほど高くないのだ。

こうした能力はメールだけでなく、日々のコミュニケーション全体に関わる。人に対して適当な対応をする人のメールはやはり適当だし、おっちょこちょいな人のメールはやはり抜けてるし、偉そうな態度の人のメールはやはり偉そうになる。1通のメールは、そこにかかれている文章をはるかに超えた情報量を私は持っている。

振り返ると、今日沢山の人に出したメールは、適当で偉そうな態度のメールが多かった。忙しさにかまけ、受け取る人のことを考えないメールが多かったように思う。そんなことに反省をし、せめて「メールの件名は、しっかり書くようにしよう」と誓った。美しいメールをかける人に、私はなりたいと心から思う。

環境整備と新しい息吹

最近、自分の身の回りを見直しをしている。

机の上を完全に整理したり、名刺フォルダーを整理したり、PCの中を綺麗にしたり。山になっていた書類を棄ててみたり。新聞について考えた結果、4誌読み出したり。定期購読誌を見直して、今まで読んでいた雑誌を辞めて新しい雑誌を手にしたり。落語や、クラッシックのCDを聞いてみたりしている。

机を整理した時。使わなかった書類やペンを一気に棄てさり、できたスペースに新しい文具を入れると、頭が整理されるような気分になる。机周りが綺麗になると仕事がスムーズに進んでいるように思える。探しものの時間が減り、考える時間が増える。

昨日も12時頃家についたのだが、ふと思い立ち、本棚の場所を変えてみた。移動のために、本を全て床の上に出す。そうすると読んでなかった本やもう一度読みたい本が一覧化される。その風景を見ていると、「あ~この本を買った時って、そういえば、こんなことがあったな」という記憶が甦る。

どうも、私が思っている以上に、私は周囲の環境や情報に影響を受けているようなのだ。様々な刺激を自分に与え、時々リニューアルをしたりすると自分が新しくなる感じがする。そして、多分、周囲を変えるたびに私は少し変化している。

さて。もうすぐ4月。多くの職場に新入社員がくる。彼らもまた新しい情報を届けてくれる存在だ。彼らが運んでくる新しい息吹をしっかりと受け止められるよう、自分の棚卸と自分の再構築をやってしまおうと思う。

ワクワクしなきゃワークじゃない

苦虫を潰したような顔でPCに向う。ミーティングでもネガティブな事を言っている。笑顔が少なく、メールの返信もおざなり。そんな日はどっと疲れる。

その一方で、ニコニコして、ワクワクしてPCに向かい、ミーティングではポジティブな言葉が飛び交い、熱い議論を交わし、時間に終われながらもより高い精度を求め頭をフル回転させる。そんな仕事をした日の疲れは心地よい。そして、そんな風に仕事ができる日が時として、ある。

さて。最近、仕事自体のことを考える事が多い。考えても考えなくても仕事は常にそこにある。しかし、その仕事をどんな風にするかで、私の毎日は楽しくなったり、つまらなくなったりする。そして、周囲を見てみると、仕事を楽しくできる人とそうじゃない人がいるみたいなのだ。

もしかしたら、2種類の人がいるのかもしれない。仕事を楽しくできる人と、仕事をただやる人の。双方とも仕事をする事に変わりはない。しかし、仕事を楽しくしようとする工夫と意思がある人の仕事は、アウトプットもプロセスもどこか違うように思う。

楽しく仕事をする人の周囲には、オーラがあると思う。そして、そのオーラは生産性と仕事の精度を上げるようなのだ。

そんな訳でつくった、仕事に対するコピーが、「ワクワクしなきゃワークじゃない」。当面、このことを念頭において仕事をしていきたいと思う。そして、毎日、仕事をワクワクしてできるように、私はタスクリストの名前を、「やりたい事リスト」に変えたのだった。

高齢化社会、あるいは人生の達人について

いきなりだが、私はおじいちゃん子である。だから、ご年配の人には受けがよい。少なくとも、年下の、特に女性からよりも。そして、もちろん、私もご年配の方がとても好きだ。

