ビジネス書の濫読、あるいは、仕事の師匠について

ビジネス書を手当たり次第に読んでいた時期がある。ある本を読んでも、別の本が気になる。だから、いろいろな本を買う。一時期の私は、本に関しては、本当に本当に気の多い男だった。

その時期に興味のあるテーマの本はほとんど読んだ。しかし、どの本を読んでも何か物足りない感じがしていた。もちろん一冊の本で、何かに関して全てがわかる事なんて無い。でも、ビジネス書ってこの傾向が強いように思う。

あの時、私がビジネス書に求めていた事って、今から思えば、こんな事だった。仕事のあるべき姿を教えてくれ、そこに辿りつくための方法論も教えてくれる。いま、何が上手くいっていて、何が上手くいってないのかを鋭く指摘してくれる。しかし、同時にいままでやってきた事を評価する言葉にあふれている。そんな本だ。

もちろん、そんな本には出会えなかった。でも、それはしょうがない事だと思っている。何故なら、当時の私は、「仕事の師匠」を探していたのだと思うから。今は、それがわかる。

さて、仕事の師匠がいる人は幸せだ。師匠の行為の一つ一つの意味がわからずとも(未熟なものにその達人の真意はわからないものだ)、その行動を真似る。盗む。そういう師匠を持ってる人は、きっと仕事で成功できる。その人の存在があるだけで、やりがいや仕事の意味や面白さを実感できる、そんな人を持ってる人はきっと良い仕事をする。

なお、そうした師匠を見つけるのは、運ではない。師匠って、ぼけっと職場を見ていても見つからない。師匠を見つけるのに必要なのは努力だ。仕事を本気でやって、悩んだら本を読み、また、仕事をしていく中で、やっと師匠って見つかるのだと思う。経験的に。

ビジネス書の濫読期を過ぎ、今、私には、仕事の師匠が複数いる。職場の内外を問わず沢山いる。

師匠がいることは良い事だ。ただ、師匠が「沢山」という点において、やはり私は「気の多い男」なんだな、と思う。