さて。日曜日は、新聞屋のオジサンと花見をした。以前、ここでも書いたが、毎朝新聞を購入するスタンドのオジサンと私は仲良しなのだ。風流をこよなく愛するオジサンと会社の上司と数人での花見。酔い始めたオジサンが、人生のことも語ってくれる。会社の上司もその言葉に耳を傾ける。私はシシャモを七輪で焼きながら彼らの会話を聞く。ふと空を見上げると桜の花。とても素敵な風景だ。私はオジサンから人生を生き抜く術を教えてもらう。

そういえば、その前の日。私は、「老人の原宿」と呼ばれている「巣鴨」を歩いた。通行人の80%が老人の方で、残りは孫。そんなイメージなのである。

すれ違う人の表情や後姿を見ては、「人生の達人」という言葉が浮かんでしょうがなかった。おそらく私がいまだ経験してない沢山の事を既に経験しているだろう人たち。そして、喜怒哀楽全てにおいて、私よりも沢山の深い感情を経験している人たちなのだ。おそらく私が仕事で出会う困難なんて殆どの人が経験してるはずなのだ。

高齢化社会は、人生の達人達が、沢山沢山いる社会なのだと思う。私は、あの人達から沢山のことを学べるはずだ。そんな訳で、田舎のおばあちゃんに1本電話でもしようと思う。おばあちゃんは、とてもシャイで、いつもただ笑っているだけれど、私の知らない事をきっと沢山知っているのだ。

現場力、あるいは自分の持ち場を守るという事

先日久しぶりに大きなミスをした。
新入社員歓迎会を兼ねたセレモニーでの事だ。

私はあるイベントの運営に携わっていた。そのイベントは数ヶ月前から準備をしていた規模の大きなイベントだ。何度もミーティンングをし、様々な趣向を凝らし、そして、お金もかけたものだ。私はそのイベントにディレクターとかプロデューサーといったような立場で参加していた。こういう風に書くととても格好良い立場だったんだな、と思う。

当日、スタッフは準備のため、随分前に会場に入っていた。私は、別の仕事が押したため、他のスタッフよりも遅れて会場に入った。今から思えば、これがいけなかったのだが・・・。

当日、元々私は何も仕事がなかったのだ。が、会場が予想以上に広かったので、私は照明と音響をやる事になった。別のスタッフから口頭でやり方を教えてもらい何度も手順を頭に入れ込んだ。何度も何度も頭に入れ込んだ。

そして我々のイベントの順番がきた。数ヶ月に渡った準備が、わずか30分のイベントとなる時だ。プレゼンのツールの準備も完璧だった。選びに選んだ音楽もバッチリだった。リハーサルも完璧だった。

しかし。私の持ち場の音響。音が出なかったのだ。壮大な音楽で始まる予定だったオープニングのシーン。しかしそれが無音だった。あの数十秒で、私達が費やした時間のある部分が消えた。音は何にしようか?と話し合った時間が消えた。部下が音楽の選定に費やした時間と努力が消えた。そして、それはとても大事なものだった。

今ならわかる。どんなに壮大なことを考えても、どんなに刺激的な事をいってイベントを盛り上げようとしても。その現場で自分の持ち場を守れない奴は駄目なんだという事が。仕事という場所では、誰がなんといおうと、その場所を守る事にただ集中しないといけないという事が。

でも、私はあの時、そうした事がわからなかったのだ。つめが甘い。私は、ずっと言われ続けてきたその言葉の意味と自分の甘さをその日、徹底的に味わい尽くした。

10年目のインド

今年のゴールデンウイークにインドに行く事にした。卒業旅行で一度だけ行った事のある国である。最初で最後の海外旅行だと思っていたのだが、急に、また行きたくなったのだ。

当時私は、社会に出るのが怖くて怖くて仕方が無かった。社会とか会社とかサラリーマンとか没個性とか、均一化とかそうした事が本当に怖かったのだ。元々そうした事から逃げようとして選んだ大学院受検に失敗し、私はおそるおそる社会に出ようとしていたのだ。

だから、卒業旅行にインドを選んだのは、「最初の海外旅行でみんなが行かないインドに行けたら社会に出ても大丈夫なはず」というものだった。旅行は1ヶ月の予定。4月という卒業の恐怖を前に、別の恐怖によって私は、自分を騙そうとしていたのだ。

しかし、インドは素晴らしかった。剥き出しの生と狡猾さと笑顔と、そして、自分の中にある小ささがそこにはあった。貧乏旅行と裕福な旅行を両方経験し、いろいろな人間に会い、語り、怒り、そして、笑い、私は1ヶ月を過ごしたのだった。

日本に戻り、私は会社員になった。そして、気がついた。そこにあるのは、インドと同じように、ただ生があった事に。新規電話も新鮮だった。飛び込み営業も楽しかった。人と出会う機会が増え、頭の使い方を知り、そして仕事を通じて私は自分を知った。

今年、社会に出た新卒の多くの人が、昔の私と同じように不安と期待を抱えているはずだ。ただ、過去を振り返ると私はおそらく大半の人以上に仕事はできなかった。そんな私でも今一丁前に仕事をしている。その全ては、私の周囲の人のおかげだと思える。よくぞここまで育ててくれた、と上司に感謝をしてやまない。

10年後のインド。私は、以前とは違った気持ちで飛行機に乗る。インドに立ったとき、私は何を見つけるのかが今から楽しみでしょうがない。

仕事の作法について

作法って大切だ。

高校生の時、女の子をデートに誘うやり方。そこには作法があった。ファッション雑誌を買い込み、バイト先の先輩に誘う手法をヒアリング。得られる情報の多くは、私の妄想を肥大化させ、場違いな言動を私に強いた。で、得てしてそれは失敗に終わった。が、しかし、私はそうした失敗を通し、世の作法やノウハウの存在を知った。

大学受験、そこにも作法があった。予備校に通い、カリスマ教師の言葉に夢を見、模擬試験の結果に愕然とし、私だけに伝授される一発逆転の秘伝を求め、本屋に入り浸った。受験参考書という名のマニュアルをこよなく愛した私。気がつけば、大半の参考書の良い点と悪い点を暗記できるほどになっていた。成績は比例しなかったが、そこにも作法があることを知った。

そして、社会人になった。「右も左もわからないとはこういう事なのか!」という驚きの中、私は、右往左往。仕事を覚える同期を横目に、私は全然仕事ができずにいた。当時私は営業だったのだが、営業のやり方すら理解できてなかった。ただ人に会う、その人に惚れる。そんな気持ちだけで仕事をしていたので、仕事の作法は全く身につかなかった。

そんな自分の過ちに気づいたのは、入社して1年以上経った時だった。企画の立て方。物事の進め方。気がつかなかっただけで、仕事にも作法があった。それもしっかりと。ただ私は、自分のやり方に固執し、そうした事を学ぼうとしていなかったのだ。

さて。社会人になって10年目。今私は、週末にある学校の生徒になっている。作法を学ぶ事の意味を知った私は、あれから10年経った今でも、学び続けている。作法。それはお金を払ってでも身に付けるべき宝なのだ。

だから、新人諸君。いろいろな人が君達のためにいろいろな事を教えてくれるこの幸福な時間に。今しか手にできない、とっておきの作法を学びとって欲しい。

仕事がやめられない

「仕事が面白くてしょうがない!だから、止まらない!」

という時がある。こういう時はアイデアがどんどん湧くし、新しい企画を考える前に、周囲に迷惑を振りまきながら動いている。でも、こういう時があるから、ほんと仕事はやめられない。

今まさにそういう状況なので、コラムの執筆が遅れている。が、せっかくだ。こういう時って何がファクターなのかを考えてみよう。まず、自分の自由度が高い事があげられる。年間数千万円とかいった企画ではなく、お金がかからない企画やお金が出ない企画の方が私は好きなようである。そして、次に自分の行動がすぐに成果になるという事も好きなようだ。10年を見据えた企画はせっかちな私には向いてない。つまり、自由度が高くて、成果がすぐに出る企画が私は好きなようだ。

一方「仕事に全然やる気が無い。故に辞めたい」という時だってある。その時はどういう時かというと、お金はあるけど自由度が低くて、いつ形になるかわからない仕事、そんな仕事に取り組んでいる時の私はあまりニコニコしていない。

仕事には向き不向きがあり、私が大好きな仕事が大嫌いな人もいるだろう。そして、その一方で、私が大嫌いな仕事が大好きな人もいると思う。しかし、それはあまり関係がない。要は自分を活かそうとしたら、どんな時に自分がハイになるのかを知っておく事が大事という事なのだ。それを上手にコントロールするのはプロレスラーが入場曲によって自分を盛り上げようとするそれに似ている。

なお、仕事は総て誰かのためにする事だ。だから、どんなに自分が面白くても、それが誰かの幸せに繋がらないのだとしたら、やはりそれは面白くない仕事になる。あらゆる仕事は誰かの幸せのためにあると思う。だから、その幸せの次に、自分の幸福を手にする事ができるような仕事や、そうできるような仕事の仕方を私はやっていきたい。だから、そんな私は、きっと仕事をやめられない人なのだ。

ある日の出来事、明日の出来事

「どうして、いつも、私はこうなのだろう」

全力で走ったため少し朦朧とする意識の中、いつものように私は自問自答した。いくつもの予定をキャンセルし、調整し、そして、私はそこにいた。自慢するわけではないが、最近の土日はかなり忙しかった。友人との約束も別の日にした。お昼も抜いた。それくらい私はそのセミナーに出たかった。

だから急いだ。乗り換えのため駅構内だって走った。それでも30分遅れた。「いや、最初の30分くらいは講師だって緊張してるから、本題はこれからさ」と都合の良いように考えながら、自分を騙し騙し、駅についた。

かばんの中を探す。あるはずの地図がない。こうした場合の私はとにかく適当である。地下鉄、目についた出口からとにかく地上にでる。しかし、初めて降りる駅である。土地勘はない。そして、そのビルの名前も知らない。わかるわけがない。

諦めようとした私。しかし、ここまで来たのだ。必ず1時間だけでも受講をしようと思う。エンジャパンに電話をし、たまたま出た新入社員に、インターネットで検索をさせる。おどおどとする新入社員。おぼつかない動作で、彼はネットを探したに違いない。

5分後、彼がやっと場所を教えてくれる。要領を得ない説明。私は彼に少し腹が立つ。八つ当たりも良いところだ。住所をメモし、なんとなく進むべき道が見えた。新入社員。いい奴だ。再度名前でも聞いておこう。しかし、彼の一言に私はノックアウトされた。

「セミナー、来週ですが」

そんな私は、明日インドに旅行する。大丈夫なのだろか。私は。誰よりも私自身が心配だ。

インド旅行とひどい下痢 1

ひどい下痢である。本当にひどい下痢である。

インドに行ったからという訳ではない。インドでは健康そのものだった。しかし、私は今ひどい下痢をしている。胃もまだ、キリキリと痛んでいる。それは、飛行機の乗り換えで訪れたシンガポールでの出来事が原因だ。

日曜日の午前10時。私は、荷物検査を終了し、飛行機乗り場(何て言うのだ?あれ)に向かった。カルカッタからのトランジットに訪れたシンガポール空港はとても素敵なところで、トランジットの2時間を私はシャワーやマッサージ、そして、ウインドウショッピングに優雅に費やしていた。そして、あと10時間後には、日本に到着。月曜日からの仕事の準備をするはずだった。

が、ここで、予定が狂う。受け付けの人(無論外人)が、「あなたの席は無い」というのだ。今から考えてみれば、チケットは持っていたものの、しっかりと席の予約(あれはなんていうのだ?)をしていなかった。だから、私の席は無いというのだ。以下英語で行った会話のイメージだ。

「どうしてもだめ?」
「勿論、駄目」
「本当に、どうしてもだめ?」
「勿論、駄目」

そんなやり取り。そうこうしてるうちに、私の乗るはずだった飛行機は旅立つ。しかし、シンガポールから日本への飛行機は、その夜8時過ぎ迄無いという状況。しかも、朝段階でその飛行機は予約で満席。この瞬間、私の帰国計画は一気に白紙になった。

明日、月曜、午前11時。
私は社長と取締役2名を含めた大事な会議を行う予定がある。

上司とはとても仲良くやっているつもりの私だ。しかし、海外に遊びにいって、会議をすっぽかしたとなってはさすがに何を思われるか分からない。

この頃から、私の胃は、キリキリと痛みだしたのだった。

~いろいろ書きたいので、後半に続く~

インド旅行とひどい下痢 2

待つというのは辛いものだ。それが努力ではどうにもならない場合は、特に。

日曜日の午前10時のチャンギ空港。次の日本への飛行機は夜8時30分。その飛行機に乗れても、日本到着は月曜の早朝6時30分。会社の始業時間は8時30分。成田から会社まで2時間はかかる。ジーンズで出社か。遅刻か。しかし、その飛行機の席すら、まだ確保できていない。激しくなる、胃の痛み。

午前10時。今から夜8時まで何も出来ない。ただ、航空会社の人に「please」と哀願するのみ。時間が流れる。そんな私を哀れに思ったのか、担当の女性が、素敵な笑顔とともに、空港内の食事のチケットを私にプレゼントしてくれた。私はそのチケットでお寿司を食べる。

(今から思えば、インド+ストレス+生ものというコンボが、私の下痢を促進させたのだが)

流れる時間、強くなる痛み。もしかしたら、月曜日に日本に帰れないかもしれない。私を抜きにして進むミーティング。その場合、どういう顔で上司に会えば良いのか?そんな不安。自分のサラリーマン度に自分で驚くも、いやいや、これはビジネスマンとして当たり前のことだ!と自分をなだめる。

時間は進み、夜の8時に。キャンセルを待っていた(12時間も)私は、席が確保できたかをチェックしにカウンターにいく。大学の合格発表にも似た緊張感。担当の女性がつぶやいた。

「FULL」

キャンセル無し。この瞬間、私は、月曜日、会社に普通に出社する事は出来なくなった。遅刻決定である。さらに驚く事に、この時点で、私はまだ月曜日に帰ることができるかが未決定なのであった。

そして。私は、トイレに駆け込んだ。下痢が始まったのだ。

~すいません。もう1週間続きます~

インド旅行とひどい下痢 3

・・・そして。私は、トイレに駆け込んだ。下痢が始まったのだ。


となんだか小説風な終わり方のコラムを先週書いてから、1週間。

私は、困っている。困っているのは、別に下痢にではない。下痢は、随分前に終わった。そう、困っているのは、このコラムジョブ~インド旅行編~をどう終わらせたらよいのかがわからない事だ。

気がつけば3回目となるこの「コラムジョブ~インド旅行」編。書きたい事は沢山ある。何回でも続けられそうなくらいだ。しかし、そうも行くまい。そもそもどう収拾をつけたら良いのかがわからず、ついつい3回目になってしまったというのが実情。よってなんとしても今回で終わらせないといけない。

それにしても、なんたる事だ。終わる予定も無いのに、「続」かせてしまう私の「計画性の無さ」。旅行記風な文体となんとなくやってみたいという理由だけで次に引っ張ってしまうというこの「甘さ」。しかし。考えてみれば、この「計画性の無さ」と「甘さ」は、私のインド旅行そのものだった。その2つが私に強烈な胃痛と、下痢と、会社への遅刻の原因だった。

私はこの旅行で沢山の事を学んだ。自分の胃腸の弱さを。トラブル対応の能力を。タイムマネジメントの必要性を。自分一人では、シンガポールから帰ってこれないという事を。そして、コラムはプロットが無いままに書き始めると収拾をつける事が大変だという事を。

さて。最後になるが、この2回のコラムをドキドキしながら読んでくださった方がいたとしたらご報告(いるのだろうか?そんな方)。11時からの役員とのミーティングの30分前に会社につくことができた。しかし、私は役員と約束を交わす事になった。

「海外旅行は、出勤日の2日前に必ず帰ってくるように」と。

私は、自分の情けなさに涙ぐみながらも、大きく「ハイ」と頷いた。

~終~

ナスと面接とコピーライティング

昔からナスが苦手だ。理由はわからないのだが、どうもあの味が苦手だ。焼きナスも嫌いだし、マーボナスも食べられない。ナスの漬物はもっと苦手だ。

ところで、苦手と言えば、私は面接が苦手だ。学生の時もそうだったし、自社の採用のために面接をする側になり、いかに自分が面接は下手だったかが良くわかった。そういえば、就職活動の時、私はこう思っていたものだ「わずか1時間程度の時間で、俺の何がわかるんだ!」と。これは、ある意味正論だ。が、考え方が完全に間違えている。

「わずか1時間程度の時間で、相手に自分を理解してもらうのはとても大変だ。だから、伝えるポイントを整理して熱を込めて語ろう」とシンプルに考えるべきだったのだ。

な~んて事を先日、習い始めた「コピ-ライター養成講座」の授業中に思った。コピーライティングって、「商品に大差はない」と言う諦めに基づいた「違いがそれほど無い商品をどのようにして売るか?」という行為だと私は思っている。そう考えるなら、面接も自己PRもコピーライティングになる。

だから、就職活動時の私は、2つのミスをしていた。一つは、「自分が他の誰かと凄い違う」という思い込み。もう一つは、「その凄さは、分かる人には自然に分かる」という事に。

無論。今は良くわかる。私は、大勢の人とそれほど違いの無い人間であり、だからこそ、面接で小さな違いを相手に伝える必要があるという事が。こうした事がわかるようになっただけでも、少しは大人になれたのかもしれない。相変わらず、面接は苦手でも。相変わらず、ナスは食べられないけれども。

半径3メートル以内の幸福

私は、実は会社の広報・宣伝担当でもある。だから、結構大きなことも考えたりする。会社が転職サイトだから、「これからのキャリア」とか、「これからの転職のあるべき姿」とか。「あるべき企業と人の関係」とか。そんな事も考える。転職サイトの宣伝や広報をするには、どうしたってそうしたことを考える必要がある。そして、それはとても難しい事である。

でも、それより難しいのは、私にとっては、実は身の回りの事だ。どんなに大きなことを考えても、人に冷たく当たったり、自分の仕事が出来なかったり、偉そうにしたりしては、いけないと思っている。無論、広告とかからそうしたことはわからないけれど、私個人としては、何か収まりの悪さがある。そして、たまに、そうした自分的にNGな事をしてしまう事がある。

やはり、自分が毎日、しっかりちゃんとする事はとても大切である。日々の小さなことや、周囲の人の笑顔を大切にせずに、何故大きな事を考えられるのか?と思う。目の前にいる人の幸福を願う事から、私は全てが始まる。

もしかしたら、以前もここで言った事があるかもしれないけれど、私はそれを「半径3メートル以内の幸福」と呼んでいる。家族の事、部下のキャリアや能力アップの事、同僚や上司の仕事の事。こうした事こそ日常の中で、大事なんじゃないかと。それらは、がんばれば実現出来る事である。しかし、同時に、がんばらなくては、決して手に入らない事でもある。厳しいことに。

だから、今日のコラムをこうして締めたい。まず、自分の身の回りの誰かを幸福にしようと。家族、部下、同僚、上司といった身の回りの人の幸福を。しかし、それは、その周囲の誰かの幸福に繋がり、最後には、広い広い世界の幸福に繋がるはずなのだ。

って以上、33歳の独身男性の主張でした。

トキメキ、あるいは、日常に潜む発見について

「トキメキがなくて」と彼女は言った。

ある仕事のミーティングの席での事。本題に入る前のたわいもない時間に、俗に言う「恋バナ」になった。彼女に言わせれば、随分長い間「トキメキ」が無く、彼氏が出来ないらしい。ただ、合コン等に行く等の「具体的な努力」はしているという。

「彼氏をつくるには、どうしたら良いのでしょうか?」と彼女は言う。そもそも、こうした相談を冗談とはいえ、私に持ちかける自体に、ミスマッチを感じてしょうがない。だが、冗談には冗談で返すという私の基本戦略にのっとって、「彼氏を作る結論日を決めよう」と私は提案をした。2ヶ月後、彼氏が出来ていたら、彼女の勝ち。出来ていなかったら私の勝ち、そんな賭け。なんとなく、話の流れで本気でやることになった。

ところで、こうした賭けが私は大好きだ。何も無い場合、彼女のような子は大抵の場合、半年後も同じ事を言ってる可能性が高い。しかし、こうした結論日を設定すると、周囲を見る目線が変わってくるのだ。それは、いやらしい意味ではなく、実は自分の周囲の環境が「想像していたよりも」実は、なかなか素敵なものだと気がつく可能性が高いのである。

例えば、仕事。普段ならば単なる日常になっている仕事上の相手でも、「この人はどんな人なのだろう?」という別な視線でみると、相手が全く違った人に見える事を経験した事はないだろうか?飲み会でたまたま席が隣になって趣味の話で盛り上がり、それから二人は付き合い出した、そんな話が良くあるように。そう、仕事という日常の皮膜を一枚むくと、そこにはただ一人の人がいる。

そういえば、トキメキって、日常の中に何か新しい事や物を発見するときの驚きやワクワクに似ていると。だから、トキメキって、別に難しい事じゃなく、自分で自分の周囲をちょっと素敵にしようとするちょっとした努力の事なんじゃないか?って私なんぞは思うのです。はい。

お尻のおでき、あるいは仕事のお尻

お尻におできが出来た。痛くて座っていられない。だから、今日は朝から、立ってパソコンを打ってみる。一見、カフェで仕事してる人風。

しかし、立っていてもお尻が痛くなってきた。今日、どうしても仕上げなければならない仕事があるのに。いわば、仕事もお尻に火がついた状況。あまりに痛くて、頭も痛くなってきたので、思い切って病院に行くことにした。

病院の待合室でも椅子に座れない。それほど痛い私のお尻。待つこと数十分。診断数分。「切ってしまいましょう」という先生からのカジュアルな提案。私はその数分後、ベットの上に寝る。無論、うつぶせ。麻酔があまり効かないというので、麻酔なしの簡単な切開。あまりの痛みに声が出る。脂汗を垂らしてベットのヘリを握る私。手術が終わって5分くらい私は立ち上がれない。スーツに着替えて病院を出る。

会社に戻る。でも、しばらく痛くて座れない。だから、再度の立ち仕事。立ってパソコンを打つ私を同僚が不思議そうに私を見る。私だって、本当なら帰って寝ていたい。しかし、今日終わらせないといけない仕事が私にはある。だから、私は帰れない。

がんばってるのに仕事はあまり進まない。思考がボーっとしてしまう。でも、この仕事だけは、なんとか仕事はやり遂げよう。あらゆる仕事はお尻が決まっているのだから。この仕事は自分でケツを持たないといけない仕事だから。

今日の終わりまで、私はお尻の痛みにたえながら、PCを打つ。でも、意識がどうしてもお尻に言ってしまう。プリンターまで歩いていこうとしたら、あまりに痛みに声が出る。その瞬間私は、何度目かの決心をした。「仕事はできるだけ早く終わらせよう」と。そして、これが今日の結論だ。

ロナウジーニョの笑顔、あるいは、元サッカー少年(自称)のつぶやき

「サッカー、まさか、こんな風になるとはまったく想像していなかった」

といっても勝敗についてではない。日本チームがある意味、普通にワールドカップに出ている事自体が、よくよく考えてみたら、驚くべき事だと思ったのだ。ロナウジーニョの上手さにも驚いたけれど、それ以上に驚いた。

ワールドカップの時くらいしかサッカーを見ない私だが、実はサッカーファン歴は長い。小学生の時には、読売のクラブチームの試合を何度も見に行っていたし、土曜日の夕方のフェイバリット番組は三菱ダイヤモンドサッカー。キャプテン翼に憧れ、ボールは友達。すこしテレながらもジャージのすそを巻くってサッカーソックスを見せていたっけ。

その後、練習の忙しさや、よくある反抗期が私をピッチから遠ざけ(って格好つけすぎ)、私はサッカーから遠のいた。そして、あれから、20年。ここまでサッカーが普及しているとは。歴史の変化って、ほんとすごいものだと思う。

ところで、ロナウジーニョ。彼の笑顔を見ると私も楽しくなる。自分の仕事を愛し、その役割を全うし、技術を高めようとする姿ってほんと人を楽しくするみたいだ。

これから20年後の世界は、過去もそうだったように、今の想像を想像以上に変わっている世界なのだとも思う。今は考えれれないような仕事や職種にわれわれはついているはずだ。

しかし、きっと。ロナウジーニョの笑顔が私をハッピーにするように、仕事を愛する人が幸せに見えるという事だけは、世界がどう変わっても、変わらないことの一つなんだと思う